ディアーナの罠16
作:MUTUMI DATA:2007.5.20


 シュル、シュル。シュルン。
 格納されていたコードが、音をたてて引き伸ばされる。引き攣った顔面を覆い隠すように、サングラスを装着した男が単純作業を繰り返していた。サングラスの下の両目のあった場所は皮膚が縮れ、傷が左右に延びている。男は視力をなくしていた。
 その上、下半身も麻痺しているらしく、車椅子を使用している。男の下半身は活発に動く上半身とは違い、先程からピクリとも動かない。
 元は屈強であっただろう体も、今は病的なほど白い。かつては筋肉の塊であった腕も足も、脂肪の塊と化している。でぷりと出た贅肉が、腹部に三重の段差を形作っていた。どこからどうみても肥満体そのものだ。
 そんな男は手探りでコードの長さを調節すると、その一端を膝の上に置いた個人用端末へと挿した。
「いけそうか?」
 側に佇んでいたネロが、尋ねる。
「なんとかな」
 口元を歪めて車椅子の男は応じた。
「今日は体調も良いしな」
 嘯いて、残ったコードの先端を摘むと首の後ろにまわし、男はそこに開いた小さな金属の穴に、先端を差し込んだ。音もなくその先が数センチ沈み込む。痛みも苦痛も感じないのであろう、車椅子の男は平気な顔をしていた。ユラユラと手から離れたコードが、背中で左右に揺れる。
「始めるぞ」
 ぞっとする程低い声音で言葉が放たれる。歪んだ顔面の傷を一撫でし、男は口元を歪ませた。
「見てろよ。パーフェクトに仕上げて、あいつを狼狽えさせてやる」
 ネロはそんな男の言葉に、微かに眉をひそめた。
「エリクソン、油断は禁物だ」
「そんな事は、言われなくともわかっている」
 エリクソンと呼ばれた車椅子の男は、忌々し気に舌打ちする。ネロの忠告が気にくわなかったようだ。
「お前と違い、俺はあいつと直接相対した。あいつがどれだけ危険かなど、百も承知だ」
「ふん、そうか?」
 眼鏡を押し上げ、ネロは皮肉気に口元を歪める。
「ズタボロにされたらしいな」
「嫌味か?」
「別に」
 ネロは冷笑しながらも、エリクソンの片腕を軽く叩いた。
「せいぜい頑張ってくれ」
「ああ」
 エリクソンは頷き、個人用端末を起動させる。ネロは仲間の作業を見守りながら、無意識に両腕を組んだ。虚無的な目が、エリクソンの顔面を覆う傷に向けられる。
 その傷は両目を一直線に抉り、鼻の一部を削いでいた。眼球が潰されていることは、間違いがない。鋭利な刃物というよりは、何かのエネルギーで焼かれたような傷だった。
(盲目の癖によくやる。……いや、盲目だからこそあの手術を希望したのか)
 その覚悟だけは、尊敬に値すると思った。
 エリクソンが受けた手術は、リンケイジャー(自らの脳と外部機械を電子的に直結させ、脳内で処理したものを機械に直接反映させる事が出来る者)を作り出すというものであった。
 星間戦争時代に開花した人体改造技術の一つなのだが、人の脳と機械を繋ぐというその悪魔的な発想故に、当時から倫理問題に抵触していると騒がれたものだ。星間戦争中は、神の側も抵抗勢力の側も、勝ち残る為に倫理問題には目を瞑っていた節がある。共にその手術の致死率の高さを知っていながら、隠蔽していたのだから。
 リンケイジャーは戦争末期に大量に産まれたが、そのほとんどは大戦中に亡くなっている。大多数のリンケイジャーが最前線に投入され、殺しあったのだ。生き残る事の出来た者は、ごく少数の幸運な者だけだった。
 また仮に生き残れたとしても、ほとんどの人間は大なり小なり脳に損傷を負っている。全く無傷と胸を叩いて断言出来るのは、僅かに三人だけだ。
 ある意味リンケイジャーは兵器なのだ。人が産み出した、人の形をした心を持つ残酷な演算マシン。
 外部からの情報を取り込み瞬時に分析し判断を下す、1分1秒が生死をわける状況下においては、これほど有利なものは無い。脳内で判断された事象はタイムラグなく繋がれた機械(マシン)に反映される。それが戦闘機であろうと、宇宙船であろうともだ。
 リンケイジャーが遅滞なく判断出来る情報の量は、個体によってかなり差がある。戦闘機1機が精一杯の者もいれば、大規模な宇宙船の艦隊を動かせる者もいる。その能力の開きは、どれだけリンケイジャーシステムに順応出来るかどうかによって、決まると言って良い。
 また電子受容体やナノニューロンの埋め込み手術後、演算処理を早めるために脳内に刷り込まれる、機械(マシン)の制御的な情報も、各自がほとんど同じだ。けれどそれを引き出す過程で差が生じる。きちんとアクセス出来るかどうかによって、利用出来る・出来ないが変わって来るのだ。
