コークス・ファイア
作:MUTUMI DATA:2003.3.30


「ここに三つの石があります。さてこれが何かわかりますか?」
 ころころとテーブルに深紅の石の塊が置かれる。手の平程の石は赤く、所々鳶色に染まっていた。
「コークス・ファイアか?」
 呟き、背の高い青年が指先で石を転がす。
「そう。新エネルギーの素、惑星コークスで産出される特殊な鉱石、通称コークス・ファイア。この石が100粒あれば、宇宙船の一回の航海に相当するエネルギーが得られます。」
「Kー693陽子抽出と、コークスドライブ機関があればだろう? 新型のコークスドライブ機関はまだ未完成だと聞いたが?」
 青年の発言に、相手の男は渋面をつくる。
「そうとも言えない・・・らしいですが」
「言えないらしい? 随分曖昧なんだな。未確認情報か、天下の桜花部隊が?」
 面白そうに笑って茶化す青年に、男は苦笑を向ける。
「我々の研究者は、実用段階に入ってます。公的にはまだ未完成ですが・・・、まあかなり、実戦配備は近いでしょう」
「・・・そういう、らしいね。で、それの何が問題なんだ? 何か事件なのか? それにしてもあんたらが動けないなんて、珍しいじゃないか」
 言外にどこにでも、何にでも首を突っ込むくせにと臭わせ、青年は男を見る。体格の良い頑丈そうな男は肩を竦め、一人こめかみを押さえながら呟く。
「いや、別に何にでも首を突っ込む訳ではないんですが・・・」
「突っ込んでるって。まあ、そんなのどうでもいいんだけど。で、実際どうなのさ? 俺にこんな話をするってことは、政治が絡む話なわけ?」
 一段と声を低め、青年は男に聞く。
「さあどうでしょう。微妙なとこだと思いますが・・・。実は惑星コークスで、鉱石が紛失しているという情報を得たんです」
「紛失? 盗難にあってるってことか?」
「そう。それも・・・トン単位で」
 青年はあっけにとられ、男をまじまじと凝視する。
「トンってあんた。・・・まじ? まだ未完成のドライブ機関のエネルギーをそんなに盗んでどうするんだ? コークス・ファイアの原石値段なんてまだまだ安いだろう?」
「まさにそれが核心です」
 男は青年の耳元に唇を寄せ囁く。
「うちの隊長、桜花が一応探りを入れに行ったんですが・・・」
「ですが?」
「二日前から連絡がないんですよ」
 青年は男のその言葉に呆然とする。
「は?」
「副官も同時に行方不明で・・・。多分一緒だとは思うんですが」
 青年は惚けたように男を見る。
「桜花の1、2が行方不明で連絡がない? あの一矢が連絡不能になってるって? ボブがいない?」
 呟き青年は男の、『03』ことリック・テュースの胸元を掴む。
「さっさと全部話せ。知ってる事洗いざらいな! で、最後の連絡に怪しい素振りはなかったのか!?」
 いきなり先程とはうって変わって、ハイテンションな青年に男、リックはややたじたじになりつつ、一枚の紙を渡す。
「最後の通話記録です。惑星コークス鉱山地区からなので、恐らく石を採掘している鉱区に潜入したんではないかと。で、我々はここに注目しています。”Kー693抽出、無法売買の可能性あり。βサイクルの可能性大”」
 青年はリックを見、聞き返す。
「βサイクル? 隠語か?」
「ええ。反政府組織ギルガッソーの関与の疑いあり、です」
 リックは苦虫を潰したような顔で、重々しく頷く。
「・・・まじ? って、待て。おいおい。じゃあ、一矢兄はギルガッソーに捕まった可能性もあるってことか?」
(ボブが付いていて?)
