ディアーナの罠5
作:MUTUMI DATA:2005.11.6


 一方、ロンが退出した課長室では……。
「本当にこれで良かったの?」
 レミングが自分の足下、デスクの影に屈んでいた少年に向かって声をかけていた。
「不満なの?」
 逆に聞き返しつつ、少年がデスクの影から立ち上がる。
「不安なのよ」
 レミングは苦笑を浮かべて、椅子に座ったまま少年を見上げる。ほっそりとした肢体を不粋な黒の軍服で包んだ少年は、困った顔をしてレミングを見ていた。
「5班だけでは恐らく無理だわ。星間中央警察には、まだギルガッソーを相手に出来る実力はない」
「……」
 少年は無言でレミングを見つめる。焦げ茶の瞳が何かを言いたそうに揺らめいた。素早くそれを読み取り、レミングが唇を噛む。
「ええ、そうね。言いたい事はわかるわ。これは司法がどうにかする問題だって事はね。……でも」
 言葉を切ってレミングは俯く。
「非力なのよ。私達は」
「レミ、そんな事を言うなよ。星間中央警察は十分よくやってるよ。この十年余り、星間はこれだけ平和になったじゃないか」
「でもそれは……」
 レミングは呟き押し黙った。
「星間中央警察に足りないのは経験だ。それだけだよ」
 少年のそんな慰めに、レミングは微かに微笑んだ。目尻に感謝の意思を込めて、少年を見上げる。
「特殊部隊と同じ事が警察に出来たら、その方が怖いよ。僕らのいる意味ないじゃん」
 戯(おど)けたような表情で少年が笑う。
「でもね、一矢。時々私は思うのよ」
「ん?」
 少年、桜花部隊の指揮官である一矢は、きょとんとした表情を浮かべた。
「一矢がこちら側にいたら、どうだっただろうって……」
「え?」
「終戦の時、意識を取り戻した一矢には幾つかの選択肢があったはずだわ。イクサー・ランダムを補助し政治家になる道、機構に入り官僚になる道、故郷に帰り普通の生活を送る道。……他にも色々あったはずなのに、よりにもよってどうして軍だったの?」
 その問いかけに一矢は苦笑を浮かべる。
「レミとしては機構に来て欲しかった?」
「ええ。それも……」
「星間中央警察に?」
「その通りよ」
 頷き一矢を見やると、
「そういう話も出たんだけど……でも、駄目かなって思ったんだ」
 レミングのデスクに凭れ掛かり、一矢が自嘲めいた表情を浮かべて呟く。
「駄目?」
「ああ、だって僕は沢山人を殺している。刑事って柄じゃないよ」
「でもそれは……」
 レミングの反論を、一矢はさらりと躱した。
「無理無理。絶対勤まらないって」
「一矢……」
「色々考えた上で軍に残ろうって決めた。なんとかしなきゃって思ってしまったからな〜」
 ふと一矢のぼやきに思い当たる節があった。
「まさか、軍の綱紀を糺すためだったの?」
 一矢は無言で肩を竦める。
「そんな大それた物じゃないよ。単なる個人的な復讐だ」
「……」
 レミングの目が細められ、痛ましそうな光が宿る。
「蹴落としてやろうって思ったんだよ。あいつら全部潰してやろうって。マイを殺しておいて、のうのうと生きてふんぞり返っている提督達に、腹が立った」
 天井を見上げて一矢がポツリと漏らす。
「あいつらが軍を牛耳るのが嫌だった、……それだけだよ」
 本当にそれだけだとは到底思えなかったが、レミングは特に口を挟まなかった。
 人の心は複雑だ。一矢の心に渦巻いた感情は一つや二つではないのだろう。何を思い何を考えたのか、それは一矢にしかわからない。レミングが踏み込んで良いものではなかった。
「まあ、僕の過去はどうでもいいじゃないか。それより仕事の話をしようよ」
「……そうね」
 レミングは軽く頷き、キリッとした表情で一矢を見返す。皺の刻まれた若々しいとは到底言えない顔だったが、そこには独特の覇気が漂っていた。
「それで、一矢がわざわざメッセンジャーボーイをしなければならなかった理由って、一体何かしら?」
 通常なら、部隊長が書類を届けに星間中央警察に顔を出す事はない。他の人間に任すか、或いはデータを転送するだけで事は済む。確かにレミングと一矢は知り合いだが、そんな理由で一矢が動く事はあり得なかった。
