ディアーナの罠11
作:MUTUMI DATA:2006.5.7


 昨日の土砂降りが嘘の様に、翌日は快晴だった。朝から太陽がカンカンに照りつけている。
(良い天気)
 快調に走るエアカーの窓から上空をぽけらと見上げて、メイファーは呑気な感想を漏らした。
 ジンジンとした痛みも、体がだるいと感じる程の熱もあったが、それでもメイファーは無駄に元気だ。投与された薬が良かったのか、もともと頑丈だったのか、とりあえず動ける程には回復していた。足に巻かれた純白の包帯だけが、怪我人である事をアピールしている。
(昨日連絡しなかったから、皆怒ってるかな? でもでも、昨日は本当に疲れていたし、熱があったし、無理だったし。……仕方ないよね)
 報告義務を怠った事をそんな風に自己弁護し、メイファーは相棒の方へと思考を振り向けた。
(テリーは大丈夫かな? ちゃんとロンに拾って貰えたかな?)
 別れ際の様子では、命に別状はなかったと思うのだが、ほんの少し自信がない。
(大丈夫だよね?)
 テリーの事を考えれば考える程、なんだかムクムクと不安が募る。
(ロンの到着が遅れて失血死なんて間抜けな事、あり得ないよね?)
 そんな可能性はないと思いつつも、テリーの運の無さを実感しているだけに油断は出来ない。
(うわーん。物凄く不安になって来たわ!)
 唇に片手を当て、メイファーは妄想する。
(本部に着いたら、いきなり「残念です、惜しい人を」とか言われちゃったりして……。が、がーん。そんなオチ……)
 ストンと血の気が引いた。
(絶対嫌だからね! テリー!)
 一人で青くなったり赤くなったりと忙しいメイファーを尻目に、運転席のボブが助手席の一矢にこそりと声をかけた。
「彼女、どうかしたんですか?」
「ん?」
 小首を傾げて一矢は首を捻る。
「さあ? 色々と考える事があるんじゃない? あ、そこ右だ」
 ナビゲートしながら、一矢は膝の上に広げている携帯端末のキーを叩く。二つ折りのB5サイズの画面に、文字や数字が浮かんでは消えた。
「動きはありましたか?」
「いや。今の所平穏無事だ」
 ディアーナのマスコミや公官庁、果ては警察の緊急情報を閲覧していた一矢は、そう言って溜め息をついた。
「目標を完全にロストしたな。どこに隠れたんだか」
「ディアーナにまだいるのでしょうか? 惑星外に出た可能性もありますが」
「出国情報にそれらしい人物はなかったよ」
「データは幾らでも誤魔化せますが」
「そうだな。でも」
 考え込みつつ、一矢は虚空を睨む。
「この星にいるような気がする」
「その根拠は?」
「……ディアーナの世相が静か過ぎる。嵐の前の静けさ、何だかそんな気がするんだ。それに記念式典までは、まだ数日の余裕がある。例え昨日の段階で、星間中央警察にアジトを摘発されたのだとしても、ギルガッソーが逃げ帰るとは思えない」
「なるほど」
 ボブは一矢の言葉にあっさりと同意を返した。内心ではボブ自身も同じように考えていたのだろう。
「そういえば、ネロ・ストークの方はどうなった? 正体に繋がる何か新しい発見でもあったか?」
「調査に当たらせている【04】(ミン)からはまだ何も……」
「お手上げ?」
「ええ。もう少し時間がかかりそうです」
「そうか。……それにしても、顔写真があるのに、どうして何も引っかからないんだろう?」
 一矢は顎に指を当て首を傾げる。普通に考えれば、ネロ・ストークと呼ばれる男を割り出すのは、そう難しいこととは思えない。
 鮮明とは言いがたいが、きちんとした顔写真が証拠として残っているのだ。データーベースと照合すれば、似たような人物の一人や二人、浮かんでくるのが常だ。だが今回ばかりはそれが通用しなかった。
「腑に落ちないよなぁ」
 一矢は何か釈然としないままに呟く。
「犯罪を犯したことのない、クリーンな人間かも知れませんよ」
「テロ屋が、か?」
 「ありえないよ」と呟き、一矢は携帯端末を閉じる。
「たとえ犯罪者情報にデータがなかったとしても、この宇宙で生きている以上、生活ベースで何らかのデータがあるはずなんだ。宇宙船の免許でもいいし、パスポートでもいい。写真を使った証明書は無数にある。そのどれかに、該当する物があっていいはずだ。なのに……何も出て来ない」
「辺境惑星の独立型のデータベースが、幾つか手付かずで残っています。その中にあるかも知れませんよ」
 エアカーを操縦しながら、ボブはそう付け足した。
「辺境か。でもなあ」
 溜息混じりに呟いて、一矢は頭の後ろで両手を組む。ぽてんとシートにもたれ掛かり、顔だけをボブへと向けた。
「可能性は薄そうだぞ」
「否定はしませんが……」
