ディアーナの罠6
作:MUTUMI DATA:2005.12.25


 一週間後。
 惑星ディアーナ、サンリーグ地区では、朝からずっと雨が降っていた。ポタポタと水滴がエアカーのウインドウを濡らす。ザーザーと音を発てて流れる雨は、一向に止む気配がなかった。
「雨、止まないわね」
 じーっと、真っ黒に近い曇天を見上げてメイファーが呟く。エアカーのハンドルに肘を乗せ、テリーがのんびりと返した。
「天気予報だと今日一日、ずっとこんな感じらしいぜ。夕方は土砂降り傾向だってさ」
「ふうん」
 相槌を打ちながら、メイファーはごそごそとポケットを探る。本日のメイファーの格好は内勤ではないので、ラフな服装ではなく、きちんとしたパンツスーツだ。とはいっても制服なので、デザインはテリーと同様で、どこか野暮ったさが拭えない。黒に近い紺色の制服は特殊な生地で出来ており、危険を伴う時に着用される。
「どうした?」
「ん、手錠をどこに入れたかなと思って」
「……」
 メイファーの言葉にガクリとテリーが項垂れる。
「お前な……。それはちょっと酷いぞ」
「五月蝿い。キーをなくすテリーよりは、ましってものよ」
「なっ!?」
 前回の捜査時に手錠の解除キーを紛失し、きっちり始末書を書かされたテリーが、パクパクと口を開ける。
「私はまだなくしてないもん。……ほら、あった!」
 ズボンのバックポケットから、メイファーが黒色の二つのリングを取り出す。にぱっと破顔し、
「お尻に敷いてたのか〜」
 メイファーは宣った。
「……なあ、普通は違和感で気付かないか? よっぽど尻の肉が厚っ!?」
 皆まで言わない内に、腕を抓られる。
「な〜に〜か〜言った〜?」
「……や、何でもないよ。うん。何でもないから」
 抓られた部分を擦り、テリーが涙目で訴える。そこには刑事の威厳は微塵もなかった。
「ならいいわ」
 かなり直接的な方法でテリーの揶揄を封じ込めて、メイファーは満足気に微笑する。
「女の子の体型は永遠の秘密なのよー」
 とっくの昔に女の子と呼ばれる年代を過ぎているだろうがと、テリーは思ったが、防衛意識が働いたのかそれを口にする事はなかった。
「まあ、軽口はこの際おいといて……メイファ、時間だ」
 腕時計の時刻を確認しながら、テリーが囁く。
「じゃあ、行きましょうか」
 左脇のホルスターに格納されているレーザー銃の安全装置が外れている事を確認し、メイファーはエアカーのドアを開けた。テリーも同様にエアカーから降りる。
 二人は傘もささず、雨避けシールドも展開せず、ゆっくりと目的地に向かって歩き出した。シトシトと降る雨水が雫となって落ちる。特殊加工されたスーツの表面を水滴がコロコロと転がって行った。
 メイファーやテリーが着ている星間中央警察の制服は、星間軍で使用されている軍服と同じ素材で出来ており、微弱のレーザーや弱い衝撃ならば、着ている本人が気付く事もなく、弾いたり吸収してしまう。水もやはり弾き、土砂降りでもない限り制服がずぶ濡れになる事はなかった。
「服は水を弾くけど、髪の毛もどうにかして欲しいわよね」
 濡れた前髪をひとつまみし、メイファーが鬱陶しそうに左右に流す。テリーは苦笑を浮かべその様子を見ていた。
「制帽でも作ってもらえよ」
「うちってセンスないから、野球帽が制服のオプションになったらどうするのよ」
 あながちあり得なくもない予想だったので、テリーは吹き出すのを堪えるのに苦労した。
「……ぶっ。メイファ、今から強制捜査って時にそういう冗談は言うなよー。緊張感が抜けまくりで困るだろ」
「冗談言ってるつもりはないんだけど……」
 小声で反論し、メイファーは唇に人差し指を押し当てる。
「しー。そろそろレッドゾーンよ」
 一般的な監視装置、警備カメラの範囲に入りそうな事をテリーに知らせる。テリーはピタリと口を閉じた。
「正面と裏、どっちに行く?」
