素顔で笑っていたい.12








 放課後。
 今度は智史が英語教師で今年も担任の今岡から呼び出されてしまった。
「悪い、校門辺りで待っててくれるか。さっさと用事済ませちまうから」
「うん、判った」
 教師の呼び出しでは仕方がない。あきのはゆっくりと、久しぶりに時間の合った理恵と共に校門へと向かった。
「理恵はどう? 勉強、進んでる?」
「ぼちぼちってところかなぁ。国公立狙うとなると、かなり厳しいよね。でも、うちはあきのの家みたいに親が簡単には出してくれないから頑張らないと」
「・・・うちだって、似たようなものよ」
 あきのは苦笑する。
「・・・親の言う通りの大学出てれば大丈夫、なんて、わけの判んない理屈こねる親だもの」
 理恵はそれを聞いて軽く目を瞠った。
「あきののお父さんって、俺様タイプなの?」
「うーん、俺様っていうか・・・そうなのかもね」
 理恵の表現には苦笑するが、確かに、強引で、命令してきて、聞く耳を持たないという感じではある。
「あきのって、看護科希望じゃなかった?」
「・・・うん。反対されたんだけどね・・・女子大も 一緒に受ける、受かったほうに行く、ってことでまあ、何とか許可もらったって感じかな・・・」
 とんでもないおまけもついてきて、現在頭を悩ませているが。それは理恵には話していなかった。
 門の内側で智史を待とうと考えていたあきのは、そこで理恵と別れようと思った。
「理恵、私、智史を待ってるから、ここで」
「・・・じゃあ、あきの、またね」
「・・・あきのさん」
 手を振ろうとしたあきのと理恵が、突然の男性の声で止まった。
 声のした方向に顔を向けると、よりによっ て、忘れたい男がきちんとスーツを着込んで立っている。
 あきのは蒼白になって固まった。
 そのあきのの様子を只事でないと判断した理恵は、ゆっくりと彼女と男の間に立った。
「・・・どちらさまですか」
 冷静な声で問いかける理恵に、男 ・・・仁科 徹はスッと笑みを浮かべた。
「君はあきのさんのご友人かな?」
「・・・そうですけど」
「始めまして、だね。僕は仁科 徹といいます。あきのさんの婚約者候補だよ」
「やめて!」
 あきのが鋭い叫びを上げる。
「そんな こと・・・私は、お断りしますって言った筈だわ。なのに・・・!」
「僕は君の父上から交際の許可をもらっているんですよ? 行きましょう。どこかで食事でも」
「・・・冗談じゃないわ」
 理恵の背から出て、あきのは徹を睨みつけた。
「絶対にお断りします。それに、私はこの後用事があるんです。あなたにおつき合いする時間はありませんわ」
 冷たく言い放つあきのに、徹は可笑しそうな笑みを向けた。
「・・・僕の誘いを断るとは・・・父上が知られたら、さぞ嘆かれるでしょうね。今日も仕事の ことでお会いしてきたが、君を誘うと言ったら、随分嬉しそうなお顔をされていたのに」
「そんなの・・・!」
 私には関係ない、と言いたかった。
 総一郎の思惑通りに運ばせるつもりは皆目ない。徹のことなど、好きではないのだから。いや、むしろ、嫌っているのだ。
 今だって。
 彼が浮かべている笑みは、一見やさしそうに見えるが、瞳が小馬鹿にしたような色を宿している。
 彼の中には愛情はない。それが容易に見て取れた。
「あきの・・・」
 理恵が戸惑うような表情 (かお)になっている。
「・・・ごめんね、理恵。大丈夫だから、帰ってくれていいよ。・・・先輩と、待ち合わせなんでしょ?」
 大学生になった彼と、まだ繋がっている理恵は、久しぶりのデートを兼ねて、彼に勉強をみてもらう約束をしていた。あきのにはそのことを話していたのだ。
「でも、あきの・・・」
「大丈夫だよ。・・・また、来週ね」
「う、うん・・・」
 理恵はちらりと校舎に掛けられた時計に目をやり、確かに、待ち合わせの時間が近づいていることを見て、 気になりながらも駅の方へと向かうことにした。
「・・・友人には聞かれたくない、というところかな」
 徹が冷たい笑みを浮かべてあきのを瞰下した。
「・・・当然でしょう。私とあなたは何の係わりもないんだもの。もう、学校になんか来ないで」
 あきのは徹を厳しく睨みつけた。
「何の係わりもない、ねえ・・・それはあきのさん、君の勝手な意見だ。君の父上と僕の父との間ではほぼ決定に近い事項となっているはず」
