学校へ行こう
5嵐の三者面談
作:MUTUMI DATA:2003.6.26

恒例行事っす。


 「フォックス先生のクラスの若林一矢なんですが、最近怪我が多いと思うんですよ」
 隣のクラス担任、科学教諭にそう言われ、ミリー・J・フォックスは考え込んだ。
 そう言われてみれば、思い当たる事も多い。
「そうです……ね」
「虐待の疑いもあるかも知れませんわね」
 数学教諭にもそう言われ、彼女は眉を寄せる。
「そうでしょうか?」
「ええ。疑いは濃厚ですわ。切り傷や火傷が多いですから」
「……わかりました。今度の三者面談で聞き取り調査を行ってみます」
 もし本当に虐待なら大変だと、ミリーはただならぬ焦りを覚える。自分が担任をしている以上、そのような事態は絶対見逃せない。彼女は決意をあらたに思った。



「大変だ、ボブ! 学校で三者面談があるんだって!」
 ほとんど趣味で通っているディアーナ星系の公立学校から帰るや否、俺の上官はそう宣った。
「はい? 三者面談ですか?」
 俺は書類を束ねながら聞き返す。薄い青色の学生服を着たままの一矢は、うんうんと何度も頷き、沈痛そうに頭を抱えている。この世の終わりだという表情を、可愛い顔に浮かべていた。
 似合わないことこの上もないが、一矢は限りなく真剣だった。
「ねえ、どうしよう。どうしよう」
 その目は必死で、俺は捨て犬に縋り付かれた通りすがりの第三者の気分に陥る。其のこころは、放っておけない、だ。
「親を呼びつけたらどうです?」
 とりあえず一応まともな事を言っておく。が、一矢は絶望的な表情を浮かべただけだった。
「絶対駄目! そんなことしたらあの人達の自由がなくなってしまうよ!」
 俺は軽く溜め息をつく。
 一矢はフォースマスターと呼ばれる星間でも稀な高位能力者なのだが、今の所公には、素性はばれていない。正確には戦後の混乱が凄まじく、まともな情報が世間に流れず、憶測や推測がはびこった為、一矢と面識のある人間でもそれと察知出来ていないのが正しいんだが。
 ともあれ一矢は一般の民衆からみても、一見実に無害な子供に見える。仮に薄々何かに気付いていたとしても、桜花部隊の名称が相手の目を眩ませる。一矢が桜花と呼ばれ、部隊の全指揮権を有しているという事実が、それ程意表を衝いているのだろう。
 おかげでというべきか、一矢の肉親は今も争乱に巻き込まれる事もなく、普通の市民として平和に暮らしている。
 一矢は意外に思うかも知れないが、家族のことに関しては些細な事にも注意を払っていて、決して自分から肉親に会いに行ったり、連絡をとったりはしない。ここ数年はほとんど音信不通状態だろう。
 そんな訳で一矢が実の親に縋り付く可能性はゼロに近い。色々事情があるとはいえ、とてもじゃないが縋り付いて巻き込む訳にはいかないのだ。そんな訳で。
「頼む、ボブ! 身替わりやって!」
 当然こうくる訳だ。
 俺は深〜く溜め息を吐き出す。
「無理です。俺が幾つに見えるんですか? 一矢みたいな大きい子供がいる年に見えますか?」
 俺がそう文句を言うと一矢は指折り数えて、にっこり笑った。
「全然大丈夫だよ。18の時に作っちゃえばオッケー!」
「……なんかすごく嫌です」
 俺はぼそっと吐き出し、一矢の耳をむんずと掴むと左右に引っ張った。
「うわっ。い、痛いよ」
「何が痛いですか。ったくもう。もうちょっとましな事は思いつかないんですか!」
 俺に問いつめられた一矢の目は微妙に左右に泳いでいて、ろくな事を考えていない事は明白だった。
「他にも適任がいるでしょう?」
 そう言って耳から手を離すと、一矢はすかさず両耳をガードしてぼやく。
「冗談じゃないよ。他の奴等にそんなことさせてみなよ。みんな面白がってはめを外し、馬鹿騒ぎを起こした末に自爆コースだよ」
