素顔で笑っていたい.7








 雨上がりの紫陽花の花は確かに綺麗だった。
 それでも、あきのの中の警戒心は解けることはない。
 言葉もなく、暫く進むと、東屋があった。
 徹はその側で足を止め、後ろのあきのを振り返った。
「随分、怖い顔をされている」
「・・・すみません、元々こういう顔なもので」
 にこりともせず、素っ気なく答えたあきのに対し、徹はフッと笑った。
「面白いお嬢さんだな、君は」
「お褒めに預かり、光栄ですわ」
 威嚇する小さな獣のようなあきのの瞳を、徹は 愉快そうに口元を引き上げて見つめる。
「そんな風に敵意を丸出しにしなくてもいいでしょう、あきのさん。全く、退屈しない人だ、君は」
「・・・そうですか」
 小馬鹿にされているのが伝わり、あきのはぷい、と視線を逸らした。
 本当に胡散臭い感じの男だ。
 自分に向けられる男からの視線で、さんざん嫌な思いをしてきているあきのにとって、徹の視線も同類だった。
「まだ高校生だというから、親父の顔を立てるだけのつもりで今日の席に出たんだが、気が変わりましたよ」
「・・・?」
 あきのは反射的に徹を睨みつける。
 そして背筋が凍りそうになった。
 徹の瞳に、危険な色が浮かんでいるのを感じる。
「写真で見るより、実物の君のほうが数倍いい。これなら、婿養子に入るというのも悪くなさそうだ」
「・・・冗談じゃないわ」
 あきのはわなわなと拳を振るわせる。
「私はお断りします。好きでもない人と結婚なんてする気はありませんから」
「・・・おやおや、それは随分と短絡的じゃないですか」
 徹のフッと冷笑するかのような表情は、あきのを震撼させる。
「今日初めてお会いしたんですから、お互いのことが判らないのは当然でしょう。それに、あきのさんには、拒む権利はないのでは? 椋平さんは随分乗り気ですよ、僕と君の縁談に。僕は次男で、親父の後は兄貴が継いでくれて、婿養子に出ても仁科の家には影響がないからね。なおかつ、仁科の家には椋平さんが頭取を務める銀行がバックにつく形だ。両家にとっての良縁なんですよ、この縁談はね」
「・・・それは大人の勝手な都合でしょう? 私は、そんなこと・・・!」
「いいや、君は椋平家の一人娘。跡継ぎとして の役目があるでしょう。それは放棄など出来ない筈だ。違いますか」
「それ、は・・・」
 あきのは唇を噛んだ。
 多分、総一郎は徹の言う通りのことを考えているだろう。そして、その通りにあきのを従わせるつもりでいるのだろうと思う。
 父の思惑通りに動くつもりはないけれど、それをここで徹に言ったところでどうしようもない。
 あきのが椋平の家の唯1人の子供であるという事実は、動かすことの出来ないものだ。
 押し黙ってしまったあきのをじっと見つめて、徹はゆっくりと口を開く。
「今日は双方の両親もいることですし、そこそこでお別れすることになるでしょうが、次は是非、2人だけで会いましょう。食事にでもお誘いしますよ」
「・・・いいえ。結構ですわ。当分は受験勉強でそれどころではありませんから」
 あきのは冷たく言い放つ。
 受験なのは事実だし、たとえこの先何度か徹に会ったとしても、彼を好きになることはないと思うから。
 好きなのは、智史だけだ。
「・・・本当につれない人だな、あきのさんは。・・・まあ、とりあえず、そういうことにしておきましょう」
  徹は口元には笑みを浮かべ、冷たい瞳であきのを捉えた。
 その瞳の奥に、欲望の炎が燻っている気がして、あきのはぞっとした。
 徹の言う通り、総一郎が彼との縁談に乗り気だとしたなら。それを口実に、無理矢理にでもあきのの身体を奪おうとするのではないか。
 そんな恐怖があきのを支配しようとする。
 あきのは青ざめ、ぎゅっと拳を握り締めた。けれど、その拳も小刻みに震えている。
 徹とはもう二度と、会ってはならない。
 直感的にそう感じた。
「・・・失礼します」
 あきの は逃げるように踵を返し、ティーラウンジにいる筈の、倫子のところへ急いだ。