 危うくそう言いかけ、ぐっと言葉を飲み込む。桜花部隊ナンバー2、ボブ・スカイルズが委員会から、一矢の警護を命じられている事は極秘だったと思い出したからだ。当然目の前のリックも知らない事だろう。
「その可能性は大きいと思われます。故に、我々はどうしても慎重になってしまう」
「あんた達は見張られているって事か?」
 リックはやや首を傾げる。
「どうでしょう? 見張ってどうにかなる規模の部隊ではないですが・・・。人も拠点も多いですから。ただ、我々の影がちらつくのは不味い、絶対に不味いんです」
 リックの言葉に青年は軽く頷く。
「正論だ。で、俺なわけ?」
「そういう事です。あなたは隊長も副官も良く知っている。そして危険にも慣れている。なおかつ、星間特使だ。その身を拘束される事は少ないでしょう」
 リックは青年を見、真摯な瞳で告げる。
「行って頂けますか? これは正式な指令ではありません。我々が星間特使機構に働きかける事もできません。サポートも不可能です」
「つまり俺は俺の自由意志で、独断と偏見に富む決意で、行方不明の義兄とその同僚を案じて、惑星コークスに赴くってことか? 一人で・・・たった一人で一矢兄とボブを捜すってこと、なんだよな? 星間連合の影すら見せずに?」
「ええ」
 星間連合、星間軍、その配下の桜花部隊は一切何もしない。何も出来ない。存在すらちらつかせる事も出来ないのだと、リックは青年に告げていた。本来ならそんな事案は、あってよい訳がない。いくら何でもそれは無謀でしかない。
 だが青年はそんな重圧をものともせず、くすっと楽しそうに笑った。
「単独任務と独断専行には慣れてるよ。いいぜ、引き受けた。俺が兄達を見つけてくる」
 青年、ダーク・ピットは力強く言い切り、リックから資料の詰まったチップを受け取る。
「吉報を待ってな」
 リックに向かってそう言いおくと、ダークは歩き出す。その肩にはどこから来たのか、小さな赤い小鳥がとまっていた。小鳥はくるくると美しい声で鳴き、リックを丸い金色の目で見つめる。
「頼みます」
 呟き、リックは小さくなる青年の背を見送る。
 自分がいかに無茶なことを言ったのか、少なくともリックは自覚していた。通常ではありえない、規律に触れるようなことをダークに頼んだのだ。独断で部隊独自の情報を外部の機構職員に漏らし、行動を誘発した。それもただの機構職員ではない、星間特使機構の正式な特使を動かしたのだ。
 桜花部隊のナンバー3とはいえ、リックにはそこまでの権限はない。隊長の桜花、一矢や副官のボブならば問題はないのだが、リックにはそこまでの職能権限は与えられていなかった。ことが発覚すれば訓戒どころか、懲戒処分ならまだましで、通常なら軍法会議直進コースだ。
 それでもリックにはこうする必要があった。いいや、しなければならなかった。
 『桜花』と『02』が戻らないのだ。必要な時に必要な手立てを行使することにためらいはない。リックが副官補佐をしている最大のポイントはそこにある。その度胸の良さを見込まれたからこそ、この男は『03』なのだ。



「んっ」
 微かに呻いた声に俺ははっとして、鎖で縛られたまま、あまり自由には動かない腕を彼にのばした。さらさらだった髪には落ちない血がこべりつき、いつの間にかごわごわになっている。じゃらっと俺の手に纏わり付いた鎖が派手な音を立てた。
「大丈夫ですか?」
 薄く目を開けた俺の上官は、微かに唇を開く。腫れ上がった唇が、青白く変色していた。
「お前よりはまし」
 そう言って、上官は俺を心配そうに眺める。
(まあ、確かにどっちもどっちの有り様なんだが・・・、ズタズタ状態のあなたに心配されても、こっちは全然落ち着きませんよ!)
「起きあがれない人に言われたくありませんね」
 そう、俺の上官はどうやら足をやられたらしく、まともに立てないようなのだ。
「大丈夫、骨まではいってないよ。ただ・・・、焼かれたから、肉が焦げて痛いんだ」
 上官はそう言って顔をしかめてみせた。
「痛いで済まさないで下さい」
 俺はそう言ってぼやく。
(全くこの人は! 正常な痛覚が欠けてるんじゃないのか!?)
