素っ気なく応じつつも、その声にはどこか気遣う雰囲気が含まれている。一矢とは関わり合いになりたくないプレスだったが、取り立てて嫌いという訳でもないのだ。紆余曲折色々あった故に反発はするが、それなりに一矢の事は認めている。 一矢がプレスをからかい倒さなければ、もっと普通の反応になっていたのかも知れないが、最早それを求めるのは酷というものだ。 「一矢」 「ん?」 プレスに呼ばれた一矢が、デスクの方に身を乗り出す。 「現時点で俺が知ってるのは三つだ。一つ目、星間中央警察がディアーナ星で何かごそごそとガサ入れしてる。二つ目、お前んとこのセクト端末がクラッシュしてる。三つ目、リンケイジャーが入星したらしい。以上。で、どれを買ってくれるんだ?」 「二つ目と三つ目。特に三つ目を重点的によろしく」 「はいよ」 返事を聞くなり、プレスはカード型の記憶媒体にデータを落とし始める。数秒ですべてが記憶媒体に落とし込まれ、それは一矢に手渡された。 「ほい」 「ありがとう」 「別に……大したものは入ってない。ああそれと、金はいつもの口座に振り込んどいてくれよ。ちなみに二本な」 「まけろと、言わないでおいてやるよ」 クスクス笑いつつ、一矢は記憶媒体をポケットに仕舞った。プレスの言う一本は百万円のことなので、二本で二百万円になる。安いのか高いのか微妙な値段だ。 「さてと。忙しいから今日はもう帰るね。貰う物も貰ったし」 暇な時ならば小一時間程カレンと共にプレスを弄り倒す一矢だったが、今回は事情が事情なので、大人しく帰ることにした。プレスが満面の笑顔で応じる。 「おう、帰れ。帰れ」 口調も声音もにこやかで、喜色満面だ。 「えっ。もう帰ってしまうんですか?」 対して、カレンは酷く残念そうだった。カレンにとっての至福の一時、雇い主のプレスを一矢と共に弄り倒して遊ぶという、ストレスの発散が出来なくなったのだから無理もない。 一矢は相反する二人の反応に吹き出しながら、席を立った。 「プレスをからかうのは又の機会にしようね、カレン」 人の悪い笑みを残し、座ったままのプレスの首に背後から両手を回す。鬚(ひげ)の剃り痕の残る顎を掴み、上へと押し上げると、カックンとプレスの喉が90度仰け反り、顔が天井を向いた。天井のライトの眩しさに、反射的にプレスはスカイブルーの瞳を細める。 何しやがる!とプレスが叫ぶよりも早く、一矢の顔が視界に入って来る。プレスを覗き込み、 「またね、子犬ちゃん」 と囁く。 「なっ!?」 その言葉に、プレスの顔が一気に赤くなった。 「誰が子犬だーーーーっ! おいこら、訂正しろ!」 吠えると同時に、スルリと一矢の手が離れる。一矢に崩されていた体制をたて直し背後を振り返ると、丁度一矢の姿が霞の様に消えていく所だった。 「こら一矢!! 言い逃げするんじゃねえ!」 真っ赤な顔をして叫ぶが、言い終わった時には、そこに最早一矢は居ない。 「hぐぐ……」 唸っていると、カラカラと笑うカレンの声が響いてきた。最初から最後迄しっかりと見ていたらしい。身体を二つに折る様にして爆笑している。 「やだもう、最高!」 笑い過ぎて目尻に浮かんだ涙を、そう言ってカレンは人指し指で掬った。愛らしい口元は込み上げてくる笑い故か、ヒクヒクと引き攣っている。 「カレン!」 ギロリとプレスが睨むが、彼女はどこ吹く風で全く取り合わなかった。 「子犬だって。こいぬー」 プレスを指差しケラケラと笑い続ける。 「忙しい割に、きっちりとあなたをからかって帰るなんて、流石若林様!」 「どこが流石じゃ、こら!」 ガウとばかりにプレスがカレンに噛み付く。カレンはそんなプレスの態度も面白いのか、ぶはっと吹き出した。 「お腹、よじれちゃう」 笑いながら、ようやっとそれだけを告げる。 「おい」 プレスが情けない顔をして、カレンを見た。 カレンは暫く笑い続けていたが、数分後スイッチが切れたかの様に正常に戻った。笑い過ぎて赤くなった頬に両手を当てながら、情けない名称で呼ばれた雇い主に視線を当てる。 「グランマを思い出しますね。グランマも良くあなたを子犬ちゃんって呼んでました」 「……」 「懐かしいですね」 遥か遠く……実際は宇宙船の天井付近に視線を当て、カレンはホウと吐息をついた。 「あの頃は本当に楽しかったです」 「……あ、そ」 渋い顔をしながらも、プレスは曖昧に返事を返す。 「グランマお元気かしら? もう随分お年ですよね?」 「大丈夫だろ。ありゃ当分死なないよ」 何だか少し投げ遺りにプレスは答える。 