素顔で笑っていたい.17
「あの・・・妊娠って・・・倫子さんに、赤ちゃんが・・・?」 「・・・倫子さん? お母様を名前で呼んでいるの?」 杉内医師が不思議そうな表情になったので、あきのははっとして説明した。 「あ、いえあの、実は、倫子さんと私は、血の繋がりはなくて。私の実母は6年前に他界してるんです。倫子さんのことは好きだし、決して関係が上手く行ってないわけじゃないんですけど、倫子さん、まだ若いし、何だか、お母さん、とは呼びづらくて」 「・・・そうだったの。・・・そうね、確かに・・・ああ、そういえば、あなたの名前をまだ聞いていなかったわね、お嬢さん」
「あ、すみません。椋平 あきのです。高3です」 「大麻くんも、高3?」 「はい。クラスメートなんで」 「・・・高3の娘さんのお母さんにしては確かにまだ若いわね、お母様は。まだ30代ですものね」 杉内医師は納得したように頷いた。 「・・・ただ、30代といっても後半で、高齢での妊娠ってことになるから、無理は禁物ね。切迫流産だから」 「えっ・・・流産って、あの、赤ちゃん、死んじゃうんですか!?」 あきのは青くなった。 「いや、切迫ってことは流産ってことじゃねえよ、あきの。その危険があるかもってことだ」 「智史・・・」 「・・・よく知って
るわね、大麻くん。君のご家族は医療関係者なのかしら?」 杉内医師の言葉に、智史は軽く首を振った。 「・・・あ、いえ、親戚にいるだけです。産科医と助産師が」 「まあ、そうなの。都内?」 「いえ、京都です」 「そう。まあ、それはともかくとして、あきのさん、大麻くんの言うとおりよ。このまま安静にしていれば、妊娠が継続される可能性は充分にあるから、心配しないで。その為にも、数日は入院してもらうことになると思うけど、その手続きをあなたにお願いしてもいいのかしら? お父様に連絡、取れる?」 「あ・・・・・はい。連絡、します。すぐに繋がるかどうかは
判りませんけど・・・」 あきのの瞳が曇る。杉内医師は怪訝な表情になるが、智史は労わるような瞳で彼女を見つめた。 徹の件もあるから、余計に気まずいのだろう。だが、椋平家の家長が総一郎である以上、連絡を取るしかないのも現実だ。 「・・・あの、倫子さんの病室はどこですか」 「3階の323号室よ。女性専用病棟の2人部屋だけど、今は隣のベッドは空いてるから、あまり気を遣わなくてもいいと思うわ。ともかく、今はゆっくりと休ませてあげてね」 「・・・はい、先生。じゃあ、電話、してきます」 「ええ、お願いね。私は病棟のナースステーションにいるから」
杉内医師はそう言うと、部屋を出て行った。 「・・・電話、しなきゃ、ね・・・」 携帯を取り出して、あきのは重い溜息をつく。 「仕方ねえよ。コトがコトだからな。外、行くか? 屋上でもいいと思うけどな」 「外に行くわ。・・・智史、傍に、いてくれる?」 不安そうな瞳で見上げてくるあきのに、智史は微かな笑みで頷いてみせた。 「ああ。心配すんな」 ホッとしたように息をついて、あきのは携帯を握り締めたまま、智史と共に病院の外へ出た。 院内ということで切っていた電源を入れた途端、着信音が響く。 「え?」 あきのは慌てて通話ボタンを押す。
『・・・あきの! 何故すぐに出ないんだ』 少し苛立ったような父・総一郎の声が響いてきて、あきのは溜息をついた。倫子のことがなければ、すぐさま通話を打ち切っていただろう。 「・・・怒鳴らなくてもいいでしょう」 どうしても棘のある声になってしまう。そんなあきのを見守りながら、智史も溜息をついていた。 『お前、今、何処にいるんだ』 「中西総合病院よ」 『何? 病院?』 総一郎の声が怪訝なものになる。 「・・・倫子さんが倒れたの」 『・・・何?』 さすがに総一郎も緊迫した声に変わった。 「2、3日は入院が必要だって。手続き、しな
