素顔で笑っていたい.20









 しかし、総一郎はあきのを怪訝な表情で見つめる。
「・・・何を言っているんだ、あきの。徹くんは、お前のことを気に入って、是非妻にと、望んでくれているというのに」
「だから、それは、私の・・・身体に興味があって、抱きたいだけよ。だって、あの人、私の身体を値踏みでもするような目つきで見てたわ! それに、私の意思とか気持ちなんて関係ない、愛情なんてなくても結婚出来る、みたいなことも言ってた。私は、愛情のない結婚なんて出来ないと思うし、したくないもの」
 あきのの言葉に、総一郎は眉を顰めた。
「馬鹿な・・・徹くんが、そんないい加減な・・・」
「・・・じゃあ、私が嘘を言ってるっていうの? 愛情なんてなくても結婚は出来る、みたいな発言は智史だって聞いてたのに。・・・そうよね? 智史」
 あきのに縋るように見つめられ、智史はゆっくりと頷いた。
「確かに、そんなことを言っていた。この結婚は家同士のためだけで、お互いの気持ちなんてどうでもいい、みたいな言い方だったな」
「・・・君は口を挟まないでもらおう」
 総一郎が冷ややかに智史に言い放つ。
 智史は片眉を僅かに吊り上げたが、そのまま口を噤んだ。
 しかし、あきのはその言葉に憤りを感じる。
「・・・どうしてそんな酷いことが言えるの・・・? やっぱり、お父さんは 私なんかどうでもいいってことなのね? 私が不幸になろうが、自分の思惑通りにさえ運べば関係ないってこと?」
「あきの? 何を馬鹿なことを言い出すんだ」
「だってそうじゃない。あの人と結婚したって、私は幸せになんてなれないんだもの!」
「そんなことが何故判る? まだろくにつき合ってもみないでそんな判断を下すのは早すぎるだろう」
「・・・じゃあ、聞くけど、お父さんにとって、私の幸せって何なの? お金や地位のある人と結婚すれば、幸せになれるとでも思ってるってこと?」
「・・・女の幸せはいい男と結婚することだろう。金や地位も、あるに越したことはない。お前だって、私が稼いだ もので、今まで何不自由なく暮らしてきたではないか」
 総一郎の言葉は、あきのを激しく失望させた。
 結局、総一郎はあきのの気持ちなど何も解っていないのだ。
 がっくりと肩を落としたあきのを見て、智史の中にも静かな怒りが生まれる。
 話には聞いていたが、総一郎がここまで、あきのの気持ちを理解していないことが信じられない。だからと言って、彼が娘を疎んじているような様子はないが。
 あきのに幸せになってもらいたい、という父親としての想いは、確かに存在しているようだが、その表現の仕方が娘の意思にそぐわない、ということのようだ。
 黙れ、と言われたが、智史は黙って いられなくなり、口を開いた。
「おじさん、あきのさんが本当に欲しいものが何だか、ご存知ですか」
「・・・何?」
 総一郎は智史を不快そうに見つめる。智史も、それを正面から受け止めた。
「彼女が欲しいと思っているものは、お金が充分にあれば得られるというものじゃないってことです。彼女は今、俺や、俺の家族との中でその欲しいものを得ようとしてる」
「智史・・・」
 あきのが瞠目して智史を見上げる。
 静かな、穏やかな瞳で、智史はあきのを見た。
 そんな風に見つめられては、あきのは苦笑するしかない。
「・・・気づいて、たんだ」
「当たり前だろ? 親父と母さんも、ちゃ んと気づいてるぜ? 志穂たちは解ってないと思うけどな」
「そっか・・・そうだよね。おじさまもおばさまも教職なんだもの。私がどんな状態か、なんて、簡単に見抜けちゃうよね」
 あきのはふっと、淋しそうな表情になる。
「なら・・・私、おじさまやおばさまに、同情してもらってたってことなのかな・・・」
「いや、それはないな」
 智史は即座に否定した。
「親父も母さんも、同情だけならあんなに何度もお前を迎えようなんて考えないと思うぜ? ありゃあ、純粋にお前のことが好きなんだよ、志穂たちと一緒で。だから、気にするな」
「・・・うん。ありがとう、智史」
