春便り








「・・・智史? どう、だった?」
「お前は? あきの」
「私は合格したよ」
「俺もだ」
「ホントに!? やったね!」
「ああ。お前もな」
 2月半ばのこの日。智史とあきのは共に、それぞれの第一志望校からの合格通知を受け取ることが出来た。
 大学は別々のところになるが、どちらも自宅からの通学なので、休日には会うことも充分に可能だろう。
 それに何より。これから入学までのひとときは自由に過ごせるのだ。
 それは、お互いが何よりも心待ちにしていた時間だ。
 翌日に早速会う約束をして、その日2人は電話を終えた。




 翌日、智史は椋平家を訪れた。
 この家に招かれるのはまだ2度目。平日のため、総一郎は仕事でいないが、生後ひと月経たない悠一郎と、あきのの義母である倫子は当然在宅している。
 少し緊張して、インターホンを鳴らすと、すぐにあきのが出てきてくれた。
「ごめんね、智史、呼び出す形になっちゃって」
「いや。矢野さんが休みなら、しょうがねぇだろ。倫子さんに1人で家事と悠一郎の面倒両方見ろってのはまだしない方がいいんだろうしな」
 産後にきちんと休養しておかないと、年齢を重ねていく先で身体に支障が出ることがあるらしいと、伯母から聞かされている智史は、倫子を手伝うあきのを応援している。
「夜中、ミルクで寝られねえだろうし、その分、昼間に寝ないともたないだろ、実際のとこ」
「うん・・・悠ちゃん、倫子さんのおっぱいだけじゃ足りないらしくて。昼間の数回はミルクだしね。それに、赤ちゃんって、もっともっと寝てるのかと思ってたら、悠ちゃん、意外と起きてることも多くて。だから、余計に私も手伝わないと、倫子さん、休む暇がないのよ」
 以前に亡くした娘とは全然違うと、倫子も少し戸惑うことがあるようで、あきのと一緒に新米ママさんのように育児書とにらめっこをすることもあるくらいだ。
「そりゃー大変そうだな・・・」
「・・・うん。でも、ちっちゃくて、ホント可愛いから、ついつい、顔がニヤけちゃうのよ。不思議よね」
 あきのの笑顔が言葉の真実を物語っている。
 智史は軽く肩を竦めてみせた。
「・・・ま、そこが赤ん坊の特徴っつーか、そうでなきゃ、世話なんて出来ねーだろ」
「まあ、それもそうなんだよね。・・・とにかく、どうぞ? 倫子さんも、実は智史に会いたがってたの」
「倫子さんが?」
 智史は少し不思議に思ったが、あきのに言われるまま、靴を脱いで中へと入らせてもらった。
 日当たりのいい、リビングの隣の洋室が悠一郎の現在の部屋になっているらしく、ベビーベッドと紙おむつ、着替えの服などが置かれている。
「大麻くん、いらっしゃい」
 倫子がソファに座って出迎えてくれた。悠一郎はその腕に抱かれている。
「こんにちは。・・・お邪魔します」
 智史がペコリ、と頭を下げる。
「ごめんなさいね。本当は、あきのちゃんと2人でゆっくりお出かけしたかったでしょうに」
 倫子が申し訳なさそうに苦笑している。
「あ、いえ、気にしないで下さい。別に行きたいトコがあった訳じゃないんで」
 そう。特別にどこかへ出かけたいと思っていたのではなく、あきのと一緒にゆっくり過ごせれば場所など関係なかった。
 ただ、倫子の手前、ゆっくり、というのは難しいかもしれないが。
 無論、それは口には出さないでおく。
「智史、座ってて。私、お茶入れてくるから」
 あきのの言葉に、智史はちらりと倫子に視線を向ける。
 倫子も笑顔で頷いてくれたので、智史はソファに腰を下ろした。
 丁度、倫子たちの向かい側に当たるところだ。
「・・・色々、ありがとうね、大麻くん」
 倫子にいきなり話しかけられて、智史は瞠目した。
「は? あの・・・」
「あきのちゃんね、夏以降、うんとよく話をしてくれるようになったの。それに、総一郎さんにもね、だいぶやさしい態度を取ってくれるようになってね・・・それは、総一郎さんの側もなんだけど。悠一郎を妊娠した時も、生まれた時も、君には随分助けてもらったし・・・本当にありがとうね」
「あ、いや、あの、俺は、別にそんな・・・」
 まさかこんな風にお礼を言われるとは予測もしていなかった智史は戸惑った。
