春便り.3
授乳を終えた倫子に、智史は早速京都への旅行の話をした。 「・・・総一郎さんがいいと言うなら、私は構わないと思うわ。2人とも、ずっと頑張って勉強してきたんだし、大麻くんのことだから、一緒に行っても心配ないと思うし・・・そうね、総一郎さんには私の方からそれとなく話しておきましょうか」 「・・・あ、でも、やっぱり、俺が話す方が良くないですか? 泊まりってことになると」 智史の真摯な瞳に、倫子はそっと微笑んだ。 「大麻くんにちゃんと会って話を聞いてもらえるように根回しするっていう感じかしらね、私が話すのは。それなら、構わないでしょう?」 「あ、はい。・・・よろしくお願いします」 智史はすっと頭を下げた。 確かに、ちゃんと話を聞いてもらわないことにはどうしようもない。 悠一郎が生まれてから、残業は減っていると聞いているが、総一郎が多忙なことには変わりはないのだから。 「・・・あ、そうだ」 倫子はぱっと目を輝かせた。 「今度の日曜日のお昼にでも、お祝いをしましょう、あきのちゃんと大麻くんの合格祝い」 「は?」 「えっ、倫子さん? どうしたの、いきなり」 智史とあきのが揃って目を丸くする。 倫子はにこにこして思いつきを話した。 「2人の合格祝いと、悠一郎が無事に生まれたお祝いを一緒にすればいいのよ。それなら、総一郎さんと大麻くんの両方が同じ席についていてもおかしくないでしょう? その時に、旅行の話をしてみればいいんじゃない?」 「・・・ああ」 「それ、いいかも。そういう理由なら、お父さんも智史に会うのを拒んだりしないだろうし」 智史もあきのも、倫子の提案に同意した。 倫子は満足そうに微笑む。 「じゃあ、今夜にでも総一郎さんに話しておくわね。・・・ただ、本当にいいの? 大麻くん。ご親戚の方にご迷惑がかかったりすることは・・・」 「ああ、それは大丈夫です。むしろ、彼女に会いたがってんのは、向こうだし」 智史は最後の方を半ば諦めの境地で口にした。 おせっかいというか、好奇心旺盛な伯父には毎度のことながら辟易する。 「・・・なら、総一郎さんのお許しが出たら、あきのちゃんをよろしくね?」 倫子の言葉に、智史はしっかりと頷いた。
週末の食事会を、総一郎は比較的簡単に承諾した。 そこは倫子の予想通りで、あきのと2人、その日の準備をする。 普段なら矢野さんはお休みの日だが、この日だけは臨時で手伝いに来てもらうことにし、倫子と矢野さんで料理を作った。その間、あきのが悠一郎の世話をする。 おっぱいだけは倫子でないとどうしようもないが、ミルクだったり、おむつ交換ならばあきのもきちんと出来るようになっていた。
総一郎は急ぎの仕事を処理するということで、午前中は出勤し、昼には帰宅するということだった。 智史も11時過ぎくらいには椋平家を訪ねた。 「大麻くん、いらっしゃい。あきのちゃんは悠一郎をみてくれてるのよ。上がって?」 笑顔の倫子に迎えられ、智史は手土産にと知香に持たされたシフォンケーキを手渡した。 「これ、うちの母から預かってきました。よかったら、おやつの足しにでもってことで」 「まあ、ありがとう」 倫子にそれを渡してしまうと、智史はあきのがいるリビングからの続き間の和室に入った。 「智史、いらっしゃい」 あきのは微笑んで悠一郎を抱いている。 「よう。・・・お前、随分慣れた感じに抱いてるな、悠一郎のこと」 「そう? 確かに、恐いとかは思わなくなったけど」 今日も起きているらしく、目を開けている悠一郎を見て、智史はその頬を突いてやる。 「・・・気持ち良さそうな顔してんな」 「そうかな。それなら嬉しいな」 あきのの蕩けそうな笑みに、智史は微かに嫉妬を覚えてしまう。 それを誤魔化すため、智史は悠一郎から視線を外し、あきのを見つめた。 「・・・おじさんは?」 「どうしても目を通さなきゃならない書類の決済をしに、仕事に行ってるわ。昼には戻るって。・・・多分、1時過ぎちゃうとは思うけどね」 あきのは苦笑する。責任ある立場なのだから仕方がないことだが、やはり、悠一郎の今後が少しだけ心配だ。 