ダークウィザードの伝説
第1章 アクアー水のエリアー
7エルフの森
作:MIHO

生茂る枝葉に遮られた陽光は、周囲を照らす程十分ではなく、まるで、そこに水の膜があるかのような錯角を覚える。
和えかな薄明に閉ざされた世界。しかし、それは決して陰うつなものではなくて、何て言えばいいのだろうか。そう、穏やかな微睡みの中に居るような、そんな感じだった。
樹々は思いおもいに枝を伸ばし、一見雑然とした感じに見えるのだけど、良く見ると見事なまでの調和がとれている。人の手が全く加えられていないからこそ、造り上げることのできた自然美の一つの形かもしれない。
エルフの森は、そんな自然の息吹を間近に感じられる場所だった。
緑濃い樹々の合間に刻まれた、道とも呼べない緑の狭間を歩むことしばし。やがて、前方の樹々の合間に、自然のものではない木造の家屋が点在しているのを確認できる所まで来て、レフィーが口を開いた。
「あれが、『樫の集落<むら>』よ」
道無き道を通ってきたというのに、彼女の口調には少しの乱れもない。
それにしても、『樫の集落』?えっと、エルフの村じゃないの?
「?ああ。あなた達はそう呼んでいるのね。わたし達エルフ族は、自分達の住む集落のことを植物の名で呼んでいるよの。ここが『樫』の呼称で呼ばれているのは、近くに樫の木が多いからなんでしょうけど。そして、その集落を統べるのが『樫の古老』というわけ。集落によっても若干の違いがあるみたいだけど、集落を統べる長“古老”は、その集落の最年長のエルフがなることになっているわ」
なるほど。わたし、てっきり“樫の古老”って、その名前の通り樫の古木のことだと思ってたわ。ファンタジーゲームなんかに出てくるじゃない?木の精霊。
えっと何て言ったかしら?そう、“トレント”ああいうのだと思ってたんだけど。
だって、この世界って何でもあり!って感じじゃない。そういうのがでてきても全然違和感ないし。(というより、そのほうが合うかも)
そんなことを考えている時だった。明らかに、排意を含んだ鋭い声が掛けられたのは。
「何を考えているのだ。余所ものを集落に入れるなど。長の命に背くつもりか!」
驚いて声のした方向を見ると、そこに居たのは淡い金色の髪、白皙の肌に、深い翡翠色の瞳をした神秘的な美しさを持ったエルフだった。
別の場所、別の状況で逢ったのならばまた違ったのだろうけど、それは、なんの感銘ももたらさなかった。だって、嫌気のオーラがバシバシ出てるんだもの。自分のこと嫌ってる相手に感動モードに入る程、変な趣味持ち合わせてないし。
それに、理解できないことが一つ。エルフの嫌気のオーラが、いわば不法侵入者のわたし達ではなく、レフィーに対してより強く放たれていること。
勘違い、ではない。気のせいだと思える程生易しいものじゃないもの。それは。
ふと、エルフの視線がわたしに向けられ、瞬時、秀眉を歪めて唾棄するようにこう言った。
「人間?『混ざり者』の血が招いたというのか?」
それは、嫌悪なんてレベルはとうに超えている。レフィーの、彼女の存在そのものを否定する言葉だ。
その瞬間、レフィーが見せた表情。寂しさと辛さを混ぜ合わせたようなその表情は、始めて彼女に会ったときに、ほんの一瞬見せたものと同じものだった。
しかし、今度もレフィーはすぐにそれを隠して、毅然とした眼差しをエルフに向けた。
そのときに始めて理解できた。何故、レフィーと初めて会ったときに、あんなところで、それこそ身を隠すように泣いていたのか。
それは、実に簡単な答。この集落の中には、彼女が声を上げて泣ける場所も、それを晒け出せる相手もいないから。
それにしても、どうしてレフィーは黙ってるの?何でなにも言い返なさないわけ?わたしだったら、こんな厭味言うヤツには、場合によっては“実力行使”付きでお返しするのに。
「何でも自分を基準に物事を考えるな」と、化け物じみた能力でわたしの心の声を悟ったのだろうファイルは、そうツッコミを入れた後続けた。
「命に背く形になったことは詫びよう。私が案内を頼んだのだ」
その言葉にエルフは「何者だ?」と不審気な視線を向ける。
「我は、“白き智者”」
厳かに、尊大に告げる。
その腹立たしいまでの、エッラソ−な態度にエルフが癇癪を起こさなかったのは、感嘆すべきことかもしれない。
まあ、エルフにとっては、腹を立てるより先に気付いたのだろう。
“白き智者”その言葉の意味に。
「“白き智者”?では、貴方がファイル殿か?」
「いかにも」と頷くファイル。
“森の賢者”“白き知者”というキーワードは魔法の言葉なのかもしれない。
それをきくと、皆当然のようにファイルに敬意を払い、当たり前のように丁重な態度になるのだ。わたしには、まったく理解できないけど。
わたしの心の声を、いかなる妖術でもって知ったのかはしらないけど、ファイルが「余計なことは言うな」と目線だけで牽制してくる。
はいはい。わかってますよ。全部、ファイル様にお任せします。
「“森の眷属”たる我等が、貴方を咎めることはできません。が・・・」
なんか、どこかで聞いたようなセリフ。(エルフ族にはこういったときの、基本マニアルなんかがあったりするのかしら?)
となれば、この後の展開も容易に想像できる。
「人間の娘を伴うことは御遠慮願いましょう」とでも続けたかったのだろう。が、しかしファイルは、エルフに言葉を紡がせることはなく、
「この者は、私の・・・・・」
ここで一旦、言葉を切り、実に嫌そーな視線をわたしの方に向けた。(いい加減往生際悪いわね。あんたってば)
だが、それをエルフに悟らせることはなく続ける。
「私の、弟子、だ」
「弟子!?“森の賢者”たる貴方が、人間の娘ごときを弟子にされているというのですか?」
「生憎だが、私は混血であるとか、種族が違うというような理由だけで、その者を否定する程、狭量でもなければ、そのような偏見も持ち合わせてはいないのでな」
痛烈な皮肉。いかに尊敬するファイルの言葉とはいえ、これにはさすがに腹を立てたのだろう。白いエルフの面が、サッと朱に染まる。
エライ!!良く言った。ファイル!
いつもは頭にくるだけの(だってそのほとんどがわたしに向けてのものだから)ファイルの嫌味だけど、それが、これ程小気味良くきこえることがあるなんて、思ってもみなかったわ。ほんと。
内心快哉の声をあげるわたしをよそに、その場は実に緊張した空気につつまれていた。
それがどれ程続いたのだろうか?長く感じられたけど、実際はもっと短い間だったかもしれない。
ピン、と張り詰め糸のような緊張感。それを破ったのは、エルフでも、ファイルでもなく、ここに居る誰でもない、、第三の人物だった。



