素顔で笑っていたい.11
「そう、なんだ・・・」 実香子が目を瞠る。 「・・・実香子は? 山根くんと、っていうの、考えたこと、ない?」 「うーん・・・全くない、訳じゃないけどさ・・・それでも、あくまでも『憧れ』程度だもん、私は。それよりさ、もっともっと遊びたいし。結婚なんて、うーんと先でいいって思ってるからなー、私」 「そう、なん、だ・・・」 今度はあきのが驚く番だった。 自分たちの年では『結婚』を意識する方がおかしいのだろうか? 「あきのはさ・・・何で大麻となら結婚したいかもって思ったの?」 そう問われて、あきのはゆっくりと考えてみる。
智史となら、と思うのは、智史を好きだから、ということと、大麻家の雰囲気が好きで、あの中にお邪魔しているととても居心地がいいからだ。 知香のことも、志穂と香穂のことも、数回しか会ったことのない寡黙な安志のことも、あきのは好きだったし、何より、大麻家は家族の仲がいい。 仕事人間で家庭を顧みない父と病弱な母との間で、大人の顔色を窺うようにして寂しさをずっと我慢してきたあきのにとって、温かでやさしい大麻家は憩いの場だった。 実香子の家にお邪魔しても、実香子の母親や妹、弟たちには温かく迎えてもらっていたが、それと大麻家の
人々の雰囲気は微妙に異なっていて、より居心地が良いのは大麻家の方だった。 あきのにとって、大麻家はまさに『理想の家族』なのだ。 「・・・智史が好きだから、っていうのもあるけど、私、智史の家族のことも大好きなの。だから、だと思う」 「大麻んちって、確か、お父さんが先生なんだよね? 今岡って、教え子なんでしょ」 「うん、そうらしいよ。智史と雰囲気が似てて、でももっと寡黙にした感じで、頼りになりそうな感じかな。お母さんはやさしくて温かくて、本当にステキな人。妹さんたちはおしゃべりで可愛くて、素直なの。・・・本当に、家族だったら
いいなあって、いつも思う。だから、私・・・」 「そっか・・・」 しっかり者に見えるあきのが、実はとても寂しがりやで、温かい家庭に飢えていることは実香子もよく知っている。 智史自身が、あきのの外見にこだわらず、彼女の内面も含めて、そのままを好きでいてくれる男だということだけでなく、彼の家族も、あきのにとっては今まで出逢った中の最良の存在だということは、稀有なことなのかもしれない。 ただ、自分たちはまだ高3。実香子やあきのは親の承諾があれば結婚は出来るが、男子はそうはいかない。 「ねえ、あきの、大麻って、誕生日いつだっ
け?」 「8月5日」 「なら、まだ17歳なんだ?」 「うん・・・あ・・・」 あきのは智史がまだ18歳になっていないことに気づいた。 「大麻ってさ・・・結構いい加減に見えるけど、意外と真面目なトコあるじゃん? 少なくとも、あきのに対してはそうだよね。っていうか、あきのと付き合い出してから、あいつすんごく変わったと思うよ。授業中寝てるのなんてしょっちゅうだったあいつがさ、寝てて怒られるなんてことなくなったし、課題とかも期限内に提出するようになったし、掃除とかもダルいっていいながらも真面目にやるようになったし・・・清水くんが言って
たよ『椋平さんのお陰で智史は変わった』って。そんなあいつだからさ・・・なんか、くそ真面目に考えてんのかもよ? そうは、思わない?」 「実香子・・・」 実香子が指摘する通りかもしれない。智史なら、ありえる話だ。 「だけど・・・それでも・・・」 お見合い相手と結婚なんてするな、とか、させたくない、とか言われたい、と思ってしまうことは贅沢なのだろうか。智史にとって、自分は一体どの程度の存在なのだろう? その答えは、今は出ない。 「・・・大麻に聞いてみれば? あいつが素直に答えるかどうかは判らないけど」 「・・・『何も言えない』っ
て言われたけど・・・?」 「どうして何も言えないのか、その理由を聞いてみる価値はあるんじゃないの? ・・・白状するとさ、今日、ここへ来たのは、大麻に言われたから、なんだよ? あきの」 「えっ・・・? 智史に?」 思いがけない発言に、あきのは瞠目した。 「うん。あいつ・・・あきののこと泣かせたって、だいぶ気にしてたように見えたよ。私は山根と一緒だったんだけど、何か、山根に話したいみたいだったし、私はこっちへ来たんだけどさ。あきのの話を聞いてやってくれって、頭下げられちゃったよ」 微笑む実香子に、あきのの胸に淡い期待が滲む。