「ボブこそ、そんな軽口叩いてる場合じゃないだろう? 平気なのか?」
 俺は吐息をつきつつ応じる。
「すぐに死ぬような怪我って訳じゃないですよ。内臓は無事ですし、外傷が酷いだけですから」
 言いつつ俺は自分の全身を細かくチェックする。随分長い時間尋問(拷問だろうって俺は思うが)されていたにもかかわらず、思った程酷くはない。上官の様に足を焼かれた訳じゃないし、殴っったり蹴られたりされただけだ。たぶん奴等は俺に対しては、手加減をしたんだろう。そのぶん上官には容赦がなかったようだが。
 どうせなら、逆にしてくれた方が嬉しかったんだが・・・。俺よりもこの人の方が、色々な意味で逃げやすかったはずだ。足を焼かれてはそれもままならなくなったが・・・。
「細菌が傷口から入ったら、破傷風になりかねないじゃないか」
「だから、それはそっちも同じでしょう?」
 俺は呆れた声音を出し、上官の髪に触れる。全身隈無く傷を負っているので、俺が触れても痛くないのは頭ぐらいなのだ。鎖を纏わりつかせたまま、俺は上官の髪を梳いた。
「さてどうやって逃げますかね? 足は動かないんでしょう? 俺が担いで行くしかないですかね?」
「いつものボブなら出来るだろうけど、今は無理だろ」
 俺は微かに、不自由な体勢のまま肩を竦める。
 ではどうするか? ・・・逃げきれる可能性が低い事は自覚している。上官を見捨てれば、少しは勝機もあがるんだろうが・・・、それは出来ない相談だ。
「ボブ・・・。僕をおいて行け」
「・・・嫌ですね。あとで減俸されるのは、ごめんです」
 俺はそう言って上官を見つめた。腫れ上がった目ではあまりよく見えないのが難点と言えば難点だったが、上官が驚いたような表情を浮かべたのは見てとれた。
「お前、まだ委員会のあんな脅迫観念を、律儀に守ってるのか? 僕の護衛なんてしなくていいんだってば。盾は必要ないんだよ」
「・・・それは俺がきめる事です。それに本当にいざって時は御心配なく。・・・ちゃんと見捨てますから。」
 俺はそれこそ、最後の瞬間にでも遭遇しない限り、自分がどっちを選ぶのか最近自信が全然なかったりするんだが、まあ一応そう言っておく。上官がそれを信じたかどうかは実に微妙だったが、この話はこれで終わった。
 正確には話をする必要がなくなったと言う方が正しいんだが。

 薄暗い牢獄の向こうから、やや呆れた声音が俺達の耳に入ってくる。
「あ〜の、さ〜。なぜにこの状況で、そうのほほんと委員会話に興じれるわけ? なあ、俺の努力って、無意味?」
 牢獄の鍵を片手に、闇の中から青年の姿が浮かび上がる。焦げ茶の髪、意志の強そうなダークグリーンの瞳。背の高いスレンダーな体躯。俺の、いや俺達の良く知っている顔がそこにはあった。
「ダーク?」
 俺の上官は目だけを新たな侵入者に向ける。
「はいな。一応救助に来たんだけど・・・」
 言いつつ、ダークはようやく俺達の姿を視界に認めたのか、絶句し立ち尽くした。
「・・・何それ? ・・・誰がやった?」
 いつもなら悪戯っぽい光を宿す瞳は、怒りに染まり、どこか理性をなくした表情をしている。かなり本気で怒っているらしい。
 まあ怒るのも無理はない。俺はともかく、上官は結構酷い有り様なのだ。戯れにサンドバックにされたようなものだ。変に苦痛の声を上げなかったものだから、暴力に拍車がかかってしまった。
 この状況を見て、義兄思いのダークに怒るなと諭す方が無理といえば無理なんだが・・・。
(頼む、勘弁してくれ。頭に血が昇ったこいつは見たくない。質(たち)が悪いんだよ・・・)
 俺は心の内で、吐息をつきつつ答える。
「このKー693陽子抽出施設の方々ですよ。それより早くその扉を開けてもらえませんかね?」
 俺はじゃらじゃらと鎖を揺らしつつ、牢獄の格子を示した。はっとして我に返ったのか、ダークは急いで牢を開け、俺の傍らに跪いた。もって来た工具らしきもので手際良く、俺を縛っていた鎖を続々と切っていく。
じゃらじゃらと俺を拘束していた鎖は破片となって、体を滑っていった。俺の方が一段落付くと、ダークは上官の傍らにしゃがみ込む。
「一矢兄・・・」
「うわ、何泣きそうになってるのかな、この子は? 大丈夫だって。まあ、今はちょっと立てそうもないけど、平気だから」
 俺の上官はダークに向かって、そんな戯言を言っている。
(だからどこが大丈夫なんですか!? この状態を大丈夫などと言い切るのは、一矢ぐらいですよ!)