「ああ、俺は裏でいいよ。メイファが正面の方が、相手は油断するから」
「わかった。じゃあ5分後にドアベルを鳴らすから」
「了解。相手はギルガッソーだ。十分注意しろよ」
「そっちもね」
 メイファーとテリーは、古びたビルを前に左右に散って行った。二人が今いるのは、ネロ・ストークの潜伏先と思われる場所だ。
 星間中央警察は本日、桜花部隊からの情報を元に、ディアーナ星全域で一斉捜査を行っていた。このビルの担当はメイファーとテリーだが、近くの別の場所にはロン達もいる。ロン達もまた、他の潜伏先と思われる場所への捜査を行っていた。
 ディアーナ警察からの情報漏洩を恐れて、星間中央警察は自分達だけで捜査を行っていた。そのため、元々少ないメンバーは多大な人手不足に陥っている。桜花部隊から人手を割いてもらう事も出来たのだが、難色を示す者が多かった為、その案は流れている。やはり警察には警察の面子があるようだ。
 メイファーは時刻を確認すると、テリーと約束した通り5分後に、ビルの側壁にあった控えめなドアホンを押した。旧式のドアホンがジリリンと音をたてる。
「すみませーん。ご在宅ですかー?」
 いかにも人畜無害な声をメイファーが発する。新式のドアホンならカメラやマイクがあり、小さな画面越しに会話がなされるのだが、このビルに設置されている物は生憎と旧式で、中からはウンともスンとも返事がなかった。メイファーは片耳をドアにピタリと寄せる。
(音なし)
 確認しながら、再度呼びかけた。
「もしもしー? 誰もいないんですかー?」
 叫びつつ反応を待つ。ビルの中からは相変わらず物音一つもしなかった。
(外れかな?)
 じっと耳を澄ます。ふと、ジジッと小さな微かな作動音が聞こえた。
(え?)
 目を見開いて左右を確認すると、木陰に隠された警備カメラを発見する。街路樹に埋没する様にそれはあった。
 警備カメラ自体は珍しい物ではない。どこの家庭でも保安の為に使っている物だ。だがそれが隠された場所に設置されているとなると、話は全く違って来る。
(見られてる!)
 理解した途端、穏やかな方法をメイファーは放棄した。レーザー銃を引き抜くと、ドアの開閉をコントロールするパネルに向かって発射する。パネルは呆気無く破壊され、閉ざされていた扉が一気に開いた。
(突入は時間との勝負!)
 訓練過程で教わったフレーズを思い出し、メイファーはビルの中へと分け入った。どこから攻撃が来るかもわからないので、慎重に足を進める。汚れた廊下には、土痕のついた足跡が幾つもあった。
(どこ?)
 一歩、一歩メイファーが歩む。半開きになっていたドアをそっと開き、中の様子を確かめる。部屋の中には家具はなく、空虚な空間が広がっていた。人のいた痕跡はどこにもない。
(ここは外れ。……次)
 心の中でバツ印をつけ、隣の部屋を当たる。同じ様に中を調べ、メイファーはビルの中を一つ一つ順番に見て行った。
(一階は全部外れか)
 階上へと続く階段を眺めていると、
「メイファ」
 押し殺した小さな声が背後から聞こえた。
「遅いわよ、テリー。一階は全滅よ。上に行って見ましょう」
「ああ」
 メイファーの横に並んだテリーが頷く。二人はゆっくりと、慎重に階段を昇って行った。カビ臭い階段にも複数の足跡が残っていた。なるべくそれを踏まない様に、後で現場検証をする可能性もあるからだが、二人はゆっくりと階段を昇る。
(まだ気配がない……)
 慎重に動向を探っていたメイファーが、あまりにも静かなビルに考え込む。
(静か過ぎる)
 何もないと却って猜疑心が強くなるようだ。抵抗もない事に落ち着かなくなる。
(罠? それともダミー?)
 すがめた目を階段の先へと向ける。そんな時、
「あ」
 テリーのちょっと間の抜けた声がした。人差し指を唇に当て、メイファーは黙れと言うゼスチャーをする。テリーは両手を顔の前で合わせた。ごめんなさいのポーズである。
(何よ?)
