ユベールは陽が暮れると輝く街に変貌する。煌々と灯る3Dネオンに街灯、若者を引き付ける立体広告。 総代官邸から退出した一矢は、宿泊先となっているホテルの屋上の手すりに腰を掛けて、眼下の豆粒程の人込みをぼんやりと見ていた。冷たい夜風がびゅうびゅうと、その背に押し寄せる。 「落ちますよ」 足音もなく、ボブが一矢の隣に並んだ。 「いたのか?」 「ええ。部屋に戻らないんですか?」 「……そのうちな」 心ここにあらず、そんな台詞がボブの脳裏に浮かんだ。一矢はぼんやりしたまま街から視線を離さない。 「どうしました?」 「別に。……繁栄してるなと思ってさ」 その言葉につられる様に、ボブも街を見下ろした。眼下を流れる光の渦は、煌々たる輝きを放ち続けている。まるで光のシャワー、銀河の渦を見るかのようだ。ライトを灯したエアカーが高速で移動する様等、生きている生き物のようだった。 「ミラージュランドの件ですが」 「ああ、裏でもあったのか?」 「いえ、特には。愉快犯のようです」 「どこにでもいるな、そういう馬鹿な奴」 「ええ全く」 短く同意を返し、ボブは一矢が座る手すりに凭れかかる。冷たい鉄柵に背中を預け、瞳を細め、一矢を見た。 「何を考えているんです?」 「え?」 「ぼんやりしている様なので」 「僕だって、たまにはぼんやりするさ」 「いや、それはそうですが……」 ボブは一矢の様子を伺う様に、語尾を濁した。それに気付いた一矢が苦笑を浮かべる。 「優秀な副官は、何を心配しているのかな?」 茶化すように尋ねると、短く溜め息が返される。 「一矢、そうやって誤魔化すのは止めて……」 ください、と続けようとして、一矢の目が笑っていない事に気付いた。 「一矢?」 ボブの呼び掛けを無視し、一矢は漏らす。 「学校に行きたいなんて、思わなければ良かったのかな……。そうすれば、ユズリハさんとも出会わなかっただろうし……、自分が誰を好きなのか……忘れた振りをしていられたのに」 「え?」 「……いや、何でもない」 緩く首を振り、一矢は言葉を取り消した。ボブの眉が中央に寄り、もの問いたげな視線が注がれる。一矢は無言で夜空を見上げた。ネオンに掻き消され、星は全くといっていい程見えなかった。 「……なあ」 「はい」 「……忘れられない記憶ってあるか?」 「それなりには」 「聞いたら怒る?」 ボブは暫し躊躇った後、視線を足下に落とす。 「別に怒りはしませんが、聞いて楽しいものでもありませんよ」 「そうなのか?」 「何せ陸戦の記憶ですから」 溜め息混じりにボブが零す。 「どうせなら、楽しい事を覚えていたいものですが……」 「事実は逆か」 「ええ。楽しかった事なんてあまり覚えていませんね。一番はっきりと覚えているのは星間戦争の……ガルナ攻略でしょうか」 「それって……」 呟き、一矢は絶句した。 ガルナ攻略、惑星ニームで局地的に行われた戦闘の一つだ。陸上部隊同士が真正面から激突した事でも有名だった。当時ガルナには、神の勢力側の捕虜収容所があり、抵抗勢力はそれを解放する為に戦った。 無意識に左腕の入れ墨に手を伸ばし、一矢はそれを掴む。シャツがガサリと音を発てた。 「……お前、あれに参加してたのか?」 「はい」 問いに肯定を返し、ボブは一矢を横目で見た。 「だから一矢の入れ墨が、本当は焼き印である事も知っています」 ビクリと、一矢の体が震える。 「あれが捕虜収容所とは名ばかりの……処刑施設であった事も」 囁いて、ボブは星の見えない夜空を眺めた。 「ガルナを攻略する事に、当時の俺は反対でした。そこまでする戦術的な価値があるとは思えませんでしたから。ですが……」 そこで一旦言葉を切り、ボブは一矢へと微笑みかける。 「今はやって良かったと思っています」 「……っ、どうして? だってガルナはボブも認める通り、戦術的な価値なんて何もなかったし、あれはどう考えたって無駄な戦いで!」 「でも、あなたはあそこにいた」 「!」 「だから今は、間に合って良かったと思っています」 しみじみとそう告げられ、一矢は知らず体を震わせる。 「……でなければ、あなたは間違いなく殺されていたでしょうから」 囁きは闇夜の中へと埋(うず)もれる。一矢は夜空を見上げたまま、何も言わなかった。時折何かを散らす様に瞬きが繰り返される。 夜の冷気が肌をさす頃、ようやく一矢は構えていたガードを解いた。詰めていた息を吐き出し、右手をシャツから離し、金属製の手すりを掴み直す。そして口を開いた。 「どこまで、何を知ってる?」 「たいして知りませんよ」 「どうだか」 一矢はボブを睨む。だがその目に厳しさはない。 「何だかなぁ、極め付けの弱味を握られた気分だ」 呟いて、苦笑する。 「まあ、ボブにならいいけどさ」 愚痴にもならない事を言い放ち、一矢は胸を反って一度だけ大きく深呼吸した。冷たい夜風が何故か妙に心地良い。ささくれ立ちかけた心も、すっと冷やされる。 「前から思ってたんだけど、お前にも弱味なんてあるのか? 全然想像もつかないんだけど」 「俺ですか? そりゃあ、ありますよ」 「え!? 本当!? 何?」 ボブの発言を受けて、一矢が興味津々で聞き返す。 「とりあえず、故郷の両親と妹。後は……そうですね。仕事先の強い癖にどこか脆い上司とか」 「は?」 瞬きを繰り返し、一矢は恍けた声を出した。 「呆れるぐらい強烈に強いんですけどね、弱点をつかれるとボロボロになるし。ことあるごとに、馬鹿な政治家や官僚に傷を抉られて帰って来るし。防衛本能ないんですかね?」 「……」 「まあ、そういう危なっかしさが目を離せない理由なんですが」 「……あ、っと、その……」 口籠り、ソロソロとボブを見る。 「それ……」 僕か?と聞こうとして、何故か聞けなかった。代わりに埒もない事を聞いてしまう。 「……あのな、それは弱味なのか?」 「俺的には」 腕を組み、しみじみとボブが述懐する。 「こうまで関わると、どう考えても俺の弱味でしょう? 見捨てると後味が悪くなりますし」 喜ぶべきなのか、悲しむべきなのか判断に迷う台詞だった。だがその中に込められた労りはちゃんと伝わって来る。 「そういう訳で、あまり心配をかけさせないで欲しいです」 「……努力するよ」 暗闇の中、ブラブラと両足を揺らしていた一矢の口から、ポツリとその言葉だけが返る。鉄柵に凭れたまま、それを捉えたボブの口元が、微かに緩んだ。 びゅうびゅうと吹き付けていた夜風が、少しだけ暖かく感じる。足下に広がるネオンの輝きを見下ろしながら、一矢は噛み締める。決して、自分が一人で生きている訳ではない事を。
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