 自爆=秘密の暴露とは、言ってくれる。だが、一矢の発言はあながち妄想という訳でもないので、俺は苦笑いを浮かべるしかなかった。
「ありえそうですね」
「だろう? ねぇ、だからお父さんになってよ」
「絶対嫌です」
 俺はあっさり拒絶し、しっしと一矢を追い払う。
「仕事の邪魔ですから、学生さんはあっちに行って下さい」
「ボ〜ブ」
 一矢の縋るような声を無視し、俺は書類に向かう。ちらっと一矢を見るとふて腐れて、足下のカーペットをぽすぽすと蹴っていた。
(子供じみた反抗は止めて下さいよ)
 俺はそう思いつつ、一矢に提案してみる。
「一層のこと上院議院のファレル・アシャーか、総代表のイクサー・ランダムにでも頼んでみたらどうですか? 二人とも一矢の保護者を自認しているでしょう?」
「h」
 一矢は心臓を押さえ、動きを止める。酷い冗談を聞いたかの様に顔をしかめると、俺をじろっと睨んだ。
「あのね。二人にそんな暇があるって本気で思う? 秒単位で時間を管理されている二人のスケジュールを考えると、到底頼む気にはなれないよ。こんなつまらない問題を持ち込める訳がないでしょう?」
 一矢は言いおき、諦めてふーっと大きく溜め息をつく。
「仕方ない。ボイコットするか。誰か死んだ事にして忌引き届けを出して……」
(あの〜。いもしない親類をいきなり殺さないで下さい)
 俺は眉間を押さえ、呆れて一矢を見る。一矢は至って真剣で、放置しておくと本当に実行に移しそうだった。それを理解した俺は本当に渋々、嫌々だったんだが一矢の案に乗る事にした。一矢の迷走に降参したって言う方が正しいだろうか。
「仕方ないですね。父親役をやりますよ」
「うそっ!? 本当?」
 いきなりぱっと表情が明るくなった一矢に、俺は肩を竦め苦笑を向ける。
「言っておきますけど、本当に必要な時しか演じませんからね」
「うん、十分だよ」
 スキップし出しそうなテンションの一矢は、へろっと笑うと鞄を手に踵を返す。どうやらようやく学生服から着替えて、一矢が本来所属している星間連合の仕事をする気になったようだ。
 と、その時になって俺は、はたっと気付いた。
(あれ? そういえば)
 俺は足取りも軽く遠ざかる一矢の背に、疑問を投げかける。
「母親役は誰がするんですか?」
 瞬間一矢はあっと声を上げ、立ち尽くした。
「わ、忘れてた」
 呟き、俺と視線を合わす。お互い考えている事は同じようだ。
「母親は都合が悪く欠席ということに」
「遠くに出張している設定でいこう!」
 俺達はお互いに頷くと、さっさとそう決めてしまう。こんな些細な事で時間を潰すのは勿体無いではないか。それでなくとも、書類がたまっているのだ。時間は有効に活用すべきだろう。
(まあ、こんなたわいない事を言っていられるのも、平和な証拠なんだろうが)
俺はそう思いつつ、先のことを考えて溜め息をついた。
(学校には後幾つ、親の必要な行事があるのだろうか? まさか手間のかかる進路相談は、まだないよな?)
 先の事を考えると、俺の目は少しづつ座っていく。
(何か物凄く邪魔臭い事を引き受けた気がするなぁ)
 ぐりぐりと眉間を押さえながら俺はそう思った。



 朝焼けの中。
 何の因果か、俺は派手な銃撃戦を演じていた。
 両耳を翳めてレーザー光が、背後から飛んで来る。間一髪で躱しながら、俺は全速力でその場を走り抜けた。俺の歩んだ足下を正確に辿り、じわじわとレーザー光が迫って来る。
 ひるがえった黒のコートの裾が、当たり損ねた僅かなレーザー光をぴしぴしと弾いた。弾かれたレーザーが壁に着弾する音が、自棄に生々しく聞こえ、俺はぞっと冷や汗をかく。
(段々近付いてきてるな。そろそろやばいか!)
