ダークウィザードの伝説
第1章 アクアー水のエリアー
3アクア宮殿
作:MIHO

ウ〜ン。なかなかのものじゃない?
大きな姿見に写った、真新しい衣服に身を包んだ、自分の姿を見て思わず自 讃。
「まあまあ、良くお似合いだこと」
アニテヤおばさんの声に、わたしは振り向き、ニッコリ笑顔ではい、ポーズ。
しかし、ファイルはしらけた視線を返すのみ。
「用意が出来たのなら、早々に行くぞ」
さも面倒そうに促す。

あ、あんたねー、お世辞の一つくらい言ったらどうなのよ。女の子が新しい服 を着ているときは、“良く似合うね”とか褒めるのがお約束でしょーが!
思わず、怒りモードになりそうになったところで、ハタ、と気付いた。
ファイルにそんな細やかな心使いを、期待するだけムダだってことに。むし ろ、 皮肉も厭味も飛んでこなかっただけ、ましと言うもの。
そう思った矢先、
「フン。まったく、くだらん」
吐き捨てるように呟く。
だあーーーっ。こ・い・つ、はー何で、こうなのよ!
しかし、まあ、ファイルの気持ちもわからないでもない。本来なら、とっくに グラスワード導師に会って、めでたく問題解決のはずだったのに。


ドタバタを終えて、アニテヤおばさんに聞いてみたところ、
「旦那様は、今日は、宮殿の方にお居でになってましてねえ」
ということだった。
宮殿?それって、あの硝子細工みたいな塔のある所よね?だったらすぐ近くじ ゃないの。
いないって聞いたときは、思わずガッカリだったけど、居場所がわかってるの なら、話しは早いわ。
では、さっそく、宮殿とやらに行きましょう。と、はりきったところで、待っ たがかかった。
「じょうだんではないぞ。神聖なるアクア宮殿に、そんなふざけた格好の奴を 連れて行けるものか!」
咬み付くような勢いでファイル。
どう言う意味よ、それは。だいたいね、わたしだって、好き好んでこんな格好 してる訳じゃないのよ。
しかし、ファイルには一行に譲るような気配はない。

どうしたもんかしら?と、悩んでいるところに、助け船を出してくれたのがア ニテヤおばさん。
しかも、服を用意している間に、おフロにも入らせてくれると言うから、もう 感激!
だって、こっちに来てからといもの、おフロはおろか、シャワーさえ浴びてい ない。
なんとか、途中の川とか泉で体を拭いたけど。これは年頃の乙女にとって は、かなり辛いものがある。
だから、アニテヤおばさんの申し出は、とてもうれしかった。ありがとうアニ テヤおばさん。

さて、それから、小一時間。
おフロに入って、新しい服に着替え、さっぱりした気分でご機嫌だったところ を、少し、いや、かなり水を指された気もするけど、まあ今回は不問にしといた げるわ、ファイル。
と、言う訳で。さあ、では、いざ行かん。アクア宮殿へ。


□□□□


濃紺と白。色違いの床石が交互に敷き詰められた廊下は、見事なコントラスト を描きながら奥へと続いている。
精緻な彫刻がなされた柱が支える天井は、見上 げていると首が痛くなる程の高さ。
明かり取りのために設けられた天窓から降り注ぐ光は、不思議な虹色を帯びて いる。高くて良くわからないけど、たぶん、ステンドグラスみたいな色硝子が嵌 込められているんじゃないかしら?
ゆっくりと、まるで踊るような軌跡を描く光は、途中、宙に浮かぶ噴水を潜り 抜けた後に、更に複雑な軌跡を描き、そこら中を綺麗な虹色に染め上げている。
街中がそうであったのと同じ様に、宮殿内にも廊下に沿って水路が張り巡らさ れている。
その上、いたる所に噴水が配されていて、青と白を基調にしたデザイ ンも相まって、かなり肌寒いイメージであるのに、不思議とそんな感じはなく、 むしろ、何とも言えない暖かさ、心地良ささえ感じる。
はぁ。ほんと、キレイな所。でもあんまりキレイ過ぎて現実味が薄いと言う か、 まるで夢の中にいるみたいだわ。
しかし、ファイルにとってはすでに見慣れた光景なのか、大した感慨もなくス タスタと進んで行く。
向かう先は“知識の間”という所だろう。この宮殿に入る前に、グラスワード 導師はそこに居ると聞いていたから、間違いないと思う。
でも、グラスワード導師ってどんな人かしら?魔導師って魔法使いのことよ ね。 水の都の魔法使いかあ。ちょっと、楽しみかも。


「グラスワード」
呼び掛ける声が余韻を持って響く。
それ程の広さを持つ部屋に、隙間なく数え 切れない程書棚が並べられている様は圧巻だけど、さらにそこに書物、巻物、石 板(らしきもの)と、およそ知識を伝えるありとあらゆる物が詰め込まれている 光景を見たら、もはや息を飲むしかないだろう。
“知識の間”とは良くも言ったものだわ。確かに、ここにある知識を紐解け ば、 わからないことなんて何もないだろう。
もし、アニーがここに居たら、瞳を輝かせて喜ぶことだろう。たぶん、間違い なく。
何せ、アニーはそこに読めるものがあれば、片端しから読みまくるとい う。 知識欲の塊と言えば聞こえはいいけれど、ただの活字中毒。言わば一種の病気み たいなもんね。