 苦笑交じりにそうこぼし、他の可能性も示唆する。
「インスタント整形で顔を変えているのかも知れませんし、そもそも生存情報がない人間かも知れませんよ」
「え? それどういう意味?」
 ボブの言葉に一矢が首を傾げる。
「社会的に抹殺された人間、初めから戸籍のない者、死者に成りすましている者。ざっと思いつくのは、こんなところですが……」
「ああ、なるほど」
 ようやく意味が解かり、一矢は納得したように頷く。
「つまり、裏社会で産まれ、裏社会で育ち、現在も裏社会にいる人間なら、生活ベースの情報もない、と」
「ええ。そういうコミュニティにいる人間は、表の社会には何も残しませんから」
 ボブの発言を受けて、一矢は暫し考え込む。
「裏……か」
「調べる方法でも思いつきましたか?」
 少なくともボブには、それを調査する手札がない。だが一矢ならば、何かあるのかもと思って尋ねると、
「なくはないけど……」
 妙に渋い顔を返される。
「実行したくない方法なんですか?」
「う……。あー、んー、まあ」
 渋面が面白いようにコロコロと変化し、最後には諦めた顔へと変わった。
「わかったよ。一応やってみる」
「? あの、そんなに躊躇う方法なんですか?」
 一体なんだろうと、ボブが首を傾げる。
「いや、躊躇うっていうか……。物凄く嫌がられる自覚があるから、あまりやりたくないっていうか。絶対いい顔しないだろうし……」
 ごにょごにょと一矢は言葉を濁し、嘆息する。
「厄病神呼ばわりされるのも、いい加減嫌だしさ」
 厄病神の辺りで、なんとなくボブはピンと来た。
「彼、ですか?」
 かまをかけて聞いてみると、実にあっさりと答えが返って来る。
「最近は、ヒュードラにいるらしいよ」
「それはまた、どっぷり裏に浸かってますな」
「ハハ、もう浸かり過ぎって感じ?」
 決して笑い事ではないのだが、一矢はその状況をあっさりと笑い飛ばした。
 ヒュードラというのは、ルネット星域に存在するSSM−1を母星とした小衛星の事だ。元は資源採掘衛星であったが、最近はアウトローの巣窟、星間唯一の無法地帯として有名だ。
 ヒュードラには確固とした政府は存在しない。代わりに商業組合、通称紫紺のギルドが衛星を統治統括していた。もっとも表向きは統治と名乗っているだけで、それはかなりいい加減で大雑把な物だったが。
 殺人や強盗が発生しても、犯人は逮捕されないし起訴もされない。そもそも警察機構すらヒュードラには無い。紫紺のギルドが果たすのは、衛星内での利害関係の調整だ。
 臑に傷を持つアウトローにとっては住み易く、一般人にとっては近付くのも躊躇う、ヒュードラはそんな場所に成り果てていた。
「彼、裏の業界から出て来ないつもりですかね?」
「さあ、どうかな。まだ覚悟半分って感じだけど……。当分は裏側に潜伏するつもりじゃないかな」
 推論をさらしつつ、一矢は不敵に笑む。
「おかげで僕にとっては、便利さ倍増だったりして」
「……時々、彼が哀れに見えてなりませんよ」
 ヤレヤレとボブは首を左右に振る。
「心配しなくても、たまにはエサもあげてるし、やばい時は速攻で庇ってやってるぞ」
 一矢が剥れて主張すると、ボブは微妙に遠い目をした。
「裏家業の人間に、取り締まる側が手を貸してどうするんですか……」
「ばれなきゃ大丈夫だって」
 胸を張って堂々と主張する一矢の横で、ボブは盛大な溜め息を吐き出す。
「……今の台詞は、聞かなかった事にさせて頂きます」
 かろうじてそんな言葉が口をついて出る。儚くも虚しい抵抗であった。ボブの良心の葛藤を知ってか知らずか、一矢は呑気にナビゲートを再開しだす。
「あ、そこ左」
「はいはい」
 指示を受け、ボブはエアカーのハンドルをきった。緩やかに弧を描きエアカーは左へと曲がる。
「そろそろビルが見えて来るはずだけど……。あれかな?」
 じっと目を凝らせば、シルバーに輝く建物が見えた。その外壁には見知った意匠が描かれている。中央には円、そしてその円を囲むように配置された複雑な植物の葉。いわずと知れた星間連合の意匠だ。
「ビンゴ! あれだ」
 パチンと一矢が指を鳴らす。
「意外と郊外にありましたね」
「土地代が安かったんじゃない?」
 ディアーナにおける星間連合の総合庁舎を眺めつつ、一矢はそんな感想を漏らした。
「機構って、予算少なそうだし」
「軍が取り過ぎているという批判も、出ていましたが」
「そう? 適度だと思うけど。星間軍の場合は、人件費がべらぼうに高いんだよ」
 軽く一矢は肩を竦める。
「予算審議会なんて、チクチクチクチク……ず〜っと嫌味のオンパレードだぞ」
 ふて腐れつつ一矢がぼやく。
「余りにも酷いから、2、3発腹にぶち込んで、その辺に転がしてやろうかと思ったし」