そう思いつつ、眼前に飛び込んで来た太い柱の影に滑り込む。すかさずベルトのホルダーから小型の爆弾を引き抜き、スイッチを入れ背後に放り投げる。爆発はきっちり10秒後起こった。
 ズズン。
 閃光と噴煙があたりを満たす。俺はこの隙に左脇のホルスターからニードルガンを引き抜く。右手に握り、柱の影から飛び出した。閃光が奴の視覚センサーを焼き、噴煙がレーザー光の直進をわずかに狂わす。
 本来光は直進するものだ。それをほんの少しでも狂わせ、或いは大気に拡散した塵で弱める事ができれば、少しは威力も弱まるはずだった。10が9になる程度だがな。
 俺は奴の8本ある、長い足の1本に狙いを定めた。付け根のジョイント部分に、太い針を叩き込む。針とはいっても、電磁力で打ち出される特殊金属だ。奴の装甲が幾ら堅かろうと、ジョイント部分は案外脆いもんだ。案の定ニードルガンに狙われたジョイントは火花を散らした。ダメージをかなり受けたようだ。
(足を一本ゲットだな)
 その状況を眼の端で確認し、俺は再び走り出す。ここで奴を相手に、たった一人で格闘を演じる気はなかった。そんな事をして、無事に済むはずがないからだ。奴と一人でやり合って平気なのは、一矢ぐらいのものだろう。
 そんな事を考えつつ、俺は右耳にクリップの様に挟んであった、通信機のマイクに向かって呟く。
「追って来ました。もうすぐ辿り着きます。用意はいいですか?」
”こっちはいつでもいいよ。……ボブ、気をつけてね”
 微かに心配そうな一矢の声が、俺の耳に届く。
「了解」
 口元が緩みそうになるが、俺は意識して頬の筋肉を抑制した。そんな場合じゃないからな。
 案の定俺が走り出して直ぐ、ガチャ、ガチャと音をたて奴が動きだした。俺に削られ動かなくなった足をその場で切り離し、奴が追って来る。七本の足がせわしなく床を蹴る音が確認出来た。
 奴は俺のすぐ後ろにいる。
 奴、高さ2メートル余りの蜘蛛に似たマシンは、空間殲滅型の戦闘兵器だ。正式名称をDollナインと言う。ごく初歩の人工知能を備え、その全身に3つの識別センサーと25基のレーザーを持つ。
 有り体に言ってしまえば一度スイッチが入ると、動くものを殺し尽くすまでは止まらないという、物凄く単純な兵器だ。が、全身にレーザー発射口を25基持っているので、ほとんど死角らしい死角がない。おかげで壊すのは、なかなか大変だったりする。
 3つの識別センサー、複合眼がきゅるきゅると動く音が、背中越しにはっきり聞こえた。微かに灯る赤や青の眼の光が、朝焼けのまだ暗い室内に反射して、プリズム光の様に重なる。
(やばい。狙いを定めたか)
俺はDollナインを背後に食らい付かせたまま、目の前に迫って来た大きな窓に、ニードルガンを向け連射する。
 パリ、パリ、パリン。
 強化ガラスは呆気無く砕け、突如ごうっと風が吹き込んで来た。俺は躊躇う事なくガラスのない窓を飛び超える。一気に視界が広がった。
 乱暴な音を立て、荒い風が俺の体を上下左右に弄ぶ。眼下には細く小さく点のようなビル群が見えた。
 俺はそのまま重力に身を任せ落下して行く。ここは成層圏、高度2万メートルだ。本来なら酸素マスクが必要な高さだったりする。
 背中を大地に向け上空を見ると、さっきまで俺がいた通信施設が見えた。成層圏に浮かぶ高高度通信施設の一つ、どこにでもある成層圏の風物詩なのだが……。
 そこがいきなり爆発した。バラバラと破片が降って来る。爆発したのは、俺が先程迄いた場所だ。
 細長い竿の様なものを持った人型のマシンが、純白の翼を伸ばし浮いていた。青の鎧を着たようなマシンは、俗に星間稼動型攻撃機と呼ばれている。早い話が人型の戦闘兵器だ。無論星間稼動型とくるからには、大気圏外でも活動出来る。気密性は抜群、機種によってはハイパードライブ機能(宇宙航行の推進移動方法の一つ)もついている。通称はオーディーン。どこかの星の神の名らしい。
 ともかくそいつ、オーディーンは長い竿、コンパクトタイプのプラズマ砲を腕のユニットに仕舞うと、翼に付いた推進装置を動かした。一気に俺との距離を縮めてくる。
”こらこらボブ、どこいくの?”