「身内の俺が言うのもなんだが、いい加減引退してても良いはずなのに、まだ現役の海賊なんてやってるばばあが、そう簡単にくたばるもんか」 子犬なんて呼ばれたことが相当悔しいのか、何時になく言葉使いが荒い。 「プレス、ばばあなんて言っては駄目ですよ。グランマに知れたら百叩きですよ」 「……いやこの年でそれはない、……はず」 否定しようとして、いやあり得るかもと思ったので、曖昧に語尾を濁す。 「そもそもこんなごつい男捕まえて子犬って、どんな感性してるんだ? あいつら目が可笑しいだろ?」 プレスは間違っても優し気な外見ではないし、庇護欲を抱く程小柄でもない。スリムマッチョと言われることはあるが、ガリガリと言われることはないのだ。誰がどう見ても、ちょっとくたびれた感じの目付きの悪い男である。普通は子犬なんて連想しない。 「グランマは子供の頃のあなたを知っていますし。あ、そもそもミドルネームが」 「うわあああ。言うな」 ガバッと両手で耳を塞ぎ、プレスはカレンを睨んだ。 「その名前は忘れろって!」 「でもテリア……」 「うがああ! 言うなって!」 耳を塞いでいた手を離すと髪を掻き回し、プレスは唇を引き攣らせた。 「俺は断固として認めないぞ! テリアなんていうミドルネームは! 俺は小型犬じゃねえつうの!」 「あら。可愛いのに」 プロトタイプリュカーン『KAREN型15番』、なんて名前じゃない正式名称を持つカレンとしては、どんなものでも羨ましかったりする。 「いいじゃないテリアでも。名前は名前なんだし。私なんて型番で呼ばれていたのよ。まあ今も、その略称みたいなものだけど……」 「う……」 初対面の時に、『KAREN型』だからカレンと単純に名付けたプレスは、天井へと視線を彷徨わせた。 「あら気にしなくていいわよ。あなたの単純さは、十分わかっているから。もっと凝ったのが良かったなとか、綺麗な名前が良かったなとか、全然思ってないから」 にっこり笑って、どこか凄みのある笑顔でカレンはプレスを見た。ダラダラとプレスの額に冷や汗が浮かぶ。 (うへ。薮蛇だったか) 首を竦めそう考えると、プレスは愛想笑いを返した。 「カレンも良い名前だと思うぞ、俺は」 「フフ。そういうことにしておきましょうか」 プレスの慌てぶりに、カレンがクスリと笑う。 「おう、しておけ」 何故か横柄にプレスが応じた。その態度を見て、ちょっぴりむかついたカレンは、とっておきの爆弾を投下する。 「いま思ったんだけど、若林様もミドルネームを知ってるんじゃないかしら?」 「え?」 プレスの体が、瞬時に凍り付いた。 「あり得なくはないでしょう? というか、あれは絶対知ってますよ」 確信を込め、カレンはプレスに告げる。 「だから、子犬なんですよ」 「うぎゃあ!」 プレスは唇を引き攣らせ、その場で勢い良く頭を抱え込んだ。 (嘘だろ? 知ってるのか? 俺言ったか? 言ってないよな?) 過去の己の態度を思い返し、自分からは告げていないことを確信する。 (誰だ犯人は!? いやそんなことよりも……) カレンが告げた事よりも遥かに恐ろしい事に、プレスはふと気付いた。 (グランマと一矢の呼び方が全く同じって、本当に偶然か!? ひょっとするとひょっとして、あの二人……実は繋がってたりして……) もっとも恐ろしい可能性に気付き、仮にも情報屋の自分がその関係に気付かないなんてあり得るだろうかと反芻し、いやあり得るとシンプルに結論が出た。あの二人ならば何をやっていても可笑しくない、そんな気がしたのだ。 (うわあ。恐ろしい可能性に気付いてしまった……) プレスはガックリと項垂れる。自分の祖母と一矢が繋がっているなどと、恐ろし過ぎて頭が反応しない。それを追求しようとすればする程、思考が麻痺して来る。 (駄目だ。……考えるの止めよう) ブンブンと頭を振ると、プレスは嫌な考えを追い払った。それでも、 「……なんか凹む」 呟き、憂鬱そうな表情をする。 「プレス? どうかしました?」 怪訝そうなカレンの声に、 「何でもない」 と答え返し、プレスはだらけていた机から半身を起こし、立ち上がった。 「……ハア。朝っぱらから疲れる」 ガシガシと頭を掻き、ヨレヨレの服の胸元を摘む。パジャマ代わりの服は、何時の間にかしわくちゃだ。 「着替えて来る」 ポテポテと歩きながら告げると、 「はい。ではコーヒーを淹れておきますね」 カレンの笑い混じりの声が聞こえて来た。一矢襲来で疲れ果ててしまったプレスが面白いらしい。最早言い返す気力もなく、プレスは黙って部屋を出て行った。 |