素顔で笑っていたい.14








 あきのの瞳を直視していられなくて、智史は僅かに視線を外した。
 そのことがまた、あきのの心に悲しみの翳を落とす。
「・・・・・嫌いになったのなら・・・そう言って・・・でも、私は・・・」
「バカ・・・そうじゃねえって、言ってるだろ・・・」
「嘘・・・じゃあ・・・どうして、目を逸らすの・・・?」
「っ・・・それは・・・」
 智史は言葉に詰まって、反射的にあきのへと視線を戻す。
 潤んだ瞳はひたむきで、吸い寄せられるような魅力を備えていた。
 智史の中の糸は切れる寸前だ。
 智史はかなりの力を腕に込め、それでも乱暴にならないように注意しながら、あきのの腕をぐっと掴んで自分の身体から引き剥がし、立ち上がった。
「え?」
 戸惑うあきのの腕を掴んだまま、智史はソファまで移動して、それにあきのを座らせる。
 そして、その背もたれの上の方で、あきのの両手首を掴んで拘束した。
「・・・智史?」
「・・・お前、全然解ってねぇだろ。俺はな・・・子供(ガキ)なんだよ、どうしようもなく。そんな俺を無防備に煽んなよ・・・」
「あ、煽って、なんか・・・」
 ひどく熱を孕んだ智史の瞳に、あきのは困惑する。煽るつもりなんてなかった。ただ、必死だっただけで。
「お前にそのつもりがなくても、状況見たら解るだろ。・・・俺が、お前から目を逸らしてたのは、合わせちまったら、簡単に理性なんてぶっ飛ぶのが解ってたからだ。今だって・・・半分以上、切れてんだぜ? このまんま、お前泣かせて無理矢理やっちまうことだって出来る。けど・・・そんなことしたら、お前、傷つくだろ? だから・・・」
「智、史・・・」
 智史が自分を大切にしてくれている。それはやはり、間違いない。
 あきのは再び、涙を流す。
「私・・・智史になら、何されても・・・いいよ」
「なっ・・・な、何、バカ言ってんだ! 恐くてしょうがないくせに」
 智史は今にも音を立てて切れてしまいそうな理性を、必死になって繋ぎとめる。
「恐いよ、それは・・・だけど、智史となら・・・大丈夫かもしれないって・・・恐いけど、大丈夫なんじゃないかって、思えるんだもの・・・それに、もしも・・・父に、あの人との話を拒否しきれなかったら、私・・・あの人と・・・だけど、それは絶対に嫌なの! せめて、初めては・・・智史とが、いい・・・」
 その、あきのの言葉は、智史の理性を完全に切断させるだけの威力を持っていた。
「・・・・・どうなっても、知らねえからな」
「・・・ん」
 あきのは小さく頷く。そして、そっと瞼を閉じた。
 智史は壊れ物に触れるかのように、あきのの唇を指でなぞり、それから己の唇を重ねた。
 初めての、キス。
 触れた唇の柔らかさに驚きながら、智史は何度も触れていく。
 手首を拘束していた手を外し、あきのの柔らかな身体をそっと抱きしめた。
 あきのの方も、開放された手で、智史に抱きつく。
 智史はあきのに更に深いキスをしながら、その身体のラインを撫でる。
 あきのがびくり、と肩を震わせた。
 それでも、智史の手は止まらない。背中から腰、そしてお腹から胸へ。
 あきのが再び身体を強張らせる。けれど、不思議なことに、今まで何度か他の男に触れられて感じてきた嫌悪感はなかった。
「・・・・・恐いか?」
 キスを中断して、至近距離のまま、智史は問いかける。
 あきのはゆっくりと目を開けた。
 真摯で、熱い欲望の炎を宿した智史の瞳と正面でぶつかる。
「・・・ううん・・・恐いけど、平気・・・嫌じゃ、ないよ・・・?」
 智史はその言葉に、あきのが着ている紺色のニットのベストを脱がせた。
 そして、ブラウスのボタンに手をかける。
 あきのの胸が早鐘を打つ。
 3つめのボタンを外したまさにその時。
 玄関の方でガチャリ、と鍵を開ける音がして、智史は慌ててあきのから離れた。
「あきの!」
 小さく叫んだ意図を汲んで、あきのは慌ててボタンを留め、ベストを着直した。
「ただいま〜・・・って、あれ? あきのさん、来てたの?」
 呑気な声で帰宅したのは、香穂だった。
 あきのは何とか笑みを浮かべる。
「う、うん。・・・ごめんね、突然」
「ううん、そんなのいいけど・・・お兄ちゃん、早かったんだね、今日は」
「・・・ああ」
