ディアーナの罠4
作:MUTUMI DATA:2005.10.15


 惑星エネ、星間中央警察(CSPO)第二課第五班。


 どこの世界でもそうだが、仕事場には大量の書類が存在する。そして警察=お役所と言う職業柄、ここも例外ではなかった。
 幾何学模様に配置されたデスクの上には、大小様々な書類や媒体、果ては小型の端末が溢れていた。汚れ具合に多少の差はあったが、全てのデスクがそんな状態で、何らかの物に埋まっていた。ぱっと見はどこかの倉庫のようだ。
 そんな整理整頓とは程遠い環境の中、ちょっとましなデスクに座った一人の女性が、嬉しそうに紙包みを鞄から取り出す。何の変哲もない茶色の包みだったが、女性はそれを手にニンマリと笑った。
「うふふ。とうとうあの麗しのクラブサンドが手に入ったわ〜」
 心底嬉しそうに女性は包みを開き、出て来た物、作りたてのクラブハウスサンドイッチに目を輝かせる。
「ふにゃ〜ん、美味しそう〜」
 表情がトロトロに溶けていた。普段ならキリリとした印象を与える女性なのだが、今日は目尻も下がりまるで別人だ。
「うふっ。……では、いただきま〜」
 「す」の声と同時に背後から低い声が重なる。
「メイファ、俺のは?」
 パクリとはしっこに噛み付き、モグモグと味わう。口に含んだまま、女性は座っていた椅子を回転させ、クルリと背後を振り返った。そしてゆっくりと口の中の物を呑み込み、
「売り切れ」
 サクッと告げる。途端に声をかけた男性がヨロリと蹌踉めいた。
「嘘」
「本当。これ最後の1セットだもん」
 ペロリと唇についたソースをなめとって、「やぁん、ソースも美味しい!」と呟く。
「……本当にないの? 俺の昼飯」
 それに相反し、男性はどよんとした空気を増々濃くした。
「ないない」
 右手をパタパタと振り、メイファと呼ばれた女性があっけらかんと応じる。胸には身分証なのだろう、メイファー・リンという名前の入ったプラスチックカードを付けている。
「……ひでぇ。俺も食うって言っただろ?」
 唸り声と同時に、グルグルと男性の腹の虫が鳴いた。
「だって売り切れなんだから仕方ないでしょ。それよりテリー、腹の虫が鳴ってるわよ。何か買いに行きなさいよ」
 パクッと再びクラブサンドを頬張り、メイファーが男性をあしらう。メイファーと同じくテリー・カロンという身分証を胸に留めた男性は、その冷たく無慈悲な言葉にヨロリとよろめいた。
「うわぁ、やっぱ酷えぞ。俺にも寄越せー」
 手をのばし、綺麗に切り分けられたひと欠片を取ろうとする。途端にペシッと手の甲を叩かれた。
「だーめ」
「ケチ」
「ケチで結構! これは私の昼食なの」
 じーっと袋の中のクラブハウスサンドイッチを見つめ、
「一口、なあ一口だけ」
 テリーは諦め悪く喚いた。
「五月蝿い。駄目ったら駄目なの」
 メイファーも負けずと叫び返す。暫く二人はぎゃーぎゃーと叫び続けた。閑散とした昼休みとはいえ、やはり二人以外にも人はいる訳で、余りの五月蝿さに眼鏡をかけた中年の男性が近寄って来る。
「おい、二人とも……」
 いい加減にしろと言いかけて、二人とも全然聞いていないどころか、自分に気付いてもいない事を知る。二人の戦いは増々ヒートアップしていた。
「買いに行く時は『任せて』と言ってたじゃないか。俺楽しみに待ってたのに!」
「そんな事言ったって、売り切れなんだから仕方ないでしょ」
「半分くれたっていいだろ?」
「嫌よ、私の食べる分が減るじゃない」
「うぁ、やっぱ酷えー」
 さめざめとテリーが泣き真似をする。それを見てメイファーが一言。
「大根」
 テリーは更に打ちのめされた。側でそれを見ていた眼鏡の中年男性が、天井を見上げて呻く。胸の身分証にはロン・セイファードと印されていた。どこまでも食い気優先で意地汚い二人に、ロンは呆れた視線を向ける。その眉間には絶妙な皺が出来ていた。
(全くこの二人は!)
 言っても最早どうにもならないので、心の中で悪態をつくに留める。
(仮にもパートナー同士が、昼飯を取り合うなよ。本当にこいつらは世話のかかる!)