 叫びたいのをぐっと堪え、俺は建設的な意見を述べる。
「ともかく急いで脱出しよう。早く医者に見せた方がいい」
 俺はしつこく残っていた鎖を外しつつ、じっと動かないダークを、苛立たし気に急かす。実際脱出は早ければ早い方が良い。敵に気付かれる前に、ここはさっさと逃げ出すべきだろう。ダークのことだから、当然脱出ルートは確保済みだろうし。
「そ、そうだな」
 ダークはかなり狼狽しながら頷く。俺の両手足が完全に自由になった頃には、ダークは既に上官の体を抱え終え牢を出ていた。上官は人形の様にだらんと四肢を伸ばし、ぴくりとも動かない。口ではああ言っていても、相当まいっているようだ。俺は痛みにのたうつ体を無理矢理だまし、ダークに続いて牢を出た。
 薄暗い廊下をわずかな明かりだけで、俺達はどんどん進んでいく。途中ダークの破壊したらしきロックの痕跡や、床に沈んだまま気絶している人間や、一撃必殺で斬られたと思しき(おぼしき)無人の警備ロボットなどを目にし、俺は場違いな苦笑を浮かべる。
(星間特使の癖に、この強さはないよな)
 機構職員という肩書きからは、非戦闘員という想像しか普通は出来ないが、この青年はそのカテゴリーから逸脱すること甚だしい。さすがは一矢の義弟といえる。
(う〜ん、本気でトラバーユさせたい。勿体無い。これで機構なんて、能力の浪費だぞ)
 痛みに耐えつつ、おかげで無駄な事を色々考えてしまう訳だが、俺は先を行くダークの背を必死で追った。時々立ち止まり、進路を確認しつつダークは進んでいく。薄い明かりがどこまでも続き、無気味で静かだった。物音一つしない。

 かなり進み、随分余裕がでてきた頃、ダークが小声で囁くように聞いてくる。あまり大きな声は出せないが、十分言いたい事は理解出来た。
「なあ、二人ともなんでこんなにぼろぼろなんだ? 一矢兄さ、反撃しなかったのか?」
 くてっとダークに体を預けていた俺の上官は、その質問に薄く目を開ける。
「聞くなよ。自分の馬鹿さ加減に、苛立つから」
「右に同じ」
 俺は上官の呟きにしみじみと同意を返した。
「?」
 不思議そうに首を傾げるダークに、俺は吐息を付きつつ説明しておく。
「お互いがお互いの足枷になったんですよ」
「は?」
「だから別々に捕まって、お互いに相手を慮って・・・反撃の機会を失ったんだよ」
 上官のどこか投げやりな反応に、俺も渋々同意を返す。
「そういうことです。さっさと見捨てるんでした」
「それはこっちの台詞だよ」
 上官の本心ではない台詞に、俺は苦笑を浮かべる。俺はともかく、この上官には部下を見捨てる気概がない。よしんばあったとしても、それは最後の最後だ。救える可能性があるのなら、たとえ1%といえども、その可能性にかける人だから。
「・・・なあ、言っていい? それすごい間抜けじゃん」
 ダークはこめかみを押さえつつ独白する。
「だから聞くなって言ってるだろう」
 俺の上官は微かに赤くなり、呟く。俺までなぜかつられて赤面しそうだった。
(確かに大っぴらには言えない理由だよな。・・・何よりこの原因は恥ずかし過ぎる)
 痛む体を酷使しつつ俺は歩く。途中何度か妨害を受けたが、その都度ダークが容赦なく攻撃し、または排除し、俺達はようやく安全な場所に逃げ込んだ。若干被害がその、・・・出たが、許容範囲としておこう。
