素顔で笑っていたい.4








 玄関を開けると、珍しく総一郎と倫子が先に帰っていた。
「ただいま。・・・珍しく、早いのね」
「こんな時間まで、何処に行っていた」
 総一郎はあきのを睨むようにして見つめてくる。
 あきのの方も自然と顔つきが厳しくなっていた。
「友達のところにお邪魔していただけよ」
「・・・まあ、いい。とにかく、あまり遅くならんようにな。お前はこの家の一人娘なのだから」
「・・・言われなくても、解ってるわ」
 微妙に棘のある声音で会話する父娘を、義母である倫子は微かな溜息をつきながら見守る。
 あきのがすっと2階へ行こうとすると、総一郎がそれを呼び止めた。
「待ちなさい、あきの」
「・・・何?」
「これを見ておきなさい」
 総一郎がリビングのテーブルの上に置いた幾つかの封筒。あきのはそれらに胡散臭そうな視線を向ける。
「何なの? それ」
「大学のパンフレットだ。この家の娘に相応しい大学の分を取り寄せた。この中から受験する学校を選ぶんだ」
「・・・何、それ」
 断定的な言い方の総一郎に、あきのは憤りを感じた。
「・・・どうせその中はお嬢様大学しかないんでしょう? 私が行きたいのは看護大よ。それ以外にはないわ」
「そんな大学に行く必要はない」
 すっぱりと断定した総一郎に、あきのの怒りに火がつく。
「・・・私は看護師になりたいの。看護師になって、誰かの役に立ちたいの。お父さんはどうしてそんなに反対するの?」
 あきのの真っすぐな視線にも、総一郎は全く揺らぐ様子はなかった。
「看護師など、そんなきつい、汚いと呼ばれる仕事にお前が就く必要はない」
「・・・何なの、それ」
 あきのは目を見開いた。
 偏見に満ちた総一郎の言葉に、あきのの中にはまた新たな怒りが芽生えてくる。
「それ、世の中の看護師さん全員を馬鹿にしてない? 凄く失礼だわ、お父さん!」
「だが、夜勤があったり、人の命を扱う仕事だ、きついのは事実だろう。しかも、入院患者の下の世話などもし なければならないんだ、汚いのも事実じゃないのか、あきの。お前は世間を知らないからそんなことが言えるんだ」
「確かに、そういう面もあることは判ってる。亡くなったお母さんが入院してた時、看護師さんたちの仕事を見てたもの。でも、それだけじゃないわ。看護師というのは、大切な、重い仕事だって感じたの、その時。だから、私も、少しでも役に立てたらって思ってるのよ」
 言い返すあきのを、総一郎は僅かに苛立ちを含んだ瞳で見据えた。
「何もお前がそんな仕事に就く必要はない。お前は私の言う通りに大学で教養を身につけて、いい家柄の男と結婚するんだ。それがお前のためだ」
「なん・・・ですって・・・!」
 あきのは一瞬絶句した。
 総一郎の発言は、あきのの意思など無意味だと告げているように聞こえる。
「・・・・・私の、意思は? 私の気持ちは、無視なのね!?」
「お前はまだ子供なんだ。私の言う通りにしていれば間違いはない」
「私は・・・人形じゃないわ! 何もかもがお父さんの考え通りにいくなんて思わないで!」
「あきの!」
 総一郎が珍しく声を荒げて立ち上がる。
「ちょ、ちょっと待って。総一郎さんも、あきのちゃんも」
 それまで沈黙していた倫子が、2人の間に入った。
「少しは落ち着いて、2人とも。・・・あきのちゃん、お父さんは 本当にあなたを心配してるの。それだけは判ってあげて? それに、総一郎さん、あきのちゃんはいつまでも小さな女の子じゃないのよ? もう、高校3年生の、あと少しで立派な大人の仲間入りをしようとしいてる子なんだから、話はきちんと聞いてあげなきゃ。どちらもが喧嘩腰じゃ、話をすることにはならないんじゃない?」
「倫子さん・・・」
「倫子・・・」
 義母であり、妻である人の言葉に、あきのと総一郎は口を噤んだ。
「ほら、あきのちゃん、とりあえず、こっちに来て座って? 総一郎さんも、そんなに睨まないの」
 倫子はあきのがソファに腰を下ろしたのを確認すると、キッチンからテ ィーセットを運んできて、紅茶を淹れた。
 倫子が大好きな、上品な香りのダージリンは、特有の苦味が少なくて美味しいメーカーのもの。
