「あのう……、いいでしょうか?」 「どうぞ」 「その、なんというか……。ネロ・ストークについてなんですけど、少し身体能力が高過ぎると思いませんか?」 「身体能力ですか?」 「はい。容疑者はビルからビルへ飛び移って逃げています。確かにテリーとメイファも同じ事をしましたけど、追いかけて直ぐに引き離されています。鮮やか過ぎると思いませんか?」 そうシェリーが疑問を呈すれば、裕斗も心情を露呈する。 「テリーってさ、身体能力だけはいいんだ。メイファもいい方だし。あの二人があっさりと引き離されるなんて、何だかちょっと気になってさ」 「普段ならありえないんですか?」 一矢が慎重な言い回しで聞く。 「ええ。確かにテリーもメイファもどじる事が多いけれど、でも逮捕術に関しては、なかなかの腕前なのよ」 「へえ」 (意外だ。メイファさんってどじっ子って訳でもないのか) 今迄のメイファーの行動とは少し違った一面を、一矢は知った。隣に座るボブも、彼女を少し見直したようだ。 「容疑者の方が一枚上手だった、そう言われればそれまでなんだけど……」 確証も何もなく、皮膚感覚だけの発言なので、シェリーの言葉尻はいかんとも弱い。 (身体能力か……。なる程、なかなか面白い情報だ。肉体強化でもしてあったのか? それとも……) シェリーの発言を受けて、一矢の中に幾つかの可能性が浮かぶ。 (一番可能性が高いのは薬物強化、次にサイボーグ(機械化)。その次が肉体系強化の能力者。まあ、このあたりのどれかに該当するんだろうけど……。最悪なのはリュカーンだった場合か。可能性は低いけど、あり得なくはないし) 本当にリュカーンだったらどうしようと、一矢はちょっと憂鬱になった。 リュカーンというのは、人間に似せて作られた人造生命の総称だ。人間とほぼ同じ構造をしているが、抜本的に素材が違う。 見た目は確かに人間とそっくりなのだが、肌の感触も髪の質感も全く変わらないのだが、肉体を構成する物が違う。リュカーンは人間の様に脆弱ではない。人間を模して作られた彼らは、人間以上の機能を擁するように設計された。 初期のリュカーンは、クローン技術とサイボーグ技術を基礎として作られた為、限りなく脆弱な人間に近かった。ところが代を経るごとにその弱点は克服されてゆき、現在では人間とは異なった種とも呼べる物へと、変貌している。 リュカーン自身には、生殖能力がない。男性体・女生体を問わず、精巣や卵巣といった生殖に関わる器官を持たない。彼らは自力では産まれない。リュカーンは、生産工場のカプセルの中から産まれるのだ。 『タンパク質や金属を素に合成された人工物』、それがリュカーンに対する世間一般の認識だった。幾ら人に似ていても彼らは人ではない、便利な作業物体だと、考えられていたのだ。 まあ、それも無理はない。大多数のリュカーンは前頭葉の辺りに、コントロール基盤を持つ。外部からの入力で、容易く身体をコントロールされてしまうのだ。肉体の支配権は常に他者にあった。 では精神はというと、これまた微妙な話になる。リュカーンにはそもそも自我と呼べるものがないのだ。初めからそういったものは強制的にブロックされている。 そもそも頭蓋骨内にあるものが、脳かどうも怪しい。それらしいものは確かに存在する。けれどそれは変質し過ぎている。手を加えられ過ぎているのだ。 こういった事情から、リュカーンは人間として扱われることはなかった。そう、……ついこの間迄は。 変化が起こったのは星間戦争でだ。物体扱いであった彼らが、自我を持ち出したのだ。勿論全てのリュカーンに起こった変化ではない。極一部のリュカーンにおいてのみの現象だったが、それでもそれは大変なインパクトを伴った。 