 素っ気なく答えた智史の様子を、特に見咎めることもなく、香穂も着替えに部屋へと行ってしまった。
 それを見送って、智史ははあ、と重い溜息をつく。
「・・・・悪い、あきの・・・」
 智史がぽつり、と言う。あきのはゆっくりと首を振った。
「ううん・・・私も、ごめんなさい・・・智史の気持ち、疑ったりして・・・」
「いや・・・それは、半分は俺のせいだろ。・・・どうしようもねえな、俺も」
「そんな・・・」
 智史は真っすぐにあきのを見つめる。あきのも、それを正面から受け止めた。
「・・・・・好きだぜ、あきの。お前の、こと」
「・・・うん。私も」
 つい今しがたまで触れ合っていた余韻が抜け切らず、智史とあきのはそっと互いの距離を縮めようとして。
 しかし、香穂の存在がそれを寸でのところでおし止めた。
「・・・ヤバいな。香穂がいるってのに」
「・・・そ、だね・・・」
 智史とあきのは意識して距離を開ける。
「・・・あー、お腹空いた〜。お兄ちゃん、何かなーい? あきのさんにはちゃんとお茶あげた?」
 明るく元気な香穂の声がリビングに響き、智史は半ばしかめっ面になり、あきのは苦笑した。
「・・・食べるもんのことは知らねえよ。それに、あきのにお茶くらい出してるに決まってるだろ」
「あ、凄ーい。お兄ちゃんでもあきのさんにはちゃんと出来るんだー」
「お前なぁ・・・シメるぞ」
「えぇえ〜? お兄ちゃんヒドい!」
「煩いっ」
 智史がジロリ、と香穂を睨むと、彼女はぷうっと頬を膨らませる。
「もう〜! あーあ、お兄ちゃんじゃなくてあきのさんが本当のきょうだいだったら良かったのにな〜。あきのさんみたいなお姉さんが欲しかったよー」
「香穂ちゃんったら・・・」
 あきのは苦笑して、それから、少しだけ 寂しそうに微笑んだ。
「・・・私も、香穂ちゃんみたいな妹が欲しかったな」
「えっ、ホント? 私、あきのさんちの子供になりたいかも」
 無邪気に瞳を輝かせる香穂に、あきのは複雑そうな笑みを浮かべた。
「うちなんて・・・いいことないよ、香穂ちゃん。それよりも、私がこの家の子供になりたいな。香穂ちゃんと智史の家族はとっても仲が良いもの」
「あきの、さん・・・」
 あきのの家は割と裕福だと聞いている。それなのに、どう見ても平凡な大麻家の方がいい、と表現されているのが香穂には不思議だった。
 あきのの家庭の事情を詳しくは知らない香穂には、無理のないことだ。
「・・・香穂、あんまりバカ言ってんじゃねえよ。あきのが困ってるだろ」
 智史がジロリ、と香穂を睨みつける。
「もうー、お兄ちゃんはいつも私のことをバカって言うー」
「余計なこと言うからだ」
「なんで余計なのよー。あきのさんにお姉さんになってほしいって言ってるだけ・・・あ、あるじゃん! あきのさんにお姉さんになってもらう方法が」
 香穂は瞳を輝かせて智史とあきのを交互に見つめた。
「今は無理だけど、お兄ちゃんとあきのさんが結婚したらホントにあきのさんがお姉さんになってくれるじゃない!」
「えっ・・・」
「な・・・お前、何言い出すんだ!」
「だって、それが一番いいじゃん。 私と志穂ちゃんは嬉しいし、お兄ちゃんだってあきのさんとずっと一緒にいられて嬉しいでしょ? お父さんとお母さんも反対する訳ないしさ」
「お前なぁ・・・」
 智史は呆れたような溜息をついた。
「そんなことを軽々しく口にするな。あきのに迷惑だろ」
「え〜、そうかな・・・あきのさんは嫌? お兄ちゃんのお嫁さんになるの」
「香穂!」
 智史が制しても、香穂は無視してあきのの前に立ってその手を握る。
「ねえ、あきのさん、嫌?」
 あきのは香穂のひたむきな瞳の前に、戸惑いながら微笑んでいた。
 智史のお嫁さんに、なれるものならなりたい。
 そう思ってはいても、それが自分だけの一方的な思いだとしたら、どうしようもないのだ。
 互いに好きな気持ちははっきりしていても、将来は判らない。それが現実だ。
「香穂ちゃん・・・私はね、嫌じゃないわよ。智史と、ずっと一緒にいられたらいいなって、思ってる。だけど、今はまだ、そんな先のことは判らないし、香穂ちゃんに、何か約束をあげることは出来ないの。ごめんね」

 
 








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