「そん、な・・・」
 あきのは茫然となる。
 徹の言葉がもし真実 ならば。
 あきのがどんなに拒否したくても、それは不可能に近い状態だということだ。未だ成人していない自分には。
 どうしても拒否したいなら、父と絶縁するしかないだろう。しかし、現在の自分にそれを実行するだけの覚悟は、おそらく、ない。
 だからといって、徹と結婚という選択肢が自分の中で可能な訳では決してない。
「僕と君には直接的には決定権はないに等しい。どうせなら、少しでもいい関係を築く方が賢明だと思いませんか」
「そんなの・・っ、私は・・・!」
 あきのは 泣きたくなる気持ちを必死で堪えて徹に負けまいと睨み続ける。
「・・・椋平、待たせたな」
 不意に後方から声が聞こえ、広い背中がすっと徹との間に滑り込んだ。
「あ・・・」
 庇うようなその肩越しに、徹の瞳がスッと険しくなるのが見えた。
「君は何だ」
「俺は大麻。椋平のクラスメートだ。あんたは?」
「・・・クラスメート、ねえ・・・」
 問いかけにすぐには答えず、徹は上から下まで、智史の全身を無遠慮に観察する。
「本当にただのクラスメートなのか? そんなに俺を睨ん で」
「・・・そうじゃない、と言ったら?」
 あきのから智史の表情は全く窺えないが、喧嘩をする時のような、低い声音で徹と対峙している。
 智史のことだから、目の前の男が見合いの相手だということは察しているのだろう。広い背中で自分を護ろうとしてくれているのが伝わってきて、あきのは彼の気持ちを信じきれないでいた自分を恥じた。
「・・・あきのさんのBFということか。・・・僕は仁科 徹。彼女の婚約者だ」
「違う! 勝手なこと言わないで!!」
 あきのが叫ぶ。
「椋平 本人は承諾してないようだぜ? あんたのことは」
 智史の言葉に、徹はふっと冷笑を浮かべた。
「結婚というものは感情だけで出来るものではないよ。あきのさんには椋平家の跡取りとしての役目がある。僕はその相手に選ばれた、ということだ」
「・・・要するに、あんたは家のためにこいつと結婚するってことか。愛情とかは関係なく」
 智史の声に冷ややかな怒りが込められていく。
 あきのが嫌がるのも道理。目の前の男は彼女を愛しているわけではないらしい。
 愛があればほかには何 もいらない、などとは智史も思わないが、それでも、愛のない結婚などは在りえないだろうと思う。
「愛情などは、本当に大切なものではないさ。まあ、君には判らないかもしれないが、大人の世界のことは」
「・・・ああ、判らないね。けど、ひとつだけ判ることがあるぜ? あんたと結婚しても、椋平は決して幸せにはなれないってことがな」
「ほう・・・なかなか生意気な口をきくじゃないか。ならば、君ならあきのさんを幸せに出来るとでも言うのかい?」
 挑発的な徹の言葉に、智史は言葉に詰まっ た。
 まだ、高校生に過ぎない自分には何も出来ない。結婚はもとより、社会的にあきのを護ることも、支えることも。
「あきのさんと結婚するには、彼女の父上である椋平 総一郎氏に認められる必要がある。今の君では、それは難しいと思うがね」
 勝ち誇ったかのような徹の言葉は、あきのの怒りに火をつけた。
「・・・やめて! 私は確かに椋平家の一人娘だけど、だからと言って家の都合だけで結婚したりしないわ。仁科さん、父に話してこの件は無かったことにしてもらいます。だからもう、 付きまとわないで!」
 最後の方は金切り声に近かったため、周囲の視線があきのたちに集中した。
 それでなくても、スーツ姿の大人が高校生の女の子と一緒にいる、というのは視線を集めがちだったのに、あきのの悲鳴まがいの声で注目されることになってしまった。
「・・・どう見てもあんたの分が悪いと思うぜ? 仁科さんとやら。今日のところは諦めた方がいいんじゃないか? 俺は、何言われても平気だが、あんたのような人は、色々とマズいんじゃねえの?」
 今度は智史が挑発的な言い方を する。
 徹は忌々しそうに智史とあきのを睨んだ。
「・・・とりあえず、今は引こう。だが、あきのさん、総一郎氏が撤回しない限り、この話は有効だ。覚えておきなさい」
 徹はそういい残して、近くに止めてあった車で去っていった。









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