素顔で笑っていたい.16
その頃、椋平家の前では、徹が舌打ちしながら携帯電話を取り出していた。 電話の相手は総一郎だ。 『ああ、徹くん。あきのとは会えたかね?』 「・・・いえ、攫われてしまいました、彼女のBFだという少年に」 『・・・何だって』 総一郎の声音が微かに怒気を含むのを、徹はニヤリと笑いながら聞いていた。 「・・・なかなか、目つきの鋭い少年でしたよ。僕に、喧嘩を売りたそうなほどの、ね。まさか、あきのさんがあんな少年と交際されているとは思いませんでした」 総一郎が息を呑む気配が伝わる。
徹は更に言葉を繋いだ。 「最近の高校生は進んでいるそうですからね。椋平さんが思っておられるよりも、あきのさんも奔放に恋愛をされているのかもしれません。というか、相手の少年がそういう雰囲気でしたからね。・・・まあ、学生の間だけのことなら、問題はないでしょうし」 『・・・・・すぐにあきのに連絡しよう。徹くん、あんな娘だが、出来ればよろしく頼むよ』 「・・・ええ。勿論ですよ、椋平さん。それでは、今日のところは失礼します。また、後日改めて」 『ああ。すまないね』 通話を切ると、徹はゆっくりと車を走らせる。
信号のある交差点まで来ると、煙草を取り出して火をつけた。 必死になって自分に刃向ってくるあきのが屈辱に表情を歪ませて泣き叫ぶ様子を想像すると気分が高揚する。 「・・・逃がしはしないよ、あきのさん。僕に刃向った罰はきちんと受けてもらわないとね。彼にも、相応の報いを受けてもらおう」 ひとりごちて、徹は紫煙をくゆらせ、歪んだ笑みを浮かべた。
あきのと香穂は病院に入ると、智史の姿を探した。 「あきの、香穂」 「智史!」 待合フロアの端に座っていた智史の方が先に、駆け込ん
できたあきのたちを見つけて声をかける。 「・・・倫子さん・・・倫子さんは?」 青くなっているあきのの両腕をぐっと掴んで、智史はその瞳を真っすぐに捉える。 「今、診察中だ。落ち着け、あきの」 「!・・・でも、どうして・・・? 今朝まで、元気だったのに・・・」 「・・・貧血っぽかったぞ、お袋さん。最近、仕事忙しかったんじゃねえか?」 「・・・いつもと、そう、変わりなかったと思うんだけど・・・会社でのことは知らないから・・・無理、してたのかな、倫子さん・・・」 「・・・かもな」 智史はあきのの頭を軽くポンポンと叩くと、香穂
へと視線を移す。 「悪かったな、香穂。とりあえず今は、帰ってくれていいぞ。あきののカバンは後で取りに行くから、母さんたちにはそう言っといてくれ」 「・・・うん、判った・・・あの、あきのさん・・・えっと、気を、つけてね」 「・・・ごめんね、香穂ちゃん・・・ありがとう」 あきのは頭を下げた。本当に、香穂には迷惑をかけてばかりだ。 「・・・私のこと、殆ど何も話さないままなのに、助けてもらってばかりだね。・・・落ち着いたら、話すね、香穂ちゃんにも」 「・・・いいよ、あきのさん。とにかく、気をつけてね。連絡、待ってるよ」
「うん。ありがとう」 香穂が病院から出て行くと、あきのは受付ロビーの椅子にゆらりと座り込む。 「・・・倫子さん・・・」 「あきの・・・」 「どうしよう・・・倫子さんに何かあったりしたら・・・」 実母を亡くしているあきのにとって、身近な誰かが病に倒れる、というのはどうしても最悪の結末を連想させてしまうものがある。 「あきの」 智史はあきのの隣に腰を下ろし、ぎゅっとその手を握った。 「智史・・・」 「きっと大丈夫だ、お前のお袋さん、まだ若いんだろ? まあ、過労ってのは軽くみちゃヤバいのは確かだけどな。と
にかく、今は待つしかねえんだし、あんま悪い方に考えんなよ」 「智史・・・」 不安が消えてくれる訳ではないが、それでも、こうして智史が側にいてくれるということがどれだけ心強いか。 あきのはこくん、と頷いた。 「うん・・・そう、だよね・・・」 智史はあきのを安心させるかのように、あいた方の手でトントン、と背中を叩く。やさしく、そっと。 「大丈夫って信じてあげろよ。な?」 「智史・・・」 泣き笑いのような表情で、あきのは智史にもう一度頷いてみせる。 「ありがとう、智史・・・あなたが、いてくれて、本当