なぜ急に自我が芽生えたのか? この命題に答えを出せる者は、まだいない。 生命工学者達が理由を捜し出すよりも先に、彼ら自我を持ったリュカーン達は、世界に対しささやかな要求を出した。自らの脳に埋め込まれたコントロール装置の撤去を、というものを。 人であって人でない者を解き放つ、この行為に世論は割れた。星間戦争が終結し、星間連合が誕生し軌道に乗った今でも、世論はまだ割れている。イエス或いはノー、その答えはまだ出ていない。 だから今もリュカーンの脳内には、コントロール装置が残っている。取り出す事が出来たのは、極一部の協力者を得た者のみだ。ある意味それは、幸運な者と言えよう。 (自我のあるなしに関わらず、リュカーンが相手だと物凄くやり難いんだよなぁ。あいつら人間離れし過ぎだって) 吐息をつきつつ、一矢は星間中央警察のメンバーを見回した。ざっと見る限りどう見ても、彼ら全員、一般的な肉体でしかない。どこかに機械が混じっていたり、強化されている様子すらなかった。 (う〜ん、全員真っ当な身体だ……。ということは、やっぱりあれか? 皆ノーマル? 能力者もいない?) 一矢の環境からすればそれはあり得ないことだが、一矢がいる星間軍が特殊なだけで、一般社会ではそれが普通だ。 強化人間や能力者の数は少ない。稀であり、珍獣扱いされても可笑しくない数だ。高位の能力者ともなると、稀少価値はその上に万桁程跳ね上がる。 (全員ノーマルだとすると……。うわぁ、戦闘能力低過ぎ! いや別に、警察なんだからそれでも問題はないんだけど。でもなぁ、今回はまずいだろう!? 敵はギルガッソーだし……。いや、待て! もしかしたらここにはいないだけで、捜査官達の中にいる可能性も……) 限りなく薄いとは感じつつ、念のためロンに確認を取る。 「あの、話は変わりますけど、そちらのメンバーに能力者とか……います?」 いると言ってくれという一矢の心の叫びとは裏腹に、ロンはあっさりと首を横に振った。 「いや、いないが」 「……ソウデスカ」 微妙に視線が泳いだ。 (やっぱりいないのかよ! 絶対やばい! このままだと、敵に手玉に取られて、ポイだぞ!) 色んな意味で、能力者がいかに便利かつ非常識なのかを一矢は知っている。味方に一人いれば、万人力に相当する事も。 (と、取り敢えず、対策! うちの奴等つけとこう!) 決意すると善は急げとばかり、一矢はロンに提案を持ちかけた。 「あのう、今回連れて来たメンバーの中に能力者が何人かいるんですけど、そちらの捜査官達に付けて構いませんか?」 「?」 急な話に、ロンが些か戸惑った顔をする。合同捜査なのだから、行動を共にする事は前提として確定しているのに、今更何をと、思っているようだ。 「構わないが、急にどうかしたのかね?」 「いえ、単なる危険回避です」 一矢の発言に、ボブ以外の全員が首を傾げた。一矢の横でボブがやれやれと吐息を吐き出す。 「桜花、それでは通じませんよ」 一矢がなぜ能力者云々と言い出したのか、大体想像のついたボブが、一矢に向かって囁く。 「言っておく方がいいです。覚悟させておくべきです」 「えっと?」 ボブの囁きが聞こえたのだろうか、シェリーが不安気な表情をして一矢を見つめた。一矢はボブにちらりと視線を走らせた後、重い口を開く。 「……先程、身体能力の話が出ましたよね?」 「ええ」 「可能性の話ですが、強化人間、或いは能力者かも知れません」 「!」 ビクンと、捜査官達全員の肩が揺れた。 「あり得なくはないんです。昔出会ったギルガッソーのメンバーには、高位能力者もいましたから」 「マジで?」 裕斗がポカンと口を開ける。 「ええ」 一矢はしっかりと、一つ大きく頷いた。 