遭遇と接近8
作:MUTUMI DATA:2006.3.7


 ユベールは陽が暮れると輝く街に変貌する。煌々と灯る3Dネオンに街灯、若者を引き付ける立体広告。
 総代官邸から退出した一矢は、宿泊先となっているホテルの屋上の手すりに腰を掛けて、眼下の豆粒程の人込みをぼんやりと見ていた。冷たい夜風がびゅうびゅうと、その背に押し寄せる。
「落ちますよ」
 足音もなく、ボブが一矢の隣に並んだ。
「いたのか?」
「ええ。部屋に戻らないんですか?」
「……そのうちな」
 心ここにあらず、そんな台詞がボブの脳裏に浮かんだ。一矢はぼんやりしたまま街から視線を離さない。
「どうしました?」
「別に。……繁栄してるなと思ってさ」
 その言葉につられる様に、ボブも街を見下ろした。眼下を流れる光の渦は、煌々たる輝きを放ち続けている。まるで光のシャワー、銀河の渦を見るかのようだ。ライトを灯したエアカーが高速で移動する様等、生きている生き物のようだった。
「ミラージュランドの件ですが」
「ああ、裏でもあったのか?」
「いえ、特には。愉快犯のようです」
「どこにでもいるな、そういう馬鹿な奴」
「ええ全く」
 短く同意を返し、ボブは一矢が座る手すりに凭れかかる。冷たい鉄柵に背中を預け、瞳を細め、一矢を見た。
「何を考えているんです?」
「え?」
「ぼんやりしている様なので」
「僕だって、たまにはぼんやりするさ」
「いや、それはそうですが……」
 ボブは一矢の様子を伺う様に、語尾を濁した。それに気付いた一矢が苦笑を浮かべる。
「優秀な副官は、何を心配しているのかな?」
 茶化すように尋ねると、短く溜め息が返される。
「一矢、そうやって誤魔化すのは止めて……」
 ください、と続けようとして、一矢の目が笑っていない事に気付いた。
「一矢?」
 ボブの呼び掛けを無視し、一矢は漏らす。
「学校に行きたいなんて、思わなければ良かったのかな……。そうすれば、ユズリハさんとも出会わなかっただろうし……、自分が誰を好きなのか……忘れた振りをしていられたのに」
「え?」
「……いや、何でもない」
 緩く首を振り、一矢は言葉を取り消した。ボブの眉が中央に寄り、もの問いたげな視線が注がれる。一矢は無言で夜空を見上げた。ネオンに掻き消され、星は全くといっていい程見えなかった。
「……なあ」
「はい」
「……忘れられない記憶ってあるか?」
「それなりには」
「聞いたら怒る?」
 ボブは暫し躊躇った後、視線を足下に落とす。
「別に怒りはしませんが、聞いて楽しいものでもありませんよ」
「そうなのか?」
「何せ陸戦の記憶ですから」
 溜め息混じりにボブが零す。
「どうせなら、楽しい事を覚えていたいものですが……」
「事実は逆か」
「ええ。楽しかった事なんてあまり覚えていませんね。一番はっきりと覚えているのは星間戦争の……ガルナ攻略でしょうか」
「それって……」
 呟き、一矢は絶句した。
 ガルナ攻略、惑星ニームで局地的に行われた戦闘の一つだ。陸上部隊同士が真正面から激突した事でも有名だった。当時ガルナには、神の勢力側の捕虜収容所があり、抵抗勢力はそれを解放する為に戦った。
 無意識に左腕の入れ墨に手を伸ばし、一矢はそれを掴む。シャツがガサリと音を発てた。
「……お前、あれに参加してたのか?」
「はい」
 問いに肯定を返し、ボブは一矢を横目で見た。
「だから一矢の入れ墨が、本当は焼き印である事も知っています」
 ビクリと、一矢の体が震える。
「あれが捕虜収容所とは名ばかりの……処刑施設であった事も」
 囁いて、ボブは星の見えない夜空を眺めた。
「ガルナを攻略する事に、当時の俺は反対でした。そこまでする戦術的な価値があるとは思えませんでしたから。ですが……」
 そこで一旦言葉を切り、ボブは一矢へと微笑みかける。
「今はやって良かったと思っています」
「……っ、どうして? だってガルナはボブも認める通り、戦術的な価値なんて何もなかったし、あれはどう考えたって無駄な戦いで!」
「でも、あなたはあそこにいた」
「!」
「だから今は、間に合って良かったと思っています」
 しみじみとそう告げられ、一矢は知らず体を震わせる。
「……でなければ、あなたは間違いなく殺されていたでしょうから」
 囁きは闇夜の中へと埋(うず)もれる。一矢は夜空を見上げたまま、何も言わなかった。時折何かを散らす様に瞬きが繰り返される。
 夜の冷気が肌をさす頃、ようやく一矢は構えていたガードを解いた。詰めていた息を吐き出し、右手をシャツから離し、金属製の手すりを掴み直す。そして口を開いた。
「どこまで、何を知ってる?」
「たいして知りませんよ」
「どうだか」
 一矢はボブを睨む。だがその目に厳しさはない。
「何だかなぁ、極め付けの弱味を握られた気分だ」
 呟いて、苦笑する。
「まあ、ボブにならいいけどさ」
 愚痴にもならない事を言い放ち、一矢は胸を反って一度だけ大きく深呼吸した。冷たい夜風が何故か妙に心地良い。ささくれ立ちかけた心も、すっと冷やされる。
「前から思ってたんだけど、お前にも弱味なんてあるのか? 全然想像もつかないんだけど」
「俺ですか? そりゃあ、ありますよ」
「え!? 本当!? 何?」
 ボブの発言を受けて、一矢が興味津々で聞き返す。
「とりあえず、故郷の両親と妹。後は……そうですね。仕事先の強い癖にどこか脆い上司とか」
「は?」
 瞬きを繰り返し、一矢は恍けた声を出した。
「呆れるぐらい強烈に強いんですけどね、弱点をつかれるとボロボロになるし。ことあるごとに、馬鹿な政治家や官僚に傷を抉られて帰って来るし。防衛本能ないんですかね?」
「……」
「まあ、そういう危なっかしさが目を離せない理由なんですが」
「……あ、っと、その……」
 口籠り、ソロソロとボブを見る。
「それ……」
 僕か?と聞こうとして、何故か聞けなかった。代わりに埒もない事を聞いてしまう。
「……あのな、それは弱味なのか?」
「俺的には」
 腕を組み、しみじみとボブが述懐する。
「こうまで関わると、どう考えても俺の弱味でしょう? 見捨てると後味が悪くなりますし」
 喜ぶべきなのか、悲しむべきなのか判断に迷う台詞だった。だがその中に込められた労りはちゃんと伝わって来る。
「そういう訳で、あまり心配をかけさせないで欲しいです」
「……努力するよ」
 暗闇の中、ブラブラと両足を揺らしていた一矢の口から、ポツリとその言葉だけが返る。鉄柵に凭れたまま、それを捉えたボブの口元が、微かに緩んだ。
 びゅうびゅうと吹き付けていた夜風が、少しだけ暖かく感じる。足下に広がるネオンの輝きを見下ろしながら、一矢は噛み締める。決して、自分が一人で生きている訳ではない事を。