(うむ。まあよくあることだ)
 そうひとり俺は納得した。



 ダークに連れられ帰還した俺達はすぐさま、桜花部隊内設の総合病院に放り込まれた。いうまでもなく共に重傷で、仲良く面会謝絶の札を貰った。俺の方は上官の危惧通り、どうやら破傷風を引き起こしかけていたらしく、大量の抗生物質を投与されるはめになった。薬臭いったらありゃしない。
 で、上官はというと、足に真新しい皮膚の張り付けを受け、癒着するのを待っている。体の他の部分の裂傷もほとんど塞がり、膿はだいぶ消えていた。顔の腫れもだいぶ引き見なれたいつもの顔に近付きつつある。
 俺は包帯で下半身をぐるぐる巻にされ、半ミイラ化している上官の方をそっと伺う。だいぶ退屈しているらしく、見舞いの品をごそごそと物色している所だった。
 側のパイプ椅子には『03』ことリック・テュースがでんと陣取り、くるくると器用にバタフライナイフで林檎を剥いている。数分後見事に帯のように剥けた赤い皮を広げ、些か満足気にリックは頷き、林檎の実の方を切りもせず、ナイフを突き刺したまま上官に差し出した。
「林檎いりません?」
 リックの手元を見、上官は嬉しそうに林檎付きのナイフを受け取る。
「美味しそうだね。ありがと〜」
 そう言って口元に運んだ。俺はそれを見届け、深く深く溜め息をつく。
(頼む、林檎ぐらい普通に切ってくれ。ナイフに刺して食べるな)
 ひとり苦悩する俺の思いなどどこ吹く風で、リックは上官の顔をしげしげと覗き込む。
「傷、残りそうですか?」
「んん? どうかな? 別に残ってもいいけど」
 上官は全然気にもしていない様子で、ぽりぽりと林檎を齧る。
「駄目ですよ。せっかく可愛いんだから、傷は残しちゃだめです。ちゃんと消しましょう」
「ほぉう?」
 もぐもぐと口を動かしつつ、上官は小首を傾げる。こういう仕種がどこか子供じみていて、上官が世間一般ではまだまだ子供扱いされる年齢なのだと、俺は時々思い出してしまう。
「そうですよ、ねえ副官」
 そう俺に話をふって、次の林檎を手に、またまた胸ポケットからバタフライナイフを取り出し、リックはするすると皮を剥いていく。
(リック・・・そこで俺に話を振るんじゃない! 俺に何と言って欲しいんだ、お前は?)
 全く意図の読めない副官補佐を軽く睨んだ後、俺は目頭を押さえて吐息を吐き出す。
「まあ、わざわざ傷を残す必要はないでしょうね」
 とりあえずそう言っておいた。
「そうだね〜」
 俺の適当な台詞に、これまた適当に合槌を打ち、上官はしゃりしゃりと林檎を齧る。暫くしてようやく思い出したのか、はたまた気になったのかは知らないが、上官は俺を見つめ尋ねた。
「あれ? そういえばダークは?」
「さあ?」
 俺はここに担ぎ込まれた当初は、五月蝿い程オロオロして纏わりついていたダークが、何時の間にか姿が見えなくなっていた事に、ようやく気付く。どうやらかなり注意力が散漫になっているようだ。あんな大きなものを見落とすとは・・・。
「ああ、そういえば、焚き火に行くって言ってましたね」
「焚き火?」
「何だ、それは?」
 俺と上官は顔を見合わせ、首を傾げる。どこかで何かが起き、星間特使本部から非常呼集がかかったのかとも思ったが、どうやら違うらしい。それらしい動きはまだ耳にしていない。とすれば、何なのだろうか?
