素顔で笑っていたい.8








 総一郎の帰宅が思いのほか遅かったので、あきのは結局話をすることが出来ないまま、翌日学校へと出かけた。
 倫子は見合いを断ることを承諾してくれたが、総一郎もそうだとは限らないだけに、あきのの思考は沈みがちだった。
「・・・どうした? あきの」
 昼休み。
 お弁当を食べ終わってから、智史は朝から溜息ばかりついているあきのに声をかけた。
 それとなくあきのを見ていたら、授業中もどこか上の空だったらしく、英語の時間などは教師に当てられた時、珍しく答えられなかったりしていた。
 もしかしたら、どこか具合でも悪いのかと心配になったのだ。
「・・・・・智史」
 声をかけても、すぐには反応しなかったあきのに、智史は溜息をつく。
「・・・何なんだ、朝から。具合でも悪いのか?」
「あ、ううん・・・そんなことは、ないよ。身体は、普通」
 あきのは苦笑いを浮かべる。
「身体の具合は悪くないってんなら、精神(こころ)の方か」
 智史は再び、溜息をつく。
「溜め込むのは良くねえぞ? 俺は聞いてやることしか出来ねえけど、良かったら話してみろよ」
「・・・簡単には、話せないよ・・・長くも、なりそうだし・・・」
 智史に『お見合い』をしただなんて、話したらどう思われるのだろう。呆れられるか、関係ないと突き放され るか、あるいは、嫌われてしまうか。
 いずれにせよ、よくない結果を招きそうな気がして、あきのは恐くなる。
「あ、あのね、やっぱり・・・いい。聞いてくれなくても、大丈夫」
 慌てて笑みを浮かべるが、智史はじろり、とあきのを睨んできた。
「・・・聞かなくて、本当にいいのか」
「う、うん・・・」
「・・・相当、マズイことなんだな? お前がそうやって目を逸らすってことは」
 あきのはドキリ、として智史に視線を戻す。彼は鋭い目で睨んだままだ。
「そ、そんなこと・・・」
 『ない』と続けるつもりが、あきのは言葉を出せなかった。
 智史の瞳には、嘘を突き通すことを許さな いというような迫力があった。
 それでも、正直にお見合いの話をしたいとは思わない。あきのは唇を噛んで首を振った。
「・・・智史に話したら・・・きっと軽蔑されるもの・・・」
 総一郎の言いなりになるのは嫌だし、徹には2度と会いたくない。でも、あきのにとって何より怖いのは、智史に嫌われて彼を失うことだった。
「・・・それはお前の話を俺が聞いてみないと判断のしようがないことじゃねえのか? あきの。まあ、話しするなら、放課後だな。もうじき昼休みは終わっちまう」
 後10分足らずで5時間目が始まる。
「今日は確か、矢野さんが来る日で、お前が夕食の支度する必要ない日だろ? いつものとこに行こう。雨も降ってないしな」
 智史はそう言うと、さっさと自分の席に戻っていった。
 いつものところ、というのは、海辺の公園のことだ。
 天気の良い日はよくそこで話をしていた。真冬はさすがに避けていたが、寄り道、といえばあの公園、というのが2人の暗黙の了解になっていたのだ。
 いつもなら、楽しみな智史との時間。それがこんなに憂鬱だと感じたのは初めてかもしれない。
 あきのは大きな溜息をついて、午前中とはまた別の憂鬱さに支配されてぼんやりと授業時間を過ごす破目に陥った。





