驥足(きそく)を展(の)ぶ
作:MUTUMI DATA:2008.3.3


「きな臭くなってきたな」
 報告書を睨み、一矢は呟く。眼前に座すボブも渋い顔だ。
「カーリ星で紛争が起こるのは確定か。……堪らんな」
 憮然とした声音で、デスクに電子書類を投げ出す。
 あがってきた報告書が余程気にくわなかったようだ。戦争の一歩手前の状況をこれでもかと羅列されれば、誰だって厭にもなる。
「どうされます?」
「どうすると言ってもな……。何も出来ないし」
「桜花」
 非難じみた声と視線が一矢に注がれる。ボブの言いたい事を察しながらも、一矢は首を左右に振った。
「無理。管轄外」
 犯罪に関しては星間法の定めもあり柔軟な対応を取れるが、紛争や戦争に関しては別だ。星間軍のいち特殊部隊が、単独でどうこう出来る代物ではない。
「幾ら何でも無理だって。それに、こういう仕事は星間特使の管轄だ」
「彼らは既に調停に失敗していますが」
 一矢の言葉を、やんわりとボブが否定する。
「わかってる……」
 二週間前に物別れに終わったカーリ星での部族間調停を思い出し、一矢は唸る。
「十分わかってるさ。だが、しかし……」
 何時になく歯切れが悪い。
 カーリ星は三つの部族で構成されている。そのうちの二つの部族、エルム族とカフ族が今回の騒動の当事者だ。この二部族が争えば、カーリ星の約半分が火の手に包まれる。誰がどうみても、よろしくない事態だ。
「どうにかしたいのはやまやまなんだが……」
 始まりそうな紛争や戦争を調停する権限は、桜花部隊の隊長にはない。
「統合本部長の任期中なら、まだやりようもあったけど……」
 それに当たっているのならば、どうにか出来た。統合本部長の権限で要請を出し、安全保障会議を開いて地域分隊を動かし、平和維持行動をとらせる事が出来たからだ。
 けれど今の一矢は任期から外れており、その権限を持つ者は別にいる。
「困ったな」
「……統合本部長を動かせませんか?」
「さて、……どうだろう」
 現在任期に当たっている統合本部長は、日和見主義で有名な人物だ。そんな者を当てるなと声を大にして言いたいが、有名な防衛族の議員だったので、複雑な権力闘争が産んだ人事だったのだろう。現場としてはいい迷惑だ。
「生憎と親しくないんだ。日和見主義者が、僕の要請なんて聞くものか」
 厄介払いされるのがおちだ。
「どうしようかな」
 一矢の視線が宙を彷徨う。天井を見上げ、床を見下ろし、ああでもないこうでもないと呟く。ボブも知恵を出すべく腕を組んで考え込んだ。
 直接動けないのならば間接的にと考え、出来る事を挙げようとしたその時、何時も一矢が持ち歩いている通信端末が音を発てた。
「はいはーい」
 呟きながら手を伸ばす。
「何?」
 取り次ぎのリィンの声が、ボブの耳にも聞こえた。
『隊長、委員会からです』
「えー。やだよ。出たくない」
『困ります。回しますからね!』
 一矢の愚痴を黙殺し、リィンが回線を繋いだようだ。途端に沈黙が満ち、徐々に一矢の眦がつり上がって行く。向こうの声は聞こえないが、この様子は只事ではない。
「……っ、この!」
 激高しかけた一矢が声を荒気かけ、慌てて口を閉じた。唇がぎゅっと結ばれる。数分後、
「わかった。出頭する。ああ、直ぐ行く」
 憮然とした顔と態度で、一矢は端末を切った。
「こん畜生!」
 一声発し、ダンダンと床を踏み鳴らす。
「やられたあ!」
「桜花?」
 ボブが訝し気に一矢を見た。何をそんなに怒っているのだろうかと。
「カーリ星で紛争が始まった」
「!」
「委員会に呼ばれたから、ちょっとエネ星まで行って来る。ああ、くそ!」
 不味いと思っていた矢先にこれだ。事態を危惧していた一矢としては、出し抜かれた気分なのだろう。
「暫く留守にするけど後を頼む」
「了解。学校の方は、いつも通りの病欠で届けておきます」
「うん、お願い。って……」
 一矢は唐突に、それを思い出した。
「不味い!」
「え? 別な欠席の理由が必要ですか?」
「いや、そうじゃなくて文化祭が……うう」
 喘いだなり頭を抱える。
(再来週文化祭だよ! もうほんと、なんで?)