「電子書類に書けなかった事が一つあってね」
「捜査官に見られては困る事なのね?」
 打てば響く様にレミングが答える。
「ああ。ねえレミ、警察が信用を失ったらどんな混乱が起きるんだろうね?」
「……!? まさか一矢!?」
 一矢の言わんとしている事を、レミングは即座に理解した。
「うちの捜査官の中に、ギルガッソーと繋がった者が居ると言うの!?」
「分析では確率90%と出たよ」
 驚くレミングに対し、一矢はいたって冷静だった。レミングのデスクの上にあった鳥のクラフトを手に取り、右手の上で転がす。
「100%と言い切れないけど、……覚悟はしておいて」
「……」
「僕らと行動を共にすれば、いずれ化けの皮が剥がれる。もしかしたら二課にはいなにのかも知れないけど……」
「一矢は二課が怪しいと思っているのね?」
「うん。それも第5班が一番疑わしい」
 転がる鳥のクラフトを眺めて一矢が静かに告げる。
「どう考えてもギルガッソーの影がちらついているのに、別の組織の犯行としてみたり、目前まで迫ったのに取り逃がしたり。最初は単に抜けているだけなのかと思ったんだけど……、それにしては何かこう……腑に落ちなかった」
「勘なの?」
「そうだね。状況証拠はまだ何もないよ」
 小鳥のクラフトをデスクの上に返し、一矢はレミングの困惑した視線を受け止める。
「でも僕の勘は良く当たるから」
「……知ってるわ」
 何とも言えない表情で、レミングは詰めていた息を吐き出す。
「だから見極めようというのね?」
「ああ。司法の力を借りるついでに、懸念材料を消すつもりだ。……お門違いって怒る?」
 小首を傾げた一矢の頬を、突然椅子から立ち上がったレミングが力一杯捻る。
「痛っ」
「本当にお門違いよ。自浄能力もない馬鹿な警察って思ってるわね?」
「そんな事はないけど……」
 捻られた頬を擦りながら、一矢が上体を反らした。
「一矢の懸念が事実なら、確かにうちはどうしようもない組織なのかも知れない。でも……」
「考え込むなよ。可能性があるってだけだから。僕の勘違いかも知れないだろう?」
「……」
 胡乱な、思いっきり眉根を寄せた視線を一矢に浴びせてから、レミングは詰めていた息を全て吐き出した。
「……こちらでも留意しておくわ。何か判明したら直ぐに知らせて頂戴」
「わかった」
「くれぐれも言っておくけれど、一矢の判断でどうこうするのは止めて頂戴ね。もしも本当にギルガッソーに通じている者が居たとしても、それを裁くのは私達司法でないと困るわ」
 レミングの真剣な言葉に、一矢も真摯な眼差しを向け応じる。
「わかってるよ。僕の手出し出来ない部分だし、司法をないがしろにする気はない。軍と警察が手を組んだ時は、軍は絶対警察の前には出ない。……軍が警察を使うような事は、あってはならないからな」
 一矢の言葉にレミングは僅かに安堵する。それを目敏く読み取った一矢は、少々意地悪く聞いてみた。
「でもレミ。第5班が役立たずだった場合は、僕が直接指揮をとるからね。そういうイニシアチブぐらいは大目に見て欲しいな」
 上目使いにレミングに視線を向ければ、彼女は大いに呆れた表情をしていた。
「一矢、あなた自分の過去の行動を鑑みなさい。自分の知らない、信用していない他人に全体の指揮を任せた事があるの?」
「ん、ない」
 ほぼ即答で一矢が答える。
「でしょう? 私もそれぐらいは知っているわよ。だから一矢がイニシアチブを発揮するぐらいは、私は全然問題になんてしないわ。問題になるのは、一矢が直接第5班を指揮した時よ。いいこと、絶対にロン・セイファード捜査官を通じて、彼から第5班に命令を出させなさい。それなら何も問題にはならないから」
 その回答に、いかにも官僚的な詭弁の臭いを嗅ぎ取りつつも一矢が素直に頷く。
「ねえ、それって班長は信用が出来るってこと?」
「彼が内通者なら、私は辞表を叩き付けて星間中央警察を去るわ」
 きっぱりとレミングが言い切る。一矢は「へえ」と呟き、
「覚えておくよ」
 と短く返した。レミングにとってはその短い一言で十分だった。ロン・セイファードに対する一矢の信用度が、少しだけ上昇したのを感じ取ったからだ。
