羽虫(はむし)
作:MUTUMI DATA:2005.3.27
去年のメール企画用小説。そろそろ時効なので公開。


 その惑星は赤茶けた星だった。
 ひゅるり、ひゅるりと風が大地の上を暴れまわる。バタバタとはためくコートの裾を押さえ、真っ直ぐに地平線を見つめる女性がいた。目を細め、何かを確認するかのように両の耳を研ぎ澄ましている。
 漆黒のコートが埃に汚れるのも構わずに、女性は静かだが凛とした雰囲気で荒野に佇み続けた。女性の背後には大型のトレーラーが何台もある。それはどこか物々しい気配を放つ存在だった。
 黒一色のトレーラーの側面には、小さくピンク色の桜の印が入っている。各々にシリアルナンバーを刻んだトレーラーは、不気味な振動をさせながらも待機していた。
「【06】」
 近寄ってきた男に呼ばれた女性が振り返る。
「何? 【46−99】?」
 線の細いひょろりとした体躯の銀目の男にそう返し、【06】と呼ばれた女性、シズカは真摯な眼差しを返す。男は女性と並んで地平を眺めた。
「来ます。近い」
 短いその言葉に重々しく頷き、シズカはコートの襟に仕込まれている通信装置に向かって告げる。
「スタンバイ! 各機起動!」
 シズカの裂帛(れっぱく)の声を合図に、彼女の背後のトレーラーが激しい機械音をあげて動いた。トレーラーのカバーが持ち上がり、左右に開いていく。大型の汎用トレーラーの中から、銀色の巨大な指が見えた。ハッチの端をつかむ様に、それは身を起こす。
 それは、どこか女性的な優美な顔立ちのマシンだった。無機質的物体であるにも関わらず、それには表情がある様に見えた。ゆっくりと半身を起こし、それは立ち上がる。
 群青の、抜けるような青さのボディーを曝し、それは毅然とした雰囲気を纏い、狭いトレーラーの台上でバランスを保つ。ゴゴゴゴと短く繰り返す作動音が、微かに漏れるその音が、それの心音であるかの様に荒野に響いた。曲線的で硬質的な全身のフレームが、ゆっくりと動き出す。
「各機展開! 空にて迎え撃て!」
 トレーラーの中の全機が起動体制を終えたのを確認したシズカは、再び命令を下す。それを待っていたかの様に、背に畳まれていた純白の翼が開いた。
 複雑に綾織りの様に折りたたまれていた推進装置が、大気を求めて一気に広がる。傘が開く様に、翼が天へ向かって伸びた。
「オーディーン、敵を殲滅せよ!」
 とどめとばかりに、シズカが叫ぶ。その声を背に、翼を広げたマシン達は一斉に飛び立った。ゴオオゥと、激しい音と爆風が地上を覆いつくす。シズカの結い上げた髪がはらはらと揺れた。巻き上げられた砂粒が、砂嵐のように拡散する。
 赤茶けた地平線へと飛び去るオーディーンを見送り、シズカは険しい表情のまま銀目の男を振り返る。
「【46−99】、勝率は?」
「凡そ70%」
「残りの30%は敗北か……。では、次の一手を打ちましょう。我々は敗れるわけにはいかないのだから、ね」
 そう言ってシズカは後方の荒野を眺めた。平坦な地上に見えるその下に、古都と呼ばれる都市があった。惑星の過酷な環境に適応するため、人類は地下に巨大な都市を造ったのだ。
「たかが羽虫(はむし)に、好き勝手はさせないわ」
 目を細め、シズカは言い切る。
 古都が羽虫、異常増殖した巨大なトンボ型の甲殻虫に襲われたのは、1週間前の事だった。天敵などいない人類だが、大自然の反乱にはなすすべもなかった。たった数時間で古都は壊滅。巨大甲殻虫はそのまま帯状に惑星を一周した。進路上にあるもの全てを平らげながら。
 気付いた時には、惑星はりんごの皮が剥かれるように、帯状に破壊の爪痕を残されていた。巨大甲殻虫はそれでも勢いを失わず、惑星の空を再び巡ろうとしていた。
「2巡はさせない。ここで潰してあげる」
 壊滅した古都を背に、シズカは呟く。くるりと地平線に背を向けると、シズカは歩きながら再び命令を発した。
「フレア弾を用意。第二防衛線を構築」
 ふと空を見上げる。照りつける太陽の酷暑が、惑星の猛烈な大気風に相殺されていた。
「……風で炎が拡散される恐れもあるわね」
 呟き、暫く考え込んだ後、
「それに、フレア弾でも死なないかも知れない」
 躊躇いがちにシズカは囁く。
 甲殻虫というだけあって、その装甲は硬そうだ。そしてこんな猛暑の惑星で生息している生物だ、熱にも強いかも知れない。一瞬迷いのような感情がシズカの中に沸き起こる。
「【06】」
「……大気を動かす方が早そうだわ」
 【46−99】の呼びかけに、何を思ってかシズカはそう答えていた。不思議そうな顔をする男を尻目に、シズカは短い通信を入れる。この惑星の成層圏に待機する母艦に向かって。
「【桜花】、少し手伝って下さい」
 躊躇いがちなシズカの声が荒野に響いた。



