素顔で笑っていたい.6








 智史と2人で、英語と国語のテキストを勉強し、休憩時間に知香お手製のスフレチーズケーキと美味しい紅茶をもらって、あきのは夕方には智史に送ってもらって帰宅した。
 倫子はおそらく夜遅くなるだろうし、総一郎は何時になるか判ったものではない。
 玄関の鍵を開け、あきのはふう、と溜息をついた。
 しん、と静まり返った広い家。
 明るい光と笑顔に満ちた大麻家とは雲泥の差だ。けれど、そんなことは改めて感じることではない筈だ。
 この冷たさが、椋平家の現実。
 今更、寂しいとか、息が詰まる、と言ってみても何も変わらない。
 冷凍庫に寝かせてあった 矢野さんが作り置きしてくれているトマト煮込みを解凍して、簡単な夕食を済ませると、あきのは自室に入って、久しぶりに机の引き出しの奥にしまってある実母・美月の写真を取り出した。
「お母さんが生きてた頃は、ここまで寂しくなかったのにな・・・」
 柔らかい木目のフォトフレームに収められている、少し儚い雰囲気の母の笑顔。
 顔立ちは全く違うのに、温かな笑みが、知香と重なる。
「・・・智史のお母さん、凄くステキな人なんだよ、お母さん・・・だから、ついつい、甘えたくなっちゃうんだよね・・・」
 ひとりごちて、あきのはそっと母の顔の辺りを撫でる。
 倫子が嫌いな訳で は決してない。むしろ、好きだ。美月とは違う、元気で明るい倫子は、あきのにとってうんと年の離れた姉というか、親友のような存在。
 申し訳ないと思いつつも『母親』だとは思えないでいる。
 けれど、知香は『母親』なのだ。智史の母親なのだが、接している間はあきのにとっても『そう』だと、思いたがっている自分がいる。
「・・・子供の自分が哀しいよ、お母さん・・・早く、大人になりたい。そして・・・」
 出来ることならば。もしも、智史がいいと言ってくれるなら。
 智史の隣にずっといたい。そして、大麻家の一員になれたなら、どんなに幸福だろうと、そんなことを考えてしまう。
「・・・智史にとっては、迷惑な話だよね、きっと・・・そんな、先のことなんて」
 いつになるか、本当に訪れるかどうかも判らない、そんな未来のことなど、話してみたことがないから、智史がどう考えているのかは解らないが、少なくともあきのは、出来るなら智史と結婚したいと思う。
 未だに智史との関係はぎゅっと抱きしめられる程度のもので、キスですら、あるような、ないような、今時の高校生とは思えない程の進展しかない。
 それでも。
 今はまだ恐いと思う深い仲になることも、智史とならば、可能かもしれないと、あきのは最近そう思うようになってきていた。
「智史のこ と、こんなに好きになるなんて、思わなかったな・・・一年前、同じクラスになった時は」
 ぶっきらぼうで、目つきが恐くて、全身から近寄りがたいオーラを発している智史に、進んで近づこうとする女子は、今でもいない。あきのだけだ。
 智史の方も、あきの以外の女子には自ら話しかけるようなことはない。
 それは明確に互いが『特別』だと宣言しているのと同じだ。ベタベタした雰囲気はないのに、2人の世界を作ってる、と実香子や理恵に言わしめるのはその辺りなのだろう。
「智史にとって、私って・・・どんな存在、なのかな・・・」
 特別なのは判っているが、自分のように、未来まで 一緒に、と思ってもらえるような存在なのか否か。
 そんなことを考えてしまったのは、予感めいたものが働いた結果なのかもしれなかった。





