春便り.13








 

 翌日は少し曇っていたが、雨は降らないとの予報だったので、智史とあきのは彼女の希望の場所である貴船・鞍馬方面へ行くことにした。
「・・・貴船へ行きたいってのは何で思いついたんだ?」
 出町柳へ向かう電車の中で、智史は隣に立つあきのに問いかけた。
「あ、うん、今回ね、京都へ行くって決まってから、色々調べたの。修学旅行で行ったところはまあ、省くとして、それ以外の所でもしも行けるならどこがいい かなって。今は春だから季節はずれだけど、貴船って、川床っていうのが有名なんでしょ? それで、どんなところなのかなーって思ったものだから」
「・・・成程な」
 確かに、貴船といえば夏の川床だろう。京の奥座敷と呼ばれる名所だから、興味が湧くのも当然なのかもしれない。
「貴船以外だとね、大原とかもいいなって思ったんだけどね」
「・・・見事に山ん中ばっかだな」
 智史は僅かに肩を竦めた。元々京都は東西と北を山で囲まれているから、街中の名所でないものは山の中、となってしまうのだろうが。
「でも、ホラ、なんとなく『憧れの場所』っていう感じでしょ? 静かな感じで」
「・・・そういうもんなんか」
 そう言えば、修学旅行で銀閣寺に行った時も、あの、ちょっと侘しい感じがいい、というようなことを、あきのは言っていた気がする。そういう雰囲気が好み なのかもしれない。
「・・・世界遺産とかはどうだ?」
「世界遺産? どこのこと?」
「下鴨神社。一昨日行った宇治上神社や平等院もそうだけどな。下鴨神社の参道が・・・確か、糺の森とかいう名前だったと思うが、丁度乗り継ぎ駅の近くだ ぜ? お前の好きそうな雰囲気だと思う。・・・まあ、今はまだ、枯れ木の森って感じだろうけどな。それは貴船でも一緒だが」
 まだ、桜の季節にもならない現在、山の緑は常緑樹だけだ。
 それでも、荘厳な雰囲気というのは、基本的に変わらないだろう。
「・・・乗り継ぎ駅って、出町柳っていう駅のこと?」
「ああ」
「・・・なら、帰りにでも寄りたいな。いい?」
「・・・いいぜ、勿論。どうせなら、色々見て回る方がいいだろ」
「・・・ありがとう」
 あきのは微笑んで智史を見上げた。
 そうして話をしているうちに、電車は出町柳に到着する。地下の駅から地上に出て、叡山電車の出町柳駅まで少し歩くことになる。
「あきの、ここから見える木立が下鴨神社だ」
 智史は進行方向のやや左手に当たる、杜を指差した。
「あれなの? 本当に近いね」
「だろ? とにかく、貴船と、行けたら鞍馬も行ってみて、あそこにも寄ろう」
「うん」
 駅に着くと、貴船口までの切符を買って、2両だけの小さな電車に乗った。
「なんか、可愛らしい感じの電車だね」
「ん〜、可愛いっていうか、田舎の電車って奴だよな。暫くは街の中だが、だんだん山ん中に入ってくから、どこの田舎だって感じだぜ?」
「そうなんだ。・・・なんだかワクワクしてきた」
 あきのが楽しそうに笑っているので、智史もふっと表情を緩める。
 まだまだ春の訪れには遠そうだが、少しずつ花も見られるようになってきている沿線ののどかな景色は、あきのを喜ばせた。
「凄く綺麗ね。これが新緑の頃だったり、紅葉の頃だったら、もっと綺麗なんだろうな」
「・・・まあ、そうかもな。けど、マジで田舎だろ? ここら辺は」
「うん、そうだけど・・・私は好きよ、こういう雰囲気。自然の中って、落ち着くから」
「そうか」
 目的の駅に着くと、貴船神社の朱い鳥居が見えて、静かな感じの場所だった。
 駅から貴船川に沿って、ゆっくりと山の方へ向かう。
 街中に比べればやはり、空気が冷えている気がする。耳に響く瀬音が、その冷えた空気を更に強調しているようだ。
 落葉樹はまだ枝がむき出しだが、常緑樹の深い緑が静謐な雰囲気を醸し出している。
 まだ花の季節ではないからか、観光客の姿もそう多くはなく、智史とあきのはゆったりとした時間を味わいながら歩いた。
「貴船神社に行ってみるか?」
「あ、うん、折角だから行ってみたい」
 あきのの返事で、智史は朱の鳥居が並ぶ参道に折れた。何段もの階段が連なっている。
「この上だが、行けるか? あきの」
「うん。このくらいなら大丈夫よ」
 あきのと智史はそこそこの速度で階段を上る。上に着くと、多少の人影があった。
 神社独特の凛とした空気が満ちている。
「・・・なんか、凄いね」
 あきのがぽつり、と呟いた。
「・・・何がだ?」
「うん・・・何ていうか、雰囲気? 神様が住んでるっていうのが頷ける感じっていうか・・・そんなの」
 智史はそれについては答えず、じっと周囲の木々に目を向けた。
 緑が満ちたら、きっと綺麗だろう。そんなことを思う。
「・・・智史?」
 あきのが少しだけ不安そうな瞳で見上げてくるのを認め、智史はふっと口元に笑みを刻んだ。
「・・・こんな枯れた季節じゃなくて、やっぱ、新緑の頃とかに来るべきだよなぁ、この景色は。いつか、そういう時期にも来れるといいな、あきの」
「あ、うん・・・そうだね」
 新緑の時期に、智史と一緒にまた、この地を訪れるようなことが本当に実現するとしたら。それはきっと、数年先のことになるだろう。
 そんな未来も一緒にいられたら、心から嬉しいだろうとあきのは思う。
「・・・夏、とかも、来られたらいいなあ。やっぱり、興味あるもの、川床って」
 ゆっくりと参道を降りながらあきのが言うと、智史はげっ、と眉を吊り上げた。
「あきの・・・それはかなりヤバいって。すんげー高額だって話だぜ? 伯父貴がそんなこと言ってた気がする」
「そ、そうなの?」
「ああ。地元の人間はあまり行かないらしい。・・・まあ、あきのの親父さんなら、どうってことないんかもしれねーけど」
「・・・お父さんと来ても楽しくなさそう・・・」
「あきの・・・」
 唇を尖らせるあきのに、智史は苦笑した。