 ザワザワと風が荒野を撫でる。前方の空を覆う黒い影が、ブンブンと煩いほどに羽音を発てていた。
 体調5メートル余りのトンボに良く似た甲殻虫が、空を真っ黒に染めて近づいて来る。巨大な虫の大群が迫っていた。ウンカの如く大群で固まり、甲殻虫は連携し、右に左にしなやかに動き回る。
「来た……」
 シズカは呟き、最終確認をする。
「オーディーン各機の退避は、終わっているわね?」
「ええ」
 ひょろりとした銀目の男がそれに応じる。軽く頷き、シズカは通信装置に向かって囁いた。
「オッケーです、桜花。存分にやっちゃって下さい」
 シズカの声が終わるか終わらないかの内に、空気が動いた。煽られる程吹いていた風が、ピタリと止まる。まるで台風の目に入ったかのような静けさだった。
 無音の荒野。けれどそれは何かを予感させるモノだった。ヒタヒタと満ちる静寂の中、甲殻虫の羽音だけが何重にも重なる。
 ブウウン、ブウウンと近くなる甲殻虫の姿に、カラカラの喉をごくりと鳴らし、シズカは事態の推移を見守った。鳥肌がたつ程の緊張感が荒野に満ちる。
 ゆっくりと、甲殻虫の飛ぶ上空の雲が渦を描きだした。ぐるぐるとクリームを混ぜるように、渦が空に出現して行く。きっかけは僅かな大気の動き。しかし、その流れは止まるどころか、益々活発に、巨大になっていった。短時間で甲殻虫の大群がいる空を覆いつくし、渦は突然止まる。
 そしてそれが起こった。
 空を我が物顔で飛んでいた甲殻虫が、一斉に地面に叩き落とされたのだ。巨大なハンマーに真上から殴られたかの様に、胴をまっ二つに折って、甲殻虫は「く」の字に曲がって落ちて行く。
 ドンドン!と、次々と地面に叩き付けられる音が、遠くから雷の様に響いて来た。背筋の凍る音が数分に及び続いた後、飛んでいた巨大な虫達は、空から一匹残らず駆逐されていた。
 一拍遅れ、ゴウウウと耳慣れない音がし、風が凄まじい速度でシズカ達の周囲を駆け抜けて行く。ビュウビュウと叩きつける上空からの風に、数メートルを吹き飛ばされ、砂埃にまみれながらもシズカは喜色をあげた。
「わお! 凄いスペクタクル!」
 半信半疑、駄目もとで一矢にお願いをしたシズカは、そう言ってこの奇跡を讃えた。出来ればいいな、ぐらいの軽い思いつきでしかなかったのだが、やはりと言うか、当然というか、一矢はしっかりとシズカの要求を再現して見せてくれた。
 ダウンバースト。自然界で条件が整った時に起きる、猛烈な下降気流の再現である。
「一撃……ね」
 死屍累々と大地に重なった甲殻虫を眺め、うっとりとシズカは両手を組む。
「やったわ。完全殲滅完了よ」
 一匹残らず殺せた事に、シズカは深い充足感を味わっていた。異常増殖で凶暴化した甲殻虫は、始末に負えないほど恐ろしい。それが一掃されたのだ。シズカでなくとも、喜色満面になるだろう。
 げに恐ろしきは、一矢の力である。



 地上の様子を映した外部カメラから、送られてきた数キロに渡る虫達の巨大な屍の映像を前に、成層圏の母艦に留まっていた一矢は、止めていた息を一気に吐き出した。
「ふぅ。射程ぴったりだ」
 呟き、きこきこと肩を揉む。
「久しぶりに大技を使ったから、肩が痛いや」
 「ん」と伸びを一つし、一矢はおもむろに立ち上がる。
「ちょっと下を見てくるよ、【02】」
 横を向き副官にそう声をかけると、呆れた様な表情をしたままボブが軽く頷いた。苦笑とも溜息とも区別のつかない、曖昧な表情が浮かんでいる。きっと一矢の無茶苦茶さ加減に呆れているのだろう。
「ちなみに、今回は何をしたんですか?」
 興味半分、苦笑半分でボブが聞く。
「たいしたことじゃないよ。大気を弄っただけ。ダウンバーストなんてざらだろ?」
「自然界ではざらかも知れませんが、人為的には皆無でしょうが」
 言いながら、ボブは軽く溜息を吐き出した。
「まあ、あなたの場合は今更なんでしょうが……」
 微笑を浮かべ、一矢は座ったままのボブの肩をポンポンと叩く。
「終わりよければすべて良しって言うだろ? 気にしない、気にしない」
「……はいはい」
 どこか無気力に乾いた声でボブはそう返す。内心、この屍の後始末はどうやってすれば良いんだろうかと思い悩んでいたのだが、それが表情に出ることはない。
「とりあえず、任務終了だ!」
 にこやかに笑って一矢は宣言する。その横でボブは、「後始末は今からですけどね」と心の中で、ひとり突っ込むのだった。



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