素顔で笑っていたい.29








「お父さんは信じたくないでしょうけど、事実よ。あの人は、私の気持ちなんて始めからどうでも良かったのよ。ただ、私の身体に興味があって、手を出したかったから、婚約しようとしてただけ。・・・ああ、お父さんの力も欲しかったみたいだったけど。仁科家にとっては、きっと良縁だったってことなんでしょうね。それを断ったものだから、あの人、お父様に叱られたんだそうよ。・・・それで、その原因になった私を辱めて、智史を痛めつけようって思ったみたい・・・智史の傷は、その時のもの。ここだけじゃなくて、お腹のところはもっと酷かったらしいわ。私は、見てないけど・・・」
 あきのは辛そうに目を伏せる。
 あの時のことを思い出すと今でも泣きそうになる。自分にされた仕打ちよりも、智史の受けた暴力の惨さが辛い。
 抵抗出来ない智史を、情け容赦なく殴り、蹴っていた男たち。それを見て笑っていた徹。
 どうしたらあんなに酷いことが出来るのかと叫びたい程に、目前でなされていた光景は耐え難いものだった。
 全ては、徹の歪んだ自己満足のため。
 自分にされた仕打ちも辛いものだったが、それは智史が癒してくれた。でも、彼の負った傷に対しては、何もしてあげられていない。
 せめて、この傷のことで総一郎の印象が悪くなるのなら、真実を告げてそれを庇うくらいしか、あきのに出来ることはなかった。
「あきの・・・それは、本当、なんだな?」
 確認するように、総一郎が尋ねる。あきのは目を開いて、総一郎を真っすぐに見つめた。
「ええ、そうよ。知り合いだか友達だかは知らないけど、仲間に智史を押さえつけさせて、無抵抗にさせて殴ってた。・・・それでも、智史は・・・私の心配をしてくれて・・・今回だけじゃないわ。以前にも、別の暴漢に襲われそうになったのを助けてもらったことがあるの。智史は、いつもそうよ。いつも・・・私を、助けてくれる。お父さんと、こんな風に話せるのも、智史のお陰だもの。倫子さんが、今、こうして赤ちゃんと一緒に無事なのも。・・・私は、智史にどれだけ感謝しているか判らないわ」
 智史の方を見て、あきのはふわっと微笑んだ。
 作りものではない、心からの自然な笑み。
 智史だけでなく、総一郎と倫子も目を瞠るほど、いい笑顔だった。
「あきの・・・」
「ありがとう、智史。何度も言ってるけど、あなたと出会えて、本当によかった・・・」 
 智史もふっと表情を緩める。
「・・・それはこっちのセリフだ。・・・あきのくらいだからな、俺を好きなんて言ってくれるのは」
「みんな知らないだけよ、智史のやさしいところを。・・・まあ、私はその方がいいと思うけど・・・」
 独占欲丸出しのような言葉を口にしてしまい、あきのは僅かに視線を智史から外し、頬をほんのりと赤くした。
 そんな2人の様子を見て、総一郎と倫子も顔を見合わせる。
 倫子はそっと微笑んだ。
「やっぱり、理由のある傷だったってことね、大麻くんのは。・・・ねえ、総一郎さん、あきのちゃんと大麻くんのおつき合いを認めてあげてくれないかしら」
「・・・・・」
 総一郎は眉根を寄せて、倫子を見、それから、あきのと智史の方へと顔を向ける。
 あきのと智史は真っすぐに、総一郎を見つめていた。
 どちらの瞳も揺るがない、そんな強さが滲み出ている。
 総一郎は厳しい表情のまま、智史に質問を投げかけた。
「・・・今時の高校生は、すぐに深い関係になるというが・・・君と、あきのも、その・・・そういう、関係なのか」
「・・・いえ、まだです」
 即答した智史に、総一郎は僅かに眉を動かす。
「本当か、あきの」
「ええ、本当よ。私たち、つき合い出したのは去年の秋だけど、まだ、そういうことはしてないわ。ずっと、私が・・・そういうコトに嫌悪感持ってたの、智史、知ってくれてるから・・・」
 あきのが目を伏せる。
「それだけじゃありません。その、俺は男なんで、正直、興味がないとは言いません。けど、もっと大人になってからでも、充分じゃないかな、と思うんで・・・それで、です」
 智史も言葉を添える。さすがに、総一郎を真っすぐ見たままではいられなくて、視線を逸らしたが。
