春便り.5








「大麻くんはあきのと去年も同じクラスだったと言っていたな」
 総一郎に聞かれ、智史は頷いた。
「はい、そうです」
「・・・あきのが、ちゃんと観光出来なかったところを、今回に、ということかね」
「はい、それも目的のひとつです。その、母方の祖父母が京都に住んでいて、奈良に行くには丁度いい距離なんで・・・ついでに、修学旅行では行けなかった場所に行ってみるのもいいかと」
 その言葉を聞いた総一郎は、再び眉根を寄せた。
「まさかと思うが、君はあきのと一緒にその御祖父母のお宅に泊まるつもりなのか」
「・・・はい、そうですが」
  躊躇いなく答えた智史に、総一郎はますます表情を厳しくした。
「赤の他人がいきなり訪ねていって泊まるなど、ご迷惑だろう」
「あ、いえ、そういうのはないです、うちの祖父母に関しては。それに、その・・・彼女と俺が同じ部屋に泊まる、なんてことは絶対に許してくれない人たちなんで、返って安心かと思ってます」
 智史の答えに、総一郎はふむ、と、少し考える格好になる。
 智史があきのとの身体の関係を避けようとしているのは間違いないらしい。彼の親族と、今から妙に親しく接するというのは少し引っかかるが、彼の誠実さはやはり、信用しても良さそうだ。
「・・・判った。まあ、いいだろう。君が私との約束を破った時点であきのとは別れさせる。それをよく、覚えておきなさい」
 相変わらずの総一郎の物言いに、あきのはムッとしたが、やはり、智史は真摯に頷いた。
「はい。ちゃんと判ってます」
「うむ」
 総一郎が頷いてくれたので、智史は安堵した。
 少々ハラハラしながら見守っていた倫子もほっと胸を撫で下ろす。
 それからは、少々ぎこちないながらも和やかな雰囲気が流れ、食事が終わると、智史はあきのの部屋へと通された。
「・・・いいのか? お前の部屋なんて入っても」
「いいよ、勿論。あそこじゃ、ゆっくり話せそうになかったし、お父さんも、もう少し悠ちゃんを抱っこするのに慣れてくれないと倫子さんが困るでしょ」
 あきのの口調が少し苛立ちを含んでいる気がして、智史は眉を顰めた。
「何怒ってんだ、あきの」
「そりゃあ怒るわよ。あれってつまり、私と智史がその・・・エッチ、したら、私の気持ちなんておかまいなしに智史と別れさせるって意味じゃない。智史も、あんなの、肯定しないで欲しかったわ」
「あきの・・・」
 智史は苦笑するしかない。まさか、あきのの口からそんな言葉が飛び出してくるなどとは思いも寄らなかった。
「・・・お前、俺とそういう関係になんの、恐いと思わなくなったのか?」
「えっ、と、それは・・・」
 あきのは視線を泳がせる。
 智史と身体の関係に進みたい、と積極的に思っている訳ではない。ただ、あんな風に、自分の意思は無視したような形で2人のことが決められるのが腹立たしいだけだ。
 ただ、今すぐは無理でも、いつか、智史となら、そうなりたいという思いも生まれてきそうな気がしているのもまた事実。
 昨夏に経験した、嫌悪の行為と、そうでない、やさしい行為が、あきのの思考に大きな変化を齎したのは紛れもない真実だ。
「・・・あのね、今すぐって言われたら、無理だと思う。ただね・・・私、智史には、触られても嫌だとは感じないの。凄く、ドキドキはするんだけど・・・でも、全然嫌じゃなくて、だから、いつかはって、思ってる。・・・ヘンかな?」
 智史は思いがけないあきのの発言に瞠目したが、やがて、少し困ったような笑みを浮かべた。
「いや・・・ヘンじゃねえよ。ただ・・・俺は、おじさんとの約束は守りたいと思ってる。亡くなったお母さんの想いも、大事にしたいって、な。何より、お前を・・・傷つけたくない。だから、おじさんに、お前とのつき合いを切られるような真似だけはしねーつもりだ。・・・おかしいか? 俺の言ってること」
「・・・ううん。おかしくなんて、ないよ」
 あきのは智史に大事にされていることを感じて、心が震えた。
 彼は何処までやさしいのだろう。やさしくて、誠実で・・・本人や周囲がいい加減なところがある、と称するのが不思議でならない。
「・・・ねえ、智史。私、正直なところ、去年同じクラスになって、ちゃんと智史と話をするまで、あなたのこと、あまり知らなかったんだけど・・・その頃はいい加減だったって、本当?」
 唐突なあきのの発言に、智史は再び瞠目するが、やがてふっと苦笑した。
「・・・ああ。面倒ごとは嫌いだし、勉強も嫌いだし、真面目なんて言葉とは程遠い生活してたからなあ、俺は。ムカつくと喧嘩腰になって、売られた喧嘩は100%買ってたし、女に惚れるなんて、考えられもしなかったんだが・・・」
 そっと、あきのの頬に手を伸ばす。大きな瞳が真っすぐに智史を捉えている。
「・・・お前のことだって、あの時まではまともに名前すら、覚えてなかった。それがまさか、こんな風になるなんて、な・・・つくづく、不思議だよ。これも『縁』って奴なんかな」
「『縁』かあ・・・そうね、そんな感じ、かな?」
 頬に添えられている智史の手に、自分のそれをそっと重ねて、あきのは微笑んだまま目を閉じた。
 本当に、智史の傍は心地よい。一緒にいると、ドキドキもするが、同時に安心もする。
 こんな風に、身も心も委ねてもいいと思える男性(ひと)に巡り会える日が来るなんて。これはやはり、智史の言うとおり『縁』とか『運命』というものなのではないだろうか。
「智史・・・春休み、楽しみにしてるよ」
 目を開けて、ニッコリと笑ったあきのに、智史も穏やかな笑みを返す。
「ああ。一緒に、行こうぜ?」
「うん」
 2人はそっと手を握りあった。