「・・・で? 結局、何なんだ、お前のぼんやりの原因 は」
 海が見えるベンチに並んで座って、智史はあきのに問いかけた。
 あきのは躊躇う気持ちを拭えずに、海を睨むかのようにして沈黙している。
 智史が心配してくれていることは解っているが、容易に話せそうにはない。
「・・・無理に言いたくねえなら、言わなくてもいいって、いつもの俺なら言うトコだけどな」
 智史はそう前置きして、あきのの横顔を真っすぐに見つめる。
「俊也や紺谷からまでお前の様子がおかしい、何があったんだ、なんて聞かれちまったらな。放っておける訳ねえだろ」
 智史だけでなく、俊也と実香子も、今年も同じクラスになっていた。中学のときからの付き合 いの実香子は勿論、智史の親友である俊也とも、昨年に引き続き親しくしているあきのだから、この2人にまで心配をかけているというのは心苦しいものがある。
 それでも、やはり口は重い。
 話すといっても、何をどう話せばよいのだろう。
「・・・あきの。昨日はどっかへ出かけてただろ?」
「・・・智史?」
 あきのは目を見開いて智史を見つめた。
 智史は静かな瞳をしている。
「・・・ちょっと聞きたいことがあって電話したら、留守電になってた。それに伝言入れといたんだが、お前、気づいてないだろ?」
 あきのは茫然とするしかなかった。
 確かに、智史の言うとおり、昨日は携 帯をチェックすることすらしなかった。そんな気持ちの余裕がなかったのだ。
 そういう筋から、智史に不調の原因を示唆されるとは予想外だった。
 しかし、これはもう観念するしかないということか。
 あきのは再び智史から視線を逸らし、俯いた。
「・・・・・父に、不意打ちされたの」
「・・・何を」
 意外な言葉と沈んだ声音に眉根を寄せながら、智史はじっとあきのの長い髪に隠された横顔を見つめた。
「・・・家族で、食事に行くことになってて。でも、その場所に着いたら、父の銀行の取引先の社長さんご家族が待ってて。・・・・・社長さんご夫妻と・・・・・その、息子さんが」
「・・・・・・まさかと は思うが」
 智史は一度言葉を切って、慎重に続く言葉を選んだ。
「・・・それって、もしかしたら、『見合い』って奴か?」
 智史は口にしてみて、改めてその言葉の内容に茫然となる。
 見合い、という言葉は知っていても、それが現実に、しかもこんな身近で実行されることなのだという実感はないに等しかった。自分たちはまだ高校生で、己の進路すら不確かで、やがては結婚、という未来に辿り着く可能性が高い『見合い』という席が設けられるということ自体が信じられない。
 あきのは、きゅっと唇を引き結んだまま、こくん、と頷いた。
 それを見て、智史は眉間に皺を寄せた。
 自分 には到底信じられない事実。けれど、あきのにとってはそれが『現実』なのだ。
 それを突きつけられて、智史は苦々しい思いで一杯だった。
 あきのの肯定を受けても、まだ信じられないくらいだ。高校3年生の、しかもまだ18歳にもなっていないあきのが『見合い』をしたなんて。
「・・・・・私、そんなこと、知らなくて・・・まさか、看護科を受験することと引き換えに、あんな席に出なきゃいけなくなるなんて、思ってもみなかった・・・倫子さんには、断ってって、話したんだけど・・・父には、まだ言えてなくて・・・」
 あきのが朝から溜息ばかりついているのも頷ける。とは言っても、智史にとっては本当に絵 空事のようにしか思えなかった。
「・・・・・17で、結婚なんて・・・考えられねえよな」
 智史がぼそりと呟いた言葉に、あきのはびくり、と肩を震わせた。
 恐る恐るという感じで顔を上げ、智史の方を見る。
 智史の視線は海へと向けられていた。
「・・・結婚、ってことについて・・・智史は何か、考えたりしたことって、ないの?」
「ないな、俺は」
 きっぱりと言い切った智史の言葉に、あきのの心が悲鳴を上げる。
「・・・そう、なんだ・・・」
「・・・普通、そうじゃねえか? お前だって、こんな見合い話でもなきゃ、考えなかったろ?」
 智史はちらりとあきのを見やって、そのまま瞠目 して動けなくなった。
 あきのの瞳には透明な雫が湛えられていたからだ。
「・・・あきの・・・」
「・・・智史は・・・私が、お見合いの相手と、結婚することになっちゃったとしても、何とも思わないの?」
「・・・・・だって、お前、嫌なんだろ? そいつと結婚なんて」
「嫌よ! だけど・・・父が、強引に進めてしまうかもしれない・・・そうなったら・・・私・・・」
 するりと、あきのの頬に雫が滑って落ちた。
 智史の目つきが険しくなる。
 あきのが結婚したくないと思っていることは判る。けれど、話に聞く彼女の父親ならば、強引に話を進めてしまう可能性があるかもしれないということも理解出来る。
 気持ちの伴わない結婚で幸福になれるとは到底考えられない以上、この見合いは潰すべきなのだろうとは思うのだが。
「・・・お前、俺に何を言わせたいんだ?」
「・・・智史?」
 あきのも目を瞠って智史を凝視する。
 鋭い瞳が、あきのを捉えていた。
「お前が見合い相手との結婚が嫌なのは判る。・・・けど、それをどうするか、決めるのはお前だ。そうだろう?」
 冷たいと言われるかもしれない。けれど、まだ18歳にもならない子供の智史に、何が言えるというのか。
 社会的にも、実際にも、何の力も権利も持ち得ない自分。あきのを好きな気持ち以外、何も持たない自分には、この件に 関しての発言権はない。智史はそう思った。
 あきのは、高校生とはいえ、親の許可があれば充分に結婚が出来る年齢だ。
 けれど、智史は違う。
 男と女の差。それが、こんな風に響いてくるなんて。
 何の力も持たない自分が情けな過ぎる。智史は拳を硬く硬く握りしめた。
 しかし、そんな智史の心情は、あきのには伝わらない。
 突き放されたような言葉に、あきのは返す言葉もなく、涙を拭うこともしないまま、無造作に鞄を掴むと立ち上がって走り出した。
 智史はハッとしたが、そのまま追うことが出来ずに立ち尽くした。
      







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