遭遇と接近3
作:MUTUMI DATA:2005.9.7


 ホワイトローズが宇宙海賊と途中で遭遇した事にも気付かず、学生達は惑星エネに降り立った。唯一ボブから連絡を貰っていた一矢だけがそれを知っていたが、とりたてて言いふらすような事はしない。
 だから学生達に危機感はなく、旅行独特のハイテンションな状況が続いていた。ガヤガヤと五月蝿い程のお喋りを聞きながら、知らないって幸せだなぁ、としみじみ一矢は思うのだった。


「ねえ一矢君、エネって凄く発達してるよね」
 巨大なビル街、それこそビルのジャングルのような光景を目にして、パイがぽつりと漏らす。ディアーナ星も十分に発達した星だが、それでもエネ星には叶わない。エネの街は一つ一つが巨大で、横のみならず縦にも発展しているのだ。
 エネにあるビルはどれもが横に連結している。中階や上階で繋がっているのは当然で、中には中央のタワーを中心に螺旋状に広がっている街もあった。エアカーの走行する高度も他の星よりも高く、幾重にも高度差のループが出来ていた。エネの街はそのどれもが百万人都市なのだ。
 眼下の色とりどりのエアカーの流れを、エアバスの窓越しに目で追いつつ、一矢が呟く。
「エネは善くも悪くも星間の中心だから、色々な技術や資本が流れ込んで来る。発展するのも当然だよ」
「そうね」
 頷きながらも、一矢の隣に座ったパイの視線は街から離れない。
「そういえば、一矢君はどこに住んでいたの?」
「え?」
「この星に住んでいたのでしょう?」
 宇宙港のロビーで一矢が語った事を思い出したのだろう、パイが興味津々で聞いて来る。一矢は小さく肩を竦めた。
「ここだよ」
「?」
 一矢の言葉の意味が良くわからず、パイがきょとんとした顔をした。
「この街にいたんだ。エネ星の首都……ユベールに」
「え!? この街にいたの?」
 吃驚してパイが大きな声をあげる。何だとばかりに通路の向かい側の席にいたケンが、こちらに視線を走らせたが、一矢が何でもないという表情をすると、直ぐにシグマとの会話を再開し出した。楽しそうな馬鹿声が響いて来る。
「だからこの街の事は良く知ってるよ。どこに何があるのか……とか。ああほら、あれが星間中央警察の本庁で、公園の向いのずっと奥の一際大きいビルが統合本部。星間軍の中枢だよ」
 一矢の指が進路上の巨大なビルをスッと指差した。
「その隣の自棄に綺麗で大きなタワーみたいなのが僕らの目的地、議事堂だ」
 窓越しにその影をトンと指先で突き、一矢はフッと視線を落とす。
「タワーを囲む様に配置されているのは、議員宿舎や会館。総代官邸もその中にある。一番大きな白亜の建物だ。……見える? ほらあれがそうだよ」
 指先が少しだけ動き、タワーの下部を埋める建築物の一つを指し示した。遠く離れたエアバスの窓からでも、その優美さがはっきりとわかる建物だった。外観は優雅で庭に広がった芝生とマッチして、どこか幻想的でもある。
「うわぁ、綺麗な建物」
 パイが一矢の隣で覗き込み、感嘆の視線を向ける。
「総代はあそこに住んでいるのね」
 素敵と、嬉しそうな声が響いた。それを小耳に挟みながら、一矢は微妙に遠い眼差しを向ける。
「…………そうだね。外観は綺麗だから、あそこ」
 実際は要塞並みの設備と保安を誇る家屋である。一矢にとっては綺麗と言うよりも、怖いという名称の方がぴったりくる場所であった。
 一矢とパイのそんな天然な会話が続く中、学生達を乗せたエアバスの列は、ゆっくりと議事堂の方へ近付いて行った。白銀に輝くA字型のタワーがくっきりと見えて来る。エアバスはタワー中階の駐車スペースに次々と滑り込んで行った。


 それから30分後、一矢は全力で逃げたいのを必死に堪えていた。喉の中がカラカラに乾いている。誰も気付かないがその表情は見事に引き攣っていた。それというのも……。
「うわぁ。一矢あの人、ほらあれアシャー上院議員だよ」
 ツンツンとシグマが一矢の横腹を肘で突く。
「……そだね」
 一矢の声は妙に暗い。
「俺さ本物を初めて見たけど、意外と普通のおじさんなんだな」
 渋い中年、ナイスガイが年を食った感じの人を前に、ケンがそんな感想を漏らす。
 数分前まで議事堂の見学者コースを、一矢達は列になって歩いていた。本会議室や小部会室を見学し、珍しいところでは食堂やカフェなども覗き、グルグルと階段を降りロビーに出る。議事堂の広いロビーには所々にソファーが置かれており、あちこちで談笑している人影が見られた。
 その横を皆で通り過ぎようとした時、誰かがそれに気付いたのだ。ソファーに座って学生達を見ているファレル・アシャー上院議員に。
 議員とはいえ、有名人の出現に学生達が一気に浮き足立つ。アイドルを追っかけるような興奮した物ではなかったが、静かなヒソヒソとしたさざ波は十分に効果を発揮していた。アシャー上院議員、只今注目の的である。
 そして……、彼の人の視線は真直ぐに一矢にのびていた。
(うぎゃ〜、こっちを見るなファレルの馬鹿!)
