昨日の土砂降りが嘘の様に、翌日は快晴だった。朝から太陽がカンカンに照りつけている。 (良い天気) 快調に走るエアカーの窓から上空をぽけらと見上げて、メイファーは呑気な感想を漏らした。 ジンジンとした痛みも、体がだるいと感じる程の熱もあったが、それでもメイファーは無駄に元気だ。投与された薬が良かったのか、もともと頑丈だったのか、とりあえず動ける程には回復していた。足に巻かれた純白の包帯だけが、怪我人である事をアピールしている。 (昨日連絡しなかったから、皆怒ってるかな? でもでも、昨日は本当に疲れていたし、熱があったし、無理だったし。……仕方ないよね) 報告義務を怠った事をそんな風に自己弁護し、メイファーは相棒の方へと思考を振り向けた。 (テリーは大丈夫かな? ちゃんとロンに拾って貰えたかな?) 別れ際の様子では、命に別状はなかったと思うのだが、ほんの少し自信がない。 (大丈夫だよね?) テリーの事を考えれば考える程、なんだかムクムクと不安が募る。 (ロンの到着が遅れて失血死なんて間抜けな事、あり得ないよね?) そんな可能性はないと思いつつも、テリーの運の無さを実感しているだけに油断は出来ない。 (うわーん。物凄く不安になって来たわ!) 唇に片手を当て、メイファーは妄想する。 (本部に着いたら、いきなり「残念です、惜しい人を」とか言われちゃったりして……。が、がーん。そんなオチ……) ストンと血の気が引いた。 (絶対嫌だからね! テリー!) 一人で青くなったり赤くなったりと忙しいメイファーを尻目に、運転席のボブが助手席の一矢にこそりと声をかけた。 「彼女、どうかしたんですか?」 「ん?」 小首を傾げて一矢は首を捻る。 「さあ? 色々と考える事があるんじゃない? あ、そこ右だ」 ナビゲートしながら、一矢は膝の上に広げている携帯端末のキーを叩く。二つ折りのB5サイズの画面に、文字や数字が浮かんでは消えた。 「動きはありましたか?」 「いや。今の所平穏無事だ」 ディアーナのマスコミや公官庁、果ては警察の緊急情報を閲覧していた一矢は、そう言って溜め息をついた。 「目標を完全にロストしたな。どこに隠れたんだか」 「ディアーナにまだいるのでしょうか? 惑星外に出た可能性もありますが」 「出国情報にそれらしい人物はなかったよ」 「データは幾らでも誤魔化せますが」 「そうだな。でも」 考え込みつつ、一矢は虚空を睨む。 「この星にいるような気がする」 「その根拠は?」 「……ディアーナの世相が静か過ぎる。嵐の前の静けさ、何だかそんな気がするんだ。それに記念式典までは、まだ数日の余裕がある。例え昨日の段階で、星間中央警察にアジトを摘発されたのだとしても、ギルガッソーが逃げ帰るとは思えない」 「なるほど」 ボブは一矢の言葉にあっさりと同意を返した。内心ではボブ自身も同じように考えていたのだろう。 「そういえば、ネロ・ストークの方はどうなった? 正体に繋がる何か新しい発見でもあったか?」 「調査に当たらせている【04】(ミン)からはまだ何も……」 「お手上げ?」 「ええ。もう少し時間がかかりそうです」 「そうか。……それにしても、顔写真があるのに、どうして何も引っかからないんだろう?」 一矢は顎に指を当て首を傾げる。普通に考えれば、ネロ・ストークと呼ばれる男を割り出すのは、そう難しいこととは思えない。 鮮明とは言いがたいが、きちんとした顔写真が証拠として残っているのだ。データーベースと照合すれば、似たような人物の一人や二人、浮かんでくるのが常だ。だが今回ばかりはそれが通用しなかった。 「腑に落ちないよなぁ」 一矢は何か釈然としないままに呟く。 「犯罪を犯したことのない、クリーンな人間かも知れませんよ」 「テロ屋が、か?」 「ありえないよ」と呟き、一矢は携帯端末を閉じる。 「たとえ犯罪者情報にデータがなかったとしても、この宇宙で生きている以上、生活ベースで何らかのデータがあるはずなんだ。宇宙船の免許でもいいし、パスポートでもいい。写真を使った証明書は無数にある。そのどれかに、該当する物があっていいはずだ。なのに……何も出て来ない」 「辺境惑星の独立型のデータベースが、幾つか手付かずで残っています。その中にあるかも知れませんよ」 エアカーを操縦しながら、ボブはそう付け足した。 「辺境か。でもなあ」 溜息混じりに呟いて、一矢は頭の後ろで両手を組む。ぽてんとシートにもたれ掛かり、顔だけをボブへと向けた。 「可能性は薄そうだぞ」 「否定はしませんが……」 苦笑交じりにそうこぼし、他の可能性も示唆する。 「インスタント整形で顔を変えているのかも知れませんし、そもそも生存情報がない人間かも知れませんよ」 「え? それどういう意味?」 ボブの言葉に一矢が首を傾げる。 「社会的に抹殺された人間、初めから戸籍のない者、死者に成りすましている者。ざっと思いつくのは、こんなところですが……」 「ああ、なるほど」 ようやく意味が解かり、一矢は納得したように頷く。 「つまり、裏社会で産まれ、裏社会で育ち、現在も裏社会にいる人間なら、生活ベースの情報もない、と」 「ええ。そういうコミュニティにいる人間は、表の社会には何も残しませんから」 ボブの発言を受けて、一矢は暫し考え込む。 