きゃいけないんだけど、来られる? お父さん」 無理だと言われても来てもらうしかないとあきのは思っていた。倫子と、倫子の中にいる、小さな生命を守らなくてはならない。そのためには、未成年の自分ではだめなのだから。 近頃、成人に達していない自分を悔しく感じる機会が増えたように思う。 高3、というのはそれを1番顕著に感じる時期なのかもしれない。 『・・・・・判った。もう少しで出られるから、後40分、というところだ。待っていなさい』 総一郎が意外にすんなりと答えを出したので、あきのは軽く瞠目したが、同時に安堵もした。 「判ったわ。お願いし
ます」 『徹くんの誘いを断った件も、後で説明してもらうぞ、あきの。いいな』 「! 何で知ってるの」 『徹くんから連絡を貰った。ともかく、待っていなさい』 切れた電話をぎゅっと握ったまま、あきのは唇を噛んだ。 「・・・あきの? どうした」 智史が眉根を寄せて問いかけてくる。 あきのは困惑しながら答えた。 「父が・・・『あの人』の誘いを断ったことを知ってたわ・・・」 「何?」 「あの人が父に電話したらしいの・・・」 「あいつ・・・」 智史の脳裏に笑みを湛えていても、瞳が冷淡な徹の姿が浮かぶ。 待ち伏せしていたあきのを手中に出来
なくて面白くなさそうではあった。 しかし、それをわざわざ総一郎に連絡していたとは。 智史の瞳が鋭さを増す。 さすがに今日はもう、何もしてこないだろうが、今後も警戒していく必要がありそうだ。 「・・・あきの、とりあえずお袋さんの病室に行った方がいい。そこで親父さんを待てばいいだろう。俺は一旦家に帰って、お前のカバン取って来るから、待ってろ」 「智史・・・」 あきのが戸惑うように智史を見つめる。 智史はあきのの強張った頬にそっと手を当てた。 「傍にいてやるから。親父さんにも、1度挨拶しといたほうがいいだろうし、いい機会かもな、
今日は。・・・あいつのことも気になるし」 「でも・・・いい、の? あの人、きっと・・・智史のこと・・・」 徹がどういう風に智史のことを総一郎に報告したのかは判らないが、まず間違いなく良い風には話していないだろう。 確かに、傍にはいて欲しい。杉内医師は大丈夫だと言ってくれていたが、あきのには実母・美月を病院で看取ったという過去があるだけに、1人でいてはどうしても不安が募ってしまうから。 そして更に徹のことだ。総一郎に拒否の言葉を告げるつもりではいるが、それでも、相手が総一郎である以上、一筋縄ではいかないという予測も簡単につく。 けれど、智
史をそんな厄介ごとに巻き込んでしまっていいのだろうか。 「まー、あいつは絶対俺のことを悪く言ってんだろうな。・・・プライド高そーだったし、完全に俺をバカにしてるみてぇだったし」 智史は溜息をつく。そして、苦笑した。 「けど、お前の親父さんに一度は挨拶しねえとってのも、前から思ってはいたし、な。親父と母さんからもしとけって言われてんだ、実は」 「おじさまとおばさまが・・・?」 「ああ」 あきのの家庭の事情を聞いている安志と知香は、智史たちのつきあいが半年を越えた頃から、彼女の親にも1度会ったほうがいいと勧めてくれていた。 ただ、総
一郎と倫子は多忙だと聞いていたし、あきのの方がそういうことは一切口にしなかったのでそのままになっていたのだ。 無論、挨拶をしたからといって、総一郎があきのとの付き合いを黙認してくれるかどうかは判らないが。 「・・・ともかく、お前のカバン持って戻って来るから、お袋さんとこで待ってろよ。いいな?」 「・・・ありがとう。ごめんね、智史・・・」 3階の病棟のナースステーションにいた杉内医師のところへあきのを連れて行ってから、智史は家に戻った。
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