素顔で笑っていたい.2







 大麻家に着くと、今日は香穂が笑顔で迎えてくれた。
「お兄ちゃん、お帰り。あきのさん、いらっしゃい」
「こんにちは、香穂ちゃん。またお邪魔しに来ちゃった」
「あきのさんならいつでも大歓迎だもん。上がって? 今、お茶入れるから」
「香穂、志穂と母さんは?」
「志穂ちゃんは今日は友達と少し勉強してから帰るって。お母さんは買い物。もうすぐ帰ってくるよ、多分」
「そうか」
 智史はあきのに家の中に入るよう促し、いつものように自室に着替えに行った。
 あきのは、香穂と一緒にリビングのソファに座らせてもらう。
「香穂ちゃんはもう、どこの高校を受けるか決めたの?」
「う〜、まだ・・・近いのはあきのさんやお兄ちゃんが行ってるトコだけど、私、あんまり勉強好きじゃないし。志穂ちゃんは狙ってるみたいなんだけど」
 香穂が唇を軽く尖らせるようにして答え、あきのは微笑みで頷く。
「そっか。苦手な教科って、ある?」
「ある! 数学と英語と理科。体育は結構得意なんだけどな〜。音楽と」
「英語なら、少しは教えてあげられると思うけど、 要る?」
「ほ、ホント? あきのさん!」
 香穂は瞳を輝かせてあきのに抱きつかんばかりの勢いで見つめている。
「ええ。私で良ければ」
「いい!勿論いいよ〜! うわーん、あきのさん、大好きー!」
 香穂はあきのにぎゅっと抱きつく。ストレートな親愛表現に、あきのもクスッと笑った。
「香穂。何やってんだ」
 着替えを終えて戻ってきた智史がぐいっと香穂を引き剥がす。
「ちょっ、お兄ちゃん!」
 香穂はぷうっと頬を膨らませる。
「何すんのよ〜! あ、もしかしてヤキモ チ?」
「うるさい」
 智史はじろりと香穂を睨みつける。
「お前、なんか無茶なこと言ってなかったか? 勉強教えろとか何とか」
「何で無茶なのよ〜! あきのさん、いいって言ったもん!」
「お前なあ・・・あきの自身も受験生なんだぞ。判ってんのか?」
「う・・・そ、そう、だったよね・・・」
 智史に指摘され、自分だけでなく、智史とあきのも、受験を控えている身だということを思い出した香穂は、目を潤ませてあきのを見つめる。
「あきのさ〜ん・・・やっぱり、無理?」
 捨てられた 子犬のような様子の香穂に、あきのは苦笑した。
「香穂ちゃん・・・大丈夫よ。私が言い出したんだから、ちゃんと約束は守るわ」
「わーい! やったぁー!」
 香穂は飛び跳ねんばかりに喜んでいる。
「あきの・・・お前、大丈夫なんか? こんなのにつきあうなんて」
 智史が半ば呆れたように言うと、あきのはふふっと笑った。
「中学生の英語なら、大丈夫よ。私も基礎の復習になるし。・・・もしかしなくても、智史も、なんじゃない? 英語は理系・文系問わずに必要だから」
 図星だ。智史はぐっ、と 言葉に詰まった。
「あきの・・・」
「それもちゃんと復習になるから。いいわよ? 2人揃って教えましょうか」
「・・・本当に、お前の負担にならねえか?」
「ならないわよ。っていうか、負担になったら言うから。それで、いいでしょう?」
 あきのの笑みに、智史は溜息をついた。
 教えてもらえるのは、確かにありがたい。文系が苦手な智史にとって、受験科目に入ってくる英語は避けて通れないから。だが、教えてもらわないとどうしようもない、というのが情けない点でもあるし、何より、あきのの 邪魔になるようではどうしようもない。
 不甲斐ない己を嘆いてみても、現状は変わらない。ならば、あきのの邪魔にならない程度に、協力してもらうのが最善と言えるだろう。
「悪いな。兄妹で面倒かけちまって」
「ううん。私の勉強にもなるんだから、平気よ? ただね、理数系は私も苦手な方だし・・・自分の勉強だけで精一杯だから、香穂ちゃんのを見てあげる余裕がなくて・・・ごめんね」
「ううん、そんな! 英語教えてもらえるだけでも助かるよー。ありがとう、あきのさん。じゃあ、こうやってうちに夕食来 てくれる日に教わる、でいいかな?」
「そうね。ただ、そうすると・・・なんか、週いちくらいでお邪魔させてもらうことになっちゃいそうな気がするんだけど・・・いいのかな?」
 あきのが少し困ったように智史を見上げてきて。
 智史も頷く。
「・・・香穂、一応母さんにも話しておかないとマズイだろ」
「うん、そだね。お母さんには話そう」
 そう話している間に、知香と志穂が相次いで帰宅し、あきのは挨拶をした。
 そして、食事の支度をしてくれている知香の側で、とりあえず、ということで、志穂 に問題集を借りて、いくつかの問題を香穂に出してみると、見事に出来ていないことが発覚する。