「どうしよ」
「は?」
 一人ブツブツ言っている一矢を、ボブは不思議そうな目で見つめる。ボブは一矢の側の事情を知らないのだ。
 父親役を引き受けているとはいえ、学内の様子を一々把握しているわけではない。基本的に学校でのことは、一矢の自己申告だ。故に、何が問題なのかわからなかった。
(今ここで文化祭があるから、その準備が忙しくて仕事なんか出来ませんと言って、果たして許されるだろうか? ……いや、それはない)
 自己否定で完結し、短く吐息を零す。
(文化祭より仕事の方が優先。当たり前と言えば当たり前の結論だけど……。パイ達、僕が準備を全く手伝わなかったら怒るだろうな)
「でも……。仕方ない」
 どう足掻いても無理なものは無理なのだ。一矢は瞬時に腹を括った。学校の諸般の事情を切り捨てる。
(絶対的な優先度が違う。文化祭の事は暫し忘れよう)
 吐息と共に色々と諦め、「何でもない」と一ボブに一言告げると、一矢はエネ星へと転移して行った。




 正式名称『星間軍コントロール委員会』、通称『委員会』は、統合本部の上位に位置する専門委員会だ。星間連合上下院に属する十三人の議員によって、構成されている。
 専門の室は持たず、その都度議事堂内の空室を借りて開催される。会議の議題は開催される毎に異なるが、厄介な物であることが多い。
 故に出席を求められた者は、なぜか皆憂鬱になるという変なジンクスが存在した。


 会議室前でハタリと鉢合わせした二人は、どちらからともなく面(おもて)を見合わせた。互いの口元が引き攣る。
「物凄く嫌な予感がするんだが……」
「それはこっちの台詞だと思うな、兄(にい)」
 若林一矢とダーク・ピット。片やフォースマスター、片やイソラのリバース。どちらも星間を代表する高位能力者だ。
 星間最強は一矢であるが、その次は?と聞かれたら、恐らく大概の者がダークの名を挙げる。誰が言い出したか定かではないが、そう認識される程彼は強かった。
「ダークも呼び出された口?」
「ああ。兄も?」
「うん」
 互いに互いの状況を肯定し合えば、残るのはヒヤリとした危機感だ。今は所属も部署も違う二人だが、極たまに揃って顔を合わせることがある。
 一矢曰く「最悪な時」であったり、ダーク曰く「勘弁してくれよ」な時であったりする訳だが。
「何でだろう? 逃げ帰りたくなって来た」
「俺も」
 心底嫌そうに、二人は会議室の扉を睨む。
「お前と一緒ってことは、相当な無茶を言われるんだろうな」
「いやいや。俺が一緒だから言われるんじゃなくて、兄が無茶を言われて、俺がそれに付き合わされるだけだって」
「……どう違う?」
 一矢が半眼でダークを睨む。
「兄が主役。俺はエキストラ」
 エヘンと胸を張って、ダークはそう言い切った。
「俺は常におまけだもん」
「何がおまけだよ、全く……」
 一矢が生きている限りダークは常に二番手だ。意識するでもなく、それは皆の頭の中にインプットされている。何かが起これば、まず最初に呼び出されるのは一矢で、ダークではない。
「まあいい。ここで言い合っていても仕方ない。……行くぞ」
「おう」
 一矢の足が会議室へと向く。その小さな、いまだ青年男性とは言いがたい上背の後を、立派な体格のダークがひょこひょこと追い掛ける。二人は重苦しい気分のまま扉の向こうへと消えた。
 室の中はロの字型に長机が並べられていた。座っていた十三対の目が一矢達を射ぬく。
「遅くなりました。お呼びとか?」
 入り口付近に立ったままそう切り出せば、前方正面に座る初老の男性が厳かな表情を見せた。
「急な呼び出しで済まないな」
「いえ別に。仕事ですから」
 顔を上げ、それで用件は?と並び居る十三人を順次見る。その中の何人かは親しい友人だったが、今は険しい顔をして一矢を見ている。誰も彼もが難しい表情をしていた。
(碌な話じゃないな)
 内心で舌打ちしつつ、先を促す。
「カーリ星で、僕らが必要な事態でも発生しましたか?」
「……うむ」
「……ああ。そのようだ」
 歯切れ悪く委員達は頷いた。互いに説明しろと、無言で牽制しあう。それを見て埒(らち)が明かないと判断した一矢は、委員長へと視線を向けた。
