素顔で笑っていたい.13








「・・・とんでもねー奴・・・」
 徹の車が見えなくなると、智史はぼそり、と呟いた。
「あの・・・智史」
 あきのが遠慮がちに声をかけた。
「・・・なんだ」
「あの・・・ありがとう・・・あの人から庇ってくれて・・・」
「・・・いや」
 言葉少なに応える智史は、あきのをじっと見つめた。
 あきのから聞いただけでなく、こうして直に徹と対してみて、智史は彼があきのの結婚相手としては不適格だろうと思った。
 あきの自身を大切にしている様子が微塵も感じられない。ただ、家とか自分の体裁や地位の誇示のためだけに結婚を利用しようとしている。
 そんな男に、あきのは渡さない。そう言えたらどんなに良かっただろう。
 しかし。智史にその資格はない。
 徹に何も言い返せなかった。未成年の、しかも保護者の承諾があっても結婚することすら出来ない年齢の自分は、半人前もいいところだ。
 何も出来ないから、何も言えない。
 その事実は、 まだ翻すことは出来ないのだ。
 せめて、後ひと月半過ぎて、18歳になる誕生日が過ぎてくれないことには。
 それでも、親の許可がないと何も出来ない半人前には違いないが、子供でしかない現在よりは僅かにマシというものだ。
「・・・あの、ね・・・智史・・・私・・・」
 あきのは見つめてくる智史の視線から、自分のそれを少し下げて外した。
「・・・頑張って、みる・・・父に、あの人との話は白紙に戻して欲しいって、言うわ・・・。難しいかも、しれ ないけど」
「・・・・・多分、その方がいいだろうな」
 智史は頷いた。
「あいつは・・・ダメだろ。お前を大事にしようとかいう意識が全く感じられねえからな・・・」
「・・・うん」
 あきのも頷いた。智史の言う通りだ。
 ただ、問題は。
 あの総一郎があきのの言葉にちゃんと耳を傾けてくれるかどうかだ。
「・・・とりあえず、帰ろう。今日は家まで送ってってやるから。話は、歩きながらすりゃいいだろ」
「うん・・・そうだね・・・」
 智史の本音を聞くのは、明日以降でも遅くないだろう。とにかく、彼が自分を大切だと思ってくれているのは判ったのだから。
 あきのと智史は、明日の昼過ぎに会うことで合意し、いつもの交差点のところまで、智史が迎えに来てくれることになった。
「1人でも智史の家までちゃんと行けるんだけど・・・」
「いーだろ、別に。家で待ってたりしたら、またあいつらが煩くてかなわねぇし」
 志穂と香穂はことあきのに関しては智史を容赦なく責め 立ててくれる。
 全く、どちらが本当のきょうだいなのか判ったものではない、という感じだ。
「・・・じゃあ、お願いしておくね」
「おう。そうしといてくれ」
 ここ数日の気まずさが嘘のように、智史とあきのは会話を続けられている。
 このまま、徹のことがなかったことに出来たならどんなにいいだろう。
 あきのがそんなことを思いながら、家の手前の曲がろうとした時。
「待て、あきの」
 小さく、しかし鋭い声で智史が 足を止めた。
「・・・何、智史」
「あれ・・・あいつの車じゃねぇか?」
 門の近くの壁際の黒いセダンの国産車。確かに、学校の前で見たものと同じだ。
 あきのの背筋がぞくり、と震える。
「なんで・・・こんな所にまで・・・」
 徹はまだあきのを諦めるつもりはないらしい。
「・・・とりあえず、逃げるぞ、あきの」
 智史はぐいっとあきのの腕を掴んで、元来た道へと引き返す。
「あのまんまじゃ、お前、家に帰れねぇだろ」
「うん・・・どうしよう・・・」
「とりあえずは、うちに来いよ。暫くしてから、俺が様子を見に行ってやるから」
「智史・・・」
 あきのはこくん、と頷いて、智史についていく。
「・・・親父さんは今日も遅いのか?」
「うん・・・多分」
「お袋さんは?」
「倫子さんは・・・判らないわ。早かったら、7時半くらいには帰ってくると思うんだけど・・・」
「・・・なら、その少し前に見に行ってみる。諦めて帰ってくれりゃー、いいけどな・・・」
  あきのは肩で息をするかのように強張った表情(かお)になっている。
 確かに、簡単に諦めたような感じではなかったが、去ってすぐ後に、家の前で待ち伏せするようなことをするとは考えも及ばなかった。
「・・・・・怖い・・・」
 あきのが呟いて足を止める。
 智史は黙って彼女の手を握り、引っ張るようにして歩いた。
「・・・智史・・・」
 今はただ、この温もりだけが頼りだ。
 あきのは懸命に智史について行った。