「うーん・・・香穂ちゃん、これはさすがにまずいわね・・・。今の授業、ちゃんと判る?」
「全然」
 あっさりと言ってのけた香穂に、あきのだけでなく、志穂と智史も呆れるしかない。
「香穂、お前、いくらなんでもひどすぎるだろ」
「ここまで香穂がバカだなんて思ってなかったよ・・・」
「志穂ちゃんは仕方ないけど、お兄ちゃんに言われるとなんかムカつく・・・」
「何?」
 智史がじろり、と睨みつける が、香穂は全く気にしていない。
「だってさー、お兄ちゃんだって赤点スレスレじゃん。私と大差ないってやつでしょ、それって」
「中2レベルの英語が出来てないやつに言われたくねーよ」
「うっわ、それじゃ、お兄ちゃんもやってみなよ、この問題!」
「貸してみろ」
 智史は香穂にと出題された問題を、少し時間をかけはしたが、きちんと解いた。
「・・・うん。正解。・・・ふふ、やれば出来るのよね、智史は。きっと香穂ちゃんもそうだと思うわよ? 智史と志穂ちゃんの妹なんだから」
 あきののや さしい微笑みに、香穂はしょんぼりと項垂れた。
「そう、かなぁ・・・」
「今からならまだ間に合うわ。・・・ただ、今、始めないと難しいかな、とも思うのよね・・・」
 あきのは志穂の方を見て苦笑する。それを受けて、志穂は頷いた。
「香穂、夏休みが終わる頃までには、1、2年の範囲全部マスター出来るくらいを目標にしないと辛いよ? きっと。この前、俊也くんもそんな風に言ってたもん」
「うう・・・あきのさんと俊也くんが言うなら、間違いないよね・・・」
 香穂は改めて、あきのに真摯な瞳を向ける。
「あきのさん、私、頑張るから、よろしくお願いします」
「うん」
 あきのが頷くと、香穂は魚を焼いている母・知香に駆け寄った。
「お母さん! これから毎週あきのさんに来てもらってもいい? 私、英語教えてもらうの」
「え?」
 知香は目を丸くする。
「香穂? 何を言い出すの?」
「あきのさんが英語なら教えられるからって言ってくれたの。だから、今からでも、公立の高校行けるように頑張るから。お母さん、お願いっ!」
 手を合わせるようにして頭を下げる香穂を見てから、知香は その後方に位置するソファに座っている智史と志穂、そして、あきのの方へと目を向けた。
「あきのさん、香穂がこんなことを言っているけれど・・・本当にいいの? あなたも受験生でしょう?」
 心配そうなやさしい口調の知香に、あきのは微笑んで頷いた。
「はい。英語なら、大丈夫です。本当は、数学と理科も苦手だって聞いたんですけど、それは私もあまり得意ではないので、多分自分の勉強をするので手一杯になっちゃうと思うんですが・・・英語は得意な方ですし、私自身も復習になりますから」
「・・・本当に 大丈夫なの?」
「はい」
「・・・あきの、確か英検2級とか言ってたよな?」
 智史が口を挟む。
「あ、うん。まだ結果は来てないけど、この前の日曜日、準一級の筆記試験受けたわよ」
「えっ、それって凄くない? 確か、二級で、高校卒業レベルって、先生に聞いた気がするんだけど、私」
 志穂も口を挟んできて。あきのは微笑んだまま頷いた。
「そうよ。ただ、英検の筆記はマーク式の試験だから、勘が当たれば正解するってこともあるんだけどね」
「それでも凄いよ〜。だって、まだあきのさん、 高3の6月なんだもん。それで更に上を受けられるくらいの実力があるんなら・・・はあ、確かに中学レベルなんて全く問題ないよねえ・・・」
 志穂がしみじみと言い、香穂は凄すぎて茫然とあきのを見つめている。
「・・・あきのさん、香穂に教えてくれるのは嬉しいけれど、あなたの勉強の邪魔になったりはしないのね? くどいようだけど」
「はい、おばさま。もしも、辛くなったりするようなら、ちゃんと話しますから」
 迷いなく答えるあきのに、知香もようやく微笑んだ。
「じゃあ、お願いしようかしら。バイ ト料もちゃんと出さないとね」
「あ、いえ、それはいただけません。そんなつもりじゃないんです」
 あきのは慌てて首を振った。
「私、いつも・・・こうやって月に2度はお邪魔させてもらって、おばさまのご飯いただいて、香穂ちゃんや志穂ちゃんとも仲良くさせてもらって、それだけで嬉しいんです。その、せめてものお返しっていうか、お礼がしたいだけですから」
  






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