 それから、貴船川沿いを上流に向かって少し歩き、旅館が立ち並んでいる様を見てから引き返す。川沿いはやはりひんやりとしていた。
 駅まで戻ると、おおかた昼時になっていて、鞍馬へ行くか、出町柳へ戻るかの選択を迫られる。
「どうする? あきの。食べる場所が色々選択出来んのは、戻ることだが。鞍馬って、確か、あんましそういうの、なかった気がすんだよな・・・」
「・・・この辺りの雰囲気は味わえたし、戻る? 私はもう少しお昼が遅くなってもいいよ」
「お前がいいなら戻ろうぜ。その方が良さそうだ」
 丁度、出町柳行きの電車が来たこともあって、2人はそれに乗った。
 出町柳の駅に着くと、一旦賀茂大橋を渡って河原町通りの方へ移動する。その辺りには色々なお店が立ち並んでいた。
 相談して、2人はとんかつの店に入る。揚げたてのカツの大きさは選択出来て、ご飯とみそ汁とキャベツはおかわり自由だということだった。
 あきのは少し小さめのを、智史は大きめのものを注文し、しっかりと食事をした。智史はお櫃に入ってきたご飯も完食した。
「これ食い終わったら、下鴨神社に行くか」
「うん」
 温かいほうじ茶をゆっくりと飲んで、 2人はゆっくりと立ち上がり、店を出て、再び歩き出した。





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