 上位レベルのリンケイジャーともなると、大破した宇宙船の機能を自らが代価してしまう事もある。宇宙船のメインプログラムはもとより、エンジン制御プログラム、武器制御プログラム。果ては航宙図まで脳内から引きずり出して来る。恐ろしい事に、そういった制御情報を自らアレンジしてしまう者もいた。
 機械の正確さと人間の柔軟さを兼ね備えたリンケイジャーの出現は、皮肉にも戦火を拡大し、数多の犠牲を新しく産んでしまった。星間戦争を、地域紛争から星間レベルの大戦へと発展させていった遠因の一つとして、今では認識されている。
 それ故に、リンケイジャーに関する一切の技術は戦後に封印され、その手術は違法となった。少なくとも、…………表だっては。
 リンケイジャーシステムの心臓部である電子受容体も、脳と電子受容体を繋ぐナノニューロンも、今では製造されていない。だが決して星間からなくなったわけではないのだ。禁止される直前迄製造されていた物が、デッドストックとして残っている。わずかではあるが裏世界で流通していた。
 手術をする医者にしても、全員が死に絶えた訳では無い。それなりの金を積む、それなりの規模を持った組織であれば、違法ではあっても新たにリンケイジャーを産み出す事が可能だった。もっとも、生存確率の低い手術を希望する者は極まれではあったが。
 エリクソンは視力を奪われ盲目となり、足を奪われ歩行不能となった。生きている事を感謝するよりも先に、彼は復讐を誓った。自分から視力と足を奪った相手、桜花と呼ばれているフォースマスターと戦う事を。
 サイボーグ化の手術を受けても、目は蘇らない。人工角膜も高価で入手は難しい。戦う方法は限られており、それは決して平坦な道程では無かった。最も早く、最も楽に第一線に戻れる方法は、リンケイジャーとなる事だったのだ。エリクソンはそれを選択し、恐ろしく低い生存確率を執念で突破した。ただ己の復讐の為だけに、怨念を燃やし続けて……。
(恐い奴。だがそれもどこ迄通用するやら)
 フォースマスターは憎悪や憤怒が通用するような相手では無い。彼らの敵は、直情的な行動でどうにかなるような、そんな生易しい相手ではなかった。幾重にも罠を張り巡らせようやく落とせる、そんな人物だ。
(ルキアノ様の指示通りに、罠は全て張り巡らせた。一のカードは『総代暗殺』。二のカードは『星間中央警察』。三のカードは『リンケイジャー』。四のカードは『ディアーナ』。そして最後のカードは『神の巫女』)
 ネロはそっと眼差しを伏せた。なぜか口がへの字に曲がる。
(正しいと思わなければ、罪悪感に支配されそうだな)
 ルキアノ・フェロッサーの描いたシナリオとはいえ、盲目的な支持はしたくなかった。
(神の巫女……か)
 その映像の衝撃をネロは忘れられない。ルキアノ・フェロッサーから渡されたディスクに映っていた物は、ネロの感情にすら揺さぶりをかけた。それが真実だとするのなら、星間連合に正義は無い。そう思わせるものだった。
 ネロは眼鏡のフレームに手をかけ外すと、瞼を閉じた。忘れた事のない面影が浮かんで来る。
(連隊長……)
 心の中で呼びかけ、そっと詫びる。
(申し訳ありません。まだそちらには旅立てそうにありません。後もう少し……)
 瞼をこじ開け、ネロはエリクソンを見遣る。エリクソンは深く意識を潜行させているのか、ピクリとも動かなかった。作業は順調なのだろう、異変は何もない。
(残して来た形見の勲章は、発見されただろうか? ならば……調査に動き出しただろうか?)
 甘い誘惑に逆らえず、ネロはルキアノの指示にはない物証を一つ残した。ネロ自身の過去と繋がる物を。愚かな行為である事は、ネロもわかっている。それでも、その破滅の誘惑には逆らえなかった。
(誰が黒幕なのかを突き止める為には、こうするしかなかった。真実を白日の元に晒すには、こうするしか……)
 ギルガッソーに居てもわからなかった事、自分達を嵌めた人間を捜す為に、ネロは今度の作戦を利用した。作戦のターゲットがフォースマスターであるだけに、彼が桜花と呼ばれている事を知っているが故に決意した事だ。
(桜花部隊ならば辿り着くはずだ。どれだけ調べても判らなかった黒幕に……)
 何かを見定める様に、ネロは虚空を睨みつけた。
(利用させてもらう。この作戦も、桜花部隊も……)
 ネロの瞳には、いつしか暗い輝きが宿っていた。


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