 あきのがはにかんで微笑 む。
 智史もやさしい瞳であきのを見つめる。
「・・・あきの」
 総一郎は冷ややかな声で娘の名を呼んだ。明らかに怒りが含まれている。
 あきのと智史も表情をすっと引き締めて総一郎を見た。
「何、お父さん」
「今の話からすると、お前は彼の家族と何度も会っているのか」
「・・・ええ、そうよ。月に何度か、お夕飯もいただいたりしてるわ。倫子さんが仕事だって判ってる金曜日か土曜日に」
 総一郎の眉間の皺が更に深くなった。
「・・・何が不満だ。小遣いも充分に与えてあるだろう。家政婦にも来てもらってる。親もいる。それで、まだ何が不満だと言うのだ、お前は」
「・・・親がい る?」
 あきのは皮肉げな笑みを刻んだ。
「・・・確かに、お父さんと倫子さんは私の両親だわね。でも、それは戸籍上の、じゃない。倫子さんは、いつも私を気に掛けてくれて・・・それは判ってるんだけど、それでも、仕事が忙しくて不在が多いのは事実じゃない」
「・・・ごめんね、あきのちゃん・・・」
 倫子がすまなさそうにベッドの上で項垂れるのを見て、あきのは首を横に振った。
「ううん、いいの。倫子さんが私のことをちゃんと考えて、思ってくれてるってことは判ってるから、不満をぶつけたいわけじゃないの。だけど・・・だからって、割り切れる程、私は大人じゃない。お父さん、私はね・・・本当のお母さ んが亡くなったあの時から、お父さんを父親だとは思ってない」
「・・・何?」
「・・・正確な言葉は違うけど・・・でも、気持ちはそうだもの。美月お母さんが亡くなった時、私の中では両親を失ったも同然だわ。私がこんな気持ちでいるなんて、お父さんには判らなかったんでしょうけど」
 あきのの言葉に、総一郎だけでなく、倫子も茫然としている。
 ただ、智史だけは険しい瞳であきのを見ていた。
 普段抑えていた気持ちを解放するにはいい機会なのだろうが、あまりにも感情的になりすぎると言わなくてもいい言葉まで出てしまう恐れがある。そんなことになったら、あきのと総一郎の関係は修復出来なくな るかもしれない。それは、避ける方がいいだろうと、智史は考えていた。
 あきのの引き際を見極めること。本来、智史には苦手な部分だが、そうは言っていられない。
 やがて、総一郎の瞳が激しい怒りを湛えていくのを見て、智史は咄嗟にあきのの前に出て庇う。
 ぱぁん、と乾いた音が響き、総一郎が智史の頬を叩いていた。
 叩かれた智史は静かに総一郎を見つめた。
 けれど、あきのと倫子は総一郎が手を上げたという事実に凍りつき、総一郎もあきのではなく智史を叩いてしまったことに、ばつの悪そうな表情になる。
「・・・少し、落ち着いたほうがいいです、おじさん。・・・あきのも、ちょっと言 いすぎたんじゃないか?・・・いや、足りないのか。父親だと思ってない、なんて、それは違うだろ? お前が欲しかったもの、ちゃんと口にしてみろよ。素直になった方がいいと思うぜ? 俺は」
「智史・・・」
 あきのが茫然とした様子で智史を見つめる。
 素直になった方がいいと智史は言う。けれど、そのための、自分の気持ちを表現する言葉はあまりにも子供っぽくて、小さな子供のワガママだと言われてしまいそうで、口に出すことを躊躇ってしまう。
「・・・智史・・・だけど・・・」
「・・・俺も、苦手だけどな、そういうの。でもな、そういう気持ちってのは、子供とか大人とか、関係なく湧いて出てくるもんだろ ? 勇気がいるだろうけど、言葉にしないと気持ちは伝わらないって、誰かが言ったし、それはそうだって、思うからさ」
 僅かに、視線を斜め上に逸らして言う智史に、彼のテレを感じて、あきのは両手をぎゅっと握り合わせる。
「・・・智史は、呆れない? 私のこと」
「呆れる訳ないだろ?」
 智史のやさしい瞳に後押しされて、あきのは総一郎に真っすぐ向き直った。

  








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