 クイクイとテリーの指が自分の足下、階段のステップの側面を差し示した。そこには壁に埋もれる様に、小さな突起が出ている。
「悪い。これ赤外線装置だ」
 見事にテリーの足が探知範囲に引っかかっていた。メイファーは額を押さえる。
「……居場所を知らせてどうするのよ」
「アハハ……。済まん」
 テリーの苦笑いを視線で抹殺し、メイファーは階上に注意を向ける。カタンとどこかで小さな音がした。
(音!)
 ハッと二人が顔を見合わせる。
「今のどこから?」
「もっと上だ。……最上階?」
 疑問符付きではあったが、テリーが推論を口にした。メイファーもそんな気がする。
「一気に駆け上がるぞ、メイファ」
「オッケー!」
 二人は並んで階段を跳ぶ様に駆け上がった。二段飛ばしなんて当たり前、テリーなど脅威の三段飛ばし走法だった。少しづつメイファーとテリーの間に差が開いて行く。
「悪い、先に行く」
 言い置いてテリーの背中が階上へと消えた。
(相変わらず体力馬鹿なんだから!)
 大きな背中を見送りながら、メイファーは愚痴めいた思考に囚われる。
 射撃の腕はメイファーの方が上だが、格闘などの体術はテリーの方が上だ。勿論、基礎体力も男性であるテリーの方がメイファーを凌駕していた。
(こういう時って物凄く悔しいわ。いつもは同等なのに……。この事件が終わったら、基礎トレーニングを目一杯こなすんだから!)
 密かにテリーをライバル視し、闘志を燃やすメイファーだった。
 テリーに遅れること数秒、屋上に辿り着いたメイファーは、意外な光景を目にする。開け放たれていた扉を抜けると、降りしきる雨の中で黒っぽい上下の服を着た男と格闘するテリーの姿があったのだ。
 格闘する二人から少し離れて、支給品のレーザー銃が落ちている。どうやら揉み合いになり、テリーの手から離れてしまったらしい。
「テリー!」
 男に向かってレーザー銃の狙いをつけるが、目まぐるしく入れ代わる動きに狙いが定まらない。少しでもそれればテリーに当たってしまうのだ。メイファーは撃ちたくとも撃てなかった。
(駄目だ! 狙いが定まらない!)
 焦りながらも見ている事しか出来なかった。男とテリーの乱闘は増々激しくなっていく。雨に濡れたコンクリートの上を、二人は二転三転し、転げ回った。
 バキ、ボキと肉を打つ音や、床に叩き付けられる音が微かに聞こえて来る。とてもじゃないが、メイファーの介入出来るレベルじゃない。
(もう! どう介入したらいいのよ! 乱闘に参加しても私じゃ吹き飛ばされるだけだし!)
 イライラしたが、とりあえず乱闘中の二人に向かって叫んでみる。
「そこまでよ! 観念して離れ……」
 なさい!と叫ぼうとして、吹き飛ばされたテリーと正面衝突する。
「うきゃぁ」
「!」
 メイファーの方は悲鳴を上げ、テリーの方は無言のまま、二人は仲良くぶつかった。テリーの大きな体を受け止めたまま、メイファーの足が屋上のコンクリートの上を滑る。
 ゴウン。
 側壁にぶつかる音が聞こえた。咄嗟に体を丸め背中で衝撃を受け止めたが、テリーと二人分の重みは相当にきつかった。
「……っう! ……かは!」
 圧迫された肺が空気を求める。ズルズルと体が崩れた。華奢な手からレーザー銃がこぼれ落ちる。仲良く倒れながらも、テリーが申し訳なさそうな表情を浮かべた。
「悪い」
「し、下敷きのお代は、高く……つくんだ、からね!」
 尻餅をついたまま叫ぶ。切れた唇の血を拭いながらテリーが素早く立ち上がった。
 乱闘していた相手は嘲笑うかの様に二人に背を向け、屋上の鉄柵をひょいと乗り越える。そしてそのままジャンプして、屋上から地上へと飛び下りた。
「え!?」
「飛んだ?」
 二人は慌てて雨の中を鉄柵まで走る。男が飛び降りた場所から地上を見下ろすと、今いるビルより少し低いビルの屋上が見えた。男はそこを走っている。
「逃がすか!」
