素顔で笑っていたい.19









「そうよ、あきのちゃん。・・・感情を表すのがとても下手だけど、総一郎さんはあなたを大切に思ってるわ。だから、私とも・・・」
「だけど! そんなの、倫子さんに失礼なんじゃない? 倫子さん、まだ若いんだし、自分の子供が欲しいって、思ったことだって、あったんじゃ・・・」
 あきのの言葉に、倫子は少し哀しげな笑みを浮かべてゆっくりと首を振った。
「・・・それもね、総一郎さんのやさしさよ。・・・私が美月さんと知り合ったのはね・・・別れた前の夫との間に生まれた娘を、失いかけてた時だったのよ・・・」
「えっ・・・」
 初めて聞く倫子の過去。
 離婚暦があることは知っていた。けれど、まさか、我が子を亡くしていたとは、思っても見なかった。そんな素振りは一切、あきのの前では見せなかったのだ。
「・・・まだ5歳にならない子だった。生まれつき、呼吸器系が弱い子でね、あの時も、風邪をこじらせて、肺炎になって・・・入院してたの。そんな時だった。私、夫に責められてね、こっそり泣いてたのよ、病院の中庭のベンチで。そこに美月さんがやさしい笑顔で、ハンカチを差し出してくれて・・・それから、気づいたら、ちょくちょく顔を合わすようになっていって、美月さんに愚痴聞いてもらって、不安吐き出して励ましてもらって・・・自分も 病床にあって大変なのに、私や娘の具合を気に掛けてくれて、随分慰めてもらったわ。・・・でも、結局、娘はその肺炎をこじらせる形で、亡くなって・・・夫に、離縁を言い渡された。それから、間もなく、美月さんも・・・。亡くなられる前にね、私、言われたの。『あなたの娘は私が守るから、あなたはあきのを守ってやってくれない?』って。それから、よ・・・総一郎さんと、おつきあいするようになったのは。あきのちゃんとも、そうでしょう?」
「・・・ええ」
 母・美月が亡くなって暫くして。倫子と、初めて顔を合わせた。
 お膳立てをしたのは総一郎だが、倫子は、総一郎抜きでも、あきのと 会って話をしてくれた。うんと年の離れた姉、という雰囲気の明るい倫子のことを、あきのはじきに好きになり、総一郎が再婚する、と言った時も、反対する理由がなく、現在に至る。
「倫子さん・・・やっぱり、嫌? 赤ちゃん、産むの」
 あきのが不安そうに問いかける。
 そんな哀しい思いをしたことがあるのならば、『欲しくない』と言われても、仕方がないのかもしれない、とも思うから。ただ、間違いなく現在、倫子のお腹で赤ちゃんは生きているのだから、出来るなら、その、たった1つしかない生命を大事にして欲しいと思ってもいた。
「・・・そうね・・・大人なのに情けないって、言 われちゃうかもしれないけど・・・不安では、あるのよね・・・」
「倫子さん・・・」
 あきのが更に言葉を継ごうとした時、扉を慌しく叩く音がして、それが開かれた。
「倫子、あきの」
「総一郎さん・・・」
 ブラウン系のお洒落な眼鏡をかけ、ブランド物のスーツをきちっと着こなした総一郎が、病室に入ってきた。
 ベッドに横たわる妻と、傍にいる娘をまず見、それから、見知らぬ少年に目つきを厳しくする。
「・・・何だね、君は」
 厳しい視線を向けられた智史は、すっと頭を下げた。
「大麻 智史といいます。あきのさんとは、クラスメートで、おつきあいをさせてもらっ てます」
 智史が頭を上げると、総一郎は胡散臭いとでも言いたいげな表情になった。
「・・・君か。あきのをたぶらかしたというのは」
 吐き捨てるような口調と、あまりの言葉に、あきのが総一郎に噛みついた。
「そんな言い方しないで! 彼はそんな人じゃないわ!」
「お前は黙っていなさい、あきの。それに、ここは病院だ。大きな声を出すものじゃない」
「お父さんが怒らせなければ、怒鳴ったりしないわよ!」
「・・・ちょっと、2人とも・・・」
 言い争いになりかねないあきのと総一郎の会話を止めようとして、倫子が身体を起こそうとする。それを智史が制した。
「ダメですよ。今は起き上がらないで下さい。腹圧をかけちゃいけない」
「あ、ああ・・・そうね」
 倫子が大人しく智史の言う通りにしたので、総一郎は眉間に深い皺を刻んだ。