「そこで何をしている?」
玲瓏とした響きが、息詰る沈黙を切り裂いた。
えも言われぬ艶を含んだ低い声。
現れたのは、一言で言えば印象深いひと、ううん、エルフだった。
淡い金の髪、薄い蒼の瞳、やや鋭角的ではあるけれども曇りの無い白皙の美貌。その全ては華奢で儚気な絵エルフのものであるのに、今にも消え入りそうな陽炎のごとき雰囲気は微塵も感じられない。
むしろ、その反対に、絶対的な存在感ともいうべきオーラさえ感じられる。
エルフは、強い意志を秘めた理知的な眼差しをわたし達へ向け、その視線がふとファイルの所で止まった。
「ファイル?」
「「クラウソス様!」」
クラウソスさんが不思議そうにファイルの名を呼ぶのと、レフィー達が彼の名を呼んだのはほとんど同時だった。
「何故、ここに?」
「シウファザートに会いにきたのだがな。そこの、頭の固いエルフが素直に通そうとしない」
溜息を吐きながら、ファイルがこれまでの事情を説明する。
「わ、私は何も、ファイル殿を阻んでいるわけではありません」
問題は、あくまでわたしにあるといいたいのだろう。しかし、クラウソスさんはそれを聞く気はないのだろう。
「お前が、弟子を取るとは、驚いたな」
言葉とは裏腹に、それ程驚いているとも思えない表情のまま、そう言った。
「まあ、成りゆきで、仕方なく、な」
と、ファイルはいまだ若干の躊躇いを持ったまま応じる。
どうでもいいけど、いいかげん慣れなさいよね。あんたは。
「お前が認めているのなら、問題はないだろう」
その言葉に、エルフはしつこく文句を言おうとしたみたいだけど、クラウソスさんは、それにはまったく取り合わなかった。
「納得したのならば、早急にに取次いでもらいたいのだがな」
「了解した」と頷き、クラウソスさんがわたし達を促した。
いよいよ、『樫の古老』さんとの御対面。一体、どんなひとなのかしら?



