春便り.9








 それから、宇治神社と宇治上神社を見て、源氏物語ミュージアムの横を通り、出てきた通りに面したケーキショップで一休みして、智史とあきのは佐藤家に帰った。
 帰宅したのは17時少し前だったが、智史の予想通り、祖父母以外の人物の靴が置かれていた。
「・・・やっぱり・・・」
 智史は呟き、溜息をつく。
 男物と女物が2つずつ。靴のサイズからいくと、森島家だろう。
「あきの、悪い。諦めてくれ」
「え?」
 あきのが意味を問うより早く、智史は奥に向かって「ただいま」と声をかけた。
「・・・お帰り、智史」
 返事は、愛美でも僚一でもない、けれど、あきのが知っている声だった。
「森島の、おじさま?」
 智史にだけ聞こえる声で問うと、彼は頷いた。眉間に皺が刻まれたまま。
「多分、おばさんと従兄弟たちも来てる」
 智史はそれだけ言うと、靴を脱いでリビングへと入っていった。あきのも、恐る恐るついていく。
「久しぶりね、智史くん」
 少し高めの女性の声。あきのが智史の後ろからそっと覗くと、夏に助けてくれた翔と、その隣に雰囲気の柔らかな、先程の声の主と、大学生くらいの男性と、中学生っぽい女の子が、僚一、愛美と一緒にいるのが見えた。
「どうも。おばさんも変わらないね」
「あら、嬉しいこと言ってくれるようになったわねぇ」
 女性はクスクスと笑う。
 きっと、彼女が知香の姉なのだろう。
「諒兄と翠まで一緒に来るとは思ってなかったぜ」
「それはないだろう、智史。久しぶりに従兄弟に会えると思って、楽しみにしてたのに。・・・ま、翠はおばあちゃんたちに呼ばれて来た、みたいなものだけどな」
 従兄弟の諒、という人が笑みを浮かべながら智史に声をかける。
「智史、そろそろ、みんなに紹介してくれてもいいんじゃないか? 俺は既に、挨拶はしたけどな。ねえ、椋平さん」
 翔がそう声をかけてきて。あきのは慌てて頭を下げた。
「あの、お久しぶりです。あの時は、ありがとうございました」
「いやいや。安志と今岡くんの助けがあったからこそだよ」
 翔はそう言って、穏やかに微笑んだ。
「・・・確かに、あん時は助かった。サンキュー、伯父貴」
 そう言ってから、智史はこほん、と咳払いをして、あきのをちらっと見た。
「えっと、彼女は、椋平 あきの。俺の、彼女、だ」
 微妙に視線を上へと逸らしながら、それでもはっきりと智史はあきのを紹介した。
「あの、椋平 あきのです。えっと・・・よろしく、お願いします」
 これが正しい挨拶なのか、あきのには自信がなかったが、ともかく、ペコリ、と頭を下げた。
「・・・知香ちゃんから聞いていた通りの、綺麗で可愛らしい方ね。私は森島 麻衣、智史の伯母で、彼の母親の姉よ」
「僕は森島 諒。智史の従兄弟で、年は君たちの3つ上になる。今年、大学4年なんだ」
「・・・森島 翠、中2です」
 全員の自己紹介が終わって、智史とあきのは空いていた椅子に腰を下ろした。
「そういえば諒兄、嫁さんは?」
 智史の問いかけに、諒は苦笑した。
「美夜子と優季は実家。俺ももう少ししたら行くよ。ちょっと悪阻が酷くて、そっちでお世話になってるんだ」
「2人目か?」
「ああ」
 諒の満足そうな笑みに、智史は頷いた。
「もう少ししたら亮介たちも来るだろう。・・・諒、あまり遅くならないうちに行ってこい。美夜子さんも心細いだろうが、優季ちゃんが寂しがってるぞ、きっと」
 翔の言葉に頷いて、諒はもう一度あきのに「またね」と声をかけて、佐藤家を出て行った。
 それから10分ほど経つと、知香の弟の亮介たち一家がやってきて、あきのはまた緊張しながら挨拶をした。
 亮介は僚一とよく似た、やさしい顔立ちで、素朴な感じの人だった。その奥さんの優花も、可愛らしい感じのやさしそうな人で。智史の従姉妹に当たる姉妹は翠と年が近いこともあってか、3人であれこれ話をしていた。