に良かった・・・」 「あきの・・・」 智史が微かに笑みを浮かべる。 やがて、足音が近づいてきて、智史とあきのは顔を上げた。 「・・・あなたが椋平さんの娘さん?」 倫子の問診表を作成してくれた事務の女性が話しかけてきて。 智史が頷いてみせると、あきのは答えた。 「はい、椋平 倫子の娘のあきのです」 「先生から説明があるのだけど、一緒に来てもらっていいかしら」 「あ、はい。あの、み・・・いえ、義母は、大丈夫なんでしょうか」 「それは先生に聞いてね、申し訳ないけれど。それから、えっと、君は・・・」
事務員の女性は智史へと視線を移す。 「一応、説明はご家族の方に、ということになっているから、君はここで・・・」 「・・・いえ! 彼は、いいんです。一緒に、いてもらっても」 あきのがすかさず口を挟んだ。 「え? でも、彼はご家族じゃないんでしょう?」 「そうですけど。信用出来る人だから、いいんです。それに・・・私が、1人じゃ冷静になれそうにないから・・・」 あきのはぎゅっと智史のシャツの裾を掴んだ。 「・・・いいのか? 俺が聞いても」 智史があきのを静かに見つめる。 あきのも智史をじっと見つめた。
「うん。嫌でなければ、傍にいて?」 「・・・判った」 智史はあきのと共にゆっくりと立ち上がって事務員の女性に告げた。 「案内、お願いします」 「判りました」 事務員は先に立って廊下を進む。 あきのは智史のシャツの裾を掴んだまま、ついて行った。 暫く廊下を進んだところにあった扉を、事務員がノックすると、中から「どうぞ」という女性の声が聞こえてきて、事務員が扉を開けてくれた。 智史とあきのは中へ入る。 「・・・あら? 娘さんだって聞いてたと思うけど、息子さんもいたの?」 白衣を纏っ
た医師らしき女性は、智史を見て軽く瞠目した。 「・・・いえ、俺は家族じゃないです」 「・・・ああ、もしかして、患者さんを連れてきてくれたっていう子ね?」 「はい」 「説明はご家族に・・・」 「いえ、あの、いいんです、彼は。信頼出来る人なので。・・・ダメ、ですか? 先生」 あきのが不安そうに医師を見つめる。 「彼はあなたのBFなのかな? 他に、ご家族は?」 「・・・後は、父だけです。私は、一人娘なので」 「そう。・・・じゃあ、君、えっと・・・」 「あ、大麻 智史です」 「大麻くん、ね。これから話すことは
口外しないようにね。約束出来る?」 「はい。必要なら、誓約書でも書きますが」 智史の真摯な瞳に嘘がないと感じた医師は、小さく頷いた。 「あ、申し遅れましたが、私はこの病院の医師・杉内です。とにかく、2人とも座ってくれる?」 あきのと智史は並んで椅子に座った。その向かい側に杉内医師が腰を下ろす。 「・・・あの、それで、義母は・・・大丈夫なんでしょうか」 不安に揺れるあきのの瞳を見て、杉内医師は小さく頷いた。 「そうね。命に別状があるという訳ではないわ、今のところはね。ただ、かなり身体に疲れが溜
まっているようだし、貧血が見られるから、大事をとった方がいいと思います。今が一番大事な時期でもあるし」 「・・・え? 今が一番大事な時期って・・・何が、ですか?」 医師の言葉の意味が理解できなくて、あきのは聞き返した。 杉内医師は、微かに眉を上げる。 「・・・知らないのね、あなたは。なら、もしかして、本人も気づいてなかったりするのかしら」 「え?」 あきのはますます意味が判らなくて不安が募る。 智史はこういう展開を耳にしたことがあるので、もしや、と思っていた。それなら、貧血状態だというのも頷け
る。 「あなたのお母様は、妊娠されているのよ」 「・・・・・えっ?」 杉内医師の言葉に、あきのは茫然となった。
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