そんなことを考えていたときだった。
「やや?これはファイルではないか。随分と久し振りじゃのう。ふむふむ。元 気そうで何よりぢゃ」
場違いな程、実にのんびりした声。
何だか、こっちまで釣られて気が抜けそう。
軽い脱力感をすぐに克服し、一体、どこから聞こえたものかと、部屋の中を探 してみると、ずっと上の方から、羽根の生えた椅子に腰掛けたままこちらへと降 りてくる人物がいる。
椅子に座っているから余計にそう見えるかもしれないけど、かなり小柄な人だ わ。立ったとしても、わたしより頭一つ分くらいは低いんじゃないかしら。
そんな感想を抱いていたわたしの視線が、その人の頭部で、ぴたりと止まっ た。

いっそ、見事と言ってもいいくらいのつるっパゲ。俗に“後光が指すような” って、言うじゃない?それって、このことを表わしているんだって、妙に納得し てしまったわ。
そして、その替りというわけでもないんだろうけど、そう思えるてしまうくら い眉とあご髭はふさふさと立派なものが蓄えられていた。
う〜ん。実に好対照。
「ふぉっふぉっ」とくぐもった声で笑い、渋い色のローブの膝に古書を置き椅 子に座った(宙に浮いてるけど)姿は、ファンタジーゲームなんかに出てくる、 小さな村の村長さんか、隠居した魔法使いにしか見えない。
たぶん、先程の声の持ち主はこの人だろう。他にこの部屋のなかにそれらしき 人はいないもの。
でも、いったい、この人誰?ファイルの知り合いってことは、 間違いなさそうなんだけど。

「そちらも変わりなさそうだな。グラスワード」
親し気に声を掛けるファイル。
グラスワード?って。えーーーーーーーーーーーっ!!こ、この人がグラスワ ードさん!?どう見ても脇役にしか見えない、この、小っちゃいおじーちゃん が、 水の都の魔導師様?
...................。
穏やかな笑顔が良く似合う、壮年の素敵なおじさま。どうして、わたしは理由 もなくそんな理想を描いていたんだろう?
はうぅぅ。現実って、こんなものなのね。
理想と現実のギャップに、ノックアウトされているわたしには構わずに、ファ イルとグラスワードさん二人の会話は続く。

「しかし、珍しいのう。お主がここまで来るとは。なんぞ急ぎの用でもあるの かの?」
「ああ、そのことなのだが...」
言いながら、視線でわたしを示す。
「やや!ややや、これは。ほう、なるほどなるほど」
驚きの声を上げ、ついで一人で納得しているグラスワード導師に、わたしだけ ではなく、ファイルも怪訝な視線を向ける。
「どうやら、ようやくお主も、身を固める気になったようじゃの。しかし、こ んなに可愛ええ娘をつかまえるなぞ、お主もヤルもんじゃのう。ふむふむ。良き かな良きかな」

はい?なんですって?可愛いって褒められたのはいいんだけど、その前に、何 か、とんでもないセリフを聞いたような気がするんだけど?
「な、何をくだらない勘違いをしている。しかも、こいつが可愛いだと?どう やら、お前もとうとう耄碌したらしいな、グラス。こいつはただの厄介者だ!」
一瞬、唖然とした後、血管浮き出るほどのものすごい形相で怒鳴るファイル。
別に、いいんだけどね。しかし、ここまで徹底的に嫌がられると、なんか、腹 立ってくるわねえ。
それに、あんた、どさくさに紛れてまた失礼なこと言ったわ ね。覚えてらっしゃいよ。ファイル。

しかし、この険悪な気配もなんのその。グラスワードさん自身も、ファイルに かなり失礼なこと言われたのに、はたして、それに気付いていないのか、のほほ 〜んとした雰囲気を崩すことなく続ける。
「ふぉふぉふぉ。何も、そこまで青筋立てて怒ることもないじゃろーて。お茶 目なじょーくぢゃ。あいも変わらず、堅いヤツじゃのうお主。それでは、女の子 に持てんぞ」
「いらん世話だ。グラス、私はそんなくだらぬ話しをしにきたのではない!」
怒り心頭のファイル。
しっかし。お茶目なジョークって、ほんとにこの人、お偉い導師様なわけ?な んか、すっごく疑わしく思えてきたわ。
そう思った矢先。

「ふぉふぉ。わかっておるて。こっちのお嬢ちゃんじゃな?ふむ。どうやら、 『来訪者』のようじゃの」
口調はさして変わらないのに、しかし、その身に纏った気配ともいうべきもの が、瞬時に真剣味を帯びたものに変わった。
それに、この人、まだ何にも言ってないのに、わたしが『来訪者』だってこと わかったみたい。さすがは、水の都の魔導師様ってとこねえ。
そんなわたしの考えを読んだわけでもないんだろうけど、
「まあ、わしはこれでも、水の都にあって導師の位を授かる者じゃからのう。 これぐらいは簡単なものじゃて。ふぉふぉふぉふぉ」
なんでもないことの様にそう言うグラスワードさんの気配は、また元ののほほ んとしたたものに戻っていた。
あんまし、長続きしないみたいね。真面目モード は...。

