素顔で笑っていたい.3







「・・・私の作るご飯なんかでいいの?」
 知香が焼きあがった鰆の切り身をお皿に移しながら苦笑して言うと、あきのは少し躊躇うような口調になった。
「・・・ご迷惑、でしょうか」
 不安げに揺れるあきのの瞳をじっと見つめて、知香は包むような温かい微笑みを浮かべる。
「迷惑だなんて思ってないわよ、あきのさん。ただ、私の作るご飯を家庭教師代にするには、あまりにも申し訳ないんじゃないかと思っただけ。 香穂だけじゃなくて、きっと智史と志穂もお世話になりそうな勢いみたいだしね」
「母さん・・・」
 智史がじろりと睨んできても、知香はふふふ、と笑うだけだ。
「苦手なところだけこっそり聞こうと思っただけなのに・・・お母さんったら・・・!」
 志穂も焦ったように小声で囁く。
「さあ、とりあえずは冷めないうちに食べましょう。それから、曜日とか時間とか、相談しないとね。あきのさん、あなたの手を煩わせることにはなるけれ ど、この子たちをよろしくね?」
「おばさま・・・」
 知香のやさしさが胸に沁みる。あきのは不覚にも涙を滲ませた。
「さあ、志穂、香穂、みんなのおかずを並べてちょうだい。今夜はお父さんは遅くなるから、先に食べておくようにって、朝言ってたから」
「はーい」
 志穂と香穂は知香の指示でてきぱきと動く。
 本当に、他人の筈なのにどうしてこの家の人たちはこんなにも温かく、そして安らぎを与えてくれるんだろう。
 あきのがこっそりと滲んでしまった涙を指で拭うと、智史が頭をごく軽くポンポンと叩いた。
「・・・面倒かけるな」
「ううん・・・凄く嬉しいの。智史と・・・香穂ちゃん、志穂ちゃんとの時間がまた増えるのが。おばさまのやさしさが、嬉しくて・・・私・・・」
「あきの・・・」
 智史は再び頭をポンポンと叩く。
「とりあえず腹ごしらえ、すっか」
「ん」
 秋に、初めてこの家に来させてもらってから、何度か呼んでもらい、いつしかそ れが恒例になった頃からあきの用の椅子が増えていて、今では当たり前のように食卓に置かれている。
 志穂と香穂が選んでくれた専用の座布団が置かれたその椅子は、ごく当たり前のように智史の席の隣にあって、こうして食事を共にする時は、その席のところに食事が並べられる。
 お箸や茶碗、湯のみも、あきの専用を作ってもらっていた。
「今夜は鰆の塩焼きとほうれん草のお浸しと厚揚げの煮物ときゅうりの酢の物よ」
 知香は、 あきのが普段、あまり和食を口にしないということを聞いて、彼女が来る時はなるべく和食にするようにしていた。
「うわぁ・・・今日も美味しそうですね」
「お母さん、食べていいー?」
「みんなで『いただきます』してからにしなよ、香穂」
「う〜、早くしようよー。お腹空いたー」
「はいはい。じゃあ、いただきましょう」
「いただきまーす!」
 香穂と志穂が元気に声を合わせて、箸を持ち上げる。
 智史とあきのも、 静かに箸を取って、食事を始めた。
「あ・・・美味しい、この鰆」
 塩加減が絶妙だ。効き過ぎず、薄すぎず、丁度いい。そして、ふっくらと焼きあがっていて、口当たりもいい。
「あきのさんがそう言ってくれてよかったわ」
 知香がやさしく微笑む。
「厚揚げも、おだしが効いてて、美味しいです。・・・私も、お料理に挑戦してみようかな・・・」
「・・・なら、やってみる? あきのさん」
「え? おばさま・・・?」
 知香はニ コニコと笑っている。
「私は専門に学んだわけじゃないから、自己流なんだけど。それでよければ、教えられるわよ? どう?」
「・・・本当ですか? 嬉しいです! 是非、お願いします、おばさま」
 あきのが瞳を輝かせる。
 知香の味付けはあきのの好みに合っているし、何より、智史が食べなれている味なのだ。それに、内緒でそういうことが出来るようになって、倫子に食べさせてあげたい。そんなことが頭に浮かぶ。
「なら、 子供たちに勉強を教えてくれる日に・・・そうね、月に1回くらい、一緒に、夕食の支度をするというのでどうかしら? それなら、あまりあきのさんの負担にもならないでしょう」
「凄く嬉しいです・・・よろしくお願いします」
 ぺこり、と頭を下げるあきのに、知香も微笑みのまま頷く。