 一矢の心の叫びを無視し、上院議員がにっこりと微笑む。その瞬間、一矢は理解した。したくなくともしてしまった。ファレルがボブという釣り餌に引っかからず、一矢が来る事を知っていて、ここで待っていた事を。ファレル・アシャーに関して言えば、囮作戦は大失敗であった。
(は、はは……。餌にかからなかったのかお前。ボブ……こんな大物を残すな)
 ガクリと一矢の気持ちが一気に萎える。それを知ってか知らずか、上院議員は終始御機嫌だった。チラチラと自分を見る学生達を全く気にも止めず、彼の人は不意に立ち上がる。そして、長い足を一歩前に踏み出した。
(ま、まさか……。こっちに来るなんて事は……!?)
 戦々兢々とする一矢に流し目を送り、上院議員はクスリと笑う。皮肉な物ではなく、現在の一矢の状況を理解した上での、仕方ないな的な苦笑だった。
 学生を演じている一矢の側に自分が近付く事は、あまり良くないと一応は自制したらしい。ファレルは学生達に背を向け、ロビーを出る方向へと足を向けた。
(セーフ!)
 どっと湧き出た冷や汗を手の甲で拭う。一矢が安心し気を抜いたその瞬間。
「あっ! 総代だ!」
 大きな声がした。
(なっにーーーーーーっ!? イクサーだって!?)
 一矢が焦って周囲に首を巡らす。ロビーへ通じる広い階段の途中にその人はいた。ブロンドの髪を綺麗に結わえ、白っぽいスーツを着た中肉中背の女性が。
「げっ」
 それを視界に確認した一矢の口からは、何故か蛙の潰れたような声があがった。若い男性秘書を背後に従えた中年の女性はロビーを見下ろし、ゆったりとした微笑みを浮かべる。星間連合総代表、星間を代表する女傑の微笑みにロビーの学生達は、途端にザワザワとした空気を発した。
(なんでこんな所にいるんだよ。仕事中だから、執務室にいるはずだろうーーーっ!!)
 叫びたいが叫べず、一矢は無理矢理言葉を飲み込む。
「本物の総代だわ」
「……そだね」
 良く似た他人の方がすこぶる嬉しいと思いつつ、一矢はパイに答え返していた。
「やっぱり総代って、独特のオーラを持っているわね」
「オーラ?」
「うん。総代って決して美人じゃないけど、目が離せないって感じがするの」
 階段をゆっくり降りて来る女性を見上げながら、パイが一矢に向かって呟く。
「あー、うん。それはちょっと判るかも」
(確かに目立つんだよな、あの人……)
 などと思っている間に、ロビーを立ち去りかけていたファレルが方向を変え、イクサーに近寄って行った。
(……合流するなよ)
 ビクビクしている一矢とは逆に、二人は向かい合うと、親密そうに楽しそうに会話を始めた。イクサーの秘書官は後ろで静かに控えている。何を話しているのかまではわからなかったが、時々チラチラと視線が一矢の方へと飛ぶので、何となく予測がついた。
(あ〜あ。ボブを餌にした意味が全然ないじゃないか。大物が二匹も丸々残ってるよ)
 どうやらボブは小物しか釣っていかなかったらしい。
(まあね、この二人なら機転もきくから、鉢合わせしても僕に不利な事はしないだろうけど……)
 視線を高い天井に彷徨わせて、
(それでもやっぱり会いたくなかった)
 ガクリと肩を落とした。そんな風に一気に脱力を催した一矢を見て、シグマが心配そうに声をかける。
「どうしたの? 気分が悪くなった?」
「いや、別に……」
 否定しかけ、「あっ!」と声を発する。
「?」
 首を傾げたシグマを無視し、一矢は生徒の波を掻き分けた。同級生の間を縫い、階段にいる二人に向かって走る。
「若林?」
「わっ!? 何だよ」
 いきなりの行動に周囲が驚いた声をあげるが、それすらも黙殺して一矢は本気で走った。
(間に合うか!?)