 日曜日。
 朝から小雨が降っていたが、あきのは倫子に促され、総一郎と出かけるための支度をしていた。
「あきのちゃん、髪を結ってあげるから、ドレッサーの前に座って?」
「あ、はい・・・でも、倫子さん、このワンピース、なんか・・・」
 綺麗な空色のワンピースはフォーマルっぽいデザインで、ひどく畏まった雰囲気のものだ。加えて、パンプスやバッグも、新しい。
「総一郎さんが娘を着飾らせたいと思って用意 したようよ。さあ、座ってちょうだい」
 倫子は器用にあきのの髪を編みこんでいく。
 白い小花の造花のコームをところどころにあしらって、上品な雰囲気に仕上げてくれた。
 ワンピースを着て、ピンク系のルージュをつけると、上品なお嬢様といったいでたちになり、あきのは鏡の中の自分に目を丸くする。
「・・・凄いね、倫子さん。なんだか、私じゃないみたいに見える・・・どこかのお嬢様って感じ」
「あら、あきのちゃんは実際にお嬢様じゃない」
 倫子は可笑しそうにふふっと笑った。
「そ、そんな・・・私はお嬢様なんかじゃないわよ、倫子さん。凄く中途半端、だもの」
  あきのは苦笑いを浮かべる。
「本当のお嬢様はもっと上品で、親に反抗心持ったりしないんじゃないかな」
「あきのちゃん・・・」
 今度は倫子が苦笑した。
「ともかく、行きましょうか。総一郎さんが待ちかねてるわ、きっと」
 倫子に促され、階下へと降りると、総一郎はあきのの姿を見て軽く頷き、3人は車に乗り込んだ。
 着いた先は都内の一流ホテル。
 そこの最上階のレストランの、しかもちょっとした個室のようなスペースに案内されて、あきのは瞠目した。
 そこには、椋平家で行われたパーティーで何度か顔を合わせたことのある大手企業社長の仁科 佳一氏と、その 奥さんらしき女性と、その息子であろう青年が既に席に着いていたからだ。
 相手方の服装が全員改まったスーツなのをみれば、これが単なる『家族紹介』などというものではないことは簡単に察知出来る。
 ちらりと倫子に視線を送れば、彼女は小さく首を振った。こういう『席』だということは聞かされていなかったらしい。
 あきのはすっと表情を厳しいものに変えて、席に着いた。
 すぐにでも帰りたかったが、そんなことを総一郎が許す筈がない。
「妻の倫子と、娘のあきのです」
 総一郎に紹介されて、仕方なく頭を下げたが、笑みは浮かべなかった。
 仁科氏も奥さんたちを 紹介してくれる。そこそこに整った顔立ちだが、どこか信用できないような瞳をした息子は、仁科 徹というらしい。
「・・・しかし、久しぶりにお会いしたら、あきのさんは随分美しくなられましたね」
 仁科氏に声をかけられて、あきのは少しだけ表情を緩めた。
「いいえ、そんなことはありませんわ」
「いやいや、椋平さんが自慢なさるのも判ります。うちは息子ばかりなのでね、羨ましい限りですよ」
 あきのは微かに曖昧な笑みを浮かべて、視線を逸らした。
 仁科氏は、総一郎との話に移ったので、特に文句を言われるようなことはなかった。
 けれど、嫌な視線を感じる。
 徹が、まるで観察でもしているかのような、ある種冷たい視線をあきのに送り続けている。
 この席が『お見合い』である限り、ある程度は仕方がないのかもしれないが、相手を『知る』というのではなく『観察』する、というのは間違っている気がする。
 なるべく気にしないように沈黙していたが、それでもやはり、気分はよくない。
 美味しい筈の料理を味わう余裕もなく、あきのはひたすら居心地の悪さに耐えた。
 デザートとコーヒーまでが出されると、総一郎があきのに声をかけてきた。
「あきの、このホテルの庭園の紫陽花が見頃だそうだ。徹くんに案内してもらってきなさい。 私はこれから仁科さんと少し込み入った話がある。仁科さんの奥さんは倫子とティーラウンジでお茶を飲むそうだから、散歩が済んだらそこへ行きなさい」
 あきのは総一郎を睨んだが、否は許さない、と言いたげな厳しい視線に、唇を噛んだ。
「あきのさん、行きましょうか」
 やさしげな笑みを浮かべて、徹が立ち上がった。
 あきのは警戒する気持ちを持ったまま、仕方なく立ち上がり、徹の少し後ろについて行った。
 エレベーターの前で、それに乗ることに躊躇したが、幸い、別の客らしい人たちが一緒に乗り込んでくれたので、そのまま1階まで降りて、庭園へと出た。








TOP       BACK     NEXT