素顔で笑っていたい.15
「あきのさん・・・」 泣き笑いのような表情のあきのに、香穂は胸が痛くなった。 「・・・・・お兄ちゃん、お兄ちゃんはどうなのよ? 今はさ、2人とも高校生だし、結婚とかっていうのはうーんと先の話なのは仕方ないとしても、あきのさんのこと、いい加減な気持ちじゃないよね? どうなの?」 強い調子で詰問してくる香穂を、智史はぐっと睨みつける。 「お前に答える筋合いはねーよ」 「何よ、それ!」 「お前が首を突っ込むことじゃねえって言ってんだよ。・・・ちょっと出てくる」 智史は徐に立ち上がった。
「えっ、お兄ちゃん、どこ行くの?」 「・・・いいから、お前はあきのと一緒にいろ。・・・あきの、ついでに見てくるから」 智史の言葉の意味を察し、あきのはすっと表情を険しくした。 「・・・うん。お願い」 「悪いが、香穂の勉強でもみてやってくれ。・・・じゃあ、行ってくる」 智史の背中を不安そうに見送って、あきのはきゅっと唇を引き結んだ。 「・・・あきのさん?」 香穂の心配そうな声に、あきのはそっと笑みを浮かべる。 「・・・ごめんね、香穂ちゃん・・・私、香穂ちゃんや智史に迷惑かけてる・・・」 「あきのさん・・・迷惑って・・・」
「・・・辛いね、子供って。早く、大人になりたいな・・・」 「あきのさん・・・」 儚さすら感じさせるようなあきのの微笑みに、香穂は言葉を失う。 何かがあったのだろうが、きっと、問うてもあきのは答えてくれないだろう。 『大人になりたい』という言葉が出てくるくらいだから、あきのより更に子供の自分では足りないんだろうと思う。 黙ってしまった香穂に、あきのは心配をかけないようにと、努めて明るい声を出した。 「とりあえず、智史が戻るまで、英語の課題でもやっとこうか、香穂ちゃん。期末試験、近づいてきてるでしょ?」
「・・・うん。あ、でも、今日は数学とかも聞いてもいい? 宿題が全然解らなくて困ってるの」 「ん〜、私に解るとこならいいよ。・・・見せて?」 それまでの気まずさを一掃するかのように、あきのと香穂は教科書とノート、筆記具を広げた。
椋平家の近くの角まで来ると、智史はそっと門の方を伺った。 黒い乗用車はまだ止まっている。 「・・・あいつ、仕事はないのかよ・・・」 呆れたように呟いて、智史はその場を離れた。 ズボンのポケットに入れていた携帯で時刻を確認すると5時半近くになっていた。 「あいつ
があそこにいる以上・・・あきのを帰す訳にはいかねぇし・・・」 ひとりごちて、智史は溜息をつく。 学校と、大麻家、椋平家を分ける交差点に差し掛かる手前で、前からパンツスーツ姿の大人の女性が、片手に紙袋とビジネス用のバッグ、もう片方にスーパーの袋を持って近づいてくるのが目に入った。 普段なら気にも留めない智史だが、その女性の身体が左に大きく傾いて、崩れそうになるのを見、慌てて駆け寄って支える。 「大丈夫ですか?」 紙のように青白い顔のその女性は、どう見ても具合が悪いらしい。 「・・・・・ごめん、なさい・・・大丈夫、です」
弱々しい声で返されても、とても信用出来るものではない。 智史はその女性に気づかれぬよう、微かな溜息をついた。 「かなり、辛そうですけど、病院、行きますか?」 この交差点の近くにはあまり大きいわけではないが、一応総合病院といわれるものが建っている。歩いて2分以内のところだ。 症状から行くと、貧血とか眩暈とかいう辺りだろうが、重大な疾患が隠れている場合もある。 母方の親類に医師や看護師などが多いせいか、智史にも最低限の知識が備わっていた。 「・・・いえ・・・それ程じゃ、ないと・・・思います」 女性はそう
答えて、立ち上がろうとするが、足元が安定しないのは明白だ。 「病院にかかりたくないヤバい理由でもあるんですか」 例えば、事情があって健康保険料を滞納していて保険証がないとか、そういう理由なら病院に行きたくないというのも納得出来る。 「あ・・・いえ、そういう、訳じゃ・・・」 「なら、ちゃんと診てもらった方がいいと思います。荷物、俺が持ちますから、行きましょう、病院」 智史は女性から荷物を取り上げた。幸い、どれもさほど重いわけではなかったので、片手で荷物を全部持ち、空いた手で女性の身体を支えるようにして、ゆ