 一矢の体が人ごみから抜け出る。階段に立つ二人と視線が合った。二人とも一矢の方から近付いて来たので吃驚して、面喰らっていた。
(惚けている場合かーーーっ!)
 走りながら一矢が叫ぶ。
「後ろ!!」
 それだけで二人が反射的に動く。背後を振り返りながら、二人は階段の左右に散った。
 ヒュン。
 つい先程まで二人が立っていた場所に光弾が走る。レーザーの光が空間を凪いで行った。イクサーが信じられないという顔をして、凶弾の発射源である自分の秘書官を見つめる。秘書官の手には小さなレーザー銃が握られていた。
 何故と呟く暇もなく、秘書官が凶器をイクサーへと向ける。それを見て、秘書官の腕にファレルが飛びかかった。手首を掴み捻り上げようとするが、如何せん軍人でもない彼は年のせいもあり、力勝負にあっさりと負けてしまう。
 そして秘書官に振り払われた衝撃でバランスを崩した。足が階段を踏み外し、ファレルの体が大きく階下へと傾く。それを目の端に捉えながら、秘書官が再度銃口をイクサーへと向けた。
「きゃーっ!」
「止めろ!」
 落ちる、撃たれると、学生達が次々に悲鳴をあげる。その声を背後に聞きながら、一矢は階段を駆け上がった。
「こ……のっ、想定外ヤローが!」
 落ちかけたファレルの背を片手で支え、引き摺る様に無理矢理前に押し倒す。バランスを失ってはいたが、ファレルは一矢の支えでようやく右手を伸ばして、手摺を掴む事に成功した。視線だけで大丈夫だと伝えると、一矢はファレルを放置して秘書官に突っ込んで行った。
 秘書官がトリガーをひく前に、一矢は一気に距離を詰める。胸ぐらに飛び込み秘書官の足を払うと、グラリと体が揺らぎ、銃口がイクサーから逸れた。イクサーはその隙に安全な所まで後退する。後に残ったのは揉み合う一矢と男だった。
 銃を奪おうと一矢は男の手を捻り、何度も手首を階段や手摺に打ち付けた。狭い場所で二人の攻守が寸暇を惜しんで入れ替わる。秘書官も必死に一矢に抵抗した。
「大人しく沈め!」
 臑を蹴りあげ、股間を容赦なく蹴りつける。同じ男からの手加減のない攻撃に、秘書官の力が一瞬だけ抜けた。その隙を逃さず鳩尾に膝を叩き込みながら、ガクリと崩れる男の手を一矢は遠慮なく折った。
 ボキン。
 異様な音がして、
「ぎゃーっっ!」
 絶叫が響く。手首を折られた秘書官の手から、レーザー銃がポロリと零れ落ちた。
「ファレル!」
 一矢の鋭い声に反応して、ファレルが凶器を確保する。それを確認してから、一矢は男を階段のステップに押し付けた。背後からのしかかり、折れていない方の手首を捻り上げて背中へと回す。しっかりと背面で固定し、秘書官が身動きが出来ない様にした。
「くそっ!」
 下品な声を発しながら、それでも秘書官はジタバタと暴れた。一矢は凶悪な目付きをして、男の耳元に口を寄せると、男にしか聞こえない声で冷ややに囁く。
「いい加減にしないと殺すよ。僕は別にお前が生きていようが死んでいようが、関係ないんだし」
 秘書官はその言葉にとたんに静かになった。面と向かって「殺す」と言われては、人間誰しも脅えるだろう。ましてそれが一見高校生の、美少年の口から出たのなら尚更だ。
「……」
 秘書官は観念したのか一切の抵抗を止めた。
 あっという間に終わった衝撃の騒動に、何とも言えぬ沈黙が辺りに漂う。学生達はみんなポカンとして階段を眺めていた。悲鳴を上げていた者も恐怖に怯えた人間も、全員が全員事態を上手く呑み込めていなかった。
 気がついたら総代が襲われ、上院議員が階段から落ちかけていたのだ。その上、何故か犯人を取り押さえているのは同級生ときた。一体何がどうなったんだ?というのが、偽らざる心境だったりする。
「えっと総代が狙撃されたの?」
「暗殺?」
「襲われたって事だよな?」
 ヒソヒソとした声が上がる。
「若林が気付いて……止めに行ったのか?」
「だよな、多分」