 大麻家に着くと、まだ誰も帰宅していなかった。
 智史は鍵を開けてあきのを中へと招き入れる。
「・・・適当に座ってろ。・・・着替えてくるから」
 リビングであきのに待つよう告げると、智史は自室に移動して手早く着替えた。
 それから、リビングに戻ってポットのお湯があることを確認し、紅茶をいれた。
「母さんみたいな本格的じゃなくて悪いな」
「ううん・・・ありがとう・・・」
 なんとなく蒸し暑い時期では あるが、智史の心遣いが嬉しかった。あきのはそっと紅茶を口に運ぶ。
 少し、砂糖とミルクの入ったそれは、やさしくあきのの中に沁み込んでいく。
 2人きりの空間。この家にお邪魔しての、こういうシチュエーションは初めてのことだ。
 それを意識すると、あきのの鼓動が速度を増した。
「な、なんか・・・静かだね」
 あきのは緊張を誤魔化すかのように口にする。
「そう、だな・・・いつもは、志穂たちがうるせーから」
 そう応え て、智史は改めて今、あきのと2人きりなのだということを自覚し、内心で舌打ちした。
 仕方がなかったとはいえ、家族が誰もいないこの家に連れてきたのは迂闊だったかもしれない。
 意識して、あきのとの距離を保つようにしておかなければ。
 徹のこともあって、正直、智史は苛立っていた。こういう時は、理性より感情が前に出やすい危険を孕んでいる。
 智史はチラリと時計に目を向ける。
 現在4時半。双子たちが帰ってくるのは、 おそらく6時前で、知香はそれから10分くらい後だろう。
 あと1時間ちょっとの間、しっかり自制しなければ。
 智史は深い溜息をついた。
「・・・智史・・・」
 その溜息を聞いて、あきのは不安になる。
 智史の眉間には皺が刻まれている。こうして自分がここにいることが、智史にとっては迷惑なんじゃないだろうかと、そんな思いが湧き出してきていた。
 智史の気持ちが、本心が知りたい。
 あきのは強く、そう思った。
 紅茶 の入ったマグカップをテーブルに置く。そして、おもむろに立ち上がった。
「・・・・・あきの?」
 智史が怪訝な表情になってあきのを見ている。
 あきのはゆっくりと智史の隣の椅子へと移動した。
「あきの・・・?」
 すっと、智史が腰を引く。
 逃げるような仕草をした智史を見て、あきのは唇を噛んだ。
「・・・迷惑? 私、のこと・・・」
「あきの・・・」
 あきのの大きな瞳が見る見るうちに潤んでいく。
 智史はますます厳しい 目つきになっていった。
「・・・私は・・・」
 あきのは勇気を振り絞って、智史にぎゅっと抱きついた。
「な!? お、おい、あきの、お前・・・!」
 智史は狼狽してあきのの腕を解こうとする。けれど、あきのはいやいやをするように首を振った。
 智史の胸元が微かに濡れる。
「私は・・・私は、智史が・・・好き。でも・・・智史は、もう・・・私のことなんて・・・嫌いに、なったの?」
 涙混じりの悲痛な声で訴えてくるあきのの言葉に、智史は胸を突か れた。
 ふんわりと甘いあきのの香りと、その身体の柔らかさとにクラクラしそうになりながら、智史は言葉を搾り出す。
「嫌いな・・・わけ、ねぇだろ・・・!」
「・・・でも! 迷惑、なんでしょう・・・? 私が、ここにいるの・・・」
「・・・そうじゃ、ねえよ・・・!」
 呻くように口にして、智史はなるべくあきのから身体を離そうとした。
 あきのがふっと顔を上げる。涙に濡れたひたむきな瞳と、智史の戸惑いを含んだ瞳が重なり合う。
 理性の糸 が音を立てて切れそうになるのを、智史はぐっ、と堪えた。
    








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