春便り.7
「智史、予定では今夜と明日との2晩泊まるということだが、それでいいのかい? うちは構わんよ、後1日や2日増えたって」 僚一がそう申し出てくれて。智史は頷いた。 「とりあえず、明日の天気と予定のこなし具合、ってトコかな。彼女の親には一応、3泊でって伝えてんだけど。・・・まあ、最大で3泊って感じかな」 智史はそう答えてからあきのを見た。 「奈良以外に、行きたいとこってあるか? その気になれば、こっから大阪は勿論、神戸にも行けるぞ?」 「そ、そうなの?」 「ああ。・・・まあ、神戸まで行くには2時間くらいはかかるけど。そんなもんで行ける。大阪なら1時間ちょいだ。京都市内の、行ってないトコでもいいし・・・考えとけよ」 「うん。凄く楽しみ」 あきのがニッコリと笑ったので、智史もようやく安堵した。 初対面の愛美と僚一に対して、本当に過ぎる程に緊張していたようだが、今の笑みはいつもの彼女のものだ。 「・・・ばあちゃん、これ、いつものか?」 智史がケーキを指差す。愛美はやさしい笑みのまま頷いた。 「そうですよ。智史は甘いものが苦手だからねぇ、ちゃんと控えめにしてあるわ。・・・椋平さんは、甘いもの、大丈夫だって知香から聞いてたから、甘めのソースをかけてあるのよ」 言われて、あきのが自分の前の皿と智史の前のそれを見比べる。 確かに、智史の分には赤いソースはかけられていなかった。 愛美の心遣いを聞いて、あきのは微笑んだ。 「ありがとうございます。・・・いただきます」 口に運んだチーズケーキは、どこかさっぱりとしていて、普通のものとはかなり違うように感じた。甘いベリーのソースをかけても丁度いいくらいだ。 「・・・凄く美味しいです、これ。さっぱりしてて、なんか、いくらでも食べられそうです」 あきのの感想に、愛美はますます笑顔になった。 「まあ、ありがとう。作った甲斐があったわ」 その言葉に、あきのは目を丸くした。 「作って、下さったんですか? これ」 「ええ。椋平さんも知ってるだろうけど、智史は甘いものは苦手でしょう? 父親の安志くんに似て。でも、これだけは小さい頃から食べてくれてたから、この子が来てくれると必ず1回はこれを出してたのよ。知香も、たまには作ってるんじゃないかしらね」 「ん〜、ごくたまに、だよ。母さんも志穂も香穂も甘いもん好きだからな。最近はシフォンケーキとかいう、軽めの奴に凝ってるぜ、母さんは」 「あ、おばさまのシフォン、甘さがきつくなくて、軽くて美味しいのよね。この前にいただいたのも凄く美味しかったし」 あきのも思わず口を挟む。 あ、と思ったが、発してしまった言葉は消去出来ない。 「す、すみません、いきなり割り込んでしまって」 慌てて謝るあきのに、智史は勿論、愛美も不思議そうな表情(かお)になる。 「なんで謝るんだ? あきの」 「そうですよ。・・・ありがとう、知香のことを褒めてくれて。娘を褒められて、気を悪くするような親はいませんよ、椋平さん」 愛美のやさしい笑みに、僚一の穏やかな笑顔。あきのはまさしく知香の原点を見ているのだと感じた。 「それにね、そんなに畏まらなくても大丈夫ですよ。・・・それで、智史、今日はどうするの? もう、ここでゆっくりするの?」 愛美はさりげなく、智史に矛先を変えた。あまり立て続けにあきのに話しかけて、彼女を緊張させたくなかったからだ。 「そう、だな・・・あきの、もし、あまり疲れてねえなら、平等院とか、宇治上神社とか、行ってみるか? 歩いても1時間もありゃ、行けるけど、今日は電車使えばいーだろ。どうする?」 「そう、ね・・・折角のお天気だし、近いなら、行ってみたいな」 「んじゃ、決まりだな」 チーズケーキと紅茶を全部味わってから、愛美に客間に案内されて、あきのはキャリーバッグを置かせてもらい、小さなバッグだけを手にして玄関へと移動した。 