 勇気ある行動、或いは無謀な行動に、皆が皆吃驚した表情を浮かべた。
「若林ってあんなに可愛い顔してるのに、もしかして喧嘩が強いのか?」
「意外と男らしかったのね……」
「ほんとぉ」
 普段猫を被っていた分、かなりのインパクトがあったらしい。外見に似合わない行動に、極一部を除く同級生達が度胆を抜かれていた。
 それに対し極一部の同級生達、つまり一矢のクラスメイト達はというと、何だかしみじみ「らしいなぁ」と思ったのだった。
 この半年余りずっと一緒にいたので、一矢がかなり大きな猫を背中に飼っている事に気付いていたし、結構ワイルドで野性味溢れる思考の持ち主だという事も知っていた。だからなのか余り違和感を抱かなかった。
「一矢君……凄い無茶をしてない?」
「してるわよ〜。吃驚した」
 パイとアイリーンが、一矢が無傷なのを見て取り、ほっと安堵の息を吐き出す。
「良く襲撃に気付いたよなぁ」
「そういう目敏いところが、一矢の一矢たる所以(ゆえん)だろうけどさ」
 シグマの感想にケンも返しつつ、
「しっかしあいつ本当に無茶な奴だな。シドニーが襲われた時も飛び出して行ったし、これで二度目だぞ。その内本当に撃たれるんじゃないか?」
 と、縁起でもない事を呟いていた。その言葉にシグマが思わず眉を潜める。
「俺さ、今度一矢に一発かますから援護よろしく」
「叱るってこと?」
「そ。無茶し過ぎの奴なんか、見てらんないぜ」
 言いたい文句が山の様にあると、ケンが犯人を取り押さえている一矢を見ながらぼやく。シグマもその光景に視線を合わせて、深く深く同意を返していた。
「わかった。協力する」
 行動的なのも良い、正義感が強いのも良い。だけどやっぱり自分の命を大事にしろと、親友二人は切実に思ったのだ。
「ええっと、あの……若林君は……」
 多少事情を知るシドニーが一矢を庇おうと呟くが、誰も全然聞いてはいなかった。その声は黙殺され、ざわめきに流されて行った。
 その頃階段上では、ようやく登場した警備員がファレルから凶器を受け取り、一矢が取り押さえた男を連行する所だった。秘書官であった男は、大人しく手錠を掛けられ、左右から警備員の拘束を受けている。
 何とも言えない表情で、イクサーは取り押さえられた秘書官を見ていた。それなりに信用していたから、余計にこんな事になったのが残念だったのだろう。
 警備員達はイクサーやファレルに会釈をし、一矢にだけは敬礼を返して男を引っ立てて行った。三人は黙ってそれを見送る。完全に姿が見えなくなった時、一矢が溜め息混じりにイクサーに視線を向けた。
「身辺警護をちゃんとつけろよ。ついでに身元調査もちゃんとしろよ」
「……そうするわ」
 反論したい事もあっただろうが、イクサーは素直に頷く。
「でも、一矢がいてくれて助かったわ」
「ええ、本当に」
 イクサーとファレルの二人が揃って一矢に謝意を向けた。一矢は些かげんなりした表情で応じる。
「僕はいたくなかったよ。どうするんだよ、後ろ……」
 特殊能力は一切使わなかったが、それでも高校生らしからぬ態度だったと思っている。普通の高校生は銃口に脅えず突っ込んだりはしない。まして銃を持った男と乱闘なんて、とんでもないだろう。
「……はぁ。また背中の猫が一匹落ちたよ」
「大変そうね?」
「大変なんだよ」
 しみじみと答えておいてから、一矢は二人に背を向ける。
「じゃ、もう行くから」
「ええ」
「暇が出来たら、官舎の方にも寄って下さい」
 あっさりとしたイクサーの返事と、名残惜しそうなファレルの声を聞きながら、一矢は階段を降りて行った。
 階下には三人の会話は届かなかっただろうが、生徒達が、いや先生も含めて居合わせた全員が一矢を注目していた。気まずいと思いつつ、一矢は自分の世界に戻って行った。



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