春便り.8








 智史が言った通り、宇治駅にはあまり時間がかからないうちに到着した。
「前はバスだったから、電車で来るとまた、景色が違うだろ」
「・・・なん、だろうね、きっと。実は・・・あまり覚えてないんだ、宇治も。かなり、朦朧とした感じだったから」
 あきのがそう告白すると、智史はじろり、と彼女を睨んだ。
「・・・やっぱりそうか。だから・・・ってま、1年以上前のことを今更とやかく言ってもしょーがねえよな。・・・じゃ、マジで初めてに近いんだし、ゆっくり行くか」
「うん」
 駅から出るとすぐ、宇治川と宇治橋が見える。
「平等院は橋渡ってすぐを左に入ってくとこだ。そんなに遠くない」
「修学旅行の時も、バスでここ通った、んだよね?」
「・・ああ。通ったぜ。バスだと、反対側の入り口までいかねーとだが、今日は歩きだからな。土産物の店なんかも覗けるぞ」
「あ、それ、嬉しいかも」
 橋の上を歩きながら、智史が上流の方を指して、説明してくれる。川は流れが速く、水量もそれなりに多いようだ。
 それから、平等院通りへ入って、入り口を目指した。
「・・・お茶屋さんが多いね、やっぱり。宇治茶っていったら有名だもんね」
「そうだな。・・・これが4月とかだと、桜が咲いてそれなりなんだけどな・・・まだ、ちょっと早いよな、3月じゃ」
 宇治川沿いには、たくさんの桜の木が植えられているから、満開の時期はそれは見事なものとなる。ここのところの暖かさで、蕾は膨らみつつあったが、まだ、咲くには早すぎる。
「仕方ないよ、大学が4月1日とか2日に始まっちゃうんだから。私は智史と来られただけで嬉しいもの」
 そんな嬉しいことを言ってくれるあきのに、智史は微かに視線を下へと逸らし、そっと、彼女の手を包んだ。
「・・・ゆっくり、行くか」
「うん」
 あきのはその手をきゅっと握り返す。
 途中の雑貨屋で、あきのは和の柄のガーゼハンカチを買い求めた。
「悠ちゃんのお土産にするの」
「・・・初日から・・・気が早くねーか?」
 智史は苦笑するが、あきのは全く気にしていない。
「いいの! 悠ちゃんのだから。悠ちゃんは特別だもの」
 きっぱりと言い切るあきのの言葉に、やはり、僅かな嫉妬を覚えてしまう智史だった。
「・・・悠一郎はいいよなあ、お前にこれだけ大事にされて。・・・少しは親父さんにも分けてやれば? その気持ち」
「いいの、お父さんは。・・・少しは、考えるから」
 完全に無碍にしていた頃とは明らかに違うあきのの返答に、智史はふっと笑みを刻んだ。
 それから程なく、平等院の入り口に到着して、拝観料を払い、中へと入った。
 世界遺産に登録されている鳳凰堂の全貌が見えてくる。
「・・・凄い・・・本物・・・」
 あきのがぽつり、と呟いた。
 鳳凰が翼を広げた形に似ていると言われるその造りは美しく、古の貴族の生活への思いを抱かせる。
「・・・凄いね、昔の人って。こんな建物作れちゃうんだもの・・・」
 感嘆したような声音に、智史は僅かに苦笑した。
「あきのって、歴史好きだったか?」
「あ、ううん、特別に好きって訳じゃないけど。でも、やっぱり凄いと思うよ? 昔はクレーン車だとか、電気で動く道具とかはなかった訳じゃない? でも、人の手でこれだけのものを作っちゃったんだから、ね?」
「まあ、確かにな・・・」
「それに、歴史の授業とか、古典の授業で平安時代のこととか勉強するけど、こういう歴史的建造物っていうのが実在してなかったら、夢物語でしたって言われてもおかしくないような感じだと思わない?」
 瞳を輝かせて語るあきのに、智史はやはり苦笑いを浮かべてしまう。
「・・・ホント、お前は凄いよ。・・・そー言えば、そんな風に、色々なコト考えて、真面目に勉強してこなかったなあ、俺は」
「智史・・・」
 今度はあきのが苦笑する。
「お前みたいにさ、何にでも興味持って、熱心に勉強してりゃ、俺ももうちょっとマトモだったかもなぁ。スタートが遅すぎだわ、俺の場合」
 あきのとこうして知り合ってからは真面目に勉強に取り組むようになったが、それまでの智史は本当にいい加減だった。
