第440回定期演奏会 <2010.7.8-9>

指揮:大植英次

バルトーク作曲: 管弦楽のための協奏曲
シューマン作曲: 交響曲第2番ハ長調 作品61

BARTOK(1881-1945) SCHUMANN(1810-1856)

レナード・バーンスタインが札幌で始めたPMF、パシフィック・ミュージック・フェスティバル(若い音楽学生を集めて音楽教育をしようという催し)の第1回目が行われたのが1990年6月。
このときバーンスタインが取り上げた曲がシューマンの交響曲第2番。
バーンスタインの意欲とは裏腹に、このときすでに病魔が彼を襲っていた。そしてこの年の秋に彼は亡くなってしまう。
そんな状態で若い学生オーケストラに教えてる様子が映像で残っていて、当時レーザー・ディスクで発売され大きな話題となった。
なぜこんな話を持ち出してきたのかというと、この時、バーンスタインの助手として活躍したのが今日の指揮者大植英次で、このレーザーディスクにもその姿がはっきりと残っている。
(目を輝かした青年の姿が実に初々しい)
バーンスタインが練習を始める前、リハーサルを若き大植英次が担当し、バーンスタインが「Eiji,Eiji」と呼んで中断させ自分が指揮台に登る。
このときのバーンスタインの指揮ぶりは非常に興味深いし、シューマンのこのシンフォニーについて熱く語る部分は貴重だ。
演奏会は大成功で、若い音楽家の卵たちはとてつもなく大きな経験をしたでしょう。
そして大植英次にとっても一生涯忘れられない出来事だったことは疑う余地もないでしょう。
この札幌での演奏会の後、バーンスタインは東京での演奏会を続けることが出来なくて、一部大植英次がバーンスタインに変わって指揮することになり、その後の演奏会はキャンセルになりました。
師の演奏するシューマンの交響曲第2番は、大植英次にとって特別な曲になり、そのご自分で指揮するのを避けてきたようで、今回の選曲で長年の“封印”を解いたという話もあります(確証はありません)。
いずれにせよ大植英次がこの曲をどう演奏するのか、興味深いものがありました。


前半はバルトークの「管弦楽のための協奏曲」という20世紀前半の有名な曲。
これはストラヴィンスキーなどと共に現代の指揮者が好んで取り上げるものの一つで、いままで大植英次が取り上げてなかったのが逆に不思議なくらい。
全体にスローテンポでゆったりと大きな流れを作ってゆき、クライマックスを最後に持ってくる。
金管を強調することもないので心地よく聴くことができる。
その代わり、第3楽章の静かな音楽までややあっさり通り過ぎるような演奏で、ここはもっと思い入れたっぷりのほうがメリハリが付いて良いと思う。
終楽章はいろんな楽器が複雑に絡み合って重層的な音の塊になって突き進むので、いい演奏だったら本当に興奮するところ。
大植英次の演奏はここにポイントを置いてるので十分楽しめた。

問題のシューマン。
シューマンの交響曲は以前からオーケストレーションがうまくないと言われてきて、ブラームスなどに比べて演奏される頻度は少なかった。
この2番も纏まりとしてはあまりよくない音楽かもしれない。
2・3楽章は非常にユニークで、細かくて速いリズムで楽しいスケルツォと、一転してもがき苦しむようなアダージョはどちらも聴き応えのある音楽ですが、終楽章がよくわからない部分が多い。
主題が発展していくのかな、ロンドのように何度か繰り返すのかなと思っていたら途中から全く新しいテーマが出てきて、前後の関連性がなくなってしまいそうになる。
一つの方向に大きくまとまっていくベートーヴェンやブラームスの音楽とはやや方向性が違うし、かといってモーツァルトのようでもない。
大植英次の演奏は前半のバルトークと同じで、ゆったりと音楽を進めていって最後にクライマックスをつくるというものに思える。
でも3楽章のアダージョは、もっと深く沈潜するような音楽であってほしい。
何もバーンスタインの真似をしないといけないとは言わないけど、この楽章は演奏次第でもっと大きな感動を誘うはず。
ここがやや踏み込み不足で、やや散漫な感じの終楽章がうまく乗っていけないまま終わってしまったという印象。
病気(?)以降の大植英次は、かつての優等生の殻を脱ぎ捨て、自分の感じたままの音楽を大胆にやるという姿勢を見せてきたと思ったのですが、ベートーヴェンやブルックナーそしてこのシューマンなど古典派・ロマン派のドイツ音楽を演奏するときはやはり優等生的な音楽になってしまうようで、あのマーラーの5番のときのような激しさが見られません。
シューマンの音楽も非常に屈折したところがあると思うので、もっと大胆にそこを強調しても良いのではないでしょうか。
シューマンを美しく聴かせるべきかどうかは意見の分かれるところだとは思いますが、わたしは<大胆>な演奏を望みたいのです。