ディアーナの罠18
作:MUTUMI DATA:2007.8.5


 同刻。惑星エネ、星間連合総代官邸。

 執務室はクリーム色の落ち着いたインテリアで統一され、ゆったりとくつろげる空間になっていた。右手はテラスで、咲き乱れる小さな花々がひっそりと育てられている。
 明るい室内の中央には、木製の一枚造りの使い古した巨大な長テーブルがあった。テーブルに付属するアンティークな椅子は計10脚。その内の2脚が今使用されていた。外の喧噪とは無関係、音といえば微かに稼動している電子端末の発するだけの世界で、二人の人物は向き合って座っていた。
 一人は30代後半のブロンドの髪の女性、もう一人は40代前半の灰色の髪の男性だった。二人は重苦しい雰囲気で、真剣な表情をして分厚い報告書に目を通している。報告書の表題には、『惑星ハルクに関する分析と対応』と書かれていた。
 無言の二人は、熱心に食い入るようにそれを読み続ける。電子書類をスクロールさせる衣擦れの音だけが部屋に響き、時間はあっという間に過ぎていった。
 数十分後、ようやく分厚い報告書を一読した女性は、電子書類を無造作に机の上に放り出し、ごりごりと目を擦る。
「だいぶお疲れのようですね」
 その行動の意味するところに気付いた男性が、女性に声をかける。女性は苦笑を浮かべて、男性に答えた。
「ここの所、何やら忙しくってね」
「わかりますよ。寝る暇もないのでしょう?」
 男性は「無理は禁物ですよ」と女性に告げ、側に置いてあった携帯端末を掴むと、別室にいる秘書官を呼び出した。コール3回で出た秘書官に、男性はコーヒーを二つ頼む。
「休憩を取りましょう」
「そうね。かなり頭の回転が鈍くなってきているみたいだし、少し休みましょうか。ところで、ディアーナの生誕式典には、参加をするおつもりかしら?」
 星間連合上院に席を置くファレル・アシャー議員は、女性にそう尋ねられ心持ち首を傾げた。
「式典ですか? 勿論行きたいとは思っていますが。何か気にかかる事でもあるんですか、総代?」
 ブロンドの髪の女性、星間連合総代表という肩書きを持つイクサー・ランダムは、くすっと笑って唇に指を当て呟く。
「内緒よ。今回の式典が、どうやらテロの標的になっているらしいの。一矢が連絡してきたわ」
「本当に?」
 ファレルは初めて聞く話に、驚いて目を丸くする。
「ええ、そうみたい。桜花部隊が動いているわ」
 イクサーはファレルにそう告げ、シニカルな笑みを唇の端に浮かべた。
「今度の式典では、もしかしたら命を落とす者が出るかもしれないわね。出席を止めるのなら今のうちよ」
 ファレルはそんなイクサーの発言に怯えるでもなく、泰然とした笑みを浮かべる。
「総代、何故私が逃げなければならないんです? それに一矢がいて何かが起こるとは、到底考えられませんが」
 一矢を信用しきったファレルの回答に、イクサーはかなりの脱力を覚え、目の前の有能だが、どこかずれている男をまじまじと見つめた。
「あなたって、……本当にあの子を信じているのね」
「そういう総代も、かなり一矢を信頼している様に見えますが?」
「あらあら。お互い様?」
「ですね」
 ファレルは口元を綻ばせた。
 一方はかつての直属の部下、一方はかつての直属の上司。互いに一矢をよく知っているだけに、その信頼は厚い。一矢なら何とかするだろうと思うのだ。
「それでテロの実行組織は、どこですか?」
「一矢曰く、多分ギルガッソーですって」
「……おや」
 ファレルはその名称に絶句する。
「よりによってソレですか?」
「そうなのよ。ね、逃げたくなるでしょう?」
 悪戯っぽく告げるイクサーに、ファレルは苦笑を浮かべた。
「確かに。逃げたくなりますね」
「そうよね」
 我が意を得たりとイクサーは頷く。逃げる・逃げたいと言っている割に、二人の態度に怯えた様子はない。その言葉が冗談であることを、二人とも認識しているからだ。
「とりあえず防弾ベストでも着ますか?」
「効果はあるかしら?」
「さあ? ないよりましでは?」
 一矢にシールドを展開してもらった方が遥かに安全だと知っていながら、二人はしょうもない対策を言い合った。
 この二人、際どい会話を楽しめる程には、互いの性分を良く知っている。どちらも頑固で融通がきかない似た者同士だ。己の信念を曲げることがない。だからこそ政治家として大成出来たのであろうが……。
「どちらにしろこちらは受け身。テロがあるにしろないにしろ、一矢に任せる他ありませんな」
「そうね」
 ファレルの言葉に相槌を打ちつつ、イクサーは考える。
(本当に大丈夫かしら?)
 何となく心がざわついた。一矢が仕事でしくじる事はまずありえない。それは経験上イクサーも良く知っている。けれど……。
(なぜかしら。嫌な予感がするわ)
 ジクジクと胸騒ぎを覚えた。すると、
「失礼します」
 二人の会話を断つ様に、秘書官がコーヒーをトレイに乗せ、執務室に入って来た。
「お待たせしました」
 詫びの言葉を述べつつ、二人の眼前にコーヒーを置いてゆく。
「砂糖とミルクは?」
「いや、結構」
「私もいらないわ」
 やんわりと二人が断ると、秘書官は一礼し、すっと自室へと控えた。執務室に芳醇な香りが漂いはじめる。
「取り敢えずいただきますか」
「ええ」
 イクサーはカップを手に取り、嫌な考えを追い払った。
(きっと大丈夫。テロは起きないわ)
 そう思い、優雅に口元にカップを運ぶ。二人の内心の杞憂を他所に、なぜか執務室にはゆったりとした時間が流れるのであった。



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