ディアーナの罠20
作:MUTUMI DATA:2007.8.6


 携帯端末を胸ポケットに仕舞い、ボブは温(ぬる)くなったコーヒーを啜った。疲れていた頭に、苦味が染み入る。若干朦朧としていた思考がすっきりとし、少しだけ眠気と疲れが吹き飛んだ。
 残りのコーヒーをほとんど一気に飲み干し、紙コップを片手でぐしゃりと潰すと、ダストボックスへ向かって放り投げる。放物線を描き、コップの残骸は開いた穴の中へ吸い込まれて行った。
「……さて、戻るか」
 呟き、ゆっくりと歩き出す。休憩コーナーを抜け、本館の廊下へ達すると、五月蝿いぐらいにザワザワとした気配が満ちていた。
(何だ? まだバタバタしているのか? 何を慌てているのだか)
 多少呆れつつも、機構職員の側をすれ違う。すると、
「ありえないだろ、それ」
「だけど現実らしい」
「本当にダウンしたようだぞ」
「どうなっているんだ?」
 という囁きが耳に入って来た。
(ん? ダウン?)
 聞くともなしに耳をそばだて、会話を拾う。
「ファイアーウォールを突破されたのか?」
「そのようだ。管理課が真っ青になっていた」
「あらら」
 呆れた声が合の手を入れる。
「あるんだな、現実にそんなこと……」
「データも流失したのか?」
「恐らくな。まだ特定は出来ていないようだが」
「最悪だな」
「ああ」
 職員達の声が途切れることはない。
(データ流失? ファイアーウォールだって?)
 はて?と、ボブは足を止める。
(何だ?)
 思わずじっと、噂話に興じる職員達を見つめる。視線を感じたのか、職員達は怪訝な表情をしてボブを見遣った。
「あの、何か?」
 略式ではあるが、星間軍の制服を着た精悍な男に睨まれて、声には微かだが怯えが混じっていた。
「いや。……何があったのかと思ってね」
 強面を緩め、親し気に尋ねると、彼らは互いに顔を見合わせた。誰も彼もが困った顔をしている。
「……ええっと、軍の方ですか?」
「そうだが」
 肯定すれば、ヒソヒソと相談しあう声が聞こえてきた。
「話しても大丈夫なのでは?」
「情報漏洩に当たらないか?」
「いやそれは……」
「星間軍だから……」
「内部か?」
「みたいなものじゃないか?」
 小声での相談は徐々に纏まってゆく。暫く待っていると、纏まったらしく、一番年嵩(としかさ)の男が概要を話してくれた。
「理由は判らないが、ディアーナに置いてあったサーバがクラッシュしたようなんだ」
「え……」
「どうも外部から攻撃を受けたようで、ファイアーウォールも突破された」
「は? ……サーバというと、ディアーナ星のセクト端末か? うち(星間連合)の?」
「そうだ」
 年嵩の男は頷く。
「この辺りの、セクトの集中業務を行っていたサーバ本体が、何者かの攻撃を受けダウンしたようなんだ。おかげでこっちは、さっぱり仕事にならん」
 そう言って嘆く声に、他の職員達も同様の声を漏らす。
「本体がダウンしてちゃ、データの更新も出来ないし」
「……というか、回線すら開かんよ」
 嘆き節はまだまだ続く。
「補助金の審査の締めが、今日だったんだが……。こういう事態の場合は、時間オーバーも許されるのだろうか?」
「さあ? 俺も、急いで上にあげなければならない書類があったんだが……」
「右に同じ」
 ハアと、沈み込むように溜め息が合唱した。誰も彼も顔色が悪い。あり得ない事態に、あってはならない事態にまいっているようだ。
「なんというか……大変だな」
 同情心を込めて、ボブが彼らを見遣る。
「……まあな」
 肩を落としたまま、年嵩の男は更に続けた。
「その上、データが一部流失したらしくてな。何が流出したのか、まだ特定も出来ていないようだが……」
「ほう」
 何気なく相槌を打ち、ん?と目を細める。
(ちょっと待てよ)
 頭の片隅で、警告音が鳴ったような気がした。
(ギルガッソーのメンバーを取り逃がした状況で、うちのサーバがダウンだと?)