 卒業式を終えて、3月の半ば過ぎに。
 智史とあきのは東京駅の新幹線ホームに来ていた。
 今回は滞在を祖父母宅にと決めているから、交通手段にはあきのの負担を考慮して鉄道を使うことにした。夜行バスの方が格安だが、あれは慣れない者には眠れなくて辛いだけだからだ。
 あきのはいわば『お嬢様』なのだから、そこまでケチらなくてもいいだろう、と思ったせいでもある。
 無事に席に着いて、あきのは小さな子供のようにワクワクしているのを自覚していた。
「なんか、凄くドキドキするね。楽しみ」
 期待がいっぱい、といった風に瞳を輝かせいてるあきのに、智史はくくっと笑う。
「お前・・・なんかガキみてーだな」
「だって・・・! 本当に凄くワクワクしてるんだもの。私、旅行もあまりしたことないから。ほら、お父さんとはアレだったし、倫子さんもずっと忙しかったでしょう? だから」
「・・・そっか」
 智史は今更ながらに思い出す。金銭的に裕福である筈の椋平家が、これまでは温かな雰囲気とは程遠い中にあったのだということを。
 身体が弱く、入退院を繰り返していたという生母の美月とは、当然旅行などする機会はなかっただろうし、継母の倫子も仕事が忙しく、その頃には既にあきのはそこそこ大きくなっていたため、旅行に連れ出す、という発想自体がなかったのかもしれない。総一郎は言うに及ばず、だ。
 そう考えれば、今回、こうして誘いの言葉をかけたのは、あきのの為にも良かったのかもしれない。
「あきの」
 動き出した新幹線。それと同時に、智史はあきのの手をそっと包むように握った。
「楽しめるといいな。めいっぱい」
「うん」
 繋がれた手をぎゅっと握り返して、あきのは嬉しそうな笑みで頷いた。
   






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