 テリーも男と同じ様に鉄柵を乗り越え、隣のビルに飛び下りた。その後にメイファーも続く。雨の中、逃げる男を二人の刑事が追う。バシャバシャと、屋上にたまった雨水が白濁した水しぶきをあげた。
 コンクリートのジャングルを二人は走る。追われる男は、ビルからビルへと飛び移り、二人を嘲笑うかの様に翻弄した。先を行く男との距離は一向に縮まらない。
「畜生、あいつ足が早いな」
「文句を言ってないで走るの!」
 後を追う二人は、降りしきる雨に視界を奪われそうで気が気ではなかった。今は辛うじて男の背中が視界に映るが、この追跡が長引けばどうなるかはわからない。二人は物凄く焦っていた。
「ち。レーザー銃さえあれば、撃てるのに」
「ない物を強請っても、仕方ないわよ!」
 走りながら二人は共に後悔していた。テリーは男と乱闘になった時に取り落とした事を、そしてメイファーは側壁に叩き付けられた時に手放してしまった事を。
 二人とも飛び道具がないのだ。これでは遠距離から、威嚇攻撃をする事も出来ない。最早地道に追いついて、取り押さえるしか方法がなかった。
「くそ。絶対に追いついてやる!」
 テリーは一層ヒートアップした。メイファーはその横を走りながらポケットに手を入れ、携帯型の通信端末を取り出す。
「取り敢えず、ロンに応援を頼むわ」
「おう」
 言い様、前方に迫った壁を乗り越え、テリーはビルの屋上から飛んだ。メイファーもその後に続く。割と平坦なコンクリートの上を走りながら、メイファーはロンを呼び出した。ロン・セイファード捜査官は2コールで出た。
『どうした?』
「応援をお願い」
『そっちにいたのか!?』
 ロンの勢い込む声が通信機から響く。
「顔は確認していないけど、恐らくネロ・ストークに間違いないわ。現在テリーと追跡中。こちらの現在位置は、通信を開きっぱなしにしておくから、そっちで逆探して頂戴」
『?』
「ビルの屋上にいるんだけど、指名手配犯がビルからビルに飛び移るから、今どこにいるのかさっぱりなの」
『ビルからビルだって!? まさか高層ビルの屋上じゃあないだろうな!?』
「中層ビルよ。どっちにしろ落ちたら死ぬわ」
『…………わかった。分析してすぐに行く。気をつけろよ』
「了解。急いでね」
 通信をつないだまま、端末を再びポケットにしまい、メイファーはずぶ濡れになりながら走った。その直ぐ前をテリーが走っている。
「直ぐに来るって!」
「おお!」
 雨の中、大声で返事が返って来る。水に濡れた視界と、ドバドバと降り注ぐ雨が髪に張り付いて気持ち悪かった。幾ら制服が水を弾くと言っても限度がある。スーツの隙間から水滴が入り込み皮膚を濡らす。張り付く下着が気持ち悪い。
(これが終わったら、即シャワー室行きだわ)
 悪態をつきながら、メイファーは逃げた男を追い掛ける。遠くでゴロゴロと独特の音が鳴った。
(やだ、雷? もう、冗談抜きで嫌な天気!)
 黒雲の中で光が瞬く。ゴロゴロと響く音を聞きながら、メイファーは水たまりの中を走った。男が再び柵を飛び越え、階下のビルに飛び降りる。
(段々と地上に近付いているわね。この先に仲間がいるのかしら?)
 そう考えると舌打ちしたくなった。男の先回りをしようにも、人員不足で間に合わない。応援にロン達が駆けつけたとしても、到底確保するのは無理だろう。それを理解しているだけに、無性に腹がたった。
(どうにかして足留めしないと!)
 焦りながらメイファーは思考を巡らせる。だから、それに対する反応が遅れてしまったのだ。
「メイファ!!」
 気が付けば先を走っていたはずのテリーが、メイファーを横抱きにして屋上を転がっていた。
「!?」
 メイファーとテリーは、雨に濡れたコンクリートの上を二転三転し、給水パイプの影に逃げ込む。メイファー達を追う様に、雨の中をレーザーの光が走った。
 ヒュン、ヒュン。ヒュン。
 短い連続音が響く。テリーの腕の中でメイファーは状況を確認した。どうやら狙撃されたらしいと気付き、共犯者の存在に愕然となる。
(援護者がいるの!? それもスナイパーが!?)