「おっかしいなぁ」
「どした?」
 首を捻って廊下できょろきょろするシグマに、お菓子の袋を提げて通りがかったケンが、声をかけた。どうやら買い出しに行っていたらしい。
「もうすぐ消灯だぞ」
 早く部屋に戻ろうぜと、ケンはシグマを急かす。
「わかってるけどさ、なんでか一矢がどこにも居ないんだよ」
「?」
「部屋にも居ないしさ……。売店に居なかった?」
「見てないぞ」
「むう」
 どうしようかとシグマが困りかけたその時、
「え、僕? ここにいるけど」
 ひょっこりと屋上へと続く螺旋階段から、一矢が降りて来た。
「……いるじゃん、そこに」
「……いたね」
 はううと、シグマは深い溜め息をつく。
「一矢、消灯の時に点呼があるんだから、勝手にいなくならないでくれる? 違反したら、先生の小言で寝かせてもらえなくなるんだからね!」
「あ!」
 今思い出したのか、一矢が小さく声をあげる。
「……もしかして忘れてた?」
「あはは。ちょっとだけ」
 ばつが悪そうに一矢は視線を彷徨わせた。
「か〜ず〜や〜」
 地を這うような低い声が廊下に響く。
「ケン、お仕置き!」
「らじゃー」
 シグマの合図で、ケンが一矢の首に空いていた腕を絡ませる。一矢の細い首は、ケンの腕によってがっちりとホールドされていた。
「うわっ!?」
 驚く一矢を尻目に、
「部屋まで強制連行!」
 宣言し、シグマがノシノシと歩き出す。
「にゃはは〜」
 変な声で笑いながら、ケンも後に続いた。一矢はケンに首をとられ、半ば引き摺られる格好で廊下を歩かされる。
「うわ。ちょっと待てよ。いたた。首、痛いって」
 おかしな体勢のまま歩かされたので、喉が締まって何とも苦しい。
「おーい、首が締まってる。締まってるって!」
 呼吸困難に抗議の声をあげるが、それすらも無視されて一矢はズルズルと引き摺られる。廊下で出会う他のクラスの生徒達が、一矢を見てはクスクスと笑っていた。
(うわぁ、恥だ。滅茶苦茶これって恥じゃないか〜)
 「止まれ〜」という一矢の声は、どこまでもどこまでも、ひたすら無視されるのだった。



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