ディアーナの罠21
作:MUTUMI DATA:2007.8.7


 星間の無法地帯ルネット星域、SSM−1を母星とした小衛星ヒュードラ。その宇宙港の第12番ドックに、巨大な一隻の宇宙船があった。
 船名は『ホークアイ』。艦船規格でいうなら、戦略級の船は、今は静かに港に停泊している。動力は完全に落とされており、物音一つしない。
 巨大な宇宙船の船首には、巨大な赤い目が描かれており、トップサイドには増設したと見られる推進補助のブースターが付いていた。見るからに速そうな船だ。
 ホークアイの居住スペースは驚く程狭い。この船に足を踏み入れたことのある人間は、みんな必ずこう言う。「どこで暮らすんだ?」と。
 居住スペースが少ないのには、それなりの理由がある。ホークアイは、生活上の快適性を求められた船ではないのだ。この船が求められたものはただ一つ。極限迄の情報処理能力と大容量の記憶装置。
 持ち主は居住スペースを削って迄も、ハードを優先させたのだ。おかげで持ち主以外の乗員約一名は、常に持ち主に「部屋が狭い」と文句を言っている。
 ホークアイで使用されているホストは、星間連合の各セクトで使用されている物と、ほぼ同型だった。俗に第9世代型処理システムと言われている物だ。
 星間連合外に流出するのも、宇宙船に組み込まれるのも、甚だ珍しい。異例と言って良いだろう。  現存する宇宙船でホークアイに勝るのは、星間軍の持つ最新型の実験船、重武装戦艦『カトーバ』ぐらいだろう。かの船も、第9世代型の処理システムを搭載している。
 恐らくこれから先、第9世代型処理システムを持つ宇宙船が続々と登場して来るだろうが、今はまだ、この広い宇宙にたった二隻しか存在していない。ある意味、大変貴重な存在だった。



 クスクスと笑う声がする。和やかな声音はどこか甘く心地良い。ソプラノの涼やかな声と、少し高めのアルトの声がキャビンに響いていた。何が面白いのか、その声は互いに弾んでいる。
 あまりの五月蝿さに、キャビンのカウチに寝そべっていた男の眉間に眉が寄った。雑音を嫌がるかの様に、寝返りを打つ。
「あら……」
 その様を見ていたソプラノの声の主が、男の側に近寄って来た。顔を寄せると、男の寝息を確認する。スヨスヨと気持良さそうな音が、唇からは漏れていた。どうやらまだ熟睡中のようだ。
「起きそうだったのに、駄目ねえ。どうしようか?」
「えっと、……鼻でも摘んでみる?」
 気乗りしない様子を見せつつも、アルトの声の主がそう提案した。
「面白そうね。じゃあ……えい!」
 容赦なく、寝そべる男の鼻をソプラノの声の主が、細い指で摘む。
 ムニッ。
 哀れな音がした。寝そべる男が、直ぐに苦しそうな声をあげる。うううう、と喉の奥の声帯が意味もなく震えた。
「うう……、……ん?」
 息苦しさを感じたのか、パチリと男の目が開いた。透き通るようなスカイブルーの瞳が、きょとんとした感情を浮かべている。
「カレン何をする……」
 鼻を摘んだ人物、カレンに抗議をしようとして、男はソレに気付き跳ね起きた。細い指はあっさりと、男の鼻から弾かれる。男の視線は、カレンの後ろに向けられていた。
「何でお前がここにいるんだーーーーー!」
 開口一番、野太い声が響いた。その肩はワナワナと震えている。男にとって最も会いたくない相手がそこに、目と鼻の先にいたからだ。
「やあ、おはよう」
 にっこり笑って、相手が挨拶をする。
「良く寝てたね。徹夜でもしたのかい、プレス?」
 気さくに話しかけて来る相手に、プレスと呼ばれた男は歯ぎしりを返す。
「何の用だ、一矢?」
 ギロリと鋭い視線を向けるも、一矢は全然堪えた様子がなかった。気にする事もなく微笑んでいる。
 一矢からすれば、大型犬がちょっとじゃれている感じなのだろう。プレスの嫌がりっぷりは半端ではなかったが、一矢には全然通用しない。それを知り、プレスの心は複雑怪奇に迷走した。
 真面目な話、非合法な情報屋のプレスにとって、一矢はかなり厄介な相手だった。一矢は星間軍の中枢に位置する提督であり、統合本部長の一人でもある。
 そんな彼と交友があるとばれた日には、誰に何を言われるやら……。少なくともヒュードラでは、生きていけない。ヒュードラに住む者は後ろ暗い過去を持つ者が多く、秩序の維持者である警察や星間軍を何より嫌うのだ。
(ああ。何で俺は、よりにもよってこいつと知り合いなんだろう?)
