ダークウィザードの伝説
第1章 アクアー水のエリアー
1賢者の森(2)
作:MIHO イラスト:Saion de Rubyより

馬が喋るなんて、あり得ない。茫然自失。思考回路が完全にショートして、固 まってしまった私に、
「降りろ!さもなければ、振り落す」
怒気もあらわに白馬は言い放つ。

相変わらず、思考回路はショートしたまんまだったけど、振り落されたりした ら、それはかなり痛いんじゃないか、と頭のどこか片すみで判断したらしい。
わたしは、どうにかこうにか白馬の背から降りた。
「やっぱり、喋ってる。何で、馬が喋る訳?」
思わず声に出して呟いてしまった、その言葉を聞き咎めた白馬は、さらに苛立 ちを増した声で、こう言ったのだ。
「私をそのような下位種族と間違えるな。私は、角持つ神馬、一角獣(ユニコーン)だ」

はい?しんば?ゆにこーん?なんですか、それ?

思わず見上げた彼の額には、白銀色に輝く立派な角が、生えていた。
いったい、これは、何の冗談だろう。一角獣なんて生き物、いるはずないの に。
夢よ、夢。今度こそ、確実に、絶対に、夢!!
そう思いたいんだけど、しかし、現実問題として、目の前に存在している訳 で。
...。

現実を認めたくないわたしは、無意識に、白馬の額に生えた白銀色の角に手を 伸ばし、思いっきり、引っ張ていた。
「ーーッ痛!な、何をするっっ!!」
頭を振り喚く白馬は無視して、わたしは、この事態に驚がくしていた。だっ て、 痛い、て言ったのよ。この白馬は。ということは、つまり、
「夢じゃないって訳!?」
思わず叫んでしまった。
信じられない。信じられないけど、どうやら、これも、現実らしい。でも、だ からといって、すぐに理解出来るもんでもない。
呆然とするわたしを見る白馬、 もとい、神馬の視線は異様に冷たかったが、しかしわたしはそれには気付かなか った。

「一つ尋くが、先程の行動は、それを確かめるためだったのか?」
しばらくしてから、そう尋ねる神馬の声が、剣呑としているのは気のせいだろ うか?深く考えずに即答する。
「えっ?そうよ。もちろん」
「き、貴様。そう言うことは、自分の身体でやらんか!勝手に私を代用品替り にするなっっ!」
一瞬絶句した後に、抗議の声を上げる神馬。
「いやよ。そんなことしたら痛いじゃない」
間髪を入れずにそう返すわたしに、答えるべき言葉に思い当たらなかったの か、 それに対しては神馬は何も言わなかった。
だって。今まで、たっぷり身体を張って、夢か現実かって確認してきたんだも の。これ以上、痛いのはゴメンだわ。と、ふと、改めて自分の身体を見てみる と、
「ヒ、ヒェェェェェェッッ!」
思わず知らず、悲鳴が出てしまった。だって、服はボロボロ、どこもかしこも 傷だらけだったんだもの。
この服お気に入りだったのに。うるうる。じゃなくて、痛い。これは、マジに 痛いわ。
一つ一つの傷はそれ程でもないんだけど、それが団体様で来ると話しは 違う。それぞれが見事なまでに相乗効果をなし、その痛みは倍、三倍にも感じら れる。
あの状況で、擦傷切り傷程度で済んだのは、奇跡的な幸運と言えなくもないけ ど、痛いものは痛い。
わたわた、おろおろするわたしを、神馬は冷めた眼で見ていたが、やおら、わ たしのえり首を喰えると、ブンと首を一振り放り投げた。
そう、あろうことか、目の前の泉に。

ザブンッ!