「説明を」
「う、うむ。カーリ星で紛争が勃発したことは聞いておるな?」
「ええ」
「申し訳有りません、同僚が調停に失敗したばかりに……」
 星間特使であるダークは、一矢の発言を遮る様に頭を下げた。
「力が足りず、このような結果になり……」
 自分の担当でなかったにしろ、未然に防げなかった事が悔しいのだろう。ダークはぎゅっと唇を噛んだ。
「腫れる、噛むの止めろ」
「兄」
 ポンポンとダークの背を一矢が軽く叩く。そして、ダークより一歩前に出た。
「紛争を抑える方法でも思いつきましたか?」
「……いや、そうではない」
「では?」
「中立地帯を守ってもらいたい」
「中立地帯?」
 そんな物があったかと、一矢は小首を傾げた。委員長はそれを見て、高低差のある立体地図を呼び出した。ホログラムとなって、それは二人の前に現れる。
「東がエルム族、西がカフ族の領土だ。その中央に、二部族に囲まれたサジュウ族の飛び地領土がある。人口は約五万人。住民は避難できていない」
「それは……!」
 一矢は絶句する。この紛争に全く関係のないサジュウ族が、エルム族とカフ族の争いの矢面に立ってしまっている。
 地図を見る限りなだらかな平野にある街のようなので、遮蔽物がなく、闇に紛れて住民を逃がす事も難しいだろう。また位置的にもよくない。
 この街から等距離にエルム族とカフ族の軍事拠点がある。一矢が指揮官ならば、間違いなく最初に街を落とせと言うだろう。そして落とした街を盾として利用する。
 どう足掻いても、この街は二部族から見逃してはもらえない。
「市長は中立と無防備都市宣言を表明した。だがしかし、時間稼ぎにもならないであろう」
「……」
 一矢は委員長を無言で見つめる。その顔は絶望に満ちていた。他の委員達も似たような顔色をしている。委員達は全員無防備都市宣言をしたこの街が、二部族から攻撃されると判断しているのだ。一矢もその判断が正しいと思う。
 無防備都市宣言は霞のようなものだ。その宣言には実効性も実態もない。攻める側がその宣言に旨味を見出せなければ、そんな主張は反古にされる。星間の星々が非難しようが、マスコミが喚こうが、法がどうであろうが、そんなものは関係ない。
 戦争という冷たい世界に於いては、当事者の攻撃意思がすべてを決める。
(この街に戦う意思がないということは、先に街に入った方が支配者となるのか……)
 どちらの支配を受けるにしろ、この街の住民としては不安な日々を送る事になるだろう。戦争は常に住民を置き去りに始まり、住民の意思を無視して広がる。そして産まれた憎悪は、ネズミ算式に増えてゆくのだ。
「サジュウ族の軍隊は、エルム族とカフ族の動きに対応出来ていない。市長としては中立を表明している間に、何とかして欲しかったのだろうが……」
「間に合わないと?」
「元々サジュウ族というのは、平和主義者が多い故」
「ああ。暢気なのか」
 なら仕方ないねと、一矢はあっさり頷いた。暢気過ぎたそのツケは、これから先払って行くことになるのだろう。カーリ星の紛争がどの程度大きくなるのかはわからないが、サジュウ族も無関係では済まされない。
「フォースマスターよ」
「何?」
「五万の住民の命、預けてもよいか?」
「……仕方ないな。善処してやる」
 諦め混じりの声音で、口調だけは偉そうに、一矢は任務を引き受けた。その隣では、やっぱり俺も行くのか?と、遠い目をしたダークが居たとか、居ないとか。
 珍しくも、委員達の懇願を一身に受けて、二人は旅立った。




 サジュウ族の街は趣のある都市だ。レンガや石で造られているので、遠目にも古き都市だとわかる。さぞ歴史のある街なのだろう。
 その街は、今や急拵えのバリケードに覆われていた。元々城塞都市が発達して出来た街だったので、街の中に郭がある。その郭に添い、辻という辻に築かれたバリケードは、この街が危機的状況にある事を如実に示していた。
 街の住民は、郭やバリケードといった貧弱な防備に縋って、各々避難し身を寄せあっている。シンとした重苦しい空気が街の中に漂っていた。息を殺して固唾をのんでいるのだろう。
 誰もが知っていた。この街に迫りつつある危機を。そして自らの無力さを。