 盛大な溜め息を零すとロンは自分のデスクに戻り、広げようとしていた物、茶色い紙包みを手に取った。再度二人に近付き、ドンとテリーの前に置く。
「ほら、やるよ」
 テリーの前に置かれた物は、メイファーの食べている物と寸分も違わない包みであった。同じ店の正味期限のハンコが押してある。
「え、あ? ロン?」
 吃驚してテリーがロンを見つめる。
「俺も昼飯を買いに行ったんだよ。これやるから喧嘩するな、鬱陶しい」
(しかも色気じゃなく、食い気の喧嘩なんて見たくもないぞ)
 いい年をした大人の、しかも男女が繰り広げるものではない。ロンは心底二人に恋人が出来ない理由を実感した。
(……この二人、当分フリーだな)
 等と余計な事を考えつつ、踵を返す。
「ロ、ロン」
「食え」
 ヒラヒラと手を振って、ロンは部屋を出て行く。後に残ったのは茶色い包みと、呆然とした二人の顔だった。
「……」
「……」
 互いに無言で暫し見つめ合い、やがてにんまりとメイファーが笑う。
「これで問題は解決したわね」
「……したのか?」
 呟きつつもロンから渡された紙包みを開く。中にはメイファーの食べている物と同じクラブハウスサンドイッチが、綺麗に切り分けられて入っていた。
「おお! 麗しのクラブサンド!」
 ほくほく顔でテリーがそれを手に取る。
「いっただきまーす」
 嬉しそうに言ってガブリと噛み付くと、舌先にほのかな旨味が広がった。
「んめー」
 もごもごとした感想を漏らしつつ、テリーは蕩けた笑顔で口を動かし続けた。
「でしょう? ここのサンドってもう絶品よね!」
 メイファーも自分の分を再び食べ出す。最早姿の無いロンを忍びつつ、二人は舌鼓を打った。色気より食い気組の二人は、こうして昼休みを堪能したのだった。



 昼休み明け、外で昼食を取り直したロンは、同僚から課長が呼んでいるという伝言を受け取った。
「呼び出しなの、ロン?」
「何かヘマをしたのか?」
 面白そうに宣うメイファーとテリーに胡乱な視線を投げかけ、
「ヘマをするのはお前達だろうが? 今週は何をやったんだ? 班長の俺はまだ何も聞いてないぞ」
 逆にそう聞き返した。メイファーとテリーは薮蛇とばかりに押し黙る。
「……まあ、いい。後でみっちり聞くからな」
 眼鏡の奥でロンの細い目が異様に輝いた。「ひいぃ」と二人の口からか細い悲鳴があがる。二人を十分に脅迫すると、満足したのかロンは奥の課長室へと向かった。
 コンコン。
 軽く二回ノックをして、ドアの開閉スイッチを押す。ゆっくりと左右に開くドアを通って、ロンは第二課の課長レミング・ルーダに対面した。
「お呼びですか?」
 大きなデスクの前に立って、老婆に声をかける。老眼鏡をかけ電子書類を眺めていた老婆は、静かに視線を上げた。
「悪い知らせよ、セイファード捜査官」
 ロンは黙って老婆の言葉を待つ。老眼鏡を外しデスクの上に置くと、老婆は見ていた書類をロンの方へと押し出した。
「これは?」
「特殊戦略諜報部隊から頂いた物よ」
「え? 星間軍の……桜花部隊ですか!?」
 ロンは驚愕の表情を浮かべながら、押し出された書類を手に取った。ロンの驚き様に老婆、レミング・ルーダは声を殺して笑う。
「畑違いだけどツテがない訳でもないのよ。あの子何しろ交友関係が広いから、私もその中に入っているしね」
「はあ」
 目を白黒させながら曖昧にロンは頷く。そんなロンの様子すら面白いらしくレミングは、悪戯っ子の様に青い瞳を細めた。
「協力要請が正式に来たわ。もっともあの子にしたら、うちで何とかするのが本来の筋じゃないかと思っているのだろうけど。でもねえ、うちでどうにか出来る訳なのよね」
「?」
 困惑するロンに笑って何でもないわと告げ、レミングは気真面目な表情に戻る。
「その書類に急いで目を通して、5班全員でかかりなさい。継続している捜査は全て他の班へ振り分けること」
「じょ、女史?」
 それは幾ら何でもとロンが遮りかけたが、レミングはぴしゃりと抗議を撥ね付ける。
「それでもまだ覚悟が足りないぐらいよ。3班も組み入れようかと思ったけれど、あちらはあちらで厄介な事に首を突っ込んでいるようだし。他も似たり寄ったりで暇はなさそうだし、結局5班単独で対応する事にしたわ」
 豪傑なレミングらしくない憂慮が滲んだ表情を前に、ロンは慌てて電子書類に視線を落とした。赤い文字で強調された部分がいきなり飛び込んで来る。
《星間連合生誕10周年記念式典におけるテロ情報》
《反政府組織ギルガッソーの介入》
「なっ!?」
 その文字群がどういう意味を持つのか悟り、ロンは一気に青冷めた。頭の先からストンと血の気が引いて行く。
「じょ、女史! これは」
「見ての通りよ。その捜査をして欲しいの。あの子によると、桜花部隊の方で判った事は全部載せているそうよ。いつになく大盤振舞いな所が、限りなく真剣だって臭って来るわよね」