「それはちょっと…………止めて下さい」
 毎度のことながら頭がクラクラした。
「たかが予算で、委員会にいちいち楯突かないで下さい」
「だってさー」
 むうと、一矢が剥れる。
「あいつら危険手当てを削るとか言い出しやがるし……。こっちは増額して欲しいぐらいなのにさ」
「ハハ……。そういえば雀の涙でしたね」
 『危険手当て=ジュース2本』なのを思い出し、ボブが失笑した。
「せこいだろ? 会議とはいえ面と向かって言われてみろよ。本当に腹が立つんだから!」
 そのやり取りを思い出したのか、一矢の眉間に深々と皺が寄った。
「今年は死守したけど、来年ぐらいに削られそうな気がするよ」
「そうなんですか?」
「うん。だから頑張って実績をあげておかないと」
 両手に握り拳をつくって、一矢は力説する。
「目指せ、任務完遂100%アンド犯罪者撲滅!」
 即興でつくられた標語を聞きながら、ボソリとボブが呟く。
「……最後のそれ、警察の分野では……」
「何か言った?」
「いえいえ」
 フルフルと首を振って、ボブはエアカーを降下させた。何時の間にやら総合庁舎の前まで来ていた。指定の駐車場にエアカーは進入して行く。銀灰色のビルは、静かに三人を迎え入れた。



 星間中央警察の特別対応班は、総合庁舎の会議室を借り受け活動していた。通常ならデォアーナ警察に場所の提供を受けるのだが、今回は情報漏洩を用心して止めたらしい。桜花部隊の忠告が、ジワジワと効いているようだ。
 怪我をした足を庇い、片足でぴょんぴょんと跳ねながら、メイファーはコンクリートの上を進んでいた。
 負傷した足は真っ白な包帯に覆われている。レーザーが貫通した方の足は、体重をかける事も出来ないので、無事な方の1本で歩くしかないのだ。その為ケンケン状態で、歩行速度は亀よりもノロイ。
「あの、メイファさん……」
「え? あ、そこで待ってて。もうすぐ追いつくから」
 四苦八苦しながらも、メイファーは先を行く二人にそう声を掛けた。メイファー本人は物凄く一生懸命急いでいるのだが、なにしろ歩き方がケンケンなので、一矢達からはそうは見えない。
 失笑こそしないが、そこ迄頑張って歩かなくてもいいのではないかと、二人は思った。メイファーが自分は軽症だと頑固に言い張った為、車椅子や杖を軍病院で借りて来なかったのだ。どう考えても今なら借りるべきだったと思う。
「必要だったな、あれ」
「ええ、そうですね」
 互いに呟く。その合間にも、ぴょこぴょことメイファーは前へ少し前進した。
「なあ」
「はい?」
 一矢が目線でボブに訴える。ボブは一矢を見返し、二人の視線が一瞬だけ交わる。
「提案があるんだけど」
「何です?」
「してあげたら? だっこ」
「嫌がりませんかね?」
「歩けてないんだから、平気だろ。それに僕がしたら潰れる」
 どう考えてもメイファーと一矢では、一矢の方が体格が小さい。抱き上げた途端に、ぺしゃんと潰れるのは明らかだ。
「その台詞、男としてちょっと情けなくないですか?」
「五月蝿いな、仕方ないだろう。この身体がちっとも成長しないんだから。そんなことより、ほら! 早く」
 一矢に急かされる様にボブが追われる。軽く肩を竦め、ボブはメイファーへと近寄って行った。ぴょこぴょこと跳ぶメイファーの背後に回り込み、
「失礼」
 声をかけると、背中を支え両足を掬いあげた。
「え?」
 メイファーの両足が空中に浮き、ぷらんと揺れる。細い身体はボブの腕の中に、軽々と納まった。
「出来れば手は俺の首に回して貰えますか? 安定しますから」
「あ、はい」
 その指示に素直に頷き、メイファーがボブの首に手を回す。しっかりと抱きつき、漸くそこで、メイファーは今の状況を自覚した。
「あ、あの!」
 狼狽するメイファーを尻目に、ボブは彼女を抱えてゆっくりと歩き出す。
「あまり動かないで下さい。落としてしまうかも知れません」
 焦るメイファーが可愛くて、ボブが笑いながらそんな冗談を口にする。
「え!?」
「嘘です。軽いから大丈夫ですよ」
「そうですか? ……って、そうじゃなくて!」
 和やかな会話を打ち切って、真っ赤な顔をしてボブを見上げる。
「降ろして下さい。自分で歩けます……」
「その足で?」
「う……」
 言葉に詰まりメイファーは俯く。幾ら脳天気なメイファーでも、流石に迷惑を掛けている自覚はある。自分のせいで、駐車場からほとんど進めていないのだ。
「でも……」
 それでもこの体勢は物凄く恥ずかしいと、メイファーは思う。
(お姫さまだっこなんて、されたことないし、恥ずかしいし、キャラじゃないし……。あうあう……、こんなの困るよ!)