 ビクリと背筋に震えが走る。
(まさか、そうなのか?)
 あり得ない、これは偶然だと囁く理性と、そうに違いないと反論する理性がせめぎあう。
(偶然なのか? それとも……)
 ボブの思考が混乱する。そんな最中、別の男が紺のネクタイを緩めながら合流した。胸に下げられたプレートを見ると、管理課となっている。どうやらこの事態の、当事者の登場のようだ。
「はあー、まいった。まいった」
「よう。どうなんだ?」
「全然駄目。物凄く駄目」
 手を激しく左右に振り、男は駄目っぷりをアピールする。
「手が付けられない感じ」
「へえ」
「まあ、サーバ本体の予備はあるし、データのバックアップもあるから、復旧事態はなんとかなるんだけど……」
「どうした?」
 知り合いなのか、親し気に中年の男が尋ねる。
「どうもバックドアを作られた気がするんだ。ああ、これ俺だけの意見じゃないから。管理課のほとんど全員がそう思ってる」
「わお! やばそー」
「うん、物凄くやばい状態だよ。復旧した途端に、何か仕掛けられそう……。そういう訳で、いま全プログラムを精査中」
 再度溜め息をつき、男はネクタイをグリグリと引っ張った。
「ほんと最悪だよ」
「流失したデータも特定出来たのか?」
「出来たよ。生誕式典の物だけ、ごっそりコピーされてた」
 反射的にボブの顔が強張る。
「犯人は何を狙ったんだろうな?」
 意図がわからず、管理課の男は不思議そうに小首を傾げた。
「まさかとは思うけど、犯人はそれを盗み出す為だけに、サーバをクラッシュせたのか?」
「んー、どうだろ。それは判らないけど、犯人が物凄く腕の良いハッカー、いやこの場合クラッカーって言った方がいいのかな、である事は確かだよ。ファイアーウォールも正面から突破されたみたいだし」
「……おいおい」
 呆れた声が漏れた。
「セクト端末にかけられたファイアーウォールって、そんなにちゃっちいのか?」
「そんな訳ないだろ」
 管理課の男はそう言って、ネクタイをグネグネと弄る。
「うちのはガードが硬くて強固で、取っ付き難くて、融通が聞かなくて、最悪に弄り難いって評判の代物だったんだぞ」
「ふうん。だけど、崩された訳だ」
「……ああ」
 若干ふて腐れて、男は応じる。
「何と言うか、もう自信喪失……」
 どよんと男の表情が曇った。
「犯人の特定は?」
「全然進んでない。進入経路も迂回しまくりで、いまだに辿れず」
「うはー。プロ中のプロって感じだな」
「そうだな。遊びでやってる愉快犯ではないかも」
 管理課の男はそう言って、厳しい顔をした。そんな男に、大人しく聞き役に徹していたボブが話しかける。
「失礼。もう少し詳しく聞きたいのだが、よいかな?」
 穏やかに、けれど有無を言わせず、ボブが割り込む。
「え? どなたで?」
 管理課の男は訝し気にボブを見遣った。
「多少の情報を握っている者と言っておきます。あなたの上司に面会したいのですが」
 ニコリともせず、ボブは身分証を提示した。
「え、あ……」
 覗き込んだ男の顔色がさっと青くなる。
「うわっ。ハイ、直ぐに案内します!」
 男の背筋は反射的にのびていた。どうやら桜花部隊の評判を聞き知っていたようだ。
(おいおい。どこまで悪評が広がっているんだ? 最近は目立った事をしていないはずなんだが……)
 苦笑を唇にのせ、身分証を内ポケットに仕舞う。
「案内を」
 命令口調で告げれば、管理課の男が慌てて動き出した。
「こっちです」
 軽く頷き、ボブは彼の後について行く。この男の上司に、ここで起きていること、その状況を聞く為に……。
 カツコツ、カツコツ。
 二人分の規則正しい足音が、本館の廊下に響いた。


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