第422回定期演奏会 <2008.10.16-17>

指揮:ドミトリー・リス

リャードフ作曲 交響詩「ババ・ヤガー」作品56
ラフマニノフ作曲 「パガニーニの主題による狂詩曲」作品43
ショスタコーヴィチ作曲 交響曲第8番ハ短調作品65

ピアノ ダン・タイソン(Dang Thai Son)


Shostakovich Dmitry Liss

 マーラー・ブームの後は“ショスタコーヴィチ”と言われているようです。
20世紀の作曲家で交響曲をたくさん書いた人はほとんどいなくて、ショスタコーヴィチは15曲も書きました。
旧ソヴィエトの作曲家で、スターリン独裁体制の中でその作品に対する評価が大きく揺れ動き、世界的に評価が高まるようになってまだそれほど時間が経ってない<現代の>作曲家です。

ショスタコーヴィチの作品をどうこう言えるほどたくさんの作品を聴いてきたとは言えませんが、私にとっては独特の<暗さ>と<自虐的>な陽気さの交じり合った作品を書いた人、という印象の強い作曲家です。

この8番の交響曲は、7番と同様第2次大戦中に書かれたもので、戦意を高揚させるような勇ましい7番に対して、アダージョで始まりアダージョで終わるような、決して開放的ではない暗い音楽。
しかも第2・第3楽章はスケルツォのような部分で、異様に浮かれたような音楽が耳を圧倒します。
なかなか一筋縄ではいかないこのシンフォニーをどう演奏するのか、興味深いものがありました。

デュカスの「魔法使いの弟子」を思わせるような、リャードフの「ババ・ヤガー」を聴いたとき、その端正な音楽作りは大変好感の持てるもので、オーケストラをしっかりコントロールするいい指揮者だなという印象を持ちました。
御伽噺の魔法使いの不気味な姿を描いた短い作品が、オーケストラのウォーミングアップにもなったようです。

2曲目は、ラフマニノフの「パガニーニの主題による狂詩曲」。
パガニーニの奇想曲の主題に基づく24の変奏曲で、独奏ピアノとオーケストラのための協奏曲。
名ピアニストだったラフマニノフらしい、華やかな技巧と、メランコリックな旋律を織り交ぜた曲で、かつてNHKのラジオ番組のテーマに使われていて馴染みの深い音楽。
ベトナム出身のダン・タイソンは、ショパン・コンクールのに優勝しセンセーショナルな話題を提供してはや30年近い年月が流れてしまいました。
実際に聴くのは初めてですが、この華麗な曲を余裕を持って弾きこなしていました。
体格は他の東洋人と同じく小柄で、こういう技巧的な音楽は苦手かなと勝手な想像をしてましたが、そのピアノは、ショパンコンクール優勝者らしい華やかさを感じ取ることが出来ます。
このラフマニノフの変奏曲、ちょっと不思議な曲です。
普通変奏曲は最初に主題が提示されその後徐々に変化していくのですが、この曲の出だし、変奏から入っていきます。つまり、最初に主題が提示されなくて、主題を想起させるような断片的な音型でスタートするのです。
それとなんといっても特徴的なのは、メランコリックな旋律の美しさ。
大阪フィルの弦がすすり泣くような情緒たっぷりの演奏を聴かせてくれ、しばし酔わせてもらいました。
 (この曲の間睡魔が襲ってきて、少し聴きのがしもありますゥ・・・・・・)

後半、今日のメイン・プログラムである、ショスタコーヴィチの交響曲第8番
第2次大戦中の1942年、ドイツ軍にレニングラードを包囲されるという状況下で戦意高揚の音楽とたたえられた交響曲第7番が初演された。
翌年、ソ連がドイツ軍に反転攻勢に出たころに作られたこの8番は、前作と趣を大きく変えた作品で、非常に内面的な音楽といえるかもしれません。
低音弦が呻くような主題を奏でて始まり、延々とその重苦しい雰囲気が続きます。
その第一楽章のみならず全曲を通していえるのは、弦楽合奏が中心になっており、弦楽合奏と対話するように木管合奏だけの部分があったりと、オーケストレーションの斬新なところもこうして実演を聞いていると非常によくわかりました。
もちろん金管楽器の咆哮も打楽器の強打もあり、オーケストラの醍醐味にも事欠きません。
それでもあえて言うならこの曲は、弦楽合奏を中心とした内省的な音楽だと思います。 
リスの指揮は、この弦楽合奏を基本にした非常にまとまりのある演奏でした。
決して金管が浮き出ることなく、また木管楽器も弦とうまく対比させていて非常に音楽的な演奏といえると思います。
リスの演奏を聴いていると、この辺りの様子が手に取るように分かるのです。
弦と木管がはっきり分けられているにもかかわらず、弦から木管への移行が凄く自然で、指揮者のうまさかなと感心しました。
また、ショスタコーヴィチの曲によく出てくるのが小太鼓。
リズムをしっかり刻むには効果的な楽器だと思うのですが、強い音で長く続くと嫌味に聞こえることがありますが、これが非常に印象深い音でした。
印象深いといえば、第一楽章の後半にイングリッシュホルンの独奏が長く続く部分があります。
これだけ長いソロは、ドヴォルザークの「新世界から」しか聴いた事がありません。
この楽器の、メランコリックな、どこか物憂げな気分をかもし出す音が、曲の暗いイメージを助長しているようで、後々まで残るいい音楽でした。奏者の息の長い表現力が素晴らしかった。
トランペット・フルート・ファゴットもすてきで、全体に埋もれることなく、かといって自己主張が強いというわけでもない、音楽的なという表現がぴったりの演奏でした。

指揮者リスの統率力は大したものだと感心しました。
曲をしっかり見据えた演奏だったということは、全曲聴き終えて実感できました。
唯一つ不満だったのは、第2楽章スケルツォがやや遅めのテンポだったので、曲の様子はわかりやすいかもしれませんが、曲想を考えるともう少し狂気じみた凄みがあったほうがよかったのではと思いました。
そのほかは全く見事な演奏で、ヴァイオリンもチェロも快演でした。

それにしても、この8番は凄く深い意味を感じさせる曲です。
人間の持つ本質的な悲しみと本源的な狂気を表現しているのでは・・・・・・?
少し時間を置いてからもう一度ゆっくり聴いて見たいと思います。


この演奏会に臨んで、ハイティンク/コンセルトヘボウとムラヴィンスキー/レニングラード・フィルの二つの演奏を聴いてみましたが、あらためてムラヴィンスキーという名指揮者の凄さを思い知らされました。
ハイティンクのような生ぬるさは皆無で、研ぎ澄まされた音たちの饗宴とでもいうより他に言葉が見つかりません。
この曲の初演者だからということではなく、指揮者の格の違いでしょう。
モノーラルの古いCDの音ですが、そこに詰め込まれている音は、大きな人間ドラマを描いており、人間の心の中を白日の下に晒そうというような演奏でした。