「う〜ん、焚き火ね。焼き芋でも作る気かな? でも病院ではさすがに、焚き火なんて出来ないと思うけどな」
 上官は呑気に小首を傾げながら呟く。
(いや、あの・・・。突っ込む箇所が違うでしょうが・・・)
 溜め息吐き出す俺の目の前に、ぬっと、ナイフに串刺しになったままの林檎が差し出される。
「副官も一つどうぞ」
「ああ、すまない」
 俺は串刺しの林檎を手にとり、一口齧った。甘い濃厚な味が口の中に広がり、弾けた。些か発熱していたので、喉になじんでなかなか美味しい。
「他に何か聞いてないの、リック?」
「いえ、特には」
 あいまいな表情を浮かべながら、リックは病室の自動開閉窓を少し開ける。とたんに薬臭かった室内が一気に、甘い香りに染まった。開け放たれた窓からは、心地よい春風が紛れ込んで来る。甘い密の香りに、俺は思わず咽せそうになった。
 リックは窓の外の花壇に植えられた、咲きはじめの花々を眺め、のほほんと独白する。
「春ですね〜。あっという間に冬が終わってしまいましたよ」
 リックの指摘通り、ポカポカと陽気な春に世界は染まっていた。色々忙しくて全く余裕がなくて、気にもしていなかったが、世間様ではもう春らしい。ぽかぽかと体が暖まる陽の光を浴び、俺は自然と漏れ出る欠伸をかみ殺す。
(そういえば、怪我や状況報告でこの二日ほとんど寝ていなかったな)
 今更ながら俺はその事実に気付き、強烈な睡魔に襲われた。
(まあ、ダークならそのうち戻って来るだろう。何しろ一矢はここにいるんだから)
 俺はそう思ってゆっくり瞼を閉じる。



 その頃ダークは一矢達が入院している場所からは、遠く離れた惑星コークスにいた。つい先程、とはいっても数十時間も前になるのだが、一矢とボブを回収した場所だ。そこにダークは舞い戻って来ていた。
 数十時間前には、コンクリートがむき出しではあったが、規則正しく複数の機械が並び、巨大な工場プラントのような様相を呈していたのだが、今はそんな素振りすらない。秩序は失われ、まるで強盗が入ったかのように荒れ果ててしまっていた。プラントを撤去しようとしたのか、所々破損したかの様にパイプが切られている。
 人気は一切なく、静かで無気味だった。微かに灯る非常灯が、はっきりとその事実をダークに知らしめている。ダークの足下にはマニュアルなのか、散乱した書類が散らばっていた。
「ネズミは船から逃げ出したか・・・」
 呟き、ダークは屈んで足下の書類を一枚拾う。
”そうであろうな。予想はしていたのだろう?”
 ダークの肩にとまった、小さな小鳥がくるくると目を動かしながら心話で尋ねる。ダークはそっと小鳥の羽根を撫で付けながら頷いた。
「まあな。ギルガッソーの逃げ足は天下逸品だから」
”ほっほ。言いよるの”
「事実だろ」
 ダークは手に持つ書類を一瞥した後、床に投げ捨てる。
「こんなとこ、燃えちまえばいいんだ」
 ダークの呟きと共に、投げ捨てられた書類がゆらりと燃え上がる。炎を発しながらひらひらと床に舞い落ちた書類は、散らばっていた他の紙に引火した。
 ゴウ。
 一瞬にして書類は燃え尽きる。だが炎の勢いは止まらず、そのまま床や壁を蛇の様にのたうち、しゅるしゅると走った。まるで意志があるかのごとく炎の流れは空間を覆っていく。床を壁を、天井までも炎は駆け上がった。ものの数秒でダークのいる場所は、火炎地獄へと変貌した。
 足下をちろちろ走る炎を気にもとめず、ダークは赤い小鳥に話しかける。
「どうせ現場検証なんかしても、ろくな証拠はでないんだ。だったら・・・俺が燃やしちまっても、いいよな?」
 赤い小鳥はやや小首を傾げ、ダークを見つめる。
”止めてとまるのか?”
「・・・いや、多分無理」
 ダークの身も蓋もない言葉に、小鳥は苦笑を浮かべる。
”ならば、言うだけ無駄だろう?”