 ハタハタとコートの裾が踊る。珍しくも深紅の衣装に身を包んだ一矢が、地平線を眺めていた。
 赤いコートの下も赤。全身赤一色だ。その姿は恐ろしく目立つ。コートの背面には、星間連合の意匠が大きく描かれていた。これでもかというぐらい、今日の一矢は目立っている。何時もの黒一色とは大違いだ。
 本日一矢が求められる役割は、特殊部隊の隊長ではない。星間最強の能力者としての顔だ。故に、ここにフォースマスターがいるぞと主張すべく、奇抜な色なのである。
(ピエロな気分)
 派手な出で立ちは、一矢の趣味ではない。どちらかといえば不本意だ。常ならばこんな格好はしないのだが、今日ばかりは仕方がない。今日はとことん目立たなければならないのだ。
 委員会からは徹底的に目立てと指示を受けている。フォースマスターが、カーリ星の紛争に介入している事を、世に示したいのだろう。
 そして恐らく恫喝したいのだ。エルム族とカフ族を。
(調停に二部族を引っぱり出したいのはわかるけど、この街の危機と住民の命まで僕に預けるなんて、大概だよな)
 やれやれと、その期待とプレッシャーの大きさに首を竦める。負けてやるつもりはないけれど、僅かなミスが重大な危険を招いてしまう。
(こういう後がない状況って、ほんと嫌。もう一段階構えを作ってくれよ)
 地域分隊なり、桜花部隊の一群なり、連れて来させろと声を大にして言いたい。だが委員会はそれを認めてはくれなかった。いや、実際には認める事が出来なかったのだ。
 地域分隊も、ボブが留守を預かっている桜花部隊もカーリ星に展開している。一矢がいるこの街ではなく、他の地域ではあったが。要するに人員不足なのだ。割ける人材がない。
(……やだやだ。星間戦争末期の人手不足の頃を思い出すよ)
 随分無茶をやったあの頃と今との違いといえば、ダークの存在だろうか。星間戦争の頃はダークもまだまだ小さくて、戦力にはならなかった。それを思えば今は恵まれている。
(背中を預けられるっていいな。気分が楽。思えばダークも大きくなったものだ)
 昔はミイミイと子猫の様に一矢にじゃれついていた。ダークとタクヤとミーヤの三人で、雛の様に懐いていた。時が経つのは早いものだ。
(もう一人前だもんな)
 一矢が居る西側ではなく東側に詰めているダークを思い、感慨にふける。昔を偲びしみじみと和んでいたそんな時、地平線の遥か彼方に胡麻粒のような何かが見えた。
 一矢が待っていたカフ族の戦闘部隊だろう。監視衛星を使った分析では、人ではなく機械を中心とした無人化部隊だと分析が出ている。全く人がいない訳ではないだろうが、限りなく零に近いようだ。一矢としてはこれでかなり遣り易くなった。
(遮蔽物もないし、生身の人間もほとんどいない。良心の呵責なく潰せる)
 大技の連発も許されるだろう。
「さて、やるか」
 ポキと両手の指を鳴らして、背筋を伸ばす。ユラリ、ユラリと一矢の身体から光の粒が立ち昇った。その瞳に不可思議な紋様が宿る。人に在らざる瞳をして、一矢は右手を振った。
 シャラリ。
 不思議な音と共に光の剣が現れる。サフィンだ。一矢の意を汲み取って剣の形を取ったのだろう。その柄に軽くキスし、一矢は囁く。
「その力存分に発揮しろ、僕の中に眠れるサフィン。鞘は制御を緩める。屠れ。敵を」
 囁きが終わると光が強くなった。一矢の周囲にビー玉サイズの光すら浮かび出す。
「まずは浮いてるでかいの」
 一矢の目が敵を見る。腹子の様に子機を抱えた親機の群れ、クラゲの様に漂うそれに焦点を当てた。
「全部落とせ」
 漂っていた光が一斉に動き出す。奔流となり飛び出した。断続的に爆発が続く。光の塊が縦横無尽に駆け抜けた。
 そして、東側のダークのいる場所でも火柱があがった。
(向こうも来たか)
 ダークの側はエルム族の戦闘部隊だ。お互いに戦闘状態に入ったようだ。
「健闘を祈る」
 呟き、一矢は目の前の敵に意識を集中させた。サフィンを操ると同時に、本来持つ力も練る。空気が鳴動の様に鳴いた。



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