春便り.2
「・・・悠ちゃん、大人しいね」 あきのが智史に抱かれた悠一郎の頬をそっとつつく。 「・・・男の人の手は大きいから、安心するみたいよ。まして、大麻くんのように、落ち着いてゆったり抱いてくれる人ならね」 倫子に言われて、あきのはへえ、と感心した。 「そういうものなの? 倫子さん」 「ええ。大麻くんのやさしい気持ちが掌から悠一郎に伝わってるんじゃないかしらね」 智史は軽く瞠目して倫子を見つめる。 「あ、いや、その・・・まあ、ちっこいんで、大事に扱わないと、とは思いますけど・・・俺、そんなにやさしくはないですよ」 実際、悠一郎のことも、小さくとも生命だから大事にしなければ、とは思うが、可愛いかと言われればそういう意識はない。 小学生より小さい子供は、少し苦手だ。特に、こんなに小さな赤ん坊はどう扱っていいのか戸惑ってしまうから。 悠一郎はまだ本当に小さくて、今は機嫌よくしているようだから良いが、泣かれでもしたら智史の手には負えない。 「小さな子供は苦手かな? 大麻くんは」 倫子が苦笑混じりに問いかけると、智史は正直に頷いた。 「はい、どちらかと言えば。どう、対処していいんか、判らないんで」 「・・・そうね。確か、妹さんたちは年が近かったのよね?」 「はい。3つ下なだけなんで。うちのは双子ですから、煩いです、正直なところ」 「あら、そうなの? でも、そうかもしれないわね、年頃の娘さんが2人いれば。女の子はおしゃべりが好きなことが多いから」 「ですね。・・・お、あくびした」 小さな悠一郎が大きなあくびをしたのを、智史は少し不思議そうに見下ろす。 小さくてもちゃんと大人と同じような仕草もする。 生命の神秘がそこにあるような気がした。 「・・・そろそろ、おっぱいの時間だからぐずぐず言い出すかもしれないわね」 倫子がゆっくりと立ち上がって智史の側に寄り、悠一郎を受け取った。 「ありがとう、抱いてくれて。良かったら、また抱いてやってね。じゃあ、ちょっと失礼するわ」 倫子はベビーベッドの側へと移動していった。 「・・・ありがとう、智史、悠ちゃん抱っこしてくれて」 あきのが微笑んで智史を見つめた。 「あ、ああ・・・いや、抱いた、だけだから」 「ううん、悠ちゃんは私の大事な弟だから、なんか、私も大事にされてるみたいで、嬉しかったんだ。・・・智史は自分のこと、やさくしないって言うけど、絶対そんなことないよ。いつでも、やさしい。・・・そういうところも、好き、だもの」 「あきの・・・」 目元をほんのりと染めたあきのに、智史は微かな笑みを向けた。 「全く・・・お前は・・・」 智史はぎゅっとあきのの手を握った。 「俺も、お前のこと、好きだぜ」 囁くかのような小さな声を、あきのは聞き逃さなかった。 「・・・うん」 はにかんだ笑みになってこくん、と頷くあきのに、キスをしたい衝動に駆られた智史だが、近くにいる倫子の存在を思い出し、ぐっと堪えた。 ゆっくりと手を離し、それから今日あったら話そうと思っていたことを口にする。 「・・・なあ、あきの。卒業式終わったら、旅行しねーか」 「・・・え? 旅行? 智史と?」 思いがけない申し出に、あきのは目を丸くする。 「ああ。2泊か3泊くらいで」 「・・・ええっ? と、泊まり、なの?」 あきのはかあっと頬を赤く染めた。 合格したら、一緒に遊びに行ったり、少し遠出もしてみたいと思っては、いた。けれど、泊りがけの旅行というのは、完全に予想外。ましてや、智史の口からその言葉が出てくるなどとは思いも寄らなかった。 「あ、あのな、別に、一緒の部屋に泊まろうってんじゃねーぞ? ただ、京都っつーか、奈良って、日帰りで行くトコじゃねーだろ?」 「え・・・奈良? 京都って、智史、どうして・・・」 一緒に泊まる訳ではない、と聞かされて少し安心したが、行き先もあきのにとっては予想外のところで、何故、という気持ちは消えなかった。 「・・・実はな、俺、大学合格の報告を兼ねて、じいちゃんたちに会いに行こうかと思っててな・・・良かったら、つき合わねーかって話だ。お前、奈良は勿論、宇治も、ロクに覚えてねーだろ? 