細かい水飛沫が勢い良く跳上る。
一瞬、何が何やらわからなかったけれど、事態を理解すると、即座に泉から這 上がった。じょうだん、もう溺れるのはこりごりだもの。
「ちょ、ちょっと、あんたねえ、いきなり、よりにもよって、可弱き乙女に何 んてことするのよ!!」
ズブ濡であることなどそっち除けで、捲くし立てるわたしに神馬はフンッと鼻 を鳴らしただけだった。
あー、何かムカツク!別に、神馬は何も言った訳ではないんだけど、その態度 が如実に語っている。
“どこの誰が、可弱き乙女なんだか?”と。
すっごく、腹が立つ。何なのよ、コイツはっ!更に文句を言ってやろうと思っ たんだけど。
「フンッ。私を非難する前に、自分の身体を確認してみるのだな」

は?からだ?神馬の言葉に、思わず身体を見回して驚いた。だって、あれほど あった傷が、ほとんど無くなってるんだもの。残ったものも、わずかに痕がある 程度で、痛みはもう無かった。
う、うそうそ。何なのこれ。一体どうなってんの?
「感謝してほしいものだな」
呆然としているわたしに、実に偉そうに神馬は言う。
「感謝?なんであんたなんかに感謝しなきゃなんないのよ!」
なんか、のところを思いっきり強調して言ってやったんだけど、しかし、神馬 はこたえた様子もなく、むしろ、バカにした風に、
「お前の傷が癒えたのは、私が『治癒の泉』に入れてやったからだ」
放投げた、の間違いでしょうが。しかし、ちゆのいずみ?
「何それ?」
声に出して問うわたしに、今度はあきれた風に、それでも質問には答えてくれ た。
「貴様の目の前にある泉のことだ」

これが?恐る恐る泉に近付き、そろりと手を泉に浸けてみる。すると、驚いた ことに、僅かに手の甲に残っていた傷が、消えてしまったのだ。
うわー。すごい。素直に感心してしまう。
しかし、空に浮かぶ水といい、この傷を癒す泉といい、極め付けは喋る馬。じ ゃなくて、一角獣。一体、なんな訳?ここ?
一つだけ、確実に言えることは、ここは、わたしの普段暮らしている世界で は、 ありえないということ。だって、あんな非常識なものがあってたまるもんです か。
だとしたら、ここはどこだろう。ああ何か、思考が堂々巡りしてる。
考えるだけムダだと悟ったわたしは、手っ取り早く聞くことにした。

「ねえ、ここ、どこ?」
対する神馬の態度は、またもや、ヒジョーに腹の立つものだった。
「は?バカか。お前」
今度は、はっきりと声に出して言ったのだ。
「な、バカとはなによ!わかんないから聞いてんでしょーがっっ!」
あー、何だってコイツはこう、ムカツク言い方ばかりするんだろ。頭にくるっ てもんじゃないわ!憤慨するわたしとは反対に、実に平然とした態度で神馬は、
「アクアだ」
と告げた。

はい?あまりに突然であったのと、ごく短い言葉だったので、空耳かとも思っ たんだけど、しかしそうではなかった。
「ここは、水の世界(エリア)、アクアだと言っている。より正確に言うならば、アクア の都の西、賢者の森になるがな。まったく、せっかく答えてやっているのだ。間 抜た面をせずにちゃんと聞いていろ」
実にていねいに教えてくれたのは、ありがたいんだけど、しかし、こいつはー っ!あまりの言いように言葉を無くすわたしに、何をどう曲解したのか、
「ん?ああ、すまん。間抜面は最初からだったか。だったら間抜面をするなと 言うのも無理な相談だな」
勝手に納得するなーーーーー!!

怒り心頭にたっする、というのはこのときの心境を言うんだと思うわ。
いつものわたしだったら、とっさに言い返していただろう。二倍三倍は当り 前、 状況により五倍返しというのがわたしのモットーだもの。
でも、このときはそうはしなかった。言い返すよりもまず、現在の状況を把 握、 つまりは、ここは一体どこなのか、知る方が先だと判断した訳。
今のところ、そ れを知る手掛かりは、厭味魔の神馬しかいない。まあ、生存本能が勝ったという ところかしら。
それに、復讐はいつだって出来る。そう、必要な情報を聞き出してからでも、 遅くはない。
という訳で、わたしが神馬から聞き出した、この世界の大まかな説明は以下の 通り。