「じゃあ僕、そろそろ帰るよ。言いたい事は言ったしね」
 ヒラヒラと手を振って「バイバイ」と一矢が呟く。
「ええ、またね一矢」
 レミングも笑顔で片手をあげた。
 スウッと周囲から光が一矢に向かって収束していき、それが突然弾ける。ヒュオンという音と共に一矢の姿が消えた。後に残るのは静寂とレミングただ一人。
 誰も居なくなった室内になんだか物足りなさを感じつつ、レミングは自室の窓に近寄った。乳白色の不透明設定にしてある窓を透明設定に変え、映った外の景色を眺める。
 眼下に広がる公園には、憩いを楽しむ多くの人の姿が見えた。その先のずっと向こうのビル、軍部統括の機関である統合本部と特殊戦略諜報部隊が入居しているビルを眺め、レミングは瞳を細める。
「杞憂に終わってくれる事を望むのだけど……、そうはいかないのでしょうね」
 ある種の覚悟を決めて、レミングは惑星エネのビル街を眺めた。



 ディアーナ星系、主星ディアーナは穏やかな気質の惑星として知られている。気候も温暖で住人もどちかというと温和なタイプが多い。物流の動脈としても有名で、数多くのゲートを星系内に抱えていた。
 ディアーナは善くも悪くも、戦火の無い平和な惑星だった。

「ディアーナというのは幸福な星だと思わないか?」
 煙草を燻らせて男が同伴者に尋ねる。
「幸福?」
 いまいち意味が掴めず、尋ねられた男が困惑した表情を浮かべた。それをニヤニヤと眺めながら、男は煙草の灰をコンクリートに落とす。白い煙りが細くたなびいた。
「戦争を知らない平和な民。複数のゲートを持つ恵まれた環境。この星は一度として民衆の血で、大地を染めた事がない」
「……」
「な? 幸福な星だろう?」
 幸福、幸福と口では言いながらも、男はつまらなそうに眼下を歩く人や走り去るエアカーを眺めている。ふぉっと男の口元から円状の煙りが吐き出された。
「家畜の様に飼いならされた、平和ボケした奴等ばかりだぜ。だからなぁ、この平和をブチ壊したくて、腕がウズウズする」
「……」
「お前はどうなんだ、ネロ?」
 指に挟んだ煙草から灰がポトリと落ちた。細い眼鏡を鼻先でクイッと押し上げ、ネロと呼ばれた相手は興味なさ気に応じる。
「どうでもいい。俺には関係ない」
「冷たいねー。兄弟」
 男は低く笑いながら呟いた。兄弟という言葉に、眼鏡の男性が不快そうに顔を歪める。
「馴れ馴れしい、不快だ」
「同じロットで産まれた仲じゃないか」
「ふん、ほざいてろ」
 ネロは吐き捨てると、クルリと男に背を向る。
「行くのか?」
「仕込みがある」
 短く返し、そのまま静かに部屋を出て行った。ふおっと、残った男が再び円状の煙りを吐き出す。
「御苦労なこって」
 短くなった煙草を足下に落とし、男はそれを靴底で踏みにじった。
「世界は安寧とし、過去の痛みを忘れる……」
 そう呟き眼下に視線を落とすと、男は薄い唇を歪めた。
「だからこそ思い出せ。……恐怖と言う名の鎖を」
 囁きは風に乗って拡散する。男が浮かべた軽蔑と憎悪の眼差しに気付いた者は、誰一人としていなかった。上着のポケットから煙草をもう1本取り出し、男は再び火をつける。細く煙りがくゆり、ニコチンの臭いが漂った。
「このまま終わらせるものかよ。思惑通りにはいかせないぜ」
 ふぉんと吐き出された煙りが、周囲に溶け込み消えてゆく。男は平和な街の光景を憎しみの目で眺めながら、それを壊す瞬間を想像した。逃げ惑う大勢の人々の姿を思い描き、愉悦に浸る。
「くくく」
 体が快感で震えた。
「楽しみだなぁ」
 声には喜悦が宿っている。
「もうすぐ幕があがる。さあ踊れ、ディアーナ。ルキアノの描いた筋通りに……」
 日が暮れ宵闇が迫るのそ瞬間迄、男はその場に佇み続けた。その薄い唇に浮かんだ残酷な笑みが消える事は、ついぞなかった。
 闇に潜んだ者達が動き出す。悪意がねっとりと絡み付き、ディアーナを揺るがす争乱が幕を開けようとしていた。



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