「まあな。ムクロ、俺は今回ほんとに怒ってるんだ。ギルガッソーごときに一矢兄を傷付けられて、・・・怒らずにいられるか!? よっくも兄を!」
 激高していたダークは、一矢とボブの怪我の具合を思い出したのか、ぎりぎりと歯を噛みしめる。唇が噛み切られ、血が出そうな程ダークは力を入れた。
”そんなに怒るな。二人共生きていたのだぞ”
「・・・死んでたらこの程度で済ますもんかよ」
 ダークのどこか思いつめた表情に、ムクロはやれやれと首を振る。その呆れた仕種は、小鳥にしておくには惜しい程、人間臭かった。
 炎が蹂躙し尽くし逃げる者もいない空間で、ダークは思う存分自らの力を振るった。リバースとして、炎の聖獣ムクロが要する力を思うざま利用した。崩れ落ちる瓦礫の中、ダークは皮肉な笑みを浮かべ、薄く笑う。
「感謝しろよ、俺が任務中じゃないことにさ」
 淡い色の炎が、燃え上がる。赤からオレンジ、そして青へ。炎はどんどん熱量をあげていく。プラントはその後二日間燃え続け、痕すら残さず消し飛んだ。



「おっし。ぴかぴかだ」
 自分の足をなでなで摩りつつ、上官は嬉しそうにその場で軽く跳ねる。随分長い間動けなくて、かなりストレスが溜っていたようだ。
「やっぱり自分の足で歩けるっていいよな〜、最高!」
 俺は苦笑しながら付け加える。
「空中にぷかぷか浮くのは嫌なんですか?」
 そう、この上官は退院許可がおりるや否、普通は車椅子のお世話になならければならないところを、動き辛いという理由だけでほとんど利用せず、そのかわり自分の持つ特殊な力を用い、空中に浮かんだまま移動していたのだ。空中なら足を使わないから、傷めないしこれ以上悪くならないというのが、上官の理屈だった。
 まあ確かにそうなんだが・・・。宇宙空間でもないのに、まるでそこだけ無重力というこの常識外の光景に、今さらながらほとほと呆れたものだ。この上官に世間一般の常識、理念が欠如していることは今更言うまでもないが、・・・それを見させられる俺には、目眩がする事このうえもない。
 頼むから普通の常識の行動をとってくれと、何度叫びそうになったことか・・・。俺はこの人に慣れているからその力に何も感じないが、普通の人間からすればさぞかし無気味だったことだろう。事実桜花部隊でも、末端の伍長なんかは実に凄く気味悪がっていた。
「だって空中に浮かぶのは、ずっと力を使っているから疲れるんだよ。空中浮遊はあんまり好きじゃないもん」
「・・・普通は好きでもできることじゃありませんけど」
「だよね〜」
 上官はアハハと陽気に笑う。つられて俺も笑ってしまった。
 フォースマスターと呼ばれる上官にとっては、やってやれないことはない、ちょっと疲れる範囲のことらしい。だがやっぱり自分の足で歩く方が、好きで面白いらしい。
「自分の足で歩くっていうのは、当たり前といえば当たり前のことだけど、・・・それが出来るっていうのは凄く幸せなことなんだよ、きっと」
「・・・そうですね」
 俺は足を失ったり、二度と歩けなかった同僚や部下達を思い出し、同意を返す。職業柄決して俺がこれからそうならないとは限らない。いや普通の一般人だって、事故や事件に巻き込まれそうなる可能性だってあるのだ。
 上官はトントンと床を踏み締め、俺に向かって笑いかける。
「ボブの裂傷もちゃんと治って良かったね!」
「ええ」
 まあ俺はもともとそんなに酷くなかったんですけどね、と心の中で付け加え、このうえもなく元気な上官に俺は笑いかけながら、小脇に挟んだままだった分厚い書類の束を差し出す。
「うっ」
 それを見るや否、上官は蛙の潰れたような声をあげた。
「とりあえず急ぎの決済です。サイン下さい」
 上官は苦虫を潰したような、恨めしそうな顔で俺を見る。
「くそ真面目なやつ」
 ボソっと呟き、上官は俺の手から書類の束を奪い取る。いかにも嫌々なその態度に、俺は苦笑を禁じ得なかった。
「ま、諦めて当分は大人しく書類整理に精を出して下さい」
 その言葉に上官は眉をひそめつつ、俺のシャツの胸元をがしっと掴んだ。
「当然お前も付き合うんだよな?」
 全然笑ちゃいないその目つきに、俺は両手を上げ降参のポーズをとる。
「仕方ないですね、付き合いましょう」
 言う迄もなく俺の方も仕事が溜っているのだから、どうせこの先上官とほぼ同じぐらいの缶詰めにあうのだ。ここでそう言っても嘘じゃない。
 俺は上官に返しつつそんなことを考えていた。



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