この世界は、『夢幻界(ドリームワールド)』と呼ばれ、その昔、七柱の神々が創造したものである と言う。 
夢幻界は大きく六つの大地に分けられ、その内の五つはそれぞれ『火(ガイア)』『水(アクア)』 『風(シルファ)』 『地(サイア)』『光(ルシア)』の力を司る精霊神に守護されている。
残りの一つは、七柱神が世界を創造する過程で、生み出された『歪み』のせい で、精霊神の力も及ばぬ混沌に満ちた、不毛の世界になっているらしい。
この、 らしいってのは、実は、誰もそれを確認したことがないからで、確かなことはわ からないというのが正しいんだけどね。
しかし、世界の根源力ともいうべき精霊さえ、この地を避けていることから も、 あながち間違った見解ではない。と、これは、神馬の意見。
いや、別に、あんたの意見はどうでもいいんだけど。
とにもかくにも、その六番目の大地は、『閉ざされた大地(ロストスペース)』と呼ばれている。

生物が棲んでいるのは守護された五つの大地で、人間を始め、一角獣といった 聖獣、妖精(エルフ)、ドワーフなどの亜人族、果ては魔獣、魔物、極め付きは竜(ドラゴン)、と実に 様々な生物が存在する。
ここまでくればもう、ファンタジックRPGの世界だ わ。
想像を絶する状況に、またもやわたしは思考停止状態に陥ってしまった。

「先程からおかしいと思っていたが、なるほど」
ようやく納得がいったというように告げる神馬。あんたが納得できても、わた しにはまたもや理解不能なんだけど?
「ただのバカだと思っていたが、どうやらお前は『来訪者』であるらしいな」
「らいほうしゃ?」
またもや失礼な言い方をされたんだけど、つい意識が耳慣れぬ言葉の方に行っ てしまった。おうむ返しに尋ねるわたしに、
「異なる世界から訪れし者、と言う意味だ」
神馬はそう説明してくれるんだけど、しかし、あんたねえ、納得したんだった ら他にも言うことがあるでしょうが。
散々、バカ、バカと言ってくれたけど、初 めて来たんだもの。何にも知らなくて当然じゃない。
しかし、口を付いて出た言葉はまったく別のものだった。

「ねえ、どうやったら帰れる訳?」
そう、現在の状況はどうにか理解出来た。しかし、わたしは望んでここに来た 訳じゃない。理由も何もわからないままに、気が付けばここにいた。という訳 で、 当然帰る方法なんて知らない。
しかし、
「そんなことは知らん」
神馬の返答は、実に無情なものだった。
「し、知らん。って、あんた。そんな、あっさりきっぱり言わないでよね。困 るじゃないの、帰れないと。パパもママも心配するし、あ、それに晩御飯も食べ れなくなるし...」
ああ、またもや思考が支離滅裂になっていく。
「困ると言われても、知らんものは答えようがない」
ひ、開き直ったな、このー。
「役立たず」
ぼそっと、小さな声で言ったこの一言はどうやら、よほど効いたみたい。
ほ、ほ、ほー。うろたえてる、うろたえてる。なんか気分いいわ。今までえっ らそーにしてたヤツが、うろたえる姿を見るのは。これで、少しは腹の虫が治ま るってもんよ。

「アクアの都の導師ならば、何か知っているだろう」
教えてやるのも腹立たしいが、さりとて、バカにされたまま引き下がるのもし ゃくにさわる。不本意な態度を隠そうともせず、神馬が口を開く。
「アクアの都の導師?ふーん。なるほど。んで、どうやって行けばいい訳?」
とりあえず、ここから東に向かえばいいというのは、先程の彼の説明で分か る。
しかし、そんなアバウトなので、果たして辿り着けるだろうか?
答えは、否。第一、どっちが東でどっちが西なんだか、まったくわかんないん だから、結果は火を見るより明らか。
けど、まあ、それ程心配することもない。だって、わたしにはちょーどいい案 内役がいるんだから。
「まさか、私に都まで連れて行けと言う訳ではあるまいな」
「え?当然。だって、あんたしかいないでしょ」
どうか、間違いであってほしい、という風に尋ねる神馬に、あっさり肯定す る。
「.....。ふざけるな。勝手に行けばいいだろうが。だいたい、私がそこ までお前の面倒を見るいわれはない」

何か、言葉と一緒に、怒りのオーラがビシバシ出てるんですけど?
そんなに怒るようなこと言った覚えはないんだけどなー。しかし、神馬の怒り は本物らしく、“これ以上係わり合いになるのはゴメンだ”とばかりに立ち去る 素振りをみせている。
これは、ヤバイ状況だわ。訳のわからないまま、こんな所に置き去りにされた ら適わない。
一体、どうしたもんかな。と、ふと下げた視線の先に、 それはあっ た。そう、この事態を打開する切り札となるものが。