もう、何がきても驚かない自身はあった。でも、いくらなんでもこんなフェイントはないと思うわ。
だって、ねえ。『樫の古老』よ?当然、おもいっきり歳を経たおじいさん(なんとなく意味はないけど、おばあさんだとは思わなかった)だと思うじゃない?普通。
けど、実際に現れたのはクラウソスさんとさして歳の変わらない、穏やかな、日溜まりのような雰囲気を持った、これまた絶世の美貌を持ったエルフだったの。
「『知恵深き者』、ファイル。いかなる用でまいられた?」
「既に察しはついていると思うが?シウファザート」
シウファザートと呼ばれた『樫の古老』は、ファイルの言葉にしばし沈黙した後、言葉を続けた。
「・・・『扉』、ですか」
「ああ。『聖地』に入る許可をもらいたい」
『扉』というのはわかる。転位ゲートのことよね?でも、『聖地』ってなに?
後でファイルに聞いた話なんだけど、転位ゲートと一口に言っても、いくつかの種類があるらしい。
力ある導師などが、任意に開くもの。それと、様々な事象が重なって偶発的に開くもの。それらとは対照的に常時固定されているもの。この固定ゲートはさらに二種にわけられる。旅の商人さんが使おうとしていた、一般的なゲートと、それらを統括すべき位置にあるもの。
いちおうこの四種類に大別されている。
先程ファイルが言った『聖地』というのは、統括的ゲートのことで、エルフの森の奥に存在するのだ。
むろん、『聖地』と大層な呼び方をされていることからも、誰もが自由に出入りしていいはずもなく。そこに至る為には、ゲートを守護する立場にある樫の森のエルフ族の、古老の許可がいるという訳なの。

「残念ですが・・・」
しかし、シウファザートさんの答は捗々しいものではなかった。
この辺一体の要となる『扉』。その重要度に比例して、今回の異変の影響もより大きなものらしい。
『扉』周辺は、空間の歪みが発生し、実に渾沌とした状態になっているらしく、とてもではないが「はいどうぞ」と簡単に許可を与えられるような状況ではないと言うのだ。
「そこまで酷い状況なのか」
ある程度は予想していたのだろうが、それを上回る現状に驚愕の表情を浮かべるファイル。しかし、すぐに、いつもの尊大な態度(シウファザートさん相手だから、多少はマシになってるけど)に戻りこう続けた。
「ならば、是が非にでも行かねばならんな」
「ファイル!貴方に理解できないはずはないでしょう」
「理解はしている。だからこそ、行くのだ」
何故です?と眼差しで尋ねるシウファザートさんに、
「『歪み』を正すことが出来るかもしれん」
遅滞なく応じるファイルに重ねて問う。
「その根拠を伺ってもよいでしょうか?」
「根拠、か。そのようなものは必要ない。それが御女神の御意志だからだ」
躊躇いなく、なんの迷いもなく言い切るファイル。
その言葉を受けてにわかに周囲が騒ついた。
「女神の御意志?」
「しかし・・・」
「いや、ファイル殿ならば」
口々に意見を交すエルフ達。その意見は、概ね肯定的なものばかり。「ファイルなら、大丈夫。何よりも女神様がそう判断されたのだから」というのがその大半を占めている。
「何か、勘違いをしているようだが?女神がお選びになったのは、この娘であって、私をその補佐を任されただけだ」
外野の声を聞き咎め、律儀に訂正する。
その言葉に、周囲はより一層の騒めきに満たされる。
様々な言葉が飛び交い、意見が交される。それらの全ては、流麗なエルフの声で綴られているというのに、全然、耳障りのよいものではなかった。
まあ、力一杯、思いっきり、ミソカスのケチョンケチョンに貶されて、気分がいいはずもない。もし、それが気持ちよく聞こえたのならば、かなり・・・危ないわね。それは。
彼等の意見を要約するとこうなる。
「人間の小娘ごときに、そんなことは不可能だ」
なんかもう。これは、腹立つというか、呆れるというか。
いつも、ファイルに言われる厭味とは違う。ファイルも人のことボロカスに言ってくれるけど、少なくとも彼は種族が違うというだけで、他者を否定することはない。
けど、彼等は違う。自分達が全てで、それ意外のものを決して認めようとはしない。ただ非難し、排斥するだけ。
「ねえ?エルフ族って聡明で高潔な種族じゃなかったっけ?」
そう、わたしの中のエルフのイメージはそう。繊細で、儚気で。少なくとも水の都で会ったエルフのお姉さんはそうだった。
「なにごとにも例外はあるだろう」
ファイルは興味なそそうにそう応えた。
例外って。あんた。そういう問題じゃないと思うわよ。これは。
これは、明らかな差別。偏見よ。
しかし、わたしの怒りが爆発する前に静かな声がそれを遮った。
「解りました。許可致しましょう」
シウファザートさんだ。
再度反対の声が上がったけれど、しかし、それをシウファザートさんは「女神の御意志ならば」とその一言だけで、場を抑えた。
うーん。さすがは女神様の御威光といったところかしら。頭カッチカチのエルフ達もそれには、納得する他はない。
なんか、どっと疲れるわね。