幸い、倫子は産後の経過も良く、元気なので美月のようなことはなさそうだが、総一郎に関しては自分の幼少期と似たようなことになってしまわなければ良いなと思う。 「・・・悠ちゃんがもう少し大きくなって、私みたいな思いをしなければいいんだけど」 ぽつりと漏れたあきのの言葉に、智史は軽く瞠目した。 「お前・・・なんつーか、ホント、母親みてぇだな」 「う・・・そ、そうかな」 指摘されて、僅かに焦る。それは、姉としてダメだということなのだろうか。 「・・・けど、年齢的にはおかしくねえんだよな、お前の子供でも。18歳も離れてんだしさ」 「・・・そう、だよね、確かに」 あきのは頷いた。 あきのの周囲にはまだ、結婚したとか、妊娠したという友人はいないから実感はないが、社会的には充分に有り得る話だ。 そう考えて、ふと思いついたことをそのまま、智史に尋ねてみる。 「智史は、小さい子供は苦手だって言うけど・・・自分の子供って、欲しいと思う?」 「・・・はぁ?」 智史は茫然となってあきのを凝視した。 単純に受け取ればどうということはない質問だが、何か深い意味合いがあるのだろうかと勘繰りたくなる。 あきのはそれを解っているのだろうか? 「・・・・・智史?」 何故か固まってしまった智史をきょとんとした顔で見つめるあきのは、そんなに答えにくいことを聞いてしまったのかと首を捻った。 その仕草を見て、智史はおそらく彼女の中では深い意味などないのだろうと見当をつけた。 深読みしかけた己が馬鹿だったのだと、内心で溜息をつく。 旅行に誘ったことで、必要以上に自分たちの関係について過敏になっているのかもしれない。 「・・・まあ、いてもいなくても、どっちでもいいんじゃねえ?」 「・・・え?」 ある意味唐突な答えに、あきのはついつい聞き直すような口調になってしまった。 「・・・子供はいたらいたで賑やかだろうけど、いなかったらいなかったで、それなりに過ぎるんじゃねえの? あきのは、どうなんだよ。自分の子供、欲しいか?」 「えっ・・・えっと、それは勿論、出来たら、欲しいなって思うよ? 弟でもこんなに可愛いんだから、自分の子供だったら・・・」 そう言葉にしながら、あきのははた、と気づく。 自分の子供という事は、相手がいるということで。 そう考えた途端に、顔が真っ赤に染まった。 「あ、あの、えっと、あのね、い、今すぐに欲しい訳じゃなくて、もっとちゃんと大人になってから、よ? 今は、お姉ちゃんで、充分です・・・」 智史はそんなあきのを見て、どこか安堵したような、淋しいような、複雑な思いに駆られたが、溜息でそれを流してしまう。 「・・・それで当たり前だろ? 俺も・・・もっと大人になって、きちんとしてからなら、いても悪くねえだろうなって思うし」 「・・・うん」 互いの思いをなんとなく知って、智史とあきのは少しテレた笑いを浮かべた。 「・・・あきのちゃん、悪いんだけど少し手伝ってくれる? 大麻くん、その間だけ悠一郎をお願いできるかしら。そんなに長くはないから」 「あ、はあ、いいですよ」 「じゃあ智史、お願い」 あきのは腕の中の悠一郎を智史にそっと手渡した。 智史は頭を支えながら悠一郎をそれなりにちゃんと抱いた。 先日よりも僅かではあるが、重くなっているような気がする。 「・・・すげーな、お前。チビのくせに、ちゃんとでっかくなってんだな・・・」 ひとりごちて、智史は黒目がちな悠一郎の瞳を見つめる。 まだ、あまり見えていない筈のその瞳が、己の心情全てを見透かしているような気がして、智史は苦笑し、微かな溜息をついた。 「・・・あきのはお前の姉ちゃんだからな。・・・やらねーぞ? っつーか、俺もまだまだ頑張らねーと、な」 己の未来は勿論、これから顔を合わせる筈の総一郎に対しても、最大の努力をして、あきのとの関係を良い方向へと持っていけるようでありたいと、智史は思った。
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