素顔で笑っていたい
あきのと智史は高校3年生になった。 お互いに進路を考えなければならない時期。成績優秀なあきのはともかく、智史の成績では相当頑張らないと進学は難しい。 勿論、大学を選り好みしない、というのであれば入れる大学もあるにはあるのだが、智史はそれを良しとは考えていない。 才媛であるあきのに、あまりにも
不釣合いな男だと評されるのは不本意だし、何より、あきのに恥をかかせる訳にはいかないと思っていた。 しかし、将来、就きたい職業は、と問われた時、智史には明確な回答が出来ないような状態である。 己が何になりたいのか、何に向いているのか、そんなことはいま1つ解らない。 ぼんやりと、父・安志のように教師に、と思わないでも
なかったが、それが果たして己に勤まる職業なのか、判断しかねていた。 「どうした? 智史」 かけられた声に、智史は少し面倒くさそうに視線を上げる。 「何だ、俊也か」 「何だはないだろう、何だは。どうしたんだ? 今朝からお前、溜息ばかりついてるな」 「・・・お見通しかよ」 ばつが悪そうに、智史は僅かな笑みを浮かべてい
る俊也から視線を逸らす。 「椋平さんのことで悩んでるって訳ではなさそうだし。どうしたんだ? 本当に」 穏やかな口調は微かな心配を滲ませており、智史は視線を戻す。口元には笑みを浮かべているものの、俊也の瞳は真摯だった。 「・・・ちょっと、な・・・お前はもう、行きたいトコ、決めてんだろ?」 「ああ・・・そういうコトか」 俊也
も納得した。 昨日配られた進路希望調査票。おおよそのところは1年の時から既に問われていたが、今回からは具体的なものを求められていくことになる。 智史の進路が未だおぼろげだということは、俊也にも解っていた。 「僕はね。まあ、行きたい大学は決まってて、それに向けての勉強もしてるけど、その更に先は難しいけどな、僕の場合。就
職の時には、希望変更しないと辛いかもしれない」 「・・・・・それでも、お前はいいよ。やりたいことがみつかってんだから」 智史ははあ、と息をつく。 「・・・らしくないぞ、智史」 俊也の言葉に、智史はじろり、とその瞳を睨む。 「どういう意味だよ」 「明確なものはなくても、ぼんやりと見えているものはあるだろう? どう考えても、
お前に銀行員だとか、弁護士だとかは向いてないだろう。文系と理系、どちらかといえばお前が向いてるのは理系じゃないのか? それか、いっそのこと体育系か。そうして考えていくしかないだろう? 自分の未来を」 普段ならこんな風に丁寧には言わない俊也だが、智史の溜息は余程目に余ったということなのだろう。 実際、あきのという存在が智
史を変えてきていることを、俊也は実感している。そして更に、人間として、男として、成長しようとしているのだということも感じていた。 だからこそ、つい、おせっかいをしたくなってしまったのだ。智史の、あまりにも漠然とした選択肢が、少しでも具体的に、現実的なものになるようにと願って。 「俊也・・・」 「実際に選んで決めるのはお前だ。
だが、僕はお前とのつき合いも長いし、ある程度、お前のことは解っているつもりだし、お前が1年前よりも遥かに真剣に未来を考えようとしていることも知ってる。椋平さんを大事に思う以上、いい加減にはなるなよ、智史」 「・・・ああ」 俊也の気持ちを受け取り、智史は頷いた。
「あきのは、進路、決めてんのか、もう」 今日は
恒例になりつつある大麻家での夕食日。あきのと智史は並んで大麻家へと向かっていた。 「あ、うん。一応、なれたらいいな、っていうものがあるから」 あきのが微笑んで答える。 「へえ。・・・で? 何になりたいんだ? あきのは」 「うん・・・出来たら、なんだけど。看護師になれたらなって思って」 「へえ・・・そうなんか」 少し予想外
だった答えに、智史は軽く瞠目した。 「なんでまた、看護師なんだ?」 「うん・・・あのね、母が亡くなったって話、したよね。その時にね、看護師さんにね、色々お世話になったの。母のことだけじゃなく、私のことも気にかけてくれて。だから、私もそういうお手伝いが出来たらいいかなって、思ってるの。少し苦手だけど、化学とか、頑張ってるのはその