「・・・私が傷つかないようにって・・・凄く、気を遣ってくれてるの、智史は。友達には、つき合いだして半年以上経つのに、まだ何もないのかって、言われたりすることもあるけど・・・人は人、自分たちは自分たちだからって、智史は言ってくれるから・・・だから、私も無理をしないで済んでるのよ」
 頬をほんのりと染めながらも誇らしげに言うあきのを見て、総一郎と倫子もその言葉の真実を感じる。
 倫子は勿論、総一郎にも、頑なに反対する理由を封じられてしまったようなものだ。
 総一郎は諦めの溜息をついた。
「・・・仕方がない。このままの、清い関係をこれからも保てるというのなら、つき合いを認めない、こともない。だが、あきのは大事な娘だ、傷つけることは許さん。それは、肝に銘じておきなさい」
「はい。・・・ありがとうございます」
 智史はゆっくりと頭を下げた。
「お父さん・・・これからもって・・・そりゃあ、今はまだ、早いと私も思ってるけど・・・でも、いつか、大人になったら、そういうコトも、経験する日が来るかもしれないじゃない」
 あきのが少し呆れて言い返すと、総一郎はむすっとした表情でそれに応える。
「嫁にいくまで清い関係でいるのが本当だろう。・・・最近の若い奴にはおかしいと言われるかも知れんが、そもそも、簡単に深い関係になる方がおかしいんだ。お前に何かあったら、美月に申し訳ないからな」
「お父、さん・・・」
 実母の名が飛び出してきて、あきのは目を丸くした。
 総一郎は僅かに目線を上へと逸らしている。
「お前を、きちんと嫁に出すか、婿を取って家を継がせるかは別として、ちゃんと花嫁にして、幸せにさせる、というのが美月との約束だった。・・・それだけは、守らねばならんのだ」
「お父さん・・・」
 総一郎の言葉を聞いて、改めて、実母に愛され、守られてきたことを実感する。あきのはまた微笑んだ。
「・・・ときに、大麻くん」
「・・・はい」
 再び矛先を向けられ、智史は背筋を伸ばして総一郎を見つめた。
「君は、勿論大学に進むつもりなんだろうな? 将来、どういう仕事に就きたいと考えているのかね」
「・・・それは・・・」
 智史は答えに窮した。
 進学の意思はある。けれど、明確に目指す職業を決められているわけではない。だから、志望校もまだ、曖昧なままだった。
 じきに6月も終わる。明確に志望校を決めて、それに向かって勉強を始めるには遅い時期に来てしまっている。解ってはいるが、あきののような明快な答えは出ていない。
 いくつか候補はあるのだが、正直、どの学部を受けるにしても、現在のままの自分ではハードルは高めだ。
 それでも、いい加減ではいたくない。それだけは智史の中に確固たる事実として存在している。
「・・・正直に言うと、まだ、どういう職業に就きたいかという明確な目標はありません。けど、教師か、理学療法士か、臨床検査技師になれたら、というのはぼんやりと考えています」
「・・・あきのと、似たような道へ、進むのが希望か」
 総一郎の言葉に、智史は僅かに眉根を寄せた。
「あきのさんと、似た道へ進みたい、というよりは、自分に出来そうなことを考えての希望です。それが、たまたま彼女のものと重なるかもしれない、というだけで、彼女が看護師志望だから思いついたという訳ではないです」
「・・・君の、ご両親は、教師、だと聞いたように思うが」
「はい。父は高校教師、母は幼稚園教諭です。父方の祖父は医者で、母方の祖父はやはり教師でした。それと、母の姉が助産師で、その夫である伯父は医者です。ですから、俺にとって、医療関係というのも意外と身近なものだったりします」
「・・・そうか」
 智史の受け答えが思ったよりもきちんとしていることを、総一郎は感じ取っていた。諸手を上げてあきのとの交際に賛成、とはいかないが、とりあえず、見守るということにしても良さそうだと思えた。
「・・・ともかく、学生らしい、節度のあるつき合いをすることだ。それと、進学も出来んような男は認めるわけにはいかんぞ。しっかり、頑張りなさい。無論、あきのもだ。いいな」
「・・・はい」
 智史は頷き、あきのと顔を見合わせて微かに笑った。









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