江戸時代、五反田田原の三つ丸に園田氏が居住していた。それはある大雨の夜 だった。この家の表戸をたたく者がいるので戸を開けてみたら、子供の背たけ くらいのかっぱが立っていた。「朝方所用があって出掛け、今帰ってみたら、戸口をやまたの怪物がふさいでいて、 家にはいれません。妻も子供もさぞ待ちわびていることだろうと案じられます。あな たの力で、この怪物を退治して下きい。」
川棚川 かっぱの案内で行ってみると、戸口が馬鍬(まが・農具)にふさがれていた。
「何だ、これが怪物か。」と、その馬鍬を取りのけてやったところ、かっぱは、
「このご恩は決して忘れません。あなたの家の七代あとまで、どんな大水が出ま しても床上まで水の上がらないように祈ります。」
と心から礼を言った。
それからというもの、あのかっばの言ったとおり、川棚川にどんな大水が出ても、 この家にかぎって何ら水害を受けず、また時々ささ竹や藁茎(わらぐき)に通した 川魚が、家の戸口につるきれていることもあった。これはみんなかっぱの恩返しに ちがいないと言われた。
この家はそれから七代目になったとき、家を三つ丸から川向うの刎田(はねた)に移した。ここなら土地が高いので川棚川が大水になっても水害を受ける心配がなかったからである。
<川棚歴史散歩 喜々津健寿著 芸文堂 昭和61年12月発行より>
⇒壱岐郡芦辺町に、鬼の手(馬鍬)を取ってやる「河童の返礼」の話が、
⇒熊本市龍田(たつだ)町の弓削(ゆげ)(白川の吉原橋)に、八つ目のばけもん(千歯こぎ)を退治してやる、
⇒佐賀県唐津市鬼塚(おにづか・松浦川)に、「籬(まがき)」を取ってやる、
⇒宮崎県東臼杵郡門川町の中山神社に、「大蛇」を退治してやる、
⇒鹿児島県下手川に、馬鍬がひかかっていたので持って帰ると、河童が礼に来たという、同じような民話が伝わっています。
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