「・・・何を言っている。君は一体何なんだ」
「・・・だから、ちゃんと話そうとしてるのに、聞く耳持たないのはお父さんの方でしょう?」
 あきのは総一郎を睨みつけた。
「少し黙って私の話を聞いて、お父さん。倫子さんが道で倒れそうになった時に偶然そこに居合わせて、こうして病院まで連れてきてくれたのが彼なの。病院に着いて初めて、倫子さんが私のお母さんだってことが判って、私に知らせてくれ たのよ。今、彼がここにいるのは、私が居てって頼んだから。病院は・・・思い出すんだもの、どうしても・・・」
 あきのがそこで言葉を切り、視線を下げた。
 総一郎にも、それが何のことを差すのかは理解出来た。
 あきのは視線を戻して更に言葉を続ける。
「それと、お父さん、倫子さんとじっくり話してよ? 私の希望は・・・倫子さん、さっき言った通りだから。倫子さんには、もしかしたら、辛いかもしれないけど・・・」
「あきのちゃん」
 倫子は温かく微笑んであきのを見つめる。
「・・・ありがとう。・・・そうね、頑張って、みようかな。これがきっと、最後のチャンスだと思う から」
「倫子? 何のことだ」
 総一郎が厳しい表情のまま、倫子を見た。
 倫子もまた、総一郎を真っすぐに見つめ返す。
 あきのは緊張した面持ちで2人を見守り、智史はその様子を眺めていた。
「総一郎さん・・・約束、破ることになっちゃったわ。・・・赤ちゃんが、いるの。3ヶ月、ですって」
「何? 子供が?」
 総一郎は瞠目して妻の顔を凝視する。
「・・・ええ。全然、気づいてなかったんだけど、それもあって、こんなことになっちゃったみたいなのよ・・・あきのちゃんはね、出来るなら産んで欲しいって言ってくれてるの。だから・・・いいかしら、総一郎さん。約束破り になってしまうけれど」
「・・・無論だ。ともかく、身体を大事にしなさい、倫子」
 おそらく、授かることなどないと思っていた2人目の子供が出来たことは、総一郎にとっても嬉しいことではあった。
「・・・ありがとう、総一郎さん」
 嬉しそうに微笑む倫子を見て、あきのと智史もホッとする。
 しかし、これで総一郎から智史への追究が終わった訳ではなかった。
 総一郎は妻に頷いてみせると、再び、智史へと厳しい視線を向けた。
「・・・君が、倫子を病院へと連れてきてくれたことには感謝しよう。だが、それと、あきののことについては話は別だ。とにかく、今日はお引取 り願おう。君と話すことはない」
 総一郎の発言に、智史はぎゅっと眉根を寄せ、あきのは目を瞠った。
「ちょっ・・・お父さん、何よ、それ」
「あきの、お前には仁科くんがいるだろう。彼も、それを知っているんじゃないのか? 今日、仁科くんの目の前で、お前を連れて逃げたというではないか」
「なっ・・! 違うわ! 智史が逃げたんじゃなくて、私が逃げたいって思ったから、あの人から庇ってくれただけよ!」
 あきのはきっぱりと言い切った。
「何だと?」
 総一郎の目つきがますます厳しくなる。
 あきのはちらりと隣に立つ智史を見上げた。
 総一郎に無碍に されても、ぐっと堪えて立っていてくれる彼の存在があれば、ちゃんと総一郎と向き合えるだけの勇気が湧いてくる。
 あきのは総一郎の瞳を真っすぐに見つめ返した。
「仁科さんとの話はなかったことにして下さい、お父さん。私はあの人とは絶対に結婚したくありません」
 はっきりとしたあきのの拒絶に、総一郎は睨むようにして娘と、それから智史を見つめる。
「どういうことだ、あきの。そんなことが出来るとでも思っているのか?」
「・・・なら、お父さんは私が不幸になっても構わないって言うのね?」
「・・・何を馬鹿なことを・・・!」
「だって、私はあの人とは絶対に幸せ になんてなれないもの。私もあの人のこと、好きじゃないけど、あの人だって、私のこと、好きでもなんでもないんだから。あの人が私に関心を示してるのは・・・私の身体に興味があるからよ」
 哀しげに目を伏せたあきのを、隣にいた智史は痛ましそうに見つめた。

   








TOP       BACK     NEXT