実香子が言う通り、智史は自分のことを気にかけてくれているのだろうか。 だとしたなら、望みはあるということなのか。それとも・・・・・? 「・・・まあ、何にしてもさ、まずはおじさんにあきののお見合いなんて早すぎる話を撤回してもらうことが先かもね」 実香子が肩を竦めるような仕草をしてみせて。あきのは全くその通りだと思い、頷いてから、また少し視線を下げた。 「あの人が・・・聞いて、くれるのかな・・・結婚なんてしたくないって」 「それは・・・判んないけど」 実香子は苦笑したまま溜息をつく。 「でもさ、やっぱ、私らの年じゃ、早過ぎる
よ、結婚なんて。ましてやさ、好きでもない相手となんて、ありえないじゃん」 「・・・・・の、筈、なんだけどね・・・」 あきのはそっと目を伏せ、実香子もそれ以上、言葉が出せずに沈黙した。
多忙な総一郎とは、なかなか会うことが出来ない。 普段なら気にも留めないあきのだったが、今回は別だ。何とかして総一郎を掴まえて見合い話を無効にしてもらいたい。 けれど、そう思えば思う程、すれ違ってしまうようだ。 智史とも結局、きちんと話が出来ないままだ。 智史の方があきのを避けている。俊也や隣のクラスの伸治と
ばかり過ごしている。 あきの自身も、智史にどう問いかけてよいのか逡巡しているうちに、声をかけるタイミングを逸してしまっていた。 気づけば、今日は金曜日。明日は大麻家を訪ねて、香穂に勉強を教える日だ。 けれど、こんな気まずい雰囲気のままで、何食わぬ顔をして大麻家を訪ねることが出来るのだろうか。 何とかしなくてはいけない。 あきのはそう思い、勇気を出して、授業と授業の合間の短い休みに、智史の席へと近づいた。 「・・・あの、智史」 智史は一瞬肩を震わせたが、ゆっくりと顔を上げてあきのを見つめた。 「・・・何だ」
「あの、ね・・・明日、のこと・・・後で、話、出来るかな」 「ああ・・・土曜だな、明日」 香穂の家庭教師役をしてくれることになったあきのが家に来る予定の初日だということを、智史も思い出した。 泣かせてしまったことと、何も言ってやれない気まずさでこの数日あきのを避けてきたが、いつまでも逃げてはいられない、ということだ。 「・・・いいぜ。昼休みで、いいか」 「・・・うん」 「・・・なら、外で一緒に弁当食うか」 「・・・うん」 あきのは頷いて自席に戻った。 ふう、と溜息をつく。智史と話すことにこんなに緊張したのは、おおかた1
年ぶりくらいだ。 明日の話がメインだが、もしも、機会があるならば。恐くても、聞いてみるべきなのかもしれない。智史の本音について。 そう考えながら午前の授業を終えると、俊也から声をかけられた。 「椋平さん、美術部部長の石原が呼んでるよ。用事があるみたいだけど」 「えっ・・・あ、えっと・・・」 あきのがチラリと智史を見つめた。それだけで、俊也は事情を察した。 「智史には待つように言っとくから。とりあえず、何の用事か聞いておいでよ」 「うん、ありがとう」 あきのは教室の外に出て、そこに待っていた石原と話をした。
彼の用件は、文化祭に出展する作品の1つを、3年生部員全員で描きあげることになったから、その相談をしたい、というものだった。 「悪いけど、放課後は俺が時間取れなくて。椋平さん以外の人には昨日のうちに連絡して、もう美術室に集まってもらってるんだ。急用がなければ、来てもらえないか」 「・・・うん、判った。ちょっと待ってて。お弁当取ってきてから行くわ」 「頼むよ」 石原と別れたあきのは、教室内の智史のところに駆け寄った。 「ごめんなさい、あの、部活の方に行かなきゃならなくなって・・・放課後、でもいい?」 「・・・ああ。俺は別に
いいぜ」 「ありがとう、智史」 あきのはそのまま自分のお弁当を持って、美術室へと行ってしまった。 その背中を見送って、智史は溜息をつく。 あきのと面と向かって話す時間が先延ばしになって、安堵している己を嫌悪しながら。 「・・・振られたようだな、智史」 「・・・うるせー」 視線を外す智史に、俊也は意味深な笑みを向けた。 「ちゃんと、向き合えよ、智史。放課後は逃げるなよ」 「・・・・・判ってる」
TOP BACK NEXT
|