「下手をするともっとやばい存在、リュカーンかも知れません」 全員が酢を飲んだような、何とも言えない顔をする。 「それは……」 「確定ではありません。可能性の話です。でも、対策はしておいた方がいいと思うんです」 静かな口調で一矢は続ける。 「皆さんがどこ迄知っているのかは知りませんが、リュカーンは本当に恐ろしい存在なんです。僕ですら相手をするのは、骨が折れるんですから。捕まえようなんて思わないことです」 「え!? けどさ!」 反論しようとする裕斗をロンが制した。裕斗の代わりに、今度はヒューズが身を乗り出す。 「容疑者を捕まえずに、俺達に何をしろと?」 ムッとした口調でヒューズが問う。 「そう言われるのはもっともなんですけど……」 言葉を濁し、一矢は困った顔をして捜査官達を見渡す。 「あなた達では捕まえるのは無理ですよ」 「なっ!」 「くっ……」 その場に居たボブを除く全員の顔が歪んだ。 「そんなことはない!」 「俺達だって!」 一矢に向かって叫ぶ捜査官達を、何故かボブが制する。 「静かに」 「!?」 「……?」 割り込んで来たボブに全員の視線が向かう。それを確認し、ボブは肩を竦めながらも尋ねた。 「桜花、仮定の話です。もし俺がリュカーンと相対することがあったら、俺はどうしたらいいですか?」 ボブの視線は真直ぐに一矢に向かっている。一矢は今更何を言っているんだという怪訝な顔をしながらも、いつもの言葉を告げた。 「死ぬ気で逃げろ」 「了解です。……しかし、やっぱりまだ勝てませんかね?」 「無理。秒殺されるのがオチ」 「そうですか」 「普通の人間があれに勝てるかよ。高位の能力者でも油断をしてるとコレだぞ」 そう言って一矢は自分の首を、人指し指で斬る真似をした。 「背中を見せて逃げても、誰も非難はしないさ」 現実はかくも厳しい。ボブは確かに訓練を受けている分だけ、一般人よりはましな対応ができるだろう。だがそれでも、……その程度なのだ。狙われて、戦って、勝てる見込みは低い。能力者でもないボブが、無事でいられるはずがない。 「時間稼ぎは……」 「無理だって」 溜め息混じりに、一矢がボブを止める。 「止めとけ。真面目に、本気で、マジに止めてくれ。今更殉職での副官交代は嫌だぞ」 「……そうですか」 苦笑混じりにボブは呟き、わかったかな?という表情で捜査官達を見渡した。 桜花部隊の副官ですら逃げろと忠告される現実を、捜査官達の頭に叩き込むためになされた会話は、その目的を達したようだ。それとわかって、全員が今更ながらに青くなっている。 「それ程危険なのか……」 ヒューズは絶句し唇を噛む。 「リュカーンは、兵器。それを頭の中に入れておいて下さい」 「わかった」 ロンが皆を代表して頷く。 「リュカーンが敵だと確定した場合、僕が現場に出ます」 「え?」 「君が?」 驚きの声を黙殺し、一矢は生真面目に続ける。 「相手が出来るのは僕ぐらいですから」 「……君は」 何か言いたそうなロンを、一矢は視線で制した。その先の言葉を無理矢理飲み込まされ、それ以上の会話を遮断される。高位能力者か?という問いは、とうとう最後迄ロンの口から発せられる事はなかった。 裕斗とシェリーの指摘以外、他には何も出なかったので、後は細々とした現状報告に移り、それも大した物でもなかったのだが……、現時点でのお互いの動きを表明しあい、最初のコンタクトはお開きとなった。 一矢とボブはこの会議室に留まり、部隊の指揮をとることになる。 歩み寄れないはずの二つの組織は、こうして同じ船に乗り込む事となった。同じ目的を共有する者として、彼らは互いに手を取りあう。……しかし、そこに信頼はまだなかった。 |