拾い上げてみると、それは掌にスッポリと収まる大きさで、中央には透明感の ある青い宝石が嵌め込まれている。
青鉱玉(サファイア)か、それとも藍玉(アクアマリン)かと思うんだけど、 その宝石の周りをぐるりと囲むように、精緻な彫金が施され、その処々には、中 央の宝石より少し色の薄い、小さな宝石があしらわれている。
一カ所だけ小さな金具が取り付けられているんだけど、これは、たぶん、紐か 鎖を付けるためのものだろう。良く見てみると、その金具にまで彫金がされてい るから、びっくり。
「うわー、すごい。きれい」
思わず上がった声に、いぶかしげに神馬が振り返り、わたしが手にした物に視 線を留めると、一瞬の空白を置いて、

「ーーーーーーーーーーあぁぁぁぁぁぁぁぁぁっっっっっ!!」

驚愕の声を上げた。
び、びっくりしたなあ、もう。一体何なのよ?
先程とは比べようもないくらい、うろたえまくる神馬の姿を見て、わたしは納 得した。
なるほど。どうやら、これは彼の持ち物らしい。そして、彼の慌てよう から、察するに、彼にとって大事なものなのだろう。
にやり。心中秘かに悪魔が笑みを浮かべる。
“これは、使える”と。

「き、貴様。いつのまに?いや、それはどうでもいい。早く返せ。それは、私 の物だ」
不穏な気配を察したのか、神馬はあせった口調で言う。
「ふーん?これって、あんたのなんだ?でも、残念。これは、もうあたしの物 なの。あのね、わたしの世界では、落とし物は、拾った人の物になるっていう決 まりがあるのよ」
「な、何だと?」
涼しい顔で言うわたしに、神馬は疑念の声を上げる。まったく、理解出来ない といった心境なんだろう。ま、それも当然。
念のため、言っておく。はっきり言 って、そんな決まりは、ない。せいぜいがお礼を言われるくらいで、たまに、菓 子折なんかが来たりするけど。
間違っても、拾得物が自分の物になるということはない。
でも、まあ、ものは言い様。人生時には、ハッタリも必要だと思う。
果たして、わたしの気迫が通じたのか、心なしか頼りなさげに、
「だ、だが、それは、お前の世界の決まりだろうが。私がそれに従わねばなら ない道理があるとでも言うのか?」
しかし、反撃することは忘れてはいなかった。
クッ。まさか、理詰でくるとは思わなかったわ。当然、神馬の言っていること が正しいのだから、分が悪い。
けど、ここで、引く訳にはいかない。そうよ、こっちは死活問題が掛かってる んだから。

「だから、どうだって言うの?あんた一つ大事なことを忘れてるわよ?何をど うこう言おうと、これが私の手にあるのは事実。」
言いながら手に持った宝石を、神馬に取られないよう服の中に隠して一呼吸。
「つまり、どう扱おうと私の自由。例えば、そこの泉に捨てちゃうとか?そう なったら、大変でしょうね。端っこはともかく、真ん中辺は結構深そうだし」
「..........」
怒りのあまりか、声もない神馬。
我ながら、かなり悪どいことをしているとも思うけど、しかし、手段なんて選 んでいられない状況というのもある。今がまさにそう。
それに、ヤルと決めたらとことん、ヤル!中途半端は体にも悪いし。挫けそう になる心を奮い立たせ、わたしは続ける。
「でも、返してあげたっていいわよ?わたしをアクアの都まで連れていってく れたらね」

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息の詰まるような沈黙。わたしも、神馬も。そして、
「...分かった。アクアの都だろうが、どこだろうが連れて行けばいいのだ ろう!」
白旗を上げたのは、神馬の方だった。自棄を起こしたように叫ぶ。
か、勝った...。
内心快哉を上げる。しかし、疲れたー。
あともうちょっと長引けば、良心の呵 責に堪え兼ねて、白旗上げてたのはこっちの方だったかもしれない。
まあ、とにもかくにも、こうして、わたしと神馬のアクアの都への道行は始ま ったのだった。



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