「最悪……」
 小声で呟き、先程からメイファーを抱えたままピクリとも動かないテリーを顧みる。
「テリー、不味いわよ。スナイパーがついてるみたいよ。……え? ちょっとテリー!?」
 メイファーは思わず悲鳴をあげた。テリーが体を丸め、必死で苦痛を堪えていたのだ。メイファーを庇った為だろう、テリーの左肩は被弾していた。血が雨に流され赤い水溜まりをつくる。真っ赤な血が止めどもなく流れていた。
「嘘……、しっかりしてよ!」
 メイファーの全身から血の気が一気に引く。背筋が凍えるのをメイファーは自覚した。
 星間中央警察の制服は、仕事の危険性から特殊加工が施されている。1、2発のレーザー弾ならば、直撃されてもせいぜい服が焼ける、或いは皮膚が焼けただれる程度で済むはずだ。ところが今回はそうなってはいない。
(そんな! 狙撃者は、同じ箇所を正確に複数回狙撃したというの!?)
 ゾッとして、背筋が震えた。
 謎の狙撃者は、動いて転がり回るテリーのたった1ケ所の傷口に、複数回狙撃を加えていたのだ。何度も同じ箇所を攻撃されては、特殊加工を施されていても、レーザー光を防ぐ事は出来ない。
(なんて……腕!)
 相手が一流である事をメイファーは知る。
「う、ううっ……」
 呆然と硬直していた時、ぐったりしていたテリーがくぐもった悲鳴をあげた。
「! しっかりして!」
 メイファーはテリーの耳元で怒鳴る。テリーは虚ろな瞳を細く開けた。吐く息は荒く、脂汗が顔中に広がっている。
「メイファ? 俺……っ!」
 動こうとして、走った激痛に顔を歪める。
「ぐっ」
「テリー!」
「大丈夫だ……。それよりも……奴を追え」
 肩の傷に手を当て止血の為に押さえながら、倒れたままだったテリーが上半身を起こす。顔色はもう蒼白に近かった。
「何を言ってるの! こんな状態のテリーを放置出来る訳ないでしょう!」
 メイファーはテリーに怒鳴り返し、体を支えようと手を差し出す。けれどテリーはそんなメイファーの手を払い除け、青白い容貌のまま諭す様に言葉を絞り出した。
「心配いらない。俺は後から来るロン達に……回収してもらう。……それより早く行け! まだ……奴に追い付ける」
「テリー」
「……逃がすな」
 荒い息の中、テリーはそれだけを告げる。メイファーにはテリーの気持ちが痛い程わかった。刑事としてのプライドから、追跡を諦めるなと告げる彼の気持ちが……。
 テリーの傷は深いとはいえ、決して致命傷ではない。本人の言う様に、こちらに向かっているロン達に、手当てをしてもらうのが一番妥当で適切な判断だ。
「でも……」
 躊躇うメイファーを前に、テリーがニヤリと唇を歪める。
「行けよ」
 テリーの目に妥協を許さない光が灯る。それを目にして、メイファーは俯くと弾かれた様に走り出した。躊躇いを抱えたまま、メイファーはその場を後にする。
 屋上の壁に背を預け、雨に打たれたままの状態でテリーはメイファーの背中を見送った。
「捕まえろ……メイファ」
 激痛に囚われていたテリーの意識が、急速に遠くなる。
「やべえ……なぁ」
 朦朧とした意識の中、何とかポケットに手を入れ、持っていた通信端末をテリーは稼動させる。現在地をロンに知らせるためだ。ポケットの中から、状況を尋ねるロンの小さな声が聞こえて来た。けれどテリーはそれに答える事も出来ず、ズルズルと上半身をずり落ちさせた。
 バシャン。
 水たまりの中に落ちる音がし、水滴が跳ねる。テリーの全身から不意に力が抜けた。雨の音がふっと聞こえなくなり、深い闇の底にテリーの意識は沈んで行く。
 ザー、ザー、ザー。
 気絶したテリーの体にも容赦なく雨は降り注ぐ。肩から流れた血が、絵の具のような線を腕に胸に腹に落とした。ピクリとも動かないその体は、まるで死人のようでもあった。
 ザー。ザー、ザー。
 雨は一向に止む気配を見せなかった。


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