せいよ」 「・・・成程な」 あきのがきちんと将来のことを考えているのを目の当たりにして、智史は己の不安定さを痛感した。 「・・・・・ただ」 あきのがそう言って視線を落とす。 「ん?」 「倫子さんは、それもいいんじゃないって、言ってくれてるんだけど・・・『許さない』っていうのが1人、いて・・・」 「・・・親父さんは反対なんか」
智史が少し眉根を寄せると、あきのは小さく頷いた。 「・・・『お前はそんな仕事に就く必要はない!』って、怒鳴られたわ・・・私の進路も、決め付けるつもりなのよ、あの人は・・・!」 あきのの声には微妙な怒りが含まれている。親子の確執の深さを垣間見て、智史は気づかれぬほどの微かな溜息をついた。 「・・・看護師ってのは、キツイ仕事だからな。
俺の身内にも看護師とか医師とかがいるけど、休みもあってないような状態らしい。まあ、うちの身内は特別なんだろうけど、なんにしても生命を扱う仕事だから、綺麗ごとばっかじゃない。それが、心配なんじゃないのか? 親父さんは」 「・・・そんなんじゃないと思うわ、あの人は。娘は自分の言いなりになると思ってるのよ、きっと」 あきのの瞳はほの
暗い色に染まっている。 「自分の思う大学を出て、自分の選んだ相手と結婚させて、社会的な立場を更に良くしようとか考えてるだけよ、あの人は。私自身のことなんてどうでもいいんだわ、きっと」 「あきの・・・そりゃ、いくら何でも言いすぎなんじゃねえのか」 智史が厳しい瞳で軽く諌めると、あきのは彼を睨むように見上げてきた。 「そんなこと
ないわ。智史はあの人を知らないからそういう風に言えるのよ! 母の時だって、あの人は・・・!」 「親父さんだからこそ厳しく見ちまうのは解るが、子供を愛してない親ってのはあんまりいないと思うぜ? それが子供の側に伝わってるかどうかは別にして、な」 「智史・・・」 思わぬことを言われて、あきのは戸惑う。 智史の瞳は真摯だった。
「今のお袋さんはいい人なんだろ?」 「うん」 「その人が結婚した相手なんだぜ? 親父さんは。お前から見たら、子供のことより仕事って風にしか見えないんだろうけど、そういう面ばかりじゃないかもってことじゃねえのか? 今のお袋さんのことは。亡くなった方のお袋さんへの思いってのは、全然見当もつかねーけどな」 「智史・・・」 確かに、倫
子が父と結婚した理由は、あきのにとっても謎だった。どうして、倫子が父と結婚しようと考えることが出来たのかは不思議の1つである。 「・・・でも」 あきのは智史から少し視線を外した。けれど、その瞳にやはり怒気が含まれているのを智史は見てとる。 「倫子さんには、もしかしたらちゃんと『いい夫』なのかもしれないけど。私にとっては『父』で
はないわ。そうは思えない」 「あきの・・・」 智史は微かな溜息をつく。 あきのとその父親との間に相当根深い確執があることはこれまでの彼女の言動で理解している智史だが、改善、という言葉はこの親子には存在しないのか、と思わずにはいられない。 「だがな、あきの。実際、俺たちはまだ未成年で、何をするにも親の許可がいる。親父さんと、
ちゃんと話せねーと、辛いぞ?」 『事実』を突きつけられて、あきのは僅かに俯き、唇を噛んだ。 「・・・・・うん・・・解ってる・・・」 智史の言うとおりだ。看護科に進学したくても、実際に学費を出してくれるのが父である以上、父の許可は必要だ。 実母が残してくれた財産だけでは、入学金を払うのがやっとだろう。 まだ『子供』であるという
事実は、現在のあきのには辛いものでしかなかった。 「ちゃんと、話出来るといいな、親父さんと」 智史がぽんぽん、とやさしく頭を叩く。あきのは曖昧な笑みを浮かべた。 「・・・そういえば、智史は? やりたい仕事とか、ないの?」 問われて、智史はうっ、と言葉に詰まる。 「・・・・・それが判りゃあ苦労はねえって」 「・・・ってことは、ま
だ特に決まってないのね」 「・・・ああ。情けねーけどな」 溜息をつく智史に、あきのは笑みを向けた。 「・・・それで普通なんじゃないのかな。明確なものはまだ決まっていないっていう人、結構いそうだけど。実香子もぼんやりしか考えてないって言ってたし」 「・・・紺谷と同レベルってのもなぁ・・・」 智史は再び溜息をつく。 「智史ってば・・・」
あきのも苦笑するしかなかった。
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