 夕食の間、麻衣と翔にさりげなく話題を振られると、それなりに答える、という形で、あきのは緊張しながらもそこそこに食べて食事を終えた。
 これから看護大に進むあきのにとって、助産師をしている麻衣と、医師である翔の話は興味をそそられるものだったから、必要以上の緊張はしないで済んだ面もある。
「・・・それにしても、智史はよく頑張ったな。そこそこの大学にちゃんと現役合格出来るとは、たいしたもんだ」
 食事が終わって、お茶を飲んでいる時に、翔がしみじみとそんなことを口にした。
「・・・伯父貴・・・それは、褒めてんのか?」
 智史は片眉を吊り上げるようにして翔を睨む。
「勿論褒めてるんだ。お前は勉強が嫌いだったろう、ずっと。特に文系は壊滅的だったと、安志ですら溜息をついてたからな」
「・・・親父の奴・・・!」
 翔にそんなことまで話していたのかと、智史は密かに悪態をつく。とは言うものの、それは事実でもあったから、はあ、と息をついた。
「まあ、なぁ・・・実際、どーでもいいと思ってたからな、高2になるまで。今じゃ、もっと真面目に勉強しときゃ良かったって思うぜ」
「・・・智史の口からそんな言葉が出るなんて」
 今度は亮介が目を丸くしている。
「叔父さんまで・・・」
 智史はまた、溜息をついた。
「だろう? 亮介。俺も、麻衣から聞かされた時は真剣に驚いたぞ? だが、椋平さんに実際に会ってみて『成程』と思ったんだ。知香ちゃんが嬉しそうに電話してくる訳だってな」
 翔が悪戯な視線を智史に向けてきて。
 智史はむすっとして翔と亮介を睨みつける。
「・・・あの、私、ですか?」
 あきのは遠慮がちに翔に問いかけた。
「そうだよ。君が智史にいい影響を与えてくれたんだろう。そして、もしかしたら、智史は君に対しても、何かいい影響を与えてくれたんじゃないのかな?」
「あ、はい、それは、確かに」
 あきのは翔の言葉に同意して頷く。
 智史がくれた、大切なものはあきのにとっての宝物のようなものばかりだ。
「・・・ふふ。本当に知香ちゃんと安志くんが揃って『いい娘(こ)だ』って言うだけあるわねぇ。亮ちゃんと優花ちゃんもそう思うでしょ?」
 麻衣がニコニコして言った言葉に、亮介たちも同意して頷く。
 そんな風に褒められて、あきのはほんのりと頬を染めて、テレた。
「ともかく、智史、これからも頑張れよ。椋平さんも」
 翔のやさしい眼差しに、あきのはゆっくりと頷き、ちらりと智史を見つめる。
「・・・わかってるよ」
 ぶっきらぼうに返す智史の目元が、かすかに赤くなっていることに、あきのだけが気づいていた。





「疲れてねーか、あきの」
 伯父たちが全員帰ってから、交代でお風呂に入らせてもらい、あきのと智史は客間で少し、話をしていた。
 タオルで髪を拭いながら、あきのは微笑む。
「うん、少しだけ、ね。でも、みなさん優しくて、思ってたよりはマシだったよ」
「・・・なら、いいけどな」
 風呂上りにと祖母にもらった麦茶を飲みながら、智史は息をつく。
「智史こそ、疲れたんじゃない? 私のこと、色々、聞かれて」
「いや、それはある程度予測してたしな・・・思ってた以上に、お前を気に入ったみてぇだしな、伯父貴たち」
「そ、そう、かな」
「ああ。間違いねぇよ。・・・ま、とりあえずこれで苦行は終わったし、明日は奈良まで行くぞ」
「苦行って・・・」
 あまりな言い方をする智史に苦笑しつつも、あきのは明日への期待に胸を躍らせた。
「楽しみ、凄く」
 そう言って微笑むあきのに、智史も穏やかな笑みを向けた。

    







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