 遠い昔に思いを馳せ、プレスは虚ろな目をする。
 一矢とプレスが知り合った切っ掛けは、かなり昔に遡る。プレスがまだ駆け出しの頃、ちょっとした事件で命の危機に陥り、一矢に助けられたのだ。
 当時の一矢は病気療養中で、プレスの目を曇らせるには十分な弱さがあった。弱者だと思っていた一矢が、高位の能力者だと気付いた時には既に遅く、プレスは一矢の派閥に取り込まれていた。
 どれ程嫌がろうが、一矢がプレスを手放すことはなく、それどころかより深い繋がりを持たされ、交友は途切れる事なく今も続いている。
(マジ、勘弁してくれよ)
 一矢を前にして抱く感想は、どれもこれも繰り言ばかりだ。
(この縁はどうやったら切れるんだろうか?)
 太く長い鎖で首を繋がれているような気がして、プレスはブルリと身を震わせた。
(うわ、嫌な想像をした。……縁起でもねえ)
 最悪の想像を一瞬で打ち消し、何故か船内で異様に寛いでいる一矢に視線を向ける。
「……で、本当に何の用なんだ?」
 前置きや世間話をする気のないプレスは、単刀直入に一矢に問う。一矢はニッコリ笑って、極上の笑みをプレスに向けた。
「ディアーナ関係の情報を頂戴。知ってる事を洗いざらいね」
「……ディアーナだって?」
「そう惑星ディアーナ。何か知ってるんじゃないの?」
 正直に答えろとばかりに、一矢はプレスを見つめる。その眼差しは真剣で、どこまでも静謐だった。
「……」
 プレスは一矢に気押され黙り込む。けれど、ここで流されてはなるものかと考え直し、気力を振り絞って儚い抵抗を繰り広げた。
(そうそう何時もお前の思い通りになると思うなよ! 今回こそ縁を切ってやる!)
 無言で睨み合うこと数分、プレスは額に玉のような汗を幾つも浮かべ始めた。明らかに眼力負けだ。一矢の突き刺さるような視線と、悲鳴を上げて逃げたくなるような殺気に、膝がガクガクと震え始める。
(げえ。膝が笑い始めた)
 冗談ではない、負けたくないと思うものの、その身は心をあっさりと裏切る。貧乏揺すりの様な、ガタガタと鳴る音は止まらなかった。
(……くそが!)
 殺気を向けたまま一矢は唇を持ち上げ、ニヤリと笑う。プレスの陥落が近いことを知った上での嘲笑だろう。それと知って、プレスの頬に赤味が増す。
(このヤロウ!)
 罵倒の言葉を思い浮かべるものの、実際には発言出来なかった。当の昔に舌は凍り付いている。
(くそ、くそ、くそ!)
 プレスは唇を噛み締めた。
「……どうした? 随分強情だな」
 若干殺気を緩め、一矢が呆れた目をしてプレスを見る。プレスは震えながらも、精一杯一矢を睨み返した。
 こんな時でもなければ、それなりに眼力もあるし強面なので、そこそこ恐く見えるのだが、今は大型の成犬が尻尾を股の間に入れ、震えながら唸っている様にしか見えない。完全に腰が引けているのだ。
「ああそうか、報酬の心配をしているのか? 大丈夫、今回はちゃんと払うぞ」
「!」
 その台詞に敏感に反応したのはプレスではなく、傍観していたカレンの方だった。キラリンと瞳を輝かせ、両手を胸の前で組む。
「本当ですか? 助かります!」
(……!)
 ぎょっとした目で、プレスはカレンを見た。
「今月も赤字だったんです。ありがとうございます、これでご飯が食べれます!」
 カレンの頬は、感激でピンク色に染まった。
(カレン! この裏切り者め!)