っくりと歩いた。 面倒だが、行き倒れられたりしたらもっと面倒だ。 智史は女性を病院の受付に会わせ、交差点で倒れそうになっていたのだと説明した。 「お名前とかご住所とかを教えていただくことは出来ますか?」 待合所の椅子に女性を座らせ、受付の女性が問診表を持って側に来てくれるのを、智史は近くで見守っていた。 「君は、この方のご家族?」 受付の女性に聞かれて、智史は首を振る。 「いや、ただの通りすがりです。たまたま、この人が俺の前で倒れかけただけで」 「そう」 受付の女性は、患者になる予定の女性に
問いかけた。 「お名前、教えていただけますか」 「・・・椋平 倫子、です」 智史は瞠目して女性を見た。 「では、ご住所は?」 続けて住所と電話番号、生年月日などが問われていく。 生年月日はともかく、住所と電話番号は智史の知っているものと同じだった。 つまり、この倒れそうな女性はあきのの義母の倫子だということだ。 受付の女性の質問にいくつか答えている内に、倫子はふっと意識を失って倒れこみそうになり、智史は慌ててそれを支えた。 「先生を呼んでくるわ。それまで君、大丈夫?」 「はい、支えてますから、
頼みます」 受付の女性が小走りで診察室の方へと移動するのを見送ってから、智史は倫子へと視線を戻した。 あきのの話でしか知らない倫子は、想像していたよりもずっと若い印象だ。身長はあきのより少し低いくらいで、短めの髪が活動的に見える。 女性雑誌の編集部に勤務しているということだったが、納得という感じの姿だ。 しかし、こんな風に倒れてしまうほど、編集の仕事というのはハードなのだろうか。 やがて、ストレッチャーと看護師、医師が到着して、智史はストレッチャーの上に倫子の身体をそっと横たえた。 「家族と連絡
は?」 「いえ、まだこれからです」 「とりあえず診察するから、家族と連絡取って」 「はい」 医師と看護師が倫子と共に処置室へと消えてから、受付の女性が倫子から聞きだした電話番号にかけようとして。 智史はそこで口を出した。 「あの、俺、さっきの人の娘さんと同じクラスなんで、彼女の携帯に電話してみます」 「そうなの? 君」 「はい。名字とか住所とか、彼女のと同じだから間違いないと思うんで。待ってて下さい」 「頼むわ」 受付の女性に頷いて、智史は急いで外に出た。 携帯を取り出してあきのの番号を
プッシュする。 『・・・はい』 「あきのか?」 『智史? どうかしたの?』 「実は、お前のお袋さんが倒れた」 『えっ・・・倫子さん、が?』 電話の向こうのあきのが緊迫した声を出す。 「ああ。たまたま、俺の目の前で貧血起こしたらしくて、病院に連れてきた。今、診察してもらってる。とにかく、香穂と一緒に来てくれ」 『・・・なら、私1人で・・・』 「いや、香穂と一緒に来い。・・・あいつはまだ、お前んちの前にいた」 電話の向こうのあきのが息を呑んだのが判った。 「ちょっと、香穂と代わってくれ」 暫く待つと、香穂の
声が聞こえてくる。 「香穂、あきののお母さんが倒れて病院にいる。お前、あきのと一緒にここまで来てくれ。いきなりだったから、あきのも動揺してるかもしれねえし」 『判ったよ、お兄ちゃん。あきのさんと一緒に行く』 「頼むぞ」 智史は通話を終えると携帯を閉じた。 そして1度、中へ戻り、先程の受付の女性に倫子のことを尋ねてみる。 「まだ、診察中よ。それで、娘さんとは・・・」 「そっちは大丈夫です。今、ここに向かってもらってます」 「ありがとう。君のような子がいてくれて良かったわ」 小さく微笑まれて、智史は曖
昧な笑みを返した。
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