 落下する俺の耳元、通信機から一矢の楽しそうな声が聞こえる。俺を押しつぶしそうな程近付きながら、上手く距離を取り、俺と同じ速度でオーディーンは降下していく。
「風に聞いて下さいよ」
 あくまで風任せの俺はそう応じた。
(落下するしか能がない俺に、行き先を聞いても無駄ですよ)
 俺の声を知ってか知らずか、一矢の操縦するオーディーンは、金属製の巨大な右手を俺の体の下に差し入れる。ほぼ同じ速度で落下し慣性を殺しながら、そっと右手が俺を掬う。俺の体は一度リバウンドした後、右手の平の窪みに落ちた。すかさず左手で蓋をされ、視界が一気に暗くなる。指の隙間から青空と雲が僅かに見えた。
”キャッチ成功”
 一矢のほっとしたような声が聞こえる。
「……背中痛いんですけど?」
 リバウンドした時に痛めたらしく、背中一面がジンジンした。一時的なものだろうとは思いつつ、俺は一矢に向かってぼやく。
「次は違う作戦にしましょう。これは結構シュールです」
”そう?”
 作戦立案者である、桜花部隊の総指揮官は不思議そうな声を出す。その声を聞きながら俺は真剣に思う。
(やっぱり止めておけばよかったか。幾ら通信施設を占拠したDollナインを、たった二人で破壊出来るとはいえ、……他の奴に同じ事をやれとは到底言えないしな。皆、絶対逃げるだろうからな)
「危険が多過ぎます。もうちょっと改良して下さい」
 身を持って知る俺はそう苦言を呈した。
”そっか。じゃあ、他の方法を考えるよ”
 素直に一矢はそう言って、機体を降下させた。眼下のビル街を避け、洋上に向かって真直ぐに飛んで行く。今は見えないが、海上から20メートル余り上空に、桜花部隊の母艦があるはずだった。慣れ親しんだ古巣だ。
 とりあえずDollナインから狙われる事もなくなり、一息ついた俺はふとある事を思い出す。
(そういえば時間は大丈夫だろうか?)
 何となく気になり、俺はオーディーンの薄暗い手の中で、作戦中も外さなかった腕時計に眼をやる。これはこの星の標準時刻ではなく、ディアーナ星サンリーグ地区の標準時刻に合わせてある。俺が今回これを持ち込んだ理由は、はっきり言ってたった一つだ。
「あ」
 俺はその事実に気付き声をあげた。
”どうしたの、ボブ?”
 通信機から吃驚したような一矢の声が聞こえる。
「一矢。もうすぐ三者面談が始まります。のんびりこんな星を飛んでいる場合じゃないですよ」
 俺の冷静な指摘に、一矢は「嘘っ!?」と悲鳴を上げた。
”まじ? うわ〜〜〜っ、本当だ! やばい、急げ〜〜〜っ!!”
 途端に乱暴になる操縦に、俺は目眩を起こす。
(……き、気持ち悪い。酔う)
 口元を押さえ、俺は手の中で座り込む。基本的に俺は陸の人間で、というか、専門が陸なんだよ。な訳で、空間失調には弱いんだ!
 知ってか知らずか、一矢は猛ダッシュだ。俺がいる事をすっかり忘れたかのような操縦で、驀進して行く。
(一矢〜〜〜!)
 俺は心の中で悲鳴を上げた。


 勿論でろんでろんに、俺が酔った事は言う迄もないだろう。ちなみにこの星からディアーナまでの移動は、一矢が恒星間転移を行っている。そうでなければ、到底間に合わなかっただろう。



 惑星ディアーナサンリーグ地区、ハイスクール。
 厳粛な空気の漂う中、俺はさっきから吐き気を堪えるのに必死だった。酔いっぱなしなんだよ。
 一矢の担任ミリー・J・フォックスが俺達と向き合い、成績や行動の評価を色々と喋っている。総括すると成績は良く、運動能力も申し分ない。ただ協調性が少々不足している、独特の価値観を持っているようだ、怪我が多いのではないかとか、色々だ。
 俺としては、成績が良いのは当たり前、とっくの昔に社会に放り出されている一矢が今更高校生なんだしな、運動神経がなけりゃ死んでるだろう。協調性? 桜花部隊の指揮官にそれは必要ないだろうとか、平和慣れしているあんた達とは立場が違うよな、とか色々思った。
 まあ、先生という立場にしては、一矢の本質を結構突いているとは思う。猫かぶりが得意な一矢にしては、どうやら色々化けの皮が剥がれかかっているようだし。……一体何をしたのだか。
 どうやら俺には内緒になっている事があるらしいと思い、涼しい顔をして横に座っている一矢を軽く睨む。一矢は完全黙秘らしく、目も合わさない。
(気になるな。一体何をしたんですか?)