 罵るプレスの視線と、呆れた一矢の視線がかち合った。
(うっ)
 プレスが何か言われると、慌てて身構える。一矢は溜め息をつくと殺気を鎮め、
「……なあプレス。幾らカレンがリュカーンでもさ、お腹は空くんだぞ。ちゃんとご飯をあげないと可哀想じゃないか」
 と、プレスを諌めた。
「ちょ……、待て! 誤解だ!」
 慌ててプレスはそう叫んだ。一矢の殺気が静まった為、声が復活したようだ。
「誤解……ねえ」
 胡乱な目で見つめ、一矢は更に吐息を零す。
「まあ、お前に経済能力を求める方がどうかしてるんだろうけど。それにしても今月も赤字って、毎月の収支はどうなってるんだ? まさか、借金とかつくってないだろうな?」
 その言葉に、ピクピクとプレスは頬をひくつかせた。一矢はその動きだけで、すべてを理解してしまう。
「え!? 本当につくってるのか!? うわ、……マジかよ」
 本来の目的も忘れ、一矢はこの経済能力ゼロの人間に、真剣に説教をしたくなった。一矢が説教を始める前に、慌ててプレスが叫ぶ。
「先々月に船の補修をしたんだよ! 一時的に金庫が空になってるだけだ! 直ぐに借金もなくなる!」
「……ふうん、へー。でも今は貧乏なんだ」
 ニタリと、目が笑った。
(ぎゃあ!? こいつまさか!)
 何とも嫌な予感がした。
「札束で頬を叩けば、何でもゲロりそうだな」
 一矢はいともあっさりと、血も涙もない事を言い放つ。
(……やっぱりそうくるか)
 ガクリとプレスは項垂れた。空の金庫が恨めしく思える。
(何でよりによって今ここで貧乏なのがばれるんだ? ……ははは、終わった……)
 健気なプレスの反抗は、この瞬間についえたのであった。
「さあて、じゃあ札束で頬を叩くとして、どんな情報を売ってくれるんだ?」
「うう……」
 唸りつつ、恨めし気に睨むが、あっさりと無視される。
「プレス」
 再度促され、プレスは諦めた様に天井を仰いだ。
「ああ、くそ。わかったよ。出すよ、出せばいいんだろう?」
 吐息を一つ零すと、プレスは一矢の側にある大きな黒い机へと近付いて行った。机の上には様々な機器が設置されており、宇宙船内にあるホストと接続されているようだ。恐らく手製だろう端末を素早く起動させると、必要なファイルを次々と呼び出し始めた。プレスの指が音楽を奏でているかの様に、激しく動く。
「なあ、ディアーナ星の情報が欲しいってのは、例のあの噂の件でか?」
 作業を続行しながらも、プレスは一矢に問いかけた。
「あの噂って?」
「生誕祭でテロが起きるって奴」
「……広まっているのか?」
「そこそこ。少なくともこっちの世界では有名だぞ」
「へえ」
 無関心を装いつつも、一矢はかなり動揺していた。極秘であるはずの情報が、オープンに共有されているとは思ってもみなかったからだ。
(なぜこれ程広まっているんだ?)
 ふと疑問が心に沸いた。
「プレスは誰から聞いたんだ?」
「俺? 色々な奴」
 プレスはわざと曖昧に返す。幾ら一矢に弱いとはいえ、情報源を教える程プレスも馬鹿ではない。
「……そう」
 教える気がないのを悟り、一矢も適当に返事を返した。そんな一矢にプレスは問いかける。
「なあよ」
「ん?」
「この噂さ、きな臭いぜ」
「……?」
 一矢は、端末を操作するプレスの横顔を伺った。
「流布し過ぎだ。誰かが、わざと流してるような気がする」
 所感でしかないがと断りつつ、プレスはなおも続けた。
「短期間に広まり過ぎなんだよ。普通はもっとこう、……金になりそうなぐらいヒソヒソと囁かれる類いの物だろう? どこか可笑しいんだよ」
 情報を扱うプレスだからこそ、気付いたことでもあった。一矢は腕を組み、真剣に考え込む。
(プレスがこんな事を言うなんて、異例だな。でも、検討する余地はある)
「狙いが見えないから、考え過ぎかなとは思うんだけど。なんつうか、こう……」
 言葉に出来ない違和感が、プレスにはあるらしい。一矢は黙って頷いた。
「覚えておくよ」
「ああ、そうしてくれ」



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