「裏……か」 「調べる方法でも思いつきましたか?」 少なくともボブには、それを調査する手札がない。だが一矢ならば、何かあるのかもと思って尋ねると、 「なくはないけど……」 妙に渋い顔を返される。 「実行したくない方法なんですか?」 「う……。あー、んー、まあ」 渋面が面白いようにコロコロと変化し、最後には諦めた顔へと変わった。 「わかったよ。一応やってみる」 「? あの、そんなに躊躇う方法なんですか?」 一体なんだろうと、ボブが首を傾げる。 「いや、躊躇うっていうか……。物凄く嫌がられる自覚があるから、あまりやりたくないっていうか。絶対いい顔しないだろうし……」 ごにょごにょと一矢は言葉を濁し、嘆息する。 「厄病神呼ばわりされるのも、いい加減嫌だしさ」 厄病神の辺りで、なんとなくボブはピンと来た。 「彼、ですか?」 かまをかけて聞いてみると、実にあっさりと答えが返って来る。 「最近は、ヒュードラにいるらしいよ」 「それはまた、どっぷり裏に浸かってますな」 「ハハ、もう浸かり過ぎって感じ?」 決して笑い事ではないのだが、一矢はその状況をあっさりと笑い飛ばした。 ヒュードラというのは、ルネット星域に存在するSSM−1を母星とした小衛星の事だ。元は資源採掘衛星であったが、最近はアウトローの巣窟、星間唯一の無法地帯として有名だ。 ヒュードラには確固とした政府は存在しない。代わりに商業組合、通称紫紺のギルドが衛星を統治統括していた。もっとも表向きは統治と名乗っているだけで、それはかなりいい加減で大雑把な物だったが。 殺人や強盗が発生しても、犯人は逮捕されないし起訴もされない。そもそも警察機構すらヒュードラには無い。紫紺のギルドが果たすのは、衛星内での利害関係の調整だ。 臑に傷を持つアウトローにとっては住み易く、一般人にとっては近付くのも躊躇う、ヒュードラはそんな場所に成り果てていた。 「彼、裏の業界から出て来ないつもりですかね?」 「さあ、どうかな。まだ覚悟半分って感じだけど……。当分は裏側に潜伏するつもりじゃないかな」 推論をさらしつつ、一矢は不敵に笑む。 「おかげで僕にとっては、便利さ倍増だったりして」 「……時々、彼が哀れに見えてなりませんよ」 ヤレヤレとボブは首を左右に振る。 「心配しなくても、たまにはエサもあげてるし、やばい時は速攻で庇ってやってるぞ」 一矢が剥れて主張すると、ボブは微妙に遠い目をした。 「裏家業の人間に、取り締まる側が手を貸してどうするんですか……」 「ばれなきゃ大丈夫だって」 胸を張って堂々と主張する一矢の横で、ボブは盛大な溜め息を吐き出す。 「……今の台詞は、聞かなかった事にさせて頂きます」 かろうじてそんな言葉が口をついて出る。儚くも虚しい抵抗であった。ボブの良心の葛藤を知ってか知らずか、一矢は呑気にナビゲートを再開しだす。 「あ、そこ左」 「はいはい」 指示を受け、ボブはエアカーのハンドルをきった。緩やかに弧を描きエアカーは左へと曲がる。 「そろそろビルが見えて来るはずだけど……。あれかな?」 じっと目を凝らせば、シルバーに輝く建物が見えた。その外壁には見知った意匠が描かれている。中央には円、そしてその円を囲むように配置された複雑な植物の葉。いわずと知れた星間連合の意匠だ。 「ビンゴ! あれだ」 パチンと一矢が指を鳴らす。 「意外と郊外にありましたね」 「土地代が安かったんじゃない?」 ディアーナにおける星間連合の総合庁舎を眺めつつ、一矢はそんな感想を漏らした。 「機構って、予算少なそうだし」 「軍が取り過ぎているという批判も、出ていましたが」 「そう? 適度だと思うけど。星間軍の場合は、人件費がべらぼうに高いんだよ」 軽く一矢は肩を竦める。 「予算審議会なんて、チクチクチクチク……ず〜っと嫌味のオンパレードだぞ」 ふて腐れつつ一矢がぼやく。 「余りにも酷いから、2、3発腹にぶち込んで、その辺に転がしてやろうかと思ったし」 「それはちょっと…………止めて下さい」 毎度のことながら頭がクラクラした。 「たかが予算で、委員会にいちいち楯突かないで下さい」 「だってさー」 むうと、一矢が剥れる。 「あいつら危険手当てを削るとか言い出しやがるし……。こっちは増額して欲しいぐらいなのにさ」 「ハハ……。そういえば雀の涙でしたね」 『危険手当て=ジュース2本』なのを思い出し、ボブが失笑した。 「せこいだろ? 会議とはいえ面と向かって言われてみろよ。本当に腹が立つんだから!」 そのやり取りを思い出したのか、一矢の眉間に深々と皺が寄った。 「今年は死守したけど、来年ぐらいに削られそうな気がするよ」 「そうなんですか?」 「うん。だから頑張って実績をあげておかないと」 両手に握り拳をつくって、一矢は力説する。 「目指せ、任務完遂100%アンド犯罪者撲滅!」 即興でつくられた標語を聞きながら、ボソリとボブが呟く。 「……最後のそれ、警察の分野では……」 「何か言った?」 「いえいえ」 フルフルと首を振って、ボブはエアカーを降下させた。何時の間にやら総合庁舎の前まで来ていた。指定の駐車場にエアカーは進入して行く。銀灰色のビルは、静かに三人を迎え入れた。
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