「・・・母さん・・・そんなこと、勝手に決めちまっていいのかよ?」
 智史がじろり、と知香を睨んだ。
「あきの、そもそも、週いちでうちに来るってコト の許可も親父さんたちからもらってねーのに、勝手に決めちまって大丈夫なんか? うちはいーけど」
「・・・・・倫子さんには、ちゃんと話すわ。週に1度は、ここにお邪魔するって」
 あきのは俯いた。
「あら・・・本当ね。智史の言う通りだわ。あきのさん、あなたのご両親が許可して下さったら、毎週でも来てちょうだいな。うちはいつでも歓迎よ。ねえ? 志穂、香穂」
「うん、勿論」
「あきのさん、絶対来てね。私、あきのさんがいな かったら高校行けなくなっちゃうよ」
「志穂ちゃん、香穂ちゃん・・・」
 双子の言葉に、あきのは少し、励まされた。
 確かに、智史や知香の言う通りなのだ。
 総一郎はともかく、倫子にだけはきちんと話しておかないと、不審に思われたりしたら大変だ。
 そんなことをして、この家に来られなくなったりしたら・・・あきのは安らぐ場所を失ってしまうことになる。
「おばさま、智史、私、きちんと話します。そして、ちゃんと許可 してもらうから・・・これからも、ここに来ていいですか」
「勿論よ、あきのさん」
 知香がやさしく答えて。智史も頷く。
 あきのも安堵の笑みを浮かべた。
「じゃあ、曜日や時間は、あきのさんのご両親の許可が出たら、決めましょうか。香穂、それでいいわね?」
「うん」
 香穂も納得して頷いたので、この話はとりあえず、打ち切りになり、他愛ない話をしながらの和やかな食事が終わる。
 それからまた、お茶を飲みながら の雑談の時を過ごして、智史はいつものように8時半過ぎには、あきのを彼女の自宅へと送っていった。
 その道中で。智史はあきのに話しかける。
「なあ、あきの」
「何? 智史」
 いつものように自転車を押しながら歩く智史の横顔を、あきのは見上げる。
「・・・うちに来る話もだが、進路の話も、ちゃんと親父さんとしろよ?」
「・・・智史・・・」
 あきのは俯く。
 智史が言いたいことは判る。結局のところ、父である総一 郎の許可が出ないことには、色々なことが出来ない未成年なのだということは。
 総一郎が絡む事柄になるといつも思う。早く成人して、父の許可などなくとも、自分で決めて、自分で責任を取れるようになりたいと。
「・・・早く大人になりたいな・・・自分のことくらい、自分で決められるようになりたい」
「・・・あきの」
 智史は足を止めて、あきのの頭をポンポン、と叩く。
「・・・仕方ないさ。親の金で大学行こうって考えてる時点でまだ 子供(ガキ)だよ、俺たちは」
「うん・・・そう、よね・・・」
 重い現実がのしかかる。
 どんなに気が進まなくても、総一郎と話をしないことには始まらないのも確かで。香穂や智史に英語を教えるということについては倫子に話し、進学については、やはり総一郎に話をするしかないと、あきのも腹をくくる。
「・・・何とか、父を掴まえるわ・・・倫子さんには、とにかく話すね。智史のおうちにお邪魔したいってことも」
「ああ。そうしといてくれ。やっぱ、そういうのはちゃんとしといた方がいいしな」
 智史は再び歩き出し、あきのもそれに倣った。
「・・・智史って・・・型破りに見えるけど、意外と常識人よね」
「意外って・・・・・まあ、でもそうかもな」
 智史が苦笑し、あきのもふふっと笑う。
「私・・・智史のそういうところも、好き、よ」
 最後の方は、僅かにテレてしまったあきのに、智史も視線を泳がせた。
「ばっ・・・!何言ってんだ、お 前」
「だって、本当のことだもの・・・智史がいてくれて、こうやって好きになってもらえて、本当に良かった」
「あきの・・・」
 ほんのりと頬を染め、はにかんだ笑みでそっと告白したあきのを、智史はテレながらも温かい眼差しで見つめる。
 あきのだけが、こんな風に智史を捕らえてしまうのだ。心から愛しいと、そう思う。不思議な程に。
「親父さんと、ちゃんと話せるといいな」
「・・・うん」
 気は重いが、仕方がない。
 あきのは小さく頷いて、自宅の門の前で智史と別れた。

 






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