ダークウィザードの伝説
第1章 アクアー水のエリアー
5旅立ち
作:MIHO イラスト:Atelier Paprikaより

「お帰りなさいませ。だんな様。ファイル坊やもプリスお嬢ちゃんも、話はお済のよ うだね。よかったですねえ」
にこやかに出迎えるアニテヤさんに、グラスワード導師は「急なことなんじゃがの」 と前置きしてから話を切り出した。
もちろん、この夢幻界が大変な事態に陥っていることを話すわけにはいかないから、 ただ事情があって、わたしとファイルが旅に出ることをおおまかに説明して、その準 備を頼みたいとだけ話した。

「できれば、一両日中に用意してほしいのじゃがのう」
「おやまあ。困りましたねえ。急なことでごさいますしねえ」
口調とは裏腹に、アニテヤおばさんは実に悠然としたもの。どことなく、手慣れた感 じさえする。もしかしたら、グラスワード導師の急な頼み事というのは、これが初め てじゃないのかもしれない。
「まあ、だんな様がせっかちなのは、今に始まったことじゃありませんしねえ。よう ございます。万事このアニテヤにお任せあれ」
頼もしい言葉と共に、どんっ、と胸をたたいた。

「それはともあれ、まずはお茶をお入れしませんとねえ」
そう言うと、アニテヤおばさんは、お茶の支度のためだろう台所へと向かった。通さ れた客間で、
「何が必要になるかのう?」
と、旅支度の細々としたものを 決めているグラスワード導師の声を聞きながら、ふとわたしは思い出した。

「そういえば、忘れるところだったわ」
言いながら宝石を取り出し、「はい」とファイルの目の前に差し出した。
不審そうな表情のファイル。
「約束したでしょう。ここまで連れてきてくれたら返すって...何て顔してるの よ。あんた、わたしが約束守るのがそんなに信じられないの?」
世にもマズい料理を食べたときのような、いわく言い難い表情のまま一言。
「お前に人並の常識が、欠片でも残っているとは思わなかったのだがな」
言うにことかいて、なんつーヤツ。

「あんた、返してほしくないわけね?」
「誰もそんなことは言っておらんだろうが!」
「なら、素直にそういう態度を取りなさいよね。あんた、態度悪過ぎるわよ」
「貴様にだけはいわれたくないセリフだな」
スッ、と視線が剣呑な光を帯びる。そして、
「だいたい、どこの世界に、自分のものを、取り返すの、に、謙る馬鹿が、いると言 う、の、だ」
不自然に言葉を区切っているのは、ファイルが実力行使に出ているからだ。

「あっ!」
ふ、不覚。一瞬の隙を突かれ、気付いたときにはもう遅かった。
わたしの掌にあったはずの宝石が、ファイルの額の角に引っかかっている。
「残念だったな。これでお前の切り札は無くなった」
してやったりの表情で、尊大に言っているつもりなんだろうけど、額に宝石引っかけ てる姿は思いっきりマヌケにしか見えないわよ...。
あまりのバカらしさに怒る気も失せる。でも、これだけは言っておかねばならないだ ろう。
「あんた、これでわたしに付き合わなくていいと思ってるんだろうけど、大きな間違 いよ。それ」
「何?」
自信たっぷりな言葉に、呆れながらも怪訝な表情を見せる。

「約束したでしょ。女神様と。それとも、ファイルちゃんは、敬愛する女神様との約 束を破るっていうのかしら?」
新しい切り札ともいうべきセリフに絶句するファイル。
悪いけどね。とっくの昔にあんたの弱点は見切ってたりするのよ。まあ、あそこまで 露骨な態度取ってれば、わからないほうがどうかと思うけどね。
それがわかってたから、約束通り宝石を返したんだけど。そのことを見抜けなかった 時点で、あんたの負けはきまってるのよ。

「ふぉふぉふぉ。お主の負けのようじゃの。しかし、何ともはや勇ましいことじゃ て。お主を言い負かす強者がおるとはのう」
グラスワード導師の指摘に絶句するファイル。それを実に愉快そうに見て、
「どうやらこのぶんでは、これからの道中今まで以上に大変そうじゃのう」
「察してくれるか」
ねぎらうかのような言葉に、理解してくれてありがたい。とファイルが応じれば、グ ラスワード導師はそれをあっさり否定した。

「なんのなんの。そんなもん。これを見れば一目瞭然じゃわい」
「ほれ」と、手にした杖の先で、ファイルのしなやかなたてがみを掻き分けた。そこ には、
ブッ!思わず吹き出してしまう。
「ほれほれ。見事な禿ができておるぞ。しかし、これは抜け落ちたというより、思い きり引っこ抜かれたようじゃのう。じゃが、悲観することもあるまいて。すでに新し いのが生えてきているようじゃからの」
もはや、そのセリフをわたしも、ファイルも最後まで聞いてはいなかった。

「どこへ行くつもりだ?」
抜き足差し足で、こっそり部屋を抜け出そうとした背中に、聞くだけで身も氷るよう な声が。
「べ、別にどこだっていいでしょ。だいたい、あんたその疑いの眼はなんなわけ。 言っとくけどね、わたしじゃないわよ」
「ほう、ならば何故お前は盗人のように、コソコソと逃げ出そうとしているのだ?」
問い詰める視線が、こ、恐い。眼が完全に座っている。マジで怒ってる。そのあまり の迫力に、わたしは戦わずに白旗を上げてしまった。
「だ、だってしょうがないでしょ。あのときは。そ、そう不可抗力ってヤツよ」
あの とき。そう、わたしがこの世界に来たときに、振り落されまいと必至にファイルのた てがみにしがみついたときのことだ。
だ、だいたい何だって今ごろ、そんなことをわざわざ教えたりするのよ。グラスワー ドさんのバカーーー!

