秘密の言葉(外伝)
作:MUTUMI DATA:2005.1.1



 幼い男の子が絨毯の上に絵本を広げていた。夜の帳の中、幾つものランプの灯が室内を照らし出している。 若草色の髪の幼子は、お気に入りの絵本をいつものように眺めていた。
 幼子の側には年老いた老婆がいる。柔らかな眼差しで幼子を見つめていた老婆は、そっと幼子に声をかけた。
「ユークや。こっちにおいで」
 老婆は手で幼子を招く。幼子は呼ばれ、嬉しそうにトコトコと駆け寄って行った。肩に掛けられていたブランケットがフワフワと揺れる。
「なあに? おばあちゃま」
 ユークは老婆を見上げる。
「新しいご本をあげようね。これは大事にするんだよ。とっても大事な物になるのだからね」
 老婆はそう言うと、金に縁取られた古びた皮の本を差し出した。本の表紙には『ユーリア憲章』と書かれている。ユークは紅葉のような両手で本を受け取った。
「おばあちゃま、このご本すごく古いです」
 しげしげと本を眺めてユークが呟く。
「ああそれは……おばあちゃまが小さい頃に父から譲られたものだからね」
「おばあちゃまのおとうちゃまから?」
「ああ。そうだよ。開いてごらん」
 老婆はそう言いユークに本を開かせる。ユークは物珍しく感じながら本を開いた。
 皮の本の中にはびっしりと文字が埋まっていた。ユークは目を丸くする。到底ユークに読めるものではなかったからだ。
「おばあちゃま。僕読めません」
 老婆は朗らかに笑う。
「今のユークには無理だね。この本はこれからお前が読むべき本なんだよ。少しずつゆっくり読みなさい」
「これから?」
 ユークはきょとんとして老婆に聞いた。
「そうだよ。ユークが沢山の文字を教わってから読むんだよ」
 老婆はユークの頭を撫でながらそう言う。ユークは素直に頷いた。
「でも一つだけ先に教えておこうね。このページの……」
 老婆は言いながら、ユークの持つ本の最後のページを開いた。そこには黒いインクで塗りつぶされた箇所があった。
「おばあちゃま、ここ潰れています」
 老婆は微笑みながらユークに答える。
「いいんだよ。そこには内緒の言葉があるんだよ」
「内緒の言葉?」
「ああ、そうだよ。おばあちゃま達にずっと伝わってきた言葉があるんだ。他の誰も知らない、おばあちゃま達だけが知る言葉がね」
「うわあ。本当に?」
 驚くユークに老婆は黒く塗られた箇所を指し示しながら、良く通る声で言った。
「天の扉は我らと共にあり、そして我らと共に消える」
 ユークは首を捻った。
「? あの、おばあちゃま。意味がわかりません」
「おや、そうかね?」
 老婆は微笑みながらユークの頭を撫でた。
「ユークや。お前が産まれた時、お前の母から引き継いだ物がお前の中にはあるんだよ。天の扉と呼ばれる大切な神様からの預かり物がね」
「天の扉ですか?」
「そうだよ。この言葉はね、誰にも言ってはいけないんだよ。おばあちゃまとユークの二人だけの秘密だからね」
「はい。おばあちゃま」
 ユークはふんわりと笑いながら、そう答えた。老婆は優しくユークの髪をなでる。
「決して忘れないようにね。いいね、ユークや」
「はい。おばあちゃま」
 ユークは嬉しそうに老婆に甘えている。ランプの灯が優しく二人を包んでいた。


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