素顔で笑っていたい.30








「・・・何にせよ、良かった。親父さんが認めてくれて」
 椋平家を出て、智史とあきのは海辺の公園へと移動していた。
 雲は多いが、晴れ間も覗いている。少し暑くなってきているのが、夏の訪れが近いことを告げていた。
「・・・ごめんね、智史。嫌な思いさせたでしょう」
 あきのがじっ、と智史を見つめる。
 その気遣わしげな瞳に苦笑して、智史はあきのの頭を軽くぽんぽんと叩いた。
「そんなことねぇよ。・・・それより、お前こそ・・・悪かったな、あいつの話、させちまって」
「ううん・・・いいの。これでお父さんもはっきり判った筈だから。あのひとがとんでもない人だったってこと。だから、いいの」
「・・・あきの」
 自分を真摯に見つめる智史の瞳を見つめ返して、あきのは微笑んだ。
「ありがとう、智史。・・・これからも、よろしくお願いします」
「あきの・・・」
 智史は一瞬瞠目し、それから苦笑いを浮かべた。
「・・・なんか、そんなこと言われたら、お前を嫁さんにでもするのかって感じだな」
「あ・・・えっと、そういう、意味じゃ・・・」
 あきのが慌てて首を振ると、智史はふっと笑う。
「解ってるって。・・・俺はまだまだガキで、半人前だからな・・・けど、いずれは・・・」
 ふと、真顔になった智史に、あきのも自然と真剣な瞳で彼を見つめ返す。
 智史は僅かに逡巡したが、ゆっくりと言葉を紡いだ。
「・・・今は、ガキで、何も言ってやれねーけど。何も、考えてない訳でもねーから。その『時』が来たら、お前にちゃんと言うから・・・今は、何も言えない俺で、我慢してくれるか、あきの」
「智、史・・・?」
 あきのは大きく目を瞠った。
「あいつや、親父さんのお陰で、俺は俺なりに、自分の未来の姿について、色々考えさせられた。ぼんやりとではあっても、進めそうな方向も見つかったしな。そして、お前が・・・俺にとっては、とても大切だってことも、思い知らされたよ、今回のことで。確かなことは何もないけど、出来るなら、俺も、お前にずっと、傍にいて欲しいって思ってる。お前と、一緒にいられたらいいと」
「智史・・・!」
 あきのの胸が震えて、熱くなった。自然と、智史の顔がぼやけていく。
「・・・私も・・・智史と一緒にいたい。出来るなら、ずっとずっと・・・」
「・・・あきの」
 智史は涙が零れだしたあきのの目元に、そっと指を当ててそれを拭う。
「・・・ああ。俺とお前、同じ気持ちだな」
「智、史・・・」
 あきのは目元を拭う智史の手に、自分のそれをふわりと当てた。
「好き・・・智史が好き」
「・・・俺もだ」
 智史は手を離し、そっとあきのを抱き寄せた。
 智史の温もりがあきのに心地よい安らぎをもたらす。
 ドキドキもするが、それもまた心地よい感覚で。あきのは智史の胸に頭を預けて、目を閉じた。
「・・・あきの」
 智史が囁くように耳元で名を呼ぶ。
「・・・なあに?」
「・・・いや・・・なんでもねぇよ」
「・・・智史?」
 あきのがそっと顔を上げて見上げると、智史は上へと視線を逸らしていた。
「どう、したの?」
「・・・・・いや・・・・・ここじゃ、ちょっと、な・・・」
「?」
 意味が解らなくて、あきのは僅かに首を傾げた。
「智史?」
「・・・人目があってよかったってトコだよ」
「えっ、と・・・?」
 ますます意味が解らなくなったあきのに、智史はばつの悪そうな表情になった。目線は、やっぱり逸らされたままだ。
「ねえ、智史、どうしたの?」
 あきのは両手を伸ばして、智史の頬を挟むようにして自分の方を向かせた。
 突然の行動に、智史は瞠目してしまう。
 あきのの瞳は真っすぐに智史を捕らえていた。
「本当に、どうしたの? 智史・・・私・・・また、何かした? あなたがイヤなこと」
「いや・・・そうじゃなくて・・・」
 智史は誤魔化しきれないと悟り、やはり目線を避けて、ぼそりと告白した。
「・・・さっき、思わずお前にキスしそうになって・・・ここが、公園だってこと、思い出して踏みとどまっただけだ」
「あ・・・」
 あきのはぽっ、と頬を染めた。確かに、公衆の面前でキスシーンを披露するのはどうかと思う。
「・・・人目がなかったら、お前にキスして、もっと・・・触れてたかもな」
 親父さんと約束したのに、と智史が苦笑する。
 あきのはそっと頬から手を外して、智史の両手をふわっと握った。
「・・・いつか、もし・・・そういう機会が訪れたら、私・・・やっぱり、初めては、智史とがいいな。ううん、初めてだけじゃなくて・・・出来たら、智史だけが、いい・・・」
「あきの・・・」
 恥ずかしそうに頬を染めているあきのに、智史は愛しさが込み上げてくるような感覚を覚える。
 本当にここが人前で良かった。
 智史はあきのの手を逆に握りしめる。
「・・・そうだな。俺も、お前だけでいいと思う。・・・ま、そんなのはまだまだ先の話で、とりあえず、まず、自分たちの進路を確定させねぇとな」
「・・・うん、そうだね」
 自分たちは受験生。まずは、希望する進路に行くための努力をして、それを為していかなければならない。
「あ、でも、智史が理学療法士とか臨床検査技師とかになりたいなんて、知らなかった。・・・いつ、考えたの?」
 あきのが問いかけると、智史は握っていた手を離した。そして、前髪を少し乱暴に後ろへと梳く。
「あー、まあ、その・・・俺に何が出来そうかってのを考えてって・・・俊也にも『お前はどう考えても文系よりは理系だろう』って言われたのもあってな、今岡にも相談して、職業の内容とかってのを、俺なりに調べて・・・それで、先週、なれればいいかって思ったんだ」
「先週・・・倫子さんが、倒れた頃?」
「・・・のちょっと前。お前の見合い話を聞いてから。・・・やっぱな、ガキなのは仕方ないにしても、進路すらまともに考えられないようじゃ、情けな過ぎるだろ? それで、考えてみた。ただ・・・」
 そこで智史は大きな溜息をつく。
「今のままの俺じゃ、資格取れそうな大学は入れねえってことが、最大の問題なんだよなあ・・・あー、情けねえ・・・」
「・・・諦めちゃうの?」
 あきのは少しだけ、挑発するような笑みを浮かべて智史を見つめる。
 智史はふっと笑った。
「・・・冗談だろ。諦めないさ、最後まで。最悪、専門学校って手もあるし。・・・そんなことになったら、親父さんには睨まれそうだけどな」
 大学にも入れないようでは認められない、と総一郎に宣言されてしまったのだ。意地でも頑張らないと、と智史は思う。
「・・・カッコ悪いけど・・・英語、教えてくれるか? あきの。香穂にだけじゃなく、マジに、俺にも」
 神妙な表情になった智史に、あきのはやさしい笑みで応えた。
「ええ、勿論。一緒に頑張ろ、智史」
「ああ」
 顔を見合わせ、頷きあって、あきのと智史はごく自然な笑みを浮かべた。

 こうして、お互いにいつでも素直に、素顔のままで笑っていられる関係でありたい。これからも、ずっと。
 そんなことを思いながら2人が公園を後にしたのは、暖かな色の夕焼け雲の下でのことだった。




END

  







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