でも、やっぱりすごいわよねー。ファイルなんて、偉そうにしてるけど、だい ぶ話ししてからでないと、気付かなかったんだから。
そんなことを考えていたわたしを、ファイルは無言のまま睨みつけている。物 騒なその視線の意味するものは、“余計なことは言うな”ってとこかしら?
わかってるわよ。どうせ、口を開こうとした途端、その前に蹄チョップが飛ん でくるんでしょ?
わたしだって同じこと何度も繰り返せば、いい加減学習するわよ。無理に痛い 目をするつもりはないわ。
まあ、蹄チョップが飛んできたところで、避ける自身はあるんだけどね。
今はそんなことより大事なことがある。
それを察したわけでもないだろうけど、ファイルはグラスワード導師に尋ね た。

「わかっているのなら話しは早い。コイツを元の世界に戻す方法なんだが、何 かないか?」
「ふぅむ。まあ、ここに来た“きっかけ”ともいうべきものが何かわかれば、 同じ状況を造り出しさえすれば、戻ることも可能であろがのう。いざともなれば 御女神のお力に縋ればなんとかなるじゃろうが...」
なんか、あっさり答が見つかったのはいいけど、何となくグラスワードさんが 言葉を濁したような感じがするのが、気にかかるわね。
「じゃがのう、その方法がわかったところで、今は無理じゃな」
うわっ。予感的中。やっぱり、そう簡単にはいかないわけね。
「それはどうしてなのだ?グラスワード」
「うむ。そのことなのじゃがの。お主も気付いていると思うが...」

「失礼致します。導師様」
ちょうど話し始めたところに、控え目にグラスワードさんを呼ぶ声が。
いったい誰が?と声のした方を見れば、そこに居たのは、落ち着いた色のロー ブを着た歳の頃は30前後の女の人だった。
その女性は、始めは、知識の間の入り口の所に控えていたが、グラスワードさ んが小さく頷いたのを確認すると、傍に行きグラスワードさんの耳元で二言三言 告げた。
それは、よほど予想外のことだったのだろう。
「ややや。なんとな?ふむ、確かに承った」
グラスワードさんは驚きの表情を見せた後で、この人にしたらとても珍しいので はないかと思う程の早口で神妙に頷いた。
それを受けて、ローブの女性は「では、失礼致します」と、小さな声でそう言 うと、隙のない動作で軽くお辞儀をして静かに知識の間を退出していった。

「どうした?グラス」
いまだ口の中でモゴモゴと呟くグラスワード導師に、ファイルが問う。
「ふむ。すまんがの詳しい話しは後ぢゃ。女神のお呼びじゃて、参るぞ」
「はい?」
突然の展開について行けない。でもそれは、わたしだけではないみたい。
数秒沈黙した後、呆然とした表情はそのままに尋ねるファイル。
「まさかとは思うが、よもやこいつも連れて行くつもりではあるまいな?」
「ふぉ?無論ぢゃ。女神はむしろこのお嬢ちゃんをお呼びなのじゃからな」
あっさり肯定するグラスワードさん。
「じ、冗談ではない!こんなヤツを女神の御前になど連れて行けるものか!」
うわ。なんかまた失礼なこと言ってるし。こいつわ!
「そうは言うてもの、御女神直々の命じゃからのう。それとも、お主、女神の 御意思に逆らうと言うのかの?」
激高するファイル。しかし、それに対して、グラスワード導師は実に飄々とし たもの。
のほほ〜んと、まるで茶飲み話でもするように、あっさりファイルを一 蹴する。
「クッ」
悔し気に舌打ちするけど、どうやら、女神様の御意向に逆らうつもりはないみ たいね。

「ふぉふぉふぉ。では、話もまとまったところで行くとするかの。ファイル、 それと...はて?」
ここまできて、まだわたしの名前を聞いていないことに気付いたグラスワード 導師が尋ねるよりも。そして、それを察してわたしが口を開くよりも早く、ファ イルが断言した。
「こいつの名は、プリス。だ!!」
はっきり、きっぱりと。
...よっぽど嫌みたいね。わたしの本名言うの。しっかし、ここまで毛嫌い することないでしょーに。
何か、嫌がらせしたくなってしまうのは、気のせいじ ゃないわね。きっと。
ぺこり、とお辞儀をしてニッコリ笑顔で名乗る。誰かさんの耳に入るようには っきり大きな声で。
「プリンセス=ニムロッドです。導師さま」
「ふぉふぉ。プリンセスちゃんか?可愛ゆい名前じゃのう」
ほら、これが普通の反応なのよ。ファイル。
得意満面のわたしはこのとき、まるで、地獄の底から響くような恨みがましい 声を聞いたような気がしたんだけど、きっちりと、聞こえなかった振りをした。

「た〜の〜む〜か〜らぁ〜、その呼び方は、やめろ〜〜〜〜!!」



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