智史も既に2階の元・叔父の部屋に荷物を置いて出かける体制は整っている。 「じゃあ、ばあちゃん、行ってくる。暗くなる前には戻る」 「気をつけてね。いってらっしゃい、2人とも」 「行ってきます」 愛美に見送られながら、智史とあきのは家を出た。 今度は坂をずっと下っていく。 「・・・お前、大丈夫か? あんなに緊張して」 智史が苦笑しながら言うと、あきのは僅かに唇を尖らせた。 「だって・・・緊張するなって言うほうが無理よ。初めて、お会いしたんだもの。でも・・・智史の言うとおり、凄くやさしい方たちだね。おばさまのご両親なんだから、当たり前なのかもしれないけど」 最後の方は笑みを浮かべたあきのに、智史は目を細めた。 あきのが知香を慕ってくれているのはよく理解しているつもりだったが、それを改めて知らされた感じだ。 「・・・ま、じいちゃんとばあちゃんは大丈夫だよな。・・・ただ、悪いな、あきの。多分、今日の夕飯は更に緊張させちまう事態になりそうな気がするんだよな・・・」 「え? それって・・・?」 「確定じゃねえけどな。急患がなければ、伯父貴たちが来るだろうし、もう1人の叔父貴たちも顔出すかもしれない。・・・昨日と一昨日と、相次いで電話きてたしな、母さんに」 「え? えっと・・・おばさまのお姉さんたちと、弟さんたち、ってこと、よね? 同じ市内に住んでおられるっていう・・・」 「・・・ああ。弟叔父貴の家は、実はじいちゃんたちの家から歩いて5、6分なんだよ・・・裏手の住宅地になる」 「そ、そうなんだ・・・」 「・・・ああ。お前も会った、森島の伯父貴たちの家は、2つ向こうの駅だから、ちょっと離れてっけど」 要するに、知香の側の親族の殆どの人と顔見知りになってしまう可能性があるということか。 あきのは知らず、ごくん、と息を呑んでいた。 そんな話を聞かされたら、嫌でも緊張が増してしまう。 「ど、どうしよう・・・ドキドキしてきた・・・」 「・・・いや、だから、そんなに緊張すんな・・っても、無理か」 智史は肩を竦めた。 自分だって、あきのの父親である総一郎に会う時に、どれ程緊張したことか。 少なくとも、佐藤家の親族たちはあきのを好意的に思ってくれている筈だから、自分のそれよりは遥かに気楽な筈だが、それでも、初対面の目上の人間に緊張するなという方が無茶だろう。 あきのが、自分よりも社交的だということを考えても、だ。 「・・・とりあえず、今日来るかどうかは判らねえし。ただ、これからの3日間のうちのどこかでは、来るだろうって思っといてもらった方がいいと思う。・・・おせっかいっつーか、好奇心旺盛ばっかだからな、うちの親戚は・・・」 「・・・・・でも、それって、要するに、それだけ智史がみんなに大事に思ってもらってるってことよね? でなきゃ、彼女がどんな女か、なんて普通は気にしないでしょ?」 「あきの・・・」 僅かに首を傾げながらあきのが口にした言葉に、智史は瞠目した。 どちらかと言えば、恋愛方面に疎い自分に彼女が出来たということで、伯父たちに面白がられているとしか考えていなかった智史は、そういう捉え方もあるのだと、初めて思った。 まさに『目からウロコ』のような感じだ。 智史は自然と笑みを浮かべていた。 「お前、すげーわ、あきの」 「え? 何が?」 あきのはきょとん、とした表情(かお)で智史を見つめる。 「・・・自覚ねーところも、ま、お前らしいよな」 「え?」 本当に理由が判らないでいるあきのに、智史はそれ以上は言わないでおく。 「ともかく、行こうぜ? 平等院」 「あ、うん」 智史とあきのは駅への道を進んでいった。
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