「・・・あきのちゃんは、どうして看護師になりたいと思ったの?」
 倫子にティーカップを渡されながら問われて、あきのはゆっくりとそれを受け取り、答えた。
「・・・さっき少し、言ったけど、亡くなったお母さん、長いこと、入院してたの。倫子さんも知ってると思うけど」
「・・・そうね。美月さんは、身体が弱かったから・・・」
「・・・ええ。小さかった私は、病院があまり好きじゃなかった。薬の匂いも、その中で、ますます細く、弱々しくなってくお母さん を見ていたくなかったから。・・・だけど、お母さんと一緒にいないと寂しくて、どうしようもなかったから、毎日、病室に通ったの。暗くなる前までの時間、そこにいるのが、当たり前になってた。だから、病棟の看護師さんたちはみんな、私のことを覚えてくれてて。『あきのちゃん、今日もお母さんのお見舞いなのね』って、みんなが声をかけてくれて。それにね、凄く励まされてたの、私。患者であるお母さんだけでなく、その家族である私のことも気にかけて、優しくしてくれて・・・でも、それが私だけじゃなくて、他の患者さんの家族にもそうなんだって知った時ね、看護師さんって凄いなって、素直に思ったの。お 母さんが亡くなった時も、一番側にいて、励ましてくれたのが看護師さんだったから・・・だから、私も、そういう仕事に就けたらいいなって、中2くらいから・・・そう、職種は違うけど働いて、輝いてる倫子さんを見ているうちに、思うようになっていったのよ」
「あきのちゃん・・・」
 倫子は目を丸くした。
 亡くなったあきのの実母・美月が関係しているだろう、とは予想していたが、まさか、そこに自分の名が出てくるとは、倫子は考えもしていなかったのだ。
「そう、だったの・・・」
 倫子は総一郎の方へと顔を向けた。
「総一郎さん。受験だけは、させてあげてくれないかしら。合格するかど うかはあきのちゃん次第なんだし、別に、一校だけしか受けられないわけではないんだから、あきのちゃんも、総一郎さんが薦める大学も、1つだけは受けてみて? ともかく、合格しないことには、どんなに行きたくても行けないんだから、その位はいいでしょう? どう? 2人とも」
「倫子さん・・・」
 確かに、倫子の言う通りだ。
 どんなに希望していても、合格しないことには大学に行くことは出来ない。幾つかの大学を受けて、合格したところに行く、というのが、一般的だろうし、受けるだけなら、総一郎のリストアップしてきた学校を候補の1つに加えてもいいとも思った。
「・・・あきの、ど うしても看護大を受験するのか」
 総一郎が厳しい瞳のままで問いかける。
 あきのも、その視線を正面から受け止めた。
「する。受験したいの。お父さん、お願い」
 目を逸らさなかった娘に、総一郎は溜息をついた。
「・・・仕方がない。女子大も必ず受けるというなら、看護大も受験させてやる」
「本当? お父さん」
 あきのが驚いて総一郎を見る。
 総一郎の表情は厳しいままだ。
「・・・だが、浪人はさせん。看護大に落ちて、女子大に受かったらそっちへ行くんだ。判ったな」
「・・・判ったわ。自分で決めたことだから、頑張ります」
 きっぱりと言い切ったあきのに、 総一郎は微かな諦めの溜息をつく。
「来週の日曜日、空けておくように、あきの」
「・・・え? どうして?」
 突然の言葉に、あきのは再び怪訝な表情になって総一郎を見つめる。
「お前の意見を聞いてやったんだ、私の言うことも1つくらいは聞きなさい」
 これまた断定的に言い切る総一郎の口調に、あきのは溜息をつくが、これも、いつものことだ。仕方がない。
「・・・判りました。空けるようにします」
「うむ」
 それきり、総一郎は口を噤み、紅茶を飲みながら新聞に目を通し始めた。
「・・・じゃあ、私は部屋に行くわ。・・・そうだ」
 あきのは立ち上がると、倫子に目配せ してリビングの外まで一緒に来てもらった。
「倫子さんは知ってる? 今度の日曜日の話」







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