 智史と想いを重ねることで自分は変わったと、よくあきのは言ってくれるが、それはこちら側にも言えることだ。
 あきののお陰で、智史は変わった。己をしっかりと見つめ、未来を見据えて取り組む努力をしようと思い、それを実行しようとする人間に。
「・・・けど、お前のお陰で少しは勉強しようって気になれたし、俺も少しは進歩してると・・・思いたいトコだよな」
「・・・清水くんがね」
 あきのは唐突に俊也の名前を出した。
 智史は訝しげに彼女を見つめる。
「智史が凄く変わったって、言ってたことがあったの。それが、私のせいだって。私には、よく判らなかったんだけど・・・でも、卒業式の日に、改めて言われたんだ、『椋平さんと智史は互いにいい影響を与えあえる、とてもいい関係だと思う。これからも、大事にしていってほしい、お互いを』って。智史が私を変えてくれたのは、凄くよく判ってることだったけど・・・私も智史をいい風に変えていけてたんだとしたら、凄く嬉しいなって思って。・・・それ、事実だって、思ってていい、んだよね?」
 全く、俊也には敵わない。
 智史は親友の言葉に脱帽するしかなかった。
「・・・ああ」
 あきのにやさしい笑みを向けて、智史は頷いた。
「悔しーけど、俊也の言う通りだと思う。あいつ、俺とお前のこと、よく見ててくれてんだな」
「・・・うん。それはそう思う。・・・清水くんは、好きな人、いないのかな」
 あきのの言葉に、智史は首を傾げた。
「さあ、なぁ・・・アイツは自分のそういうコト、話さねーからな・・・全く興味がねえ、ってコトはないと思うんだが」
「・・・そうだよね。清水くんって、恋愛に関しては謎な人よね」
 俊也の恋について、明らかになるのはまだ少し後のこと。
 あきのと智史はそこで話を切り、先へと進んだ。
「こっち行くと、修学旅行の時に入ってきた駐車場側へ出ることになるが、どうする? 宇治川の堤防の方へ行くんなら、引き返した方が早いぜ」
「・・・駐車場側からだと、川から遠くなるの?」
「少しだけどな。道路沿いに出るから、ゆっくり歩くって雰囲気じゃねーだけだ」
「なら、違う方から出て、歩いてみたいな。・・・いい?」
「・・・判った」
 智史はそのまま足を進めて、あきのと共に平等院を後にし、塔の島の方へと歩いた。
「旅館、があるのね、色々」
「まあな。一応、ここは宇治のメインみたいな場所だからな。対岸の旅館なんて、ボロっちい外観だし、それなりに年代モノだと思うぜ? こっち岸のも、綺麗に見えるけどそれなりの古さだったと思う」
「ボロっちいって・・・それはちょっと失礼なんじゃない? もしかしたら、昔の貴族の別荘跡とかに建ってるのかもしれないのに」
「・・・どうだかな。・・・まあ、とりあえず向こう岸にも行ってみるか。宇治上神社とか興聖寺とかはあっち側だからな」
 智史と並んで、あきのは喜撰橋を渡って塔の島に入る。
「ここが、宇治橋から見えてた島の部分だよね」
「そうだ」
「・・・あそこ、もしかして何かいる?」
 あきのが見つけたのは、鳥小屋のような感じだった。
「ああ・・・あれは『鵜』だ」
「鵜? 鵜って、あの『鵜飼い』の?」
「そうだと思うぜ」
 あきのは興味を魅かれて小屋に近づいた。中には、智史が言った通り、黒い鵜が数羽、入れられている。
「・・・ホントにいる」
「おいおい、何だそりゃ」
「だって、なんだか不思議な気がして・・・鵜って、実物見たの、初めてかも、私」
「・・・そうか」
 まだ春先で寒いからか、中にいる鵜はじっとしている。
「鵜飼いは夏、だな」
「そうだね。・・・なんか、宇治って色々なものがあって面白いかも」
「そうか? 何もねートコだと思うけどなぁ」
「そんなことないよ。景色、綺麗だし、よく見ると、桜も随分蕾が大きくなってるし・・・咲いたら、ホントに綺麗なんだろうなぁ」
 微笑んで言うあきのを、智史は穏やかな瞳で見つめていた。
  







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