「少しの間だけですから」
 微笑を浮かべ、けれど有無を言わせず問答無用で、ボブは一矢の側に戻った。まるで姫と騎士、どこかの物語りに出てきそうな光景を見て、一矢が心底羨まし気に呟く。
「いいなぁ。僕もやれる程大きくなりたい」
 縦も横も全然足りていない故の、羨望だった。
「……やりたいんですか?」
 ボソリとボブが突っ込む。
「やれないより、やれる方がいいだろう? 見てろよ、絶対大きくなってやる!」
 決意を新たにする一矢に向かって、呆れた視線が投げかけられる。
「神と呼ばれた男にかけれれた呪いを解かない限り、成長しないような気がするんですが」
「ぐっ」
 一矢は口籠り、恨めし気な顔を向ける。
「人の些細な夢を一々否定するなよ」
「おや、夢という認識がおありなようで」
 慇懃無礼を地でいくような言葉が返される。一矢は更にぶすくれた。可愛い顔を歪ませ、眉間に縦皺を刻んでボブを睨む。
「十年後を楽しみにしてろよ。お前よりでっかくなって、ごっつくなって、ぎゃふんて言わせてやるからな!」
 今はもう本当に、全然相手にもならないほど、一矢は小柄で華奢だ。ボブと比べると大人と子供ほどの体格差がある。骨格も筋肉もまだまだ未発達で、細く脆い。どこからどう見ても、頑丈そうなボブとは大違いだ。乱暴に扱うと壊れてしまいそうな雰囲気が、一矢にはあった。
「……10年後が想像出来ないのは、俺だけでしょうか?」
 なんだか遠い目をしてボブがぼやく。その言葉に、腕の中のメイファーが溜まらず吹き出した。
「あ。ごめんなさい」
 慌てて口を閉じるが、頬はひくひくと動いている。物凄く受けているようだ。
「…………」
 クルリと踵を返し、一矢は足早に歩き出す。
「桜花」
 ボブが呼び掛けると、不機嫌丸出しの声が返って来た。
「ぼーっとしてないで、さっさと来る! ほら、仕事しに行くぞ」
 御機嫌斜めというよりは、いじけていると言った方がよさそうだ。メイファーを抱きかかえて隣を歩きながら、ボブは一矢の旋毛を見下ろした。
「桜花」
「何だよ」
「知ってます?」
「何をさ?」
「俺が17歳の時の身長」
「知るかよ」
「165センチです」
「え?」
「成長期が遅かったんですよ。20歳まで、にょきにょきと伸び続けました。ま、そういう事例もあるって事です」
 現在の一矢の身長は160センチちょっとだ。17の時のボブとそうたいして変わらない。
「……慰めてるのかよ」
「さあ?」
 ボブは曖昧にはぐらかす。
「むう」
 一矢は何か言いたそうに唸ったが、結局何も言わなかった。それでも、どことなく機嫌が良くなった事をボブは感じる。
(身長に関しては、現金な人だな)
 呆れるより先に何だか微笑ましく感じた。年相応の子供っぽい心配を、可愛いとさえ思う。普段の一矢が一矢なので、その思いは顕著だ。
(可愛いなんて言ったら、殴られそうだな)
 一矢を指し示す言葉として、これ以上不釣り合いな物もない。そうは思いつつも、ほんの少し愉快になるボブだった。



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