 何かをされたわけでもないのに、涙が滲んでくる。徹の眼差しは、あきのを底なしの恐怖へ陥れていた。
「・・・倫子さん!」
「・・・あきのちゃん」
 倫子は青い顔をして小走りで近づいてくるあきのを見て瞠目し、軽く腰を上げた。
 徹の母・絹枝も何事かと振り返る。
「どうしたの? あきのちゃん」
「・・・ごめんなさい。何だか、気分が悪くなってきて」
 あきのはそう言うと、絹枝に向かって頭を下げた。
「大変失礼をしますが、私、これで帰らせてもらいます。家に帰って、休みたいので」
「・・・待って、あきのちゃん。総一郎さんに連絡するわ。一緒に帰りましょう」
 倫子は絹枝に「失礼致します」と頭を下げて席を立ち、あきのを伴ってロビーへと移動した。それから、総一郎に電話をして、先に帰ることを伝え、あきのとともにタクシーに乗り込んだ。
「あきのちゃん・・・本当に大丈夫?」
 タクシーの中では全く口を開こうとしなかったあきのを見て、倫子は家に着くなり、そう尋ねた。
「倫子さん・・・お 見合いだってこと、本当に知らなかったの?」
 あきのが声を震わせながら問う。
 倫子は少し辛そうに首を縦に振った。
「・・・ええ。まさか、総一郎さんがそんなことを考えていたなんて・・・まあ、いずれは、出てきてもおかしくない話ではあるけど・・・」
「・・・私が、この家の一人娘だから? だから、好きでもない人と結婚しなきゃいけないの?」
「あきのちゃん・・・それは・・・」
「倫子さんはあの人の味方なんでしょ? それとも、私の、味方になってくれるの?」
 倫子にはすぐには答えられなか った。
 今、この時期に、総一郎がこの話を持ち出してくるとは思っていなかったが、彼の胸の内に、いずれ、あきのには婿養子をとって椋平家を継がせる、という考えがあることは知っていた。
 あきのは総一郎の、たった一人の子供なのだから、そういう考えが出てくるのはある意味仕方がないとも思う。しかし、あきのはまだ高校生。しかも、進路のことで総一郎と対立した。そんな段階でこういう話を持ってくるとは、まるであきのを服従させようとしているように誤解されてしまっても文句は言えないのではない か。
 総一郎は不器用ながら、あきのを心配し、愛しているのに。
「あきのちゃん・・・仁科さんとは、今日初めて会ったんでしょう? 確かに、あなたには今、彼氏がいるけれど・・・もしかしたら、彼氏より、仁科さんがいいと思う日が来るかもしれないんじゃ・・・」
「そんなこと! 倫子さん、それは絶対にないわ!」
 あきのは強く強く否定した。
「2度と、会いたくなんてない! あの人は・・・私の身体を値踏みでもするかのように見てたわ。私のこと、知りたいっていうよりもただ『観察』してた。あれ じゃ、ただの興味本位だって宣言してるようなものよ。そんな人に・・・愛情なんて持てる訳ないじゃない! 私は・・・智史以外の人なんて好きじゃないもの!」
「あきのちゃん・・・」
 倫子は目を丸くしてあきのを見つめる。こんな風に、感情を剥き出しにしたような発言をする彼女を見たのは初めてだったから。
 あきのはいつも、いい子だった。少なくとも、倫子の前では。些細なおねだりをすることはあっても、聞き分けのないことは一度も口にしなかった。
 そんな彼女が初めて見せた反発。それはつまり、 相当徹との見合いに嫌悪感を持っているということだろう。
「・・・あきのちゃん、そんなに、嫌なのね? 仁科さんのこと」
「ええ。絶対に会いたくないわ。名前すら聞きたくないくらいよ」
「・・・総一郎さんはどう言うかは判らないけど、私は今回のお見合いはお断りする方向でいきましょうって言ってみるわ。あなたが幸せになれそうにないと判ってる結婚を強いるつもりなんてないから」
「倫子さん・・・」
 微笑む倫子に、あきのは泣き笑いのような表情になった。
「・・・ありがとう、倫子さん」
 








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