 切迫流産に陥っていた倫子を助けたのは本当にただの偶然だし、あきののお見合いや一連の総一郎との確執のことは、別に智史が何かをした訳ではない。悠一郎が生まれる時も、偶々そこに居合わせたから、出来ることをしただけだ。
 強いて言えば、咄嗟のときにどう動けばいいか、そういう対処が出来るように躾けてくれた知香と安志、それに伯父と伯母のお陰ということになる。
「俺はただ、自分に出来ること、判ることをしただけなんで。その、倫子さんにそんな風に言ってもらえるようなモンじゃないです」
「・・・そんなことはないわ。自分に出来ることをしただけって、君は言うけど、それが『出来る』ということがそもそも、凄いことだと思うのよ。状況を把握して判断して、的確に行動するのは、難しいことだわ。・・・本当に、あきのちゃんは見る目があるわね」
「はあ・・・」
 あまりにも褒められるので、智史は返答に困ってしまった。
 叱られることはあっても、褒められることは少ない智史だ。まして、こんなにも褒めちぎられるなど、生まれて初めての経験と言っても過言ではない。
「・・・この子も、大麻くんみたいにやさしい子に育ってくれるといいのだけど」
 倫子は腕に抱いている悠一郎を微笑んで見つめる。
 柔らかい微笑みはまさに母そのものという感じで、見ている智史も自然と穏やかな表情になる。
「・・・悠ちゃんが智史みたいなやさしい人になってくれたら、私も嬉しいな」
 温かい紅茶を運んできたあきのも、倫子の言葉に同意した。
「な、何言ってんだ、あきのまで・・・」
 智史は焦ったように言い放ち、視線を上へと外す。
「表面だけのやさしさなんかじゃなくて、時には厳しく叱ったりも出来る、本当のやさしさって、とても大切だと思うから。・・・ねえ? 倫子さん」
「あきのちゃんの言うとおりだわ」
 倫子も大きく頷く。
「悠一郎、あきのお姉ちゃんの恋人みたいな、いい男性(ひと)になるのよ〜。ね」
 倫子がそう囁いて、悠一郎の頬をそっと突く。
 あきのも、それをニコニコして見つめていて、智史はどう反応して良いか判らず、沈黙を守った。
「・・・あ、そうだ、大麻くん」
 呼びかけられて、智史は倫子へと視線を向ける。
「はい」
「この子を、抱いてやってくれない?」
「え・・俺が、ですか?」
 倫子の申し出に、智史はいささか戸惑いを覚えた。
「ええ。たくさんの人に抱いてもらえる方がいい子に育ちそうでしょう? 嫌じゃなかったら、是非」
 倫子の笑みが包むようにやさしく、腕の中の悠一郎と、向かいに座る自分とあきのとに向けられていることを感じて、智史は頷いた。
「・・・あきのちゃん」
 倫子はまず、悠一郎をあきのに託す。大事そうに小さな生命を受け取って、彼女は嬉しそうな笑みを弟に向けた。
 そしてゆっくりと智史の隣に戻り、ソファに腰を下ろす。
「悠ちゃん、智史お兄ちゃんよ。お姉ちゃんの大好きな人なの」
 そんな風に話しかけながら、あきのは智史に悠一郎を手渡す。
「首のとこ、支えてあげて。・・・それから、お尻のところと」
 智史は少し緊張しながらも、意外とすんなりと悠一郎を抱いた。
 その、どこか落ち着いた様子に、倫子とあきのは目を丸くした。
「ちっこいのに、結構重いな・・・」
「・・・智史、もしかして、ちっちゃい赤ちゃん抱くの、慣れてる?」
 あきのの問いかけに、智史は軽く瞠目した。
「いや、慣れてるわけじゃ・・・ただ、去年に一度、従姉妹の子供、半日うちで預かったことがあって・・・ここまでちっこくなかったけど、首がまだすわらない状態だったし、こうやって抱けって、母さんに言われて」
 アメリカ人とのハーフであるその従姉妹は、住んでいたニューヨークで仕事をしていた日本人男性と恋に落ち、結婚して、現在はその夫の勤務先のある東京に住んでいる。
 あの日、たまたま彼女の体調が良くなくて、病院に行くために、生後2ヵ月半になる娘を叔母である知香に預かって欲しいと依頼してきた。
  彼女の母である知香の姉は、現在でもその夫ともう1人の娘と共にニューヨーク在住で、簡単には頼れないからだ。
 その時、知香に言われてその子を少しの間抱いていたのだ。
「そう。やっぱり、経験のある人は違うわねえ」
 倫子に感心されて、智史は僅かに苦笑した。






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