『女神の御言葉』伝家の宝刀ともいうべきその一言で、そのまますべては滞りなく進むものと思われた。けれど、シウファザートさんの一言が、再び混乱をもたらすことになる。

何もシウファザートさんが爆弾発言をしたわけではない。単に、『聖地』への案内人に彼女を指名しただけ。レフィーを。
その理由を樫の古老は、「わたし達と彼女が最初に出会ったのは、偶然ではなく、何がしかの縁<えにし>が働いたものではないか」と語ったけど、本当の所は、わたし達(というよりわたしに、だわね)に不信の念を抱いている他のエルフに任せる訳にはいかなかったのだろう。
しかし、それで、頭の固いエルフ共が納得できるはずもなく。抗議の嵐が吹き荒れることとなったのは、もはや当然の帰結というものだろう。
「何を考えておられるのです。あのような紛い物にそのような大任を任せるなど」
「長、お考え直して下さい。半端者に勉めるはずがありません」
「そうです、人間の娘だけでも問題だと言うのに、これ以上賢者殿に迷惑を掛けることになっては・・・」
口調はあくまで丁寧。語る声も涼やかなもの。けれど、その姿が優麗であればある程、それは余計醜悪に見える。
彼等に、どんな事情があるのかは知らない。もしかしたら、レフィーをここまで嫌悪するだけの理由があるのかも知れない。
けど、レフィー程ではないけれども、嫌悪の対象とされているわたしには、彼等を理解してあげなければならない理由は、どこを探してもない訳で。
そんな風に考えている間も非難は続いている。よくもここまで、ネタが尽きないものだと、呆れるくらいに。
それを、レフィーも、シウファザートさんもただ黙って聞いている。
なんで、ここまで言われて何も言い返さない訳?まったく、彼女の忍耐力は大したもんだわ。けど、わたしは、もう限界。ブチ切れ寸前。
「止めないでよね?というより、そのときは、あんたからぶっとばすから」
途中で邪魔されたら適わない。一応牽制しておこう。
しかし。わたしの脅しが効いたわけでもないだろうけど。ファイルが制止することはなく、むしろ。
「ほどほどにな」
と有り難い激励の言葉までもらってしまった。
さてファイルのお許し(限りなく拡大解釈)も出たことだし、ここは一つぶちかましますか。
「いい加減、喧しい!さっきから黙って聞いてれば言いたい放題!ダメダメって勝手に決めつけないでよね!耳の穴かっぽじってよおっく聞きなさいよ!わたしの世界の言葉には『成せば成る何事も。人生、やってやれないことはない』っていうあ有り難い言葉があるのよ!!」
「その自信の根拠がどこにあるのかはしらんが、一つの至言ではあるな」
ファイルがツッコミを入れるけど、無視。
「大体、レフィー!あんたも何?何で黙って聞いてるわけ?何で何も言い返さないの?まあ、このひと達には言うだけ無駄って気もするけど。それはともかく、我慢してるだけじゃダメだと思うわよ。ただ、耐えてるだけじゃ何も守れないんじゃない?」
「どう言う意味?」
俯いていた顔を上げ、レフィーが尋ねる。
「あのさ、ここまで言われてそれでも我慢してるのは、ここに居たいからでしょ?そうしたいだけの理由があるから、よね?そうでなかったら、こんなとことっくに飛び出してると思うのよ。違う?」
わたしの言葉に思い当たる節があるのか、彼女はそれを否定しなかった。
「だったら、戦わなきゃ。アグレッシブに攻撃あるのみ!攻撃は最大の防御っていうじゃない。やっぱ守ってるだけじゃダメなのよ。うん」
「何なのだ?その限り無く闘争的な理論は」
「いいじゃないの。前向きで。何か明るい未来が開ける感じでしょ?」
「殺伐とした未来が訪れるような気がするのだが?」
うるさい!細かいことはどうでもいいの。とにかく。
「そういう訳だから、一緒に行きましょ。ネッ?それでもって、頭の固い年寄り共に見せてやろうじゃない!たかが人間の小娘と、ハーフエルフの小娘にどれ程のことができるのか。大丈夫ジョブ!何とかなるわよ。やってやれないことはないんだから」
レフィーはしばらく呆気に取られた表情をしていたけど、やがて微少を浮かべ
「本当に、その自信の根拠はどこからくるのかしら?でも、あなたが言うと本当にそうなるような気がするから不思議ね」
そう言った後、真剣な眼差しでシウファザートさんを見詰め、こう続けた。
「長、御命令、承ります」
彼女の言葉に再びざわめきかけたけど、シウファザートさんはスッと視線を巡らすだけでそれを抑えた。威圧的でも、高圧的でもないのに、決して抗えない強さを秘めている。伊達に『樫の古老』を名乗ってはいないということね。
さあ、それじゃ気が変わらない内に行きましょうか。
『扉』へ。



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