しかし、もはや手遅れ。ファイルはすでに戦闘態勢に入っている。
「ぬけぬけと良く言う!何が不可抗力だ!」
言葉と同時に、必殺蹄チョップが炸裂!
何とか間一髪で避け、安心する間もなく角(ホーン)アタックが迫る。
息を吐く暇もないコンビネーション攻撃に、とにかくわたしは必至に逃げた。
今捕まれば、確実に殺られる!!
それを、どこをどう見ればそう解釈できるのか。
「ふぉふぉふぉ。ほんに仲のいいことじゃのう」
実にのんきな口調でそう言ったのはグラスワード導師。
「ち、違う!思いっきり、誤解だってばぁーーー!!!」
必殺の意思を固めているのだろう、ファイルはそれを否定する暇さえ惜しいのか、た だ無言で攻撃を繰り返すのみだ。

形勢不利、と判断したわたしは、グラスワード導師に助けを求めようと、ふとそちら を見た。しかし。
...。
「良きかな良きかな」と、満足そうに頷きながら、アニテヤおばさんのいれてくれた お茶を飲んでいるのだ。
その横では、アニテヤおばさんが給仕にいそしみながら、「元気がいいことだねえ」 とにこやかな笑みを浮かべている。
もはや、頼みの綱は断たれた。(もしかしたら、始めからそんなものなかったのかも しれないけど)それでも、わたしは、こう叫ばずにはいられなかった。

「何だってこの状況を目の前にして、のんきにお茶が飲めるのよっ!!」


□□□□


あれから五日後。わたしは、何とかファイルの魔の手を逃れ、生き延びることができ た。その過程は、...思い出したくはない。ただ、とてつもなく大変だったとだ け、言っておこう。

さて、この五日間、わたしが何をしていたかというと。
グラスワード導師に、夢幻界の地理や、生活週間など基本的なことを教えてもらった 他、簡単な魔法を授けてもらっていたのだ。
外見はどう見てものほほんおじーちゃんだけど、そこはやはり水の都の魔導師。グラ スワード導師の知識の深さには、ただもう感心するばかりだった。(あの、のんきな 口調で聞いてさえ、そう思えるのだから相当なものだと思う)

ファイルもその間一緒に居たのかというと、そうではない。彼は、自分にもそれなり に用意するものがある。と言ってどこかに姿をくらましてしまったのだ。
わたしとしては、実はそのほうがありがたかった。だって、一応収まりはしたもの の、もちろん、それでファイルの怒りが解消されたわけではなかったから。
何かある度にうらめしそーに睨まれるのは、気分のいいもんじゃないわ。ほんと。だ から、ファイルの姿がなくなったのは、精神衛生上、非常に好ましいものだったんだ けど...。

いざ出発!というこの時になっても現れないのは、どうゆーこと?
もしかしたら、来ないのかもしれない。相当怒ってたし、ファイルの場合、ありそう な話だし。
そんなことを考えていたときだった。

軽やかな蹄の音とともに現れたのは、ファイ ル。
「待たせたな」
なぜかしらこのときばかりは、尊大な口調もそれ程気にはならなかった。むしろ、ど ことなくホッとした感さえあった。
あまり認たくはないけれど、少しばかり心細くなっていたのかもしれない。イヤミ大 魔神のファイルでも、居ないよりはマシだもんね。

「これで準備は整ったようじゃの」
大きな荷袋を載せ、荷馬のようになったファイルを見てグラスワード導師が口を開い た。
ファイルは、とてつもなく不満そうな顔をしている。始めにアニテヤおばさんから、 その荷物を指定されたときは、即座に断ったんだけど、しかしながら、アニテヤおば さんにファイルが適うはずもなく、渋々大荷物を背負うこととなったのだ。
その少々間抜な姿に、思わず吹き出しそうになったけど、ギロリと物騒な視線で睨ま れる前に、わたしは必至の思いで笑いを堪えた。ここまできてヘソを曲げられちゃか なわないもんね。
さて、気を取り直して。

「それじゃ、行ってきます」
キリッと表情を引き締めそう告げる。
「ふぉふぉ。気を付けて行くのじゃぞ」
グラスワード導師の言葉に「はい」と一つ頷いてから、わたしは朝日を浴びて幻想的 な輝きを放つ宮殿を見上げた。
そこに居られるはずのアクア女神様に、心のなかで旅立ちの挨拶をして、クルリと踵 を返してファイルを促す。
「行こっか。ファイル」
「貴様が仕切るな」
苛立の声を上げるファイルを「はいはい」といなしながら、アクアの都の門をくぐ る。


このときのわたしは、まるでRPGみたいな展開にワクワクとしていたから、ファイ ルの抗議も鷹揚に聞き流す余裕があった。
でも、じきに気付くことになる。否応なしに、現実はそんなに甘いものじゃないって ことに。



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