前に行った時」 「あ、うん・・・」 確かにそうだ。 去年、修学旅行で行った時、あきのは寝不足がたたって倒れて寝込んでしまった。平等院は行った、ということしか覚えていないし、薬師寺や東大寺、奈良公園には行けずじまいとなってしまったのだ。 「京都のじいちゃんちは宇治なんだ。だから、奈良にも比較的近いし、平等院はその気にさえなりゃ、歩いても行けるし、京都市内にだって近い方だ。大阪とかへも1時間くらいで行けちまうとこだから、悪くねーと思うぜ?」 智史の誘いはかなり魅力的だった。 前回見られなかったところへ行けるということも、修学旅行では入っていなかった大阪へ行けるということも、智史と一緒だということも。 しかし、泊りがけの旅行ということを、果たして総一郎が許可してくれるのだろうか。 しかも、智史の口ぶりだと、彼の祖父母のところへ泊めてもらう、ということのようだ。恋人同士、ではあっても、他人の自分がそんなことをお願いしてしまっていいのだろうか。 「えっと・・・行きたいな、とは思うけど・・・でも、智史のお祖父さまたちに迷惑なんじゃ・・・それに、お父さんが許してくれるかどうか・・・」 「そうだな。おじさんと倫子さんの許可はもらわねーと無理だな。ただ、じいちゃんたちのことは気にしなくていい。伯父貴から話が行って、きっとお前に会いたいって言い出すに決まってっから」 伯父の翔の口から、あきののことが語られているのは確実だろう。もしかしたら、知香の口からも祖父母には伝わっているかもしれない。 その上、伯母や叔父夫婦、従兄弟たちまでが会わせろと言い出すのが目に見えているだけに、それを実現させれば手っ取り早いと思う。 会わせたら会わせたで、色々詮索されるだろうが、憶測だけであれこれ言われるよりはマシというものだ。 それに、あきのが行けなかった場所に連れて行ってやりたい、というのも本音だった。 「・・・京都のお祖父さまっていったら、おばさまの、ご両親、なんだよね?」 「ああ、そうだ。母さんは4人きょうだいの3番目で、上は姉2人、下は弟。・・・で、すぐ上の姉ってのが、夏に会った伯父貴の嫁さんで、助産師をしてる。弟ってのは高校の教師で、その2人はじいちゃんちに比較的近いところに住んでるんだ」 智史の親戚の話を聞くのは初めてで、あきのは頭の中でその関係を懸命に整理した。 「離れてるのが、うちと、1番上の姉。でも、1番上の伯母さんとは、俺も数回くらいしか会ったことねーんだよな。伯母さんのダンナ、アメリカ人だし、今はニューヨークに住んでるから」 「えっ、そうなの? アメリカ在住?」 「ああ。さっき話した赤ん坊のいる従姉妹ってのは、この伯母さんの娘でな。伯母さんはニューヨークで簡単には頼れないからって、うちの母さんに頼ってきたってわけだ」 「そうだよね・・・病院に行きたいから、くらいで呼び出せる距離じゃないもんね、ニューヨークなら」 「そういうこった。・・・で、どうする? お前が行きたいってんなら、俺、ちゃんと倫子さんとおじさんに頼んでみるけど」 「えっ、智史が?」 彼自ら総一郎に話してくれるというのを聞いて、あきのは瞠目した。 「当然だろ? 言い出したんは俺なんだし。旅行中は俺が責任持つって形になるだろ、この場合」 至極当然だという様子で言い切る智史に、あきのは大きな安心感を抱いた。 智史と一緒なら、大丈夫。そんな確信すら覚える。 「・・・行きたいな。お父さんと倫子さんがいいって言ってくれたら。・・・ちょっとだけ、緊張するけど」 あきのは自然な笑みを浮かべる。 智史の祖父母や親戚の人と会うのは、考えただけで緊張するが、それでも、あのやさしい知香の血縁者だということが、どこか期待感のようなものも抱かせている。 「緊張しなくていいって。・・・まあ、伯父貴と、伯父貴んトコの従兄弟に会うのだけは、ちょっと覚悟としいた方がいいかもしんねーけど」 智史は僅かに苦笑して、翔と、従兄弟の諒の顔を思い浮かべた。
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