 一矢が今、俺の心を読んでいる事を期待し、俺は一矢に尋ねる。するとあっさり一矢からは返事が返って来た。どうやら俺の予想通り、さっきからテレパス能力を発揮しているらしく、些か棘のある思考が送られて来る。
(いいんだよ、ボブは知らなくて!)
(……一矢。後で吐いてもらいますよ)
 黙秘を続けそうな一矢にそう返し、ギロっと睨み付ける。微かに俺の方を見、一矢はお節介めと返して来た。
(お節介? 仕方ないでしょうが。色々と報告する所が多いんですから。総代とか、ファレルとか、委員会とか)
 俺の言葉に一矢は、目を細める。俺にしかわからない程度に、一矢はげんなりした表情を浮かべた。特に最後の委員会という名称が効いたようだ。俺は内心苦笑を禁じ得なかった。
 そんな一矢との会話を中断し、俺を現実に引き戻したのは、一矢の担任の何気ない一言だった。
「あのう、一つ確認をしたかったのですが、その」
 微かに言い淀み、ミリー先生は俺の目を凝視する。嘘や欺瞞は逃さないという覚悟が、そこには見てとれた。
「虐待はしておられませんよね?」
「……は?」
 些か場違いなこの言葉に俺は面喰らう。どこから虐待が? 首を傾げる俺に一矢が溜め息をつきつつ、言葉を重ねる。
「先生。何度も言ってますけど、僕の怪我は全部僕が悪いんです」
(怪我? ですか?)
 意外に思い、俺は一矢を見つめた。一矢は俺に思考を飛ばしつつ、肩を竦めてみせる。
(そうなんだ。仕事でちょこちょこっと、あちこち怪我をしただろう? それが虐待の痕に見えるらしくって。まいったよ)
(……虐待。あなたを? ……酷いジョークですね)
(僕もそう思うよ)
 どうやらそれで色々苦労しているらしく、一矢は深く溜め息をつく。
「先生、本当に違うんだよ。パパが僕を虐待する事は有り得ないよ」
 パパと呼ばれた瞬間、ぞわぁぁぁと悪寒が走った。
(うわぁ、その呼称は凄く嫌です。俺的に我慢出来ません!)
(ちょい、我慢する!)
 外面の良さを発揮しつつ、一矢はその一言で俺を黙らせる。うぐっと声を詰まらせ俺は押し黙った。
「パパは何時も心配してくれるんだけど、僕って運が悪いみたいで、色々な怪我をしてしまうんだ。その度にパパは大騒ぎするんだけどね」
(誰が大騒ぎするんですか。誰が?)
 俺の突っ込みを無視し、一矢はなおも言い募る。
「本当に優しいんだよ。何時も僕の側にいてくれるし、必要な事はちゃんとしてくれるし。ママは出張が多いけど、パパがいるから僕は毎日が楽しいんです」
 まるで小学生の自慢大会だ。内心げっそりしつつ俺はそう思う。そうやって呑気に構えていると、肘で一矢がつんつんと突いて来た。お前も何か言えといいたいらしい。
(え〜。俺も何か言うんですか?)
(言え!)
 あっさり一矢にそう返され、俺は引き攣った笑みを浮かべながら尋ねた。
「私が虐待をしている様に見えるんでしょうか?」
「いえ、そんな事は」
 ミリー先生はそう言い、慌てて手を左右に振る。
「そんな風には見えませんわ」
「ああ、ほっとしました。そんな疑いをかけられるのは、心外ですから」
 とりあえず被害者風、でもさり気なく嫌味な事を言っておく。ミリー先生は微かに頬を赤く染め、謝罪した。
「すみません。あの、少し気になったものですから」
「いえ、わかって頂ければいいんです」
 ついでに好い人モードで、笑顔を浮かべながら返しておく。ここまでやれば、まあ、虐待問題は流れるだろう。しかし、……今度一矢が怪我をした場合は、長期欠席をさせた方が良さそうだな。
(ボブ。今さり気なく、なんか余計な事を考えなかった?)
(気のせいです)
 俺は一矢に返しつつ、さて今後どうしたものかと思いにふける。どこからどう見ても、俺が悩む事じゃないんだが……。しかし、そういう誤解が浮上しているとは……。
 はあ。誰だそれを最初に思いついたのは?
 どうやら俺の悩みは当分尽きないようだ。



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