 呑気な感想を付け加え、レミングは血の気の引いたロンを真正面から見つめた。
「大丈夫よ。一応こちらが主だけれど、それは司法の力が必要だとあの子が判断したからであって、何も全部丸投げしてくる訳ではないから。サポートの確約は取り付けておいたわ」
(ついでに尻拭いも頼んだし)
 とは、ロンには言えないレミングだった。
「頑張ってみなさい。確かに私達は桜花部隊の様に振る舞う事は出来ないけれど、こちらにはこちらのやり方があるわ」
 軍と警察、それも血の臭いの染みついた特殊部隊と、清廉潔白を旨とする警察の精鋭部門、相反する理念が交わる事はない。けれど協力しあう事は出来る。
「セイファード捜査官、あなた達の捜査能力を見せつけてやりなさい」
 フッとレミングの唇が綻ぶ。釣られてロンも微かに笑顔を浮かべた。
「では戻りなさい」
 その声に促され、ロンは電子書類を手に静かに退出した。
 課長室から自分のデスクに辿り着くまでに、ロンはチラチラと電子書類を流し読みする。重要事項だけでも先に把握しておこうと思ったためだ。
 だがしかし、読めば読む程ロンの顔色は徐々に崩れて行った。小麦色に焼けた額にはうっすらと、暑くもないのに汗が浮かぶ。それがあぶら汗だとロンだけが自覚していた。
「……なんて事だ。こんな事態になっているのか」
 特殊戦略諜報部隊、通称桜花部隊から回された書類には、今までの経緯と彼等が集めた情報が詳しく記載されていた。星間中央警察第二課、テロ捜査専門の部署に長くいるロンですら初めて知る事柄もあった。
 ロンが手に持つ電子書類は単なる書類でしかないが、そこに詰まっている情報は値千金の物ばかりだ。相当優秀な情報網が桜花部隊にはあるのだろう。星間連合内で共有化されていた情報ばかりではないところを見ると、今回新たに判明した事柄も惜しみなく記載されたようだ。
「いつになく大盤振舞い……か」
 レミングが語った言葉を思い出し、ロンは眉間を寄せる。くっきりと縦に入った皺を自覚しながらも、ずれてきた眼鏡を少し上に押し上げ、ロンは電子書類から視線を外した。
「……やってみようか。期待されているのなら、尚更」
 桜花部隊の真意は読めないが、現段階での捜査の主導権が彼等ではなくこちらに、星間中央警察にある事をロンは悟っていた。桜花部隊は情報を集めるだけ集めた後、一旦手を引き、或いは静観する構えのようだ。
 その証拠に折角見つけた星間指名手配ナンバーU338092こと、ネロ・ストークの潜伏先と思われる場所、数カ所の住所を記載している。
「ガサ入れしても構わないという事だな」
 好意的に見れば星間中央警察でも対応が出来ると判断されたのであろうし、作為的に見れば桜花部隊の存在を臭わせないための偽装工作ともとれる。
 どちらにしろ利用されている事に違いはなかったが、何故か腹は立たなかった。そんな個人的な感情にかかわっている暇などないと、悟っているからだ。
「式典まで後3週間……、間に合うのか?」
 生誕祭までにネロ・ストークを確保し、口を割らせなければならない。自白剤を使えば1発で吐くだろうが、星間中央警察はあくまで警察であり、たとえ犯罪者が相手とはいえ、人権を蹂躙する事は許されていない。故に、ネロ・ストーク自身に自白してもらうしか方法がなかった。
 とはいえ、相手はギルガッソーのれっきとしたメンバーだ。そう容易く自白に追い込めるとは、ロンも思っていない。最短でも一週間はかかるだろうと踏んでいる。
 下手をすれば自白に追い込めず、何の情報もつかめないまま生誕祭当日を迎えるという、最悪のパターンにもなりかねなかった。
「桜花部隊との密接な連携が必要だな」
 電子書類に目を落としたままロンが呟く。ロンが指揮する第5班には僅か30名しか捜査員がいない。いつもは地元警察、各星々に属する警察から捜査協力を受け、その都度混成の特別対応チームを編成して、ことにあたっていた。
 普段通りの捜査方法を採用するならば、今回はディアーナ警察に捜査協力を要請しなければならない。しかし……それを躊躇わせるに十分な情報が電子書類には記載されている。
《ディアーナ星に反政府組織ギルガッソーの拠点がある可能性は、70%以上と思われる》
《留意すべき事項として下記をあげる。一、ディアーナ星系政府内部に内通者がいる可能性が高い。二、過去の行動から鑑み、ディアーナ警察からの情報漏洩の疑いが濃厚》
 無言で何度もその部分を読み返し、ロンは視線を天井へと向ける。
「単独捜査決定か」
 ヤレヤレと首を振り、重い足取りでロンは自席へと戻って行った。
 警察からの情報漏洩という間抜けな事態に、強い不快感を感じるが、ロンの意識は高揚していた。市民を守るという責任感が、心